胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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十章

部屋6

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 飛鳥が映像制作に飽きている――
 吉野が放った何気ない一言は、アレンに足下の地面が揺らぐような衝撃を与えていた。彼だけでなく、フレデリックや、クリスにも。

 彼らにしてみれば、空中に画面を映し出せるTSタブレットが一般にまで認知され、徐々にではあるが普及してきているとはいえ、アーカシャーホールディングスと聞いて人々が思い浮かべるのは、華やかで幻想的な世界を体験できるイベントの方だろう、と思っていたからだ。
 ロンドン本店にしろ、未だに見本を飾っているだけで、その場でTSタブレットを購入することはできないのだ。羨望の眼差しで見本を眺め、操作を楽しみ、予約した品が届くのを心待ちにしている客層も確かに大勢いる。だが、今現在ビジネスとして機能しているのは、世界各国の遊園地やイベント会社との、つい先ほどまで目にしていたような、TSショーのコラボ企画だろう。

 中庭に点在するテント下のフードコートで軽食を選び、人目につきにくい木陰にあるテーブルを選んで座ってからも、そんな疑問が彼らを支配し離さなかった。
「レトロフューチャーっていっても、食べもの自体は変んねぇんだな」などとぶつくさ言いながら、いつものように一人旺盛な食欲をみせる吉野を囲んで腰を据えた後も、彼らは、もやもやを吹き払うことができないでいた。
 だがやがて互いの顔を見合わせて、すっきりしない思いを代表するかのように、フレデリックが疑問を切り出した。

「まぁ、そう見えるよな。お前らからしたら」
 吉野はハンバーガーを手に片頬を膨らませたまま、もごもごと応えた。
「ぶっちゃけ、そっちの依頼が多いのはお前らの言う通りだよ。でも旧来のTSガラスを使ったイベント映像は、もう飛鳥の仕事じゃないんだ」
「デヴィッドさん?」
 アレンが、あっと人差し指を立てて声を上げる。
「うん、デザインはな」頷きながら吉野は咀嚼を続け、ごくごくとコーヒーで流しこむ。「あいつの方が飛鳥よりずっとセンスはいいからな。でも、TSの扱いはまだまだなんだ。今回は、飛鳥もあいつのために、インテリアの方に時間を割きたかったんだ。デヴィの部門立ち上げの命運がかかったイベントだからな」

 吉野のいつになく真剣な表情に、聴いている側のアレンたちの食事の手が止まった。こんな社内秘の内容を、こんな場所で喋らせていいのだろうか、と。ちょうど話題に上がっているTSインテリアのアイデアは、以前、自分たちの軽はずみなお喋りが原因でライバル社に盗用されたことがある。それを知った時の苦渋が脳裏をかけ巡り、落ち着かない。

「だ~の~に、マイケルの奴がさ、また好き勝手言いやがってさ!」

 はぁ~、と大袈裟なため息をついて、吉野は蛍光緑のプラスチックボールに手を伸ばした。くるりと球体を捻ると上半分にあたる蓋が外れ、カラフルなサラダがのぞく。闇にぽうと浮かびあがるネオンのようにけばけばしい器を片手に、むしゃむしゃとサラダを頬張る吉野を見ているうちに、アレンたちも自分自身の食欲を思い出して、各々自分の選んできた軽食を口に運んだ。吉野と同じく食事らしいものを選んだのはフレデリックだけで、後の二人はテーマを楽しむ趣向らしい。
 クリスのドリンクは、底に電球が仕込んであるらしく赤、青、黄、とくるくる色が変わって見えるし、アレンのアイスクリームは、細いグラスの中で太陽系の星々を模した色味の球状アイスがころころと重なり合っている。

 手にした銀色のパウチの説明に目を落としたまま、「それで、マイケル先輩と衝突しちゃったの?」クリスが訊いた。パウチの封を開け、怪訝そうに眉をしかめ、指でつまんでサクッと音を立てて口にする。「それ、何?」とアレンが覗き込む。「宇宙食のフリーズドライ海老グラタン」クリスは無表情のままサクサクと咀嚼しながら答えた。
 吉野がくしゃっと目を細めて笑った。マイケルのことではなく、傍からはお菓子のように見える食品を、真面目に味わおうとしているクリスの反応が微笑ましかったのだろう。

「衝突ってほどでもないよ。デヴィも飛鳥も忙しすぎて、あいつの相手まで手が回らなかったんだ。それで、人工知能AIに任せて、なんでもはいはい聞いてるうちに、ああなったんだ」
 吉野は二つ目のハンバーガのバンズを開き、別の皿のローストビーフやオニオンスライスを載せ加えた。

 なるほど、とアレンは納得して俯いた。
 これまでとは違う、今回の自分のTS映像を見ていた時の何とも言えない不快感の理由が、今になってすとんと落ちた。
 デヴィッドさんは、こうなることを危惧されて、事前にいろいろ心配して尋ねてくださっていたのだ、と。
 今さら気づいても後の祭りだ。自分の意志と関係なく自分のイメージを決められる。いいように扱われる。気にしない、と決めていても、自分自身は全く無関係にここにいるのに、自分の影がどこかで勝手に踊らされているなんて、やはり気分の良いものではない。自分自身の扱いをデヴィッドに丸投げして、考えようともしなかった自分では、文句の言える立場ではないが――
 だが、それは逆に、過去の映像がいかにアレンに配慮された、彼らしさを感じさせるものだったかということも、彼に気づかせてくれた。

「アスカさんは、大衆うけさせるための、ありきたりな映像を作るのが嫌、ってことなんだ」
 心の中で思っていたつもりが、アレンの声は外に出てしまっている。
「そういうこと」と、吉野が首肯する。「それにデヴィもな。いろいろ伝達が上手くいってなかったんだよ。ごめんな、お前に不快な想いをさせて」

 マイケルを対応させたAIが想定よりも愚かだった。顧客の望む通りの映像制作をしてはいるが、そこにこちら側の微細な思惑は反映されていなかった。AIが愚かというよりも、インプットする側の設定ミスだったと言うべきか。

 真摯に頭を下げながら、これから、こんなことが増えていくことになるだろう、と吉野は思った。他所と協賛するとはそういうことだ。アレンに求められるイメージは対応する相手によって変わり、ヘンリーがこれまでしてきたようには、アレンのイメージを守り続けることは難しくなるだろう。そしてそのために、表で動かす映像イメージとアレン自身との乖離に、アレン、苦しむことになるかもしれない。

「きみが謝ることじゃないよ。僕はデヴィッドさんにちゃんと聞いていたし」
 自分を気遣い、頭を下げる吉野にどぎまぎし顔を赤らめて、アレンは首をぶんぶん振った。
「あ、飛鳥が飽きてるっていっても、手を抜いてるわけじゃないからな。実際、総チェックはちゃんと飛鳥がしてるから、こんな馬鹿みたいなミスが見つかったときも――、」

 それでも、本人が表に出るよりもよほどマシなはず――

 話題を皆が笑えるような裏話に切り替えながら、吉野は、一人王宮で闘っている友を思い起こしていた。





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