胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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十章

部屋2

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 今年のトリニティコレッジ、メイボールのテーマは「レトロフューチャー」。端的に言えば、懐古的未来像、過去の人々が思い描いていた未来、実現することのなかった過去を懐かしむ企画といえる。
 テーマに沿って考え抜かれたイベントを装飾するデザインは、ポスターや立て看板に限らない。広大な中庭のそこかしこに置かれた原子模様を象ったアトミックライト、その灯りをキラキラと跳ね返すミラー仕上げのステンレス製テーブル、ビビットなメタリックカラーのイームズチェアが、未来的なのにどこか懐かしさを感じさせ、その世界観を如実に表現している。

「なんだか、タイムスリップでもしたみたいでムズムズする!」
 卵の断面を切りとったようなボールチェアに深く腰掛けたクリスの声は、壁面に遮られてくぐもって聞こえ、独り言かと思ったアレンは返事を一瞬躊躇して、遅れて応えた。
「未来に、それとも過去に? 僕は、懐かしいような気がするけれど」
 彼の視界に映るのは、電灯とテーブルのクロームの輝き、ターコイズ、ピンク、ベビーブルー。金属、ガラス、プラスチックなどの無機質な素材が、曲線を多用した有機的なデザインで構成されている。それらの組み合わせはSF映画のセットのような不思議な未来感を表現しているのだが、如何せん、すでに記憶の中にある世界観なのだ。
「50年代ファッションの参加者が多いんだよ。レトロフューチャーデザインは50年代のポップカルチャーや宇宙開発から影響を受けているからね。この時代は、ほら、ああいった丸く大きく膨らんだドレスが特徴なんだ」フレデリックが、通りすぎていった女性たちの後ろ姿を指さした。「カラフルでポップな水玉模様やはっきりとした大柄プリントが、今の流行りとはちょっと違う感じだろ?」
 頭を悩ませていた何かを説明してもらえ、二人は、すっきり腑に落ちたていででしきりに頷き合った。辺りを行き交う参加者を眺めていたクリスは「なるほど」と。対してアレンは、ああ、ドレスの話をしていたのか、と。言われてみれば、参加者もまた、この一種奇抜な景観に違和感なく溶け込んでいる。今ではあまり見ることのない、一昔前に流行した盛装を身につけている者が多いのだ。
「そうか、テーマに合わせてるんだね!」
「それもあるけど――、例年、高額なチケット代の上に衣装代の負担が学生の懐を圧迫しているのが問題になっているからでもあるんだ。だから今年は、堂々と古着で来てくださいって、そんな意味を込めているんじゃないかな。もちろん、それだけじゃないだろうけどね」
「むしろヴィンテージの方がテーマに合ってて、おしゃれなのか! もっと早く教えてくれればいいのに! そんな遊び方があるなんて思いもしなかったからフツーに正装しちゃったじゃないか!」
 ぷっとふくれっ面をして顔を覗かせたクリスに、フレデリックは「ごめん、ごめん」と笑って謝った。けれど、「ま、テーマも何も気にしなかった自分が悪いんだけどね!」と彼が苦笑いしてまた卵の中に顔を引っこめると、フレデリックは皮肉に唇を歪め顔を伏せた。
 おしゃれでも、遊びでもないなんて、大金持ちの子息であるこの二人には解らないだろうな、と、そんな自分の表情を隠すように。
 大学は彼らが通っていたパブリックスクールとは違う。奨学金を貰って通っている学生はいくらでもいるし、そんな彼らは、一度くらいはこの有名なイベントに参加したい、と日々の生活を切り詰めてチケット代を貯めている。
 フレデリックにしても、彼らと同じような切迫感がないとは言えなかったのだ。今は作家としての十分な収入があるにしろ、うかうかしてはいられない。物書きとしてこのまま食べていけるのか、大学を卒業した後は就職するのか、将来のことを考え出すと、こんなパーティーに大金を払うことに迷いが湧かないはずがなかった。けれど、もし自分が金銭的な理由で参加しないなどと言うと、この二人のことだから、自分がチケットをプレゼントすると言いだすだろう。だから、本の出版で稼いだお金は、彼らと楽しむために使うと割り切った。そもそもが彼のおかげで成し遂げた出版なのだから――

 球状のオブジェに腰かけたフレデリックは、向かいにあるアクリル製のハンギングボールチェアをそっと見上げた。
 卵型の金の円環に縁どられたクリアな座面に脚を折り曲げ丸まって、ゆらゆら揺れているアレンは、宙に浮いているようにさえ見える。できるだけ人目につきにくい奥まった場所に陣取ったので街灯の光は届かないのに、薄闇のなかで彼の金髪だけがぼわりと光を放っているようで。
 まるで生まれたての天使の卵だ、とつい見とれてしまう。
 けれど絵画のようなこの場面よりも、傍からは判りづらい今のアレンの心の動きが、フレデリックは好ましかった。
 興味あるのかないのか判らない無表情に見えて、アレンの視線だけは忙しなく動いているのだ。以前訪れたメイボールとはまるで違う会場の景色、沸き立つような空気感を面白がっているのが手に取るように解かる。要所要所に置かれたポップなアート作品も彼の興味を掻き立てているのかもしれない。それに、自分たちと一緒にいることで安心しきっている。

 試験を除くと、彼が校内でこんなにゆっくりと腰を据えているのは、久しぶりなのではないだろうか。入場口であった顔見知りも、挨拶を交わすだけで特にしつこく質問してきたり、不快な視線を向けることもなかった。アレン自身よりも、アーカシャー社の催すイベントに、そう、誰もが過去のスキャンダルよりも今日のスペクタクルにその関心を向けている。

 何事もなく終わればいい。それに、今は吉野だってここにいる、はず。

 フレデリックはアレンを越えて、彼の背後に広がる中庭の中心に訝しげに視線を流した。
 メインイベントの準備のため遅れてくる予定の吉野はまだ姿を見せない。それだけでなく、周囲にテーブル席や、飲食を提供するいくつものドーム型テントが配置されているだけで、赤いロープの囲む広大な芝生にはいまだ何もないのだ。そこに何が現れるのか――
 フレデリックたちだけでなく、会場にいる誰もが、今か今かと時計を睨みながら時が満ちるのを待っていた。

 
 

 
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