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九章
空模様
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ロンドン、ナイツブリッジのヘンリー邸2階に新設されたTS室は、窓さえも塗りこめられた、およそ装飾というもののないただただ白い箱のような部屋だ。それが今では、このタウンハウスの中で、階下の居間やテラスよりもよほど使用頻度の高い一室となっている。
今も平日の昼日中という通常ならば出勤しているはずの時間帯に、ヘンリー、アーネスト、デヴィッドの3人が揃っている。
こうした会合の増えたこともあり、この殺風景な部屋にも応接セットだけは置かれることになった。よりお茶の時間を楽しめるように、と。
だが、この日用意されたティーセットと軽食にはいまだ手もつけられておらず、彼らの間で会話らしい会話が交わされているわけでもない。そんなものは飛び越えて、ただ一点に彼らの視線は集中している。真剣に見入っていて、空腹など忘れてしまっているのだろう。
ウィリアムから届いたばかりの近衛師団長就任式の抜粋映像は、それほどの緊迫感を抱かせるものだったのだから。
そんな誰一人微動だすることもなかった張り詰めた空気も、映像がプツリと消えると同時にようやく緩んだ。アーネストとデヴィッドは、信じられない、とでも言いたげに眉をひそめ、互いの感想を確かめるように顔を見合わせた。継いで乾ききった喉を潤すこともせずに、申し合わせたようにその厳しい視線をヘンリーに向けた。
白い床の上に展開されていた、全師団が6フィート四方ほどに収まるよう縮小された立体映像は、まるでガリバー旅行記さながらのものだった。リリパット国の儀式をはるか高みから俯瞰するガリバーのような錯覚を彼らにもたらした。だがその整然とした小さな美しい世界は、とつぜん陰惨な場面で幕を引いたのだ。
この衝撃的な映像がはたして現実なのか、それとも――。人の手、吉野あるいは飛鳥の手によって作られたものなのか。
ラザフォード兄弟には、一見しただけでは判別できなかったのだ。ヘンリーだけが驚くこともなく、淡白でおざなりな反応を示していた。彼らと同じく初見だというのに、どうやらその意味するところは先んじて知らされているのだろう。
眼前の彼にこうも涼しい顔をされると、アーネストにしろデヴィッドにしろ、自分たちの動揺がなんともみっともないものに思えてしまい、すぐにでも尋ねたいところを言いだせずにいた。
やがて、「これ、国営放送で流したの?」と、業を煮やしたアーネストが口火を切った。
「初めはそのつもりだったそうだよ」
「だよねぇ、いくらヨシノでも、さすがにやりすぎでしょ。それで、どういうシナリオだったの?」
デヴィッドが瞬く間に好奇心をむき出して身を乗りだした。
遠い異国のこととはいえ、こんなものがニュースで流されれば、すぐに親しい誰か――、アレンやその友人たちから、連絡の一つも入ってくるだろう。だとすれば、これはTSで作られた仮想世界だ。そう気づいたことですっと心が軽くなったのだ。
「ヨシノは、殿下はテロの凶弾に倒れたかに見えたが大事はなかった、と絶望からの起死回生を狙いたかったらしい。けれどさすがにその案は、側近から反対されたそうだよ。王宮内での不祥事に何の対処もできなかった無能な近衛師団などと、世間に認知させることになりかねないからね」
「それじゃ、この映像は?」
「国王に見せるためのものだよ」
「ご自身の置かれている立場を理解していただくために?」
「そういうことだろうね」
アブドと繋がる内部関係者の筆頭が、国王だと知ることは容易かった。吉野の作り出したサウードの映像のうえに己を重ね、権力への執着をより深めていった結果だ。一度は譲位に頷いたものの、王はやはり諦めることができなかったのだ。そのあげくアブドの甘言にのった。
「てことは、国王はこの式典は本物で、自分はTSに代役を任せたおかげで、この惨劇を避けられたって思ってるの?」
アーネストが皮肉げに唇を引いて言った。
「助かってラッキーって! そこにかこつけて譲位を迫るヨシノかな!」
「それが、そうも単純にいかなかったようだよ。この筋書きは、ヨシノが盗聴したアブド側の思惑通りに進行させているんだ。狙撃者から発射された銃弾は二発。皇太子、そして陛下を狙ってね。屋外でのTS使用を疑わせないために、人工降雨で、太陽光調節までしてね」
「雨雲まで呼んだの! ヨシノ、魔物って呼ばれるわけだね~」
デヴィッドの深く吐き出したため息は、感嘆というよりも呆れているようだ。
「さすがに彼だってそこまではできないさ。天気図を睨んで、インドで発生したモンスーンが、かの国まで雨雲を運んで来てくれるのを待っての決行だよ」
「用意周到もそこまでいくかぁ……、」
アーネストにしろ、さすがにクスクス笑いだしてしまった。もちろん、かの国での人工降雨プロジェクトが、この日のためになされているわけではないことは知っている。それにしても――。
砂漠地帯では、屋外でTS映像は使用できない。だからサウード本人が出席すると国王には伝え、当日、二重スパイとなっている王の側近を通して、曇天のためTS使用が急遽可能になったが、皇太子の予定変更はないと伝え、我が身の保身には余念のない王にTS代行を勧めて会場から退かせた。
王に、全てが虚構だと気づかれるリスクを減らしたかったのもある。だがそれ以上に、誰の命も危険に晒すことなく、暗殺者を捕らえることに専念する。
それが吉野にとって、何よりも優先させたいことだったからだ。
今も平日の昼日中という通常ならば出勤しているはずの時間帯に、ヘンリー、アーネスト、デヴィッドの3人が揃っている。
こうした会合の増えたこともあり、この殺風景な部屋にも応接セットだけは置かれることになった。よりお茶の時間を楽しめるように、と。
だが、この日用意されたティーセットと軽食にはいまだ手もつけられておらず、彼らの間で会話らしい会話が交わされているわけでもない。そんなものは飛び越えて、ただ一点に彼らの視線は集中している。真剣に見入っていて、空腹など忘れてしまっているのだろう。
ウィリアムから届いたばかりの近衛師団長就任式の抜粋映像は、それほどの緊迫感を抱かせるものだったのだから。
そんな誰一人微動だすることもなかった張り詰めた空気も、映像がプツリと消えると同時にようやく緩んだ。アーネストとデヴィッドは、信じられない、とでも言いたげに眉をひそめ、互いの感想を確かめるように顔を見合わせた。継いで乾ききった喉を潤すこともせずに、申し合わせたようにその厳しい視線をヘンリーに向けた。
白い床の上に展開されていた、全師団が6フィート四方ほどに収まるよう縮小された立体映像は、まるでガリバー旅行記さながらのものだった。リリパット国の儀式をはるか高みから俯瞰するガリバーのような錯覚を彼らにもたらした。だがその整然とした小さな美しい世界は、とつぜん陰惨な場面で幕を引いたのだ。
この衝撃的な映像がはたして現実なのか、それとも――。人の手、吉野あるいは飛鳥の手によって作られたものなのか。
ラザフォード兄弟には、一見しただけでは判別できなかったのだ。ヘンリーだけが驚くこともなく、淡白でおざなりな反応を示していた。彼らと同じく初見だというのに、どうやらその意味するところは先んじて知らされているのだろう。
眼前の彼にこうも涼しい顔をされると、アーネストにしろデヴィッドにしろ、自分たちの動揺がなんともみっともないものに思えてしまい、すぐにでも尋ねたいところを言いだせずにいた。
やがて、「これ、国営放送で流したの?」と、業を煮やしたアーネストが口火を切った。
「初めはそのつもりだったそうだよ」
「だよねぇ、いくらヨシノでも、さすがにやりすぎでしょ。それで、どういうシナリオだったの?」
デヴィッドが瞬く間に好奇心をむき出して身を乗りだした。
遠い異国のこととはいえ、こんなものがニュースで流されれば、すぐに親しい誰か――、アレンやその友人たちから、連絡の一つも入ってくるだろう。だとすれば、これはTSで作られた仮想世界だ。そう気づいたことですっと心が軽くなったのだ。
「ヨシノは、殿下はテロの凶弾に倒れたかに見えたが大事はなかった、と絶望からの起死回生を狙いたかったらしい。けれどさすがにその案は、側近から反対されたそうだよ。王宮内での不祥事に何の対処もできなかった無能な近衛師団などと、世間に認知させることになりかねないからね」
「それじゃ、この映像は?」
「国王に見せるためのものだよ」
「ご自身の置かれている立場を理解していただくために?」
「そういうことだろうね」
アブドと繋がる内部関係者の筆頭が、国王だと知ることは容易かった。吉野の作り出したサウードの映像のうえに己を重ね、権力への執着をより深めていった結果だ。一度は譲位に頷いたものの、王はやはり諦めることができなかったのだ。そのあげくアブドの甘言にのった。
「てことは、国王はこの式典は本物で、自分はTSに代役を任せたおかげで、この惨劇を避けられたって思ってるの?」
アーネストが皮肉げに唇を引いて言った。
「助かってラッキーって! そこにかこつけて譲位を迫るヨシノかな!」
「それが、そうも単純にいかなかったようだよ。この筋書きは、ヨシノが盗聴したアブド側の思惑通りに進行させているんだ。狙撃者から発射された銃弾は二発。皇太子、そして陛下を狙ってね。屋外でのTS使用を疑わせないために、人工降雨で、太陽光調節までしてね」
「雨雲まで呼んだの! ヨシノ、魔物って呼ばれるわけだね~」
デヴィッドの深く吐き出したため息は、感嘆というよりも呆れているようだ。
「さすがに彼だってそこまではできないさ。天気図を睨んで、インドで発生したモンスーンが、かの国まで雨雲を運んで来てくれるのを待っての決行だよ」
「用意周到もそこまでいくかぁ……、」
アーネストにしろ、さすがにクスクス笑いだしてしまった。もちろん、かの国での人工降雨プロジェクトが、この日のためになされているわけではないことは知っている。それにしても――。
砂漠地帯では、屋外でTS映像は使用できない。だからサウード本人が出席すると国王には伝え、当日、二重スパイとなっている王の側近を通して、曇天のためTS使用が急遽可能になったが、皇太子の予定変更はないと伝え、我が身の保身には余念のない王にTS代行を勧めて会場から退かせた。
王に、全てが虚構だと気づかれるリスクを減らしたかったのもある。だがそれ以上に、誰の命も危険に晒すことなく、暗殺者を捕らえることに専念する。
それが吉野にとって、何よりも優先させたいことだったからだ。
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