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九章
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「アブドはさ、いろいろ読みが浅いんだよ。あんたみたいな下っ端軍人を何人死なせようと、政治に影響するなんて意識はからきしなかったからな。それに、なまじ武器購入の件で蜜月関係にあったからさ、英国がこんなことで怒るなんて思いもしなかったんだよ」
吉野はどこか残念そうに、薄く笑っていた。「下っ端軍人」などと侮辱され、眉間に皺を刻み不快感を表したエドワードの心情など気にかける様子は微塵もない。エドワードは唇を結んだまま、軽く顎をしゃくることで話の続きを促した。
アブド元大臣の第一の目的は、国王とサウードの暗殺だった。そのための舞台を英国軍の護送機に設定したのは、より派手なテロの犠牲を演出し、国内だけでなく海外からも衆人の関心と同情を集め、テロという大きな悲劇による政権移行をより劇的に盛り上げるという彼の自己顕示欲を満たす、うってつけの舞台だったからだろう。
だが英国側にしてみれば、助けを求めてきた国王一行の救出をしくじったあげく、軍と英国情報部から7、8人もの死者をだした、となるとさすがに話は違うものになったはずだ。王もサウードも搭乗していなかったから大事ない、では済まされない事態に発展したことだろう。
結果的にサウードとアブド、どちらが政権を取るにしろ、英国はこの事件を逆手にとって玉座に座ることになる側に、対テロ政策の強化を名目とした軍事援助を申し入れ、国政介入に踏み込んでくるに違いない。それくらいのことをしなければ、他国の王族のために自国民が命を落とす成り行きに言い訳がつかないではないか。結果がどうであれ、取ったリスクに対する報酬を要求する、それが吉野の考える英国という国だ。
「なるほどな」
エドワードは押し殺したような声で呟き、歯をぎりっと軋ませた。
この事件は、アブド元大臣に買収されたパイロットの単独犯行、として片づけられている。だが、エドワードたち国防情報参謀部員は、アーネストの連れてきた秘密情報部員に関与を疑われ、「売国奴」と罵られたあげく、危うく軍法会議にかけられるところだったのだ。正に、こんなことで一生を棒に振りかねなかった、と言っても過言ではない。
「それで、お前は――」言いかけて、エドワードは目を瞑り、頭をのけぞらせて壁にごつんともたせかけた。
あのヘンリーが、他人に頼ることも甘えることもしない奴が――、このどこにでもいそうな生意気な東洋人の少年に腹心のウィリアムまで補佐につけ、一見自由気ままな行いの一切を容認しているという。
取ったリスクに見合う報酬を、確実に掴みとる相手だからか――。
そう気づいた時、恨みがましく構えていた自分自身が愚かしくもおかしくなった。クックックッ、とエドワードは、自分でも思いがけず咽喉を振るわせて笑っていた。
吉野の洞察は、おそらく間違ってはいないのだろう。だが真相は、その言い分よりももう少し深い思惑があったのではないだろうか。
この事件は、エドワードたちが思いこまされていたような国防情報参謀部の落ち度などではなかったのだ。その行動を見越して周到に張り巡らされた罠だったのではないか。
英国からわざわざアーネストがやってきた目的は、国王一行護送計画の漏洩で、急遽、替え玉映像に切り替えるため、などではなかったのだろう。失敗に終わると判っている計画をあえて遂行させることで、その責任をサポートした英国側になすりつけるため。中途半端にさらされた失態を突きつけることで、その後に待ち構えている本命の交渉への有利な布石としたのだ。アブドの企てたクーデターでさえも、そのための手段に変えて使い捨てて――。
この一件で、対マシュリク国外交戦略の対立していた英国国防省と外務省は、一気に形勢が逆転した。アブド派であった国防省の発言力は削がれ、サウードを支持する外務省が力を得た。それまでの軍事協力重視路線の縮小を余儀なくされ、経済協力に重点を移すことになったのだ。
そしてこの方針転換は、外務省を掌握するラザフォード家にとって、ひいてはこの男、杜月吉野をアドバイザーとして貸し出しているヘンリーに、有利な状況をもたらしたと言っていいだろう。
エドワードは一介の軍人であって、政治家ではない。与えられた任務をこなし、その行動が国益に沿っていればそれでいい。徹頭徹尾利用されたことは頭にくるが、その辺りの不満を捌くのは政治家連中であって、彼のなすべきことではない。
やりきれなさとともに、そんな言い訳がエドワードの頭の中で駆け巡っていた。
スカッシュでの負けが効いているのだ、と意識せずにはいられない。自分の方が上だと自負していた一点で負けを喫すると、全てにおいて敵わないような、そんな弱気になってくるものだ。そして、その感触は、彼が常々ヘンリーを前にした時に感じるものと等しかった。
試合運びが同じなのだ、ヘンリーと。
エドワードは諦めたような苦笑を湛え、脱力して吉野を眺めた。
ヘンリーにしろ、この男にしろ、相手が抵抗する気さえ持てないように、完膚なまでに叩きのめす。そして、気づいた時には制圧されているのだ。
戦うのであれば勝つ方につきたい、と抗えない思いに支配されて――。
「それでお前は、いったい俺に何の用があるんだ?」
体を起こして向き直ると、身を乗りだして吉野を凝視したエドワードに対して、吉野もまた凭れかかっていた壁から離れ、姿勢を正した。そして、同じように真剣な眼差しを返して言った。
「あそこであんたを助けたのも、ここまでこうして来てもらったのも、訊きたいことがあるからだよ。ウイスタンのことなんだ。あんた、飛鳥と同期だろ? 教えてよ、飛鳥は、あそこでどんなふうに過ごしてたんだ?」
吉野はどこか残念そうに、薄く笑っていた。「下っ端軍人」などと侮辱され、眉間に皺を刻み不快感を表したエドワードの心情など気にかける様子は微塵もない。エドワードは唇を結んだまま、軽く顎をしゃくることで話の続きを促した。
アブド元大臣の第一の目的は、国王とサウードの暗殺だった。そのための舞台を英国軍の護送機に設定したのは、より派手なテロの犠牲を演出し、国内だけでなく海外からも衆人の関心と同情を集め、テロという大きな悲劇による政権移行をより劇的に盛り上げるという彼の自己顕示欲を満たす、うってつけの舞台だったからだろう。
だが英国側にしてみれば、助けを求めてきた国王一行の救出をしくじったあげく、軍と英国情報部から7、8人もの死者をだした、となるとさすがに話は違うものになったはずだ。王もサウードも搭乗していなかったから大事ない、では済まされない事態に発展したことだろう。
結果的にサウードとアブド、どちらが政権を取るにしろ、英国はこの事件を逆手にとって玉座に座ることになる側に、対テロ政策の強化を名目とした軍事援助を申し入れ、国政介入に踏み込んでくるに違いない。それくらいのことをしなければ、他国の王族のために自国民が命を落とす成り行きに言い訳がつかないではないか。結果がどうであれ、取ったリスクに対する報酬を要求する、それが吉野の考える英国という国だ。
「なるほどな」
エドワードは押し殺したような声で呟き、歯をぎりっと軋ませた。
この事件は、アブド元大臣に買収されたパイロットの単独犯行、として片づけられている。だが、エドワードたち国防情報参謀部員は、アーネストの連れてきた秘密情報部員に関与を疑われ、「売国奴」と罵られたあげく、危うく軍法会議にかけられるところだったのだ。正に、こんなことで一生を棒に振りかねなかった、と言っても過言ではない。
「それで、お前は――」言いかけて、エドワードは目を瞑り、頭をのけぞらせて壁にごつんともたせかけた。
あのヘンリーが、他人に頼ることも甘えることもしない奴が――、このどこにでもいそうな生意気な東洋人の少年に腹心のウィリアムまで補佐につけ、一見自由気ままな行いの一切を容認しているという。
取ったリスクに見合う報酬を、確実に掴みとる相手だからか――。
そう気づいた時、恨みがましく構えていた自分自身が愚かしくもおかしくなった。クックックッ、とエドワードは、自分でも思いがけず咽喉を振るわせて笑っていた。
吉野の洞察は、おそらく間違ってはいないのだろう。だが真相は、その言い分よりももう少し深い思惑があったのではないだろうか。
この事件は、エドワードたちが思いこまされていたような国防情報参謀部の落ち度などではなかったのだ。その行動を見越して周到に張り巡らされた罠だったのではないか。
英国からわざわざアーネストがやってきた目的は、国王一行護送計画の漏洩で、急遽、替え玉映像に切り替えるため、などではなかったのだろう。失敗に終わると判っている計画をあえて遂行させることで、その責任をサポートした英国側になすりつけるため。中途半端にさらされた失態を突きつけることで、その後に待ち構えている本命の交渉への有利な布石としたのだ。アブドの企てたクーデターでさえも、そのための手段に変えて使い捨てて――。
この一件で、対マシュリク国外交戦略の対立していた英国国防省と外務省は、一気に形勢が逆転した。アブド派であった国防省の発言力は削がれ、サウードを支持する外務省が力を得た。それまでの軍事協力重視路線の縮小を余儀なくされ、経済協力に重点を移すことになったのだ。
そしてこの方針転換は、外務省を掌握するラザフォード家にとって、ひいてはこの男、杜月吉野をアドバイザーとして貸し出しているヘンリーに、有利な状況をもたらしたと言っていいだろう。
エドワードは一介の軍人であって、政治家ではない。与えられた任務をこなし、その行動が国益に沿っていればそれでいい。徹頭徹尾利用されたことは頭にくるが、その辺りの不満を捌くのは政治家連中であって、彼のなすべきことではない。
やりきれなさとともに、そんな言い訳がエドワードの頭の中で駆け巡っていた。
スカッシュでの負けが効いているのだ、と意識せずにはいられない。自分の方が上だと自負していた一点で負けを喫すると、全てにおいて敵わないような、そんな弱気になってくるものだ。そして、その感触は、彼が常々ヘンリーを前にした時に感じるものと等しかった。
試合運びが同じなのだ、ヘンリーと。
エドワードは諦めたような苦笑を湛え、脱力して吉野を眺めた。
ヘンリーにしろ、この男にしろ、相手が抵抗する気さえ持てないように、完膚なまでに叩きのめす。そして、気づいた時には制圧されているのだ。
戦うのであれば勝つ方につきたい、と抗えない思いに支配されて――。
「それでお前は、いったい俺に何の用があるんだ?」
体を起こして向き直ると、身を乗りだして吉野を凝視したエドワードに対して、吉野もまた凭れかかっていた壁から離れ、姿勢を正した。そして、同じように真剣な眼差しを返して言った。
「あそこであんたを助けたのも、ここまでこうして来てもらったのも、訊きたいことがあるからだよ。ウイスタンのことなんだ。あんた、飛鳥と同期だろ? 教えてよ、飛鳥は、あそこでどんなふうに過ごしてたんだ?」
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