胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
739 / 745
九章

空模様3

しおりを挟む
「それできみは――、あの子のこんなやり方を分かっていて許してる、なんて言うんじゃないだろうね」
「僕がヨシノの“未必の故意”を認めるのかという意味なら、僕は、彼はそもそもそんなことを望んでいなかったと、あの子の良心を信じている」

 伏せていた瞳を上げると、ヘンリーは苦々しげな口調で糾弾するアーネストを涼しげなセレストブルーで見つめ返した。あくまで落ち着いた調子で答えているその姿には、一片の迷いもない。

 ヘンリーは、この映像よりも先にウィリアムから報告を受けていた。そこで、吉野は事の成り行きに予想外の驚愕を得ている、と聴いていたのだ。

 王は「命が助かった」ことを、デヴィッドが推察したようには安堵することはなかった、逆に自らが狙われた事実に狂乱したという。それは吉野にとって、まったく想定外の反応だったのだ。
“未必の故意”を問うのであれば、吉野にではなく、その補佐に就いていたウィリアムに対してなさなければならないだろう。

 ヘンリーはふっと瞳を自嘲的な色に染めると、重たげな息をつき長い指を軽く絡ませて結んだ。

「それに、このイベントの本当の目的は、国王だけではなかったはずだ、と僕は推察しているんだ」
「本当の目的――、きみはそれを事前に聴いていたわけではないのだろうね?」
「当然、知っていたら止めていたさ」

 ヘンリーは微苦笑する。そこでアーネストも肩の力を抜き、なんともいえない、呆れたような諦めたような苦笑を浮かべた。だが、ヘンリーが許可したのではないことに安堵したにしろ、否応なく周囲を巻き込んでいく吉野のスタンドプレーを、ため息一つついて終わらせることはできない。すぐに笑みを引っこめると、さらに問いを重ねていった。

「そこのところ、ウィリアムは何て説明しているの? いったい、きみはこれから、」
「ちょっと、ちょっと待ってよ、二人とも!」

 デヴィッドが顔をしかめて兄の口をさえぎった。彼だけがこの話題についていけていないのだ。当然のこととして拗ねたように唇を尖らせ、無言で説明を求めた。

「デイヴ、解らないかなぁ、エドだよ。彼も、見ているはずだろ」
「は? どうしてエドが出てくるの?」
「あの子、殿下の帰国の折に専用機は使わないで、わざわざ民間機を利用してさ、英国情報部に警護を求めてきただろう? 今にして思えば、それも、この壮大な見世物スペクタクルを英国側に売り込むための口実だったんじゃないのか、ってことさ。エドだけじゃない、秘密情報部SISの人員もまだ王宮に残っているはずだしね」
「どういうこと?」

 ますます困惑して、デヴィッドは眉間に皺を寄せている。アーネストはヘンリーへと視線を流して続きを託した。ヘンリーは若干厳しさを滲ませた瞳で後を継いだ。

「ヨシノは彼らに、要人の影武者はもちろんのこと、戸外であっても近衛師団1万兵規模の幻想を創生し、メディアを偽ることさえ可能になった、最新の仮想世界を披露したんだよ。――TSの新たな使い方を提示してみせたんだ」

 軍事面での活用の可能性を――。

「そんなのアスカちゃんが許すはずがないよ!」

 露骨に嫌悪感を露わにしたデヴィッドに、ヘンリーは皮肉げな笑みを浮かべたまま頷いた。そんなことは当然解っているとばかりに。

 ヘンリーにしてみれば、会社のこれからの在り方に関わるこの重要な問題も、個人的な、とても個人的な自分への制裁なのだと受け取っているのだ。

 もし、仮に飛鳥とサラの婚約が破談に終わったなら、飛鳥はまた日本に帰りたいと言いだすかもしれない、だからなのだ、と考えずにはいられなかったからだ。だから吉野は、婚約に替わる枷を飛鳥に掛けるつもりなのだ、と。
 今後、吉野と彼らの間でどんな具合に話が進むかは判らないが、吉野の見せたTS世界は、情報部の人間かれらにとって充分に軍事情報として魅力的なものに違いない。そして、それを生み出すことができる技術開発者である杜月飛鳥は、当然、軍事機密となり得る情報保持者として扱われることになるだろう。
 吉野は彼らに飛鳥の持つ特殊な価値を示して見せることで、兄をそう簡単には英国から出国できないようにするつもりなのだ。ヘンリーに飛鳥を守ることができないのであれば、飛鳥自身の意志に背くことになっても国家に守らせる、その心つもりを示してみせたのだ。

 かつて、それがために命まで脅かされてきた過去を逆手にとって、TSに潜在する軍事的価値という、飛鳥のもっとも忌み嫌う一面を明快に利用することで――。

 この一連の推測を思い描く時ヘンリーが浮かべた自嘲的な笑みの理由を、ラザフォード兄弟は知らない。せいぜい、常々“軍事協力”への嫌悪を露わにしている飛鳥と、この吉野の行動の齟齬そごを皮肉に捉えているのだと受けとるくらいだろう。だから余計にヘンリーは、吉野を飛鳥の信念に背かせるにいたった、自分の愚かしさをわらわずにはいられなかったのだ。



 

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

生意気な女の子久しぶりのお仕置き

恩知らずなわんこ
現代文学
久しくお仕置きを受けていなかった女の子彩花はすっかり調子に乗っていた。そんな彩花はある事から久しぶりに厳しいお仕置きを受けてしまう。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

処理中です...