62 / 219
第二章
ショーン 4.
しおりを挟む
口をへの字に曲げ、なんとも悲愴な顔をして僕を見つめるショーンがあまりにも滑稽で、彼の気持ちを解すために努めて柔らかく微笑みかけた。
「ショーン、自意識過剰だな。僕はきみのプライベートにとやかく口を挟むようなくだらない倫理観は持ち合わせてないよ。もちろんマリーに対してもね。いくら妹のような存在だといっても、自分の行動に責任をもつのは、自分自身しかないじゃないか」
そうだね、きみの相手がコウでさえないのなら、なにも文句はない。マリーときみの問題だもの。好きにやってくれ。
そんな投げやりな想いが優っていた。むしろショーンの衝動が、コウではなくマリーに向いたことに感謝しているくらいだ。もしも、そこにいたのがマリーでなくコウだったら――。想像するだけでこいつを殴りたくなる。ショーンにしたところで、要は誰だってよかったはずだ。その程度のことに過ぎないんじゃないの?
「アル、そうはいうけどさ。やっぱりきみにも、彼女にも申し訳なくて――。彼女は誠実に俺を慰めてくれようとしたんだ。そんなまっとうな気持ちにつけこんだみたいで、堪らないんだ。きみだって、いつもミラのことを良いようには言わなくて、俺にあいつの本性を教えようとしてくれていただろ? それなのに俺はぜんぜん解ろうとしなくてさ――。恥ずかしいよ。まったく、あの女はさ――」
べつにショーンのためを思って喋っていたわけじゃない。僕がミラを嫌いなだけだ。すべてが自分中心に回っているショーンにとって、誰の言葉も自分への金言、有益なアドバイスに聴こえるのだろうが――。
べらべらと始まったショーンの語る昨夜の経緯は、まったくもってミラらしいエピソードだった。
エリックにナイトクラブのステージでは名の知れたバンドのメンバーを紹介され、舞い上がった彼女は、いくら酒の席の上とはいえ、ショーンやマリーなどそっちのけで目にあまるほど羽目を外した。そしてついには意気投合したそのメンバーの一人と、どこかへ消えてしまったのだそうだ。残されたショーンの惨めさは想像に難くない。二人の関係性を察した残るメンバーに同情的に慰められるほどだ。それがまた火に油で、彼のプライドをいちじるしく抉ったというわけだ。
もともとミラに対する愛なんて欠片もなかったくせに。こういうプライドの傷つけられ方は許せないらしい。喪失感というほどのものさえ、本当はないに違いない。ただぺしゃんこにされた自尊心を立て直すためだけに、ミラの友人でもあるマリーに衝動をぶつけたのだ。だからあとになって沸々と罪悪感が湧いてくることになる。マリーの善意を、萎んだ風船に空気を吹き込み膨らませるように取り込んで、自分を満たしたのだから。
昨夜は逃げ果せたと思ったのに、結局、僕は彼のいまだ解消されない鬱憤を聴く羽目に陥っている。彼にとっても、僕に、こんな話をしたところで何にもなりはしないのに――。
よく回るショーンの舌は、ミラの悪口から自分の擁護へと移っていた。ただのセフレに過ぎなかった相手に、よくも愛だの誠意だのという言葉を口にできるものだ。
「それで、きみはどうしたいの? ミラとよりを戻したいの? それとも一度関係した以上、マリーとつき合うの?」
どうでもいい話を終わらせたくて、つい口を挟んでしまった。
「もうごめんだよ、あんな性悪女。でもマリーとはつき合うってわけにはいかないだろ――。こんな成り行きみたいな形でさ。俺の手には負えないよ、あんなお嬢さまはさ――」
深いため息に語尾がかき消される。確かに、ショーンとマリーは住んでいる世界が違う。生活も、嗜好も、おそらく接点などほとんどないと言っていいだろう。ああ、ただひとつの接点がコウだ。だがミラは違う。
マリーにとってのミラはある種の憧れだった。統合性がなく臆病な彼女にとって、彼女のあの奔放さが魅力だったのだ。だがショーンは、ミラのその奔放さがただの依存でしかないことを見抜いたうえで利用していた。マリーの同調しやすい流されやすさを利用したのと同じように――。ただミラと違ってマリーは面倒な相手、それだけの差に過ぎない。けれど躊躇するには充分な差ではある。
だが僕としては、ショーンの意識は女性に向いておいて欲しいのだ。フリーになられて、彼の関心がコウに集中するのは何としても避けたい。これまでだって、充分過ぎるほど鬱陶しい存在であったのだから。
「そうだね――、マリーにも好きな相手がいることだしね」
僕はいかにも残念そうに吐息を漏らした。
「きみみたいな現実的でしっかりした相手が、ふわふわと地に足のつかない彼女を支えてくれたら安心なのだけど、そうも上手くはいかないね――」、と。
僕に肯定されることで、ショーンの自尊心は色彩を取り戻して立ちあがる。信頼が彼を回復させる。
「今回のことが僕たちの同居生活の溝にならないように、僕も最善を尽くすよ。それに、できたらコウの前ではいつも通りに振る舞ってほしいね。彼は情動面では幼いところがあるだろ? きみたちのことに巻き込みたくないんだ。動揺させたくない」
「ああ、解るよ! コウはな――、いい奴なんだけどさ。きっと怒るだろうしな、なんたって前にもさ、」
「ん?」と首を傾げてみせた。コウとの間になにがあったんだ?
こうして僕が聴く構えを見せただけで、ショーンはまた堰を切ったように話し始めていた。
「ショーン、自意識過剰だな。僕はきみのプライベートにとやかく口を挟むようなくだらない倫理観は持ち合わせてないよ。もちろんマリーに対してもね。いくら妹のような存在だといっても、自分の行動に責任をもつのは、自分自身しかないじゃないか」
そうだね、きみの相手がコウでさえないのなら、なにも文句はない。マリーときみの問題だもの。好きにやってくれ。
そんな投げやりな想いが優っていた。むしろショーンの衝動が、コウではなくマリーに向いたことに感謝しているくらいだ。もしも、そこにいたのがマリーでなくコウだったら――。想像するだけでこいつを殴りたくなる。ショーンにしたところで、要は誰だってよかったはずだ。その程度のことに過ぎないんじゃないの?
「アル、そうはいうけどさ。やっぱりきみにも、彼女にも申し訳なくて――。彼女は誠実に俺を慰めてくれようとしたんだ。そんなまっとうな気持ちにつけこんだみたいで、堪らないんだ。きみだって、いつもミラのことを良いようには言わなくて、俺にあいつの本性を教えようとしてくれていただろ? それなのに俺はぜんぜん解ろうとしなくてさ――。恥ずかしいよ。まったく、あの女はさ――」
べつにショーンのためを思って喋っていたわけじゃない。僕がミラを嫌いなだけだ。すべてが自分中心に回っているショーンにとって、誰の言葉も自分への金言、有益なアドバイスに聴こえるのだろうが――。
べらべらと始まったショーンの語る昨夜の経緯は、まったくもってミラらしいエピソードだった。
エリックにナイトクラブのステージでは名の知れたバンドのメンバーを紹介され、舞い上がった彼女は、いくら酒の席の上とはいえ、ショーンやマリーなどそっちのけで目にあまるほど羽目を外した。そしてついには意気投合したそのメンバーの一人と、どこかへ消えてしまったのだそうだ。残されたショーンの惨めさは想像に難くない。二人の関係性を察した残るメンバーに同情的に慰められるほどだ。それがまた火に油で、彼のプライドをいちじるしく抉ったというわけだ。
もともとミラに対する愛なんて欠片もなかったくせに。こういうプライドの傷つけられ方は許せないらしい。喪失感というほどのものさえ、本当はないに違いない。ただぺしゃんこにされた自尊心を立て直すためだけに、ミラの友人でもあるマリーに衝動をぶつけたのだ。だからあとになって沸々と罪悪感が湧いてくることになる。マリーの善意を、萎んだ風船に空気を吹き込み膨らませるように取り込んで、自分を満たしたのだから。
昨夜は逃げ果せたと思ったのに、結局、僕は彼のいまだ解消されない鬱憤を聴く羽目に陥っている。彼にとっても、僕に、こんな話をしたところで何にもなりはしないのに――。
よく回るショーンの舌は、ミラの悪口から自分の擁護へと移っていた。ただのセフレに過ぎなかった相手に、よくも愛だの誠意だのという言葉を口にできるものだ。
「それで、きみはどうしたいの? ミラとよりを戻したいの? それとも一度関係した以上、マリーとつき合うの?」
どうでもいい話を終わらせたくて、つい口を挟んでしまった。
「もうごめんだよ、あんな性悪女。でもマリーとはつき合うってわけにはいかないだろ――。こんな成り行きみたいな形でさ。俺の手には負えないよ、あんなお嬢さまはさ――」
深いため息に語尾がかき消される。確かに、ショーンとマリーは住んでいる世界が違う。生活も、嗜好も、おそらく接点などほとんどないと言っていいだろう。ああ、ただひとつの接点がコウだ。だがミラは違う。
マリーにとってのミラはある種の憧れだった。統合性がなく臆病な彼女にとって、彼女のあの奔放さが魅力だったのだ。だがショーンは、ミラのその奔放さがただの依存でしかないことを見抜いたうえで利用していた。マリーの同調しやすい流されやすさを利用したのと同じように――。ただミラと違ってマリーは面倒な相手、それだけの差に過ぎない。けれど躊躇するには充分な差ではある。
だが僕としては、ショーンの意識は女性に向いておいて欲しいのだ。フリーになられて、彼の関心がコウに集中するのは何としても避けたい。これまでだって、充分過ぎるほど鬱陶しい存在であったのだから。
「そうだね――、マリーにも好きな相手がいることだしね」
僕はいかにも残念そうに吐息を漏らした。
「きみみたいな現実的でしっかりした相手が、ふわふわと地に足のつかない彼女を支えてくれたら安心なのだけど、そうも上手くはいかないね――」、と。
僕に肯定されることで、ショーンの自尊心は色彩を取り戻して立ちあがる。信頼が彼を回復させる。
「今回のことが僕たちの同居生活の溝にならないように、僕も最善を尽くすよ。それに、できたらコウの前ではいつも通りに振る舞ってほしいね。彼は情動面では幼いところがあるだろ? きみたちのことに巻き込みたくないんだ。動揺させたくない」
「ああ、解るよ! コウはな――、いい奴なんだけどさ。きっと怒るだろうしな、なんたって前にもさ、」
「ん?」と首を傾げてみせた。コウとの間になにがあったんだ?
こうして僕が聴く構えを見せただけで、ショーンはまた堰を切ったように話し始めていた。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
霧のはし 虹のたもとで
萩尾雅縁
BL
大学受験に失敗した比良坂晃(ひらさかあきら)は、心機一転イギリスの大学へと留学する。
古ぼけた学生寮に嫌気のさした晃は、掲示板のメモからシェアハウスのルームメイトに応募するが……。
ひょんなことから始まった、晃・アルビー・マリーの共同生活。
美貌のアルビーに憧れる晃は、生活に無頓着な彼らに振り回されながらも奮闘する。
一つ屋根の下、徐々に明らかになる彼らの事情。
そして晃の真の目的は?
英国の四季を通じて織り成される、日常系心の旅路。
エートス 風の住む丘
萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 3rd Season」
エートスは
彼の日常に
個性に
そしていつしか――、生き甲斐になる
ロンドンと湖水地方、片道3時間半の遠距離恋愛中のコウとアルビー。大学も始まり、本来の自分の務めに追われるコウの日常は慌ただしくすぎていく。そんななか、ジャンセン家に新しく加わった同居人たちの巻き起こす旋風に、アルビーの心労も止まらない!?
*****
今回はコウの一人称視点に戻ります。続編として内容が続いています。初見の方は「霧のはし 虹のたもとで」→「夏の扉を開けるとき」からお読み下さい。番外編「山奥の神社に棲むサラマンダーに出逢ったので、もう少し生きてみようかと決めた僕と彼の話」はこの2編の後で読まれることを推奨します。
夏の嵐
萩尾雅縁
キャラ文芸
垣間見た大人の世界は、かくも美しく、残酷だった。
全寮制寄宿学校から夏季休暇でマナーハウスに戻った「僕」は、祖母の開いた夜会で美しい年上の女性に出会う。英国の美しい田園風景の中、「僕」とその兄、異国の彼女との間に繰り広げられる少年のひと夏の恋の物話。 「胡桃の中の蜃気楼」番外編。
相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~
柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】
人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。
その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。
完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。
ところがある日。
篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。
「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」
一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。
いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。
合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
胡桃の中の蜃気楼
萩尾雅縁
経済・企業
義務と規律に縛られ生きて来た英国貴族嫡男ヘンリーと、日本人留学生・飛鳥。全寮制パブリックスクールで出会ったこの類まれなる才能を持つ二人の出逢いが、徐々に世界を揺り動かしていく。青年企業家としての道を歩み始めるヘンリーの熾烈な戦いが今、始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる