65 / 219
第二章
ショーン 7.
しおりを挟む
ところが自室へ戻って着替えているうちに、今度はマリーがドアを叩いた。
出かける、というのに「少しだけ」と引き留めて、ミラのことを延々と喋りだしたのだ。彼女から連絡があったのだという。マリーがあまりにも悲愴な顔をして訴えてくるものだから、僕としてもどうにも逃げようがない。ここで相手をしてやらないと、あとから倍ほど時間をとられることになる――。
そうこうするうちに、コウたちが帰ってきたようだ。階下での話し声に無意識の内にマリーの喋りを遮り、部屋をでていた。
それなのにまた、コウはいないのだ。買い物し忘れたものがある、と玄関先で踵を返したのだそうだ。追いかけようと電話したけれど、コウは電話にでなかった。居ても立っても居られなくて、闇雲に追いかけた。買い物ならハイストリートだろうと当たりをつけて、早足で周囲を見回しながら――。
普段はそれほどの賑わいとも思わないこの通りも、夏のこの時期は観光客で溢れ返る。僕からコウを隠し、攫っていく情のない喧騒――。コウがよく立ち寄る店のウィンドウを覗きこみ、彼の姿を捜す。艶やかな黒髪を。小柄で華奢な妖精のような肢体を。脳裏に浮かぶ彼の姿は朧で、この街角に溶けてしまったのではないかと疑ってしまうほどに儚い。このまま失ってしまうのではないか、とそんな無意味な不安に駆られて足が止まった。急に立ち止まったせいで行き交う人に肩をぶつけた。「申し訳ない」と心の伴わない謝罪を反射的に口ずさむ。ぶつかった男は、下手くそな英語でしつこく話しかけてきた。喰いつくような視線。知らぬふりをして先を急いだ。成り行きで遊ぶ気になどなれない。通りをしらみつぶしに捜したのに、コウには遇えなかった。焦燥感を持て余し、そのとき目に留まった一件の店に、なんの気なしに入っていた。
その店で思ったよりも時間を食って家に戻ると、やはりコウは先に帰ってきていた。だがコウは、先にシャワーを浴びたいと言ってこの場にはいなかった。居間のダイニング・テーブルにはもう夕食の用意が整っている。このままここで待つか、浴室の前で待つか迷った挙句、コウなら食事前に一服するだろうと、自室で彼を待つことにした。
落ち着かない――。
コウが僕を避け続けていることに、我慢がならない。部屋に戻ると今度は腹がたってきた。頭を冷やさなければ、このままではコウを詰ってしまうような気がする。コウを捜す間じっとりと汗ばんでいた不快感が蘇ってきた。気持ち悪い――。
さっぱりとした気持ちでコウに逢いたくて、僕もシャワーを浴びることにした。
「アル、揃ったら食べ始めるぞ。いいかい?」
「ああ、先に始めていて。僕は少し遅れる」
キッチンから顔を覗かせたショーンに、廊下の端のシャワー室を示して告げた。「OK」と彼は軽く頷いた。
だがシャワーを浴びていたせいで、夕食前にコウと話す時間が取れなかった。部屋に戻る前に今度はマリーに呼び止められた。もう、皆揃っているという。髪の毛も濡れたままだというのに、仕方なく食卓についた。――コウの横に。
「捜してくれてたんだって?」
顔を伏せたまま、コウが訊ねる。
「うん」
今になって、彼を追いかけていった自分が恥ずかしくなり、言葉少なに応えた。
「ごめん。お菓子に使うリキュールが切れていたのを思いだしてさ」
酒――。見つからないはずだ。酒屋は僕の知るコウの生活圏に入ってない。つい、失笑が漏れてしまう。僕の知っているコウなんて、彼のほんの一部にすぎないのだ。
「かまわないよ。僕も買い物があったんだ。相談して決めたかったのだけど、逢えなかったから勝手に決めてきた」
「相談? 僕の意見が必要なことだったの?」
「うん。まあね」
コウは小鳥のように小首を傾げている。
良かった。普通に話してくれる。やはり僕と目を合わせようとはしてくれないけれど――。あとで二人きりになったら、ちゃんときみの視線を取り戻すから、今は我慢する。皆の前で、コウを裸にするわけにはいかない。きみの隠された熱情は僕だけのもの。ショーンにも、バズにも、もちろんマリーにだって、その片鱗さえ晒したくない。当然、今ここにはいない赤毛にも――。奴がいないとほっとするのに、いないことでコウがまた彼を気遣い憂えてしまうのでは、と別の不安が湧き起こる。
本当に奴だけは始末に負えない。
戸惑いと、僕を無視してきた罪悪感に苛まれるコウのカトラリーを操る動きはどこかぎこちない。そんな気持ちを解してあげたくて、彼の耳許に顔をよせた。
「コウ、あとで、」
「バズ、今日も泊まっていくんだろ? 明日の朝、一緒に出ようか。僕も図書館に行くからさ」
頭を跳ね上げたコウは、上擦った声音で僕の言葉を遮った。
それから食事の間中、コウは僕を無視していた。皿に盛りつける料理もいつも以上に少なめで、デザートも食べずに席を立った。あまりにもあからさまなコウの態度に、バズの方がチラチラと僕を気にしていたほどだ。勝ち誇った様子ではなかったことが、せめてもの救いか――。コウは彼に、自身の不安を話したのだろうか。
出かける、というのに「少しだけ」と引き留めて、ミラのことを延々と喋りだしたのだ。彼女から連絡があったのだという。マリーがあまりにも悲愴な顔をして訴えてくるものだから、僕としてもどうにも逃げようがない。ここで相手をしてやらないと、あとから倍ほど時間をとられることになる――。
そうこうするうちに、コウたちが帰ってきたようだ。階下での話し声に無意識の内にマリーの喋りを遮り、部屋をでていた。
それなのにまた、コウはいないのだ。買い物し忘れたものがある、と玄関先で踵を返したのだそうだ。追いかけようと電話したけれど、コウは電話にでなかった。居ても立っても居られなくて、闇雲に追いかけた。買い物ならハイストリートだろうと当たりをつけて、早足で周囲を見回しながら――。
普段はそれほどの賑わいとも思わないこの通りも、夏のこの時期は観光客で溢れ返る。僕からコウを隠し、攫っていく情のない喧騒――。コウがよく立ち寄る店のウィンドウを覗きこみ、彼の姿を捜す。艶やかな黒髪を。小柄で華奢な妖精のような肢体を。脳裏に浮かぶ彼の姿は朧で、この街角に溶けてしまったのではないかと疑ってしまうほどに儚い。このまま失ってしまうのではないか、とそんな無意味な不安に駆られて足が止まった。急に立ち止まったせいで行き交う人に肩をぶつけた。「申し訳ない」と心の伴わない謝罪を反射的に口ずさむ。ぶつかった男は、下手くそな英語でしつこく話しかけてきた。喰いつくような視線。知らぬふりをして先を急いだ。成り行きで遊ぶ気になどなれない。通りをしらみつぶしに捜したのに、コウには遇えなかった。焦燥感を持て余し、そのとき目に留まった一件の店に、なんの気なしに入っていた。
その店で思ったよりも時間を食って家に戻ると、やはりコウは先に帰ってきていた。だがコウは、先にシャワーを浴びたいと言ってこの場にはいなかった。居間のダイニング・テーブルにはもう夕食の用意が整っている。このままここで待つか、浴室の前で待つか迷った挙句、コウなら食事前に一服するだろうと、自室で彼を待つことにした。
落ち着かない――。
コウが僕を避け続けていることに、我慢がならない。部屋に戻ると今度は腹がたってきた。頭を冷やさなければ、このままではコウを詰ってしまうような気がする。コウを捜す間じっとりと汗ばんでいた不快感が蘇ってきた。気持ち悪い――。
さっぱりとした気持ちでコウに逢いたくて、僕もシャワーを浴びることにした。
「アル、揃ったら食べ始めるぞ。いいかい?」
「ああ、先に始めていて。僕は少し遅れる」
キッチンから顔を覗かせたショーンに、廊下の端のシャワー室を示して告げた。「OK」と彼は軽く頷いた。
だがシャワーを浴びていたせいで、夕食前にコウと話す時間が取れなかった。部屋に戻る前に今度はマリーに呼び止められた。もう、皆揃っているという。髪の毛も濡れたままだというのに、仕方なく食卓についた。――コウの横に。
「捜してくれてたんだって?」
顔を伏せたまま、コウが訊ねる。
「うん」
今になって、彼を追いかけていった自分が恥ずかしくなり、言葉少なに応えた。
「ごめん。お菓子に使うリキュールが切れていたのを思いだしてさ」
酒――。見つからないはずだ。酒屋は僕の知るコウの生活圏に入ってない。つい、失笑が漏れてしまう。僕の知っているコウなんて、彼のほんの一部にすぎないのだ。
「かまわないよ。僕も買い物があったんだ。相談して決めたかったのだけど、逢えなかったから勝手に決めてきた」
「相談? 僕の意見が必要なことだったの?」
「うん。まあね」
コウは小鳥のように小首を傾げている。
良かった。普通に話してくれる。やはり僕と目を合わせようとはしてくれないけれど――。あとで二人きりになったら、ちゃんときみの視線を取り戻すから、今は我慢する。皆の前で、コウを裸にするわけにはいかない。きみの隠された熱情は僕だけのもの。ショーンにも、バズにも、もちろんマリーにだって、その片鱗さえ晒したくない。当然、今ここにはいない赤毛にも――。奴がいないとほっとするのに、いないことでコウがまた彼を気遣い憂えてしまうのでは、と別の不安が湧き起こる。
本当に奴だけは始末に負えない。
戸惑いと、僕を無視してきた罪悪感に苛まれるコウのカトラリーを操る動きはどこかぎこちない。そんな気持ちを解してあげたくて、彼の耳許に顔をよせた。
「コウ、あとで、」
「バズ、今日も泊まっていくんだろ? 明日の朝、一緒に出ようか。僕も図書館に行くからさ」
頭を跳ね上げたコウは、上擦った声音で僕の言葉を遮った。
それから食事の間中、コウは僕を無視していた。皿に盛りつける料理もいつも以上に少なめで、デザートも食べずに席を立った。あまりにもあからさまなコウの態度に、バズの方がチラチラと僕を気にしていたほどだ。勝ち誇った様子ではなかったことが、せめてもの救いか――。コウは彼に、自身の不安を話したのだろうか。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
エートス 風の住む丘
萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 3rd Season」
エートスは
彼の日常に
個性に
そしていつしか――、生き甲斐になる
ロンドンと湖水地方、片道3時間半の遠距離恋愛中のコウとアルビー。大学も始まり、本来の自分の務めに追われるコウの日常は慌ただしくすぎていく。そんななか、ジャンセン家に新しく加わった同居人たちの巻き起こす旋風に、アルビーの心労も止まらない!?
*****
今回はコウの一人称視点に戻ります。続編として内容が続いています。初見の方は「霧のはし 虹のたもとで」→「夏の扉を開けるとき」からお読み下さい。番外編「山奥の神社に棲むサラマンダーに出逢ったので、もう少し生きてみようかと決めた僕と彼の話」はこの2編の後で読まれることを推奨します。
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる