胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
703 / 758
九章

しおりを挟む
 差し伸ばされた手を取ろうと、吉野も無意識に手を伸ばした。ピリッとした刺激が指先に走る。

「なに? 通信映像じゃないのか?」

 眼前のアレンは両手で口許を覆い、クスクス笑って上目遣いで吉野を見ている。こんな仕草をアレンはしない。吉野は眉をしかめてデヴィッドを睨みつけた。

「さーすが! よく判かったねぇ。彼が春のイベントの目玉! 『TSモデルルームをわが社の守護天使アレンがご案内します』の案内役だよ」
「よろしく、ヨシノ」

 鮮やかな唇を蠱惑的に横に引いて、アレンの顔をした映像が再び吉野に握手を求める。吉野はくっと笑いを呑み込み、このは無視してデヴィッドに向き直った。

「おい冗談だろ。あいつのコピーを作るなんて、俺、聞いてないぞ」
「どうしてあなたの許可がいるんです? あなた、のことにあれこれ口をはさみすぎじゃないですか。エリオットにいた頃はそれも仕方なかったかもしれませんが、だって、あなたの顔色ばかり伺ってはいられないんですからね!」

 会話に割り込み、人差し指を吉野につきつけて食ってかかってきたのは、アレン、――の映像だ。吉野はしばらく無表情のまま聞き入っていたが、ふいに「これのプログラムを書いたの、誰だ?」と、クックッと笑いだしながら尋ねた。

「お前?」
「――人工知能AIのヘンリーだよ」
「ヘンリーが雛型を作ったってこと?」
「じゃなくてぇ、人工知能AIの彼が、今回のイベントに適した性格を、彼のなかに蓄積されているアレンのデータのうえに上書きして、」
「戦略的に、てことか」

 吉野は「へぇー」と、感心したように、眼前の映像を上から下まで眺めまわした。細身のスーツに無造作に髪を流したこの映像は、アレン本人が人前に出る時好んで着るかっちりとした恰好よりも、よほど自然体に見える。異なる性格形成をすれば、姿かたちは本人そのものでも、別人のように違って見えるものなのだな、と吉野は面白がって目を細める。

「それにしちゃ、出会い頭はずいぶんしおらしいことを言ってたじゃないか。あやうく騙されるところだったよ」
「――彼からの、伝言ですから」

 ぷっと唇を尖らせて睨みつけてくるアレンの表情は、ずいぶん子どもっぽい。

「あいつ、こんな顔することあるんだ?」
「きみの知っているアレンなんて、ほんの一面にすぎないでしょ。あの子、きみの前じゃいつも気を使ってばかりのいい子ちゃんで、言いたいことも言えないじゃん」
「そうか? あいつ充分我がままだろ。むちゃくちゃ感情的だし、すぐキレるし。俺、殴られたことだってあるんだぞ」
「失礼な! あれはあなたが彼のことを手駒のように扱ったから当然の、」

 ヘンリーは知らないはずの情報に食いついてきたこの映像を、吉野は屈託のない声をたてて笑い飛ばした。

「やっぱり! これの教育、フィリップがしてんだろ! あいつ、向こうでアレンにまとわりつかないからさ、おかしいなって思ってたんだよ!」
「お見事!」

 デヴィッドが口笛を鳴らし、拍手する。逆に吉野はその顔から笑みを消し、確認するように目を細めてデヴィッドを見つめた。

「て、ことは、これ、あいつの影武者も兼ねてるのか」


 イベントで人工知能AIを搭載したアレンの映像に接客をさせる。当然、誰もがそれは映像であって本人ではない、と解っている。だが、解ってはいても人というものは、これは本物のアレンを土台にして作られたものではないかと想像し、本人も同じような人物に違いないと妄想するのだ。TSポスターのなかのアレンは、あくまでイメージキャラクターにすぎない、などとは誰も思わなかったように。映画やドラマのなかの登場人物を現実を生きる俳優のうえに重ね、覚めない夢を求めるように、差しだされたものに自らの夢を重ね、貪る。そんな彼らにとって、アレンは極上の夢だ。

 アレンにしろ、サウードにしろ崇拝される偶像なのだ。本人の意思など関係なく。決して望んでいる訳ではないことを、望まれるからやり続けている。本当に欲しいのは、たった一人からの承認なのに――。
 その虚像を演じ続けることに、サウードの心は絶えられない、と吉野は判断して身代わりとなる映像スペアを作った。おそらく、ヘンリーも同じように、アレンにこれ以上の負荷をかけないために、偽りの人格を備えたこの映像スペアを制作する指示をだしたのだろう。


「ヘンリーは? 知ってるの?」
「もちろん。きみがしばらくここにいるから手伝わせろって言われてきたんだ」
「で、どこにいる? ケンブリッジに戻ったのか?」
「出かけてるよ。でも、夜には帰ってくるはずだよ、しばらくはここにね。アスカちゃんがいない間、つまんないからロンドンで溜まっている雑務を片づけるって」
「あいつにとって仕事は暇つぶしかよ」
「まさか! 本職じゃなくって、ルベリーニ関連」
「雑務か――」
「雑務でしょ」

 どうでもいいことのように吐き捨てるデヴィッドに、吉野はくすりと笑って肩をすくめてみせた。さすがにこの会話は人工知能AIには難しすぎるのか、それとも自分に関係ないことには口をはさまないようにプログラムされているのか、映像は燃料が切れたようにじっと動かない。だが見ようによっては、神妙に考えているように見えなくもない。


「なぁ、守護天使っていうならさ、羽、ついてるの?」
 視線を映像に戻し、吉野は小首を傾げて尋ねる。
「羽? 天使のですか?」映像はゆっくりと顔を傾ける。
「つけろよ。前に作った立体映像みたいなやつ。羽でもつけて本人と区別しなきゃ、あいつが可哀想だろ。今でさえ、押しつけられてるイメージを持て余してるってのに」
「へぇ、きみでもそんなふうに、彼のこと考えてあげることあるんだ? でも前は真逆のこと言ってなかった? 天使像はやめろってさ」

 いくぶんか皮肉をこめて、デヴィッドが言う。また吉野はひょいっと肩をすくめた。

はあいつじゃない。だったら何だっていいんだよ。それなら求められるものにしてやればいい。あいつならそう言うよ」




しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁
BL
大学受験に失敗した比良坂晃(ひらさかあきら)は、心機一転イギリスの大学へと留学する。 古ぼけた学生寮に嫌気のさした晃は、掲示板のメモからシェアハウスのルームメイトに応募するが……。 ひょんなことから始まった、晃・アルビー・マリーの共同生活。 美貌のアルビーに憧れる晃は、生活に無頓着な彼らに振り回されながらも奮闘する。 一つ屋根の下、徐々に明らかになる彼らの事情。 そして晃の真の目的は? 英国の四季を通じて織り成される、日常系心の旅路。

偏食の吸血鬼は人狼の血を好む

琥狗ハヤテ
BL
人類が未曽有の大災害により絶滅に瀕したとき救済の手を差し伸べたのは、不老不死として人間の文明の影で生きていた吸血鬼の一族だった。その現筆頭である吸血鬼の真祖・レオニス。彼は生き残った人類と協力し、長い時間をかけて文明の再建を果たした。 そして新たな世界を築き上げた頃、レオニスにはひとつ大きな悩みが生まれていた。 【吸血鬼であるのに、人の血にアレルギー反応を引き起こすということ】 そんな彼の前に、とても「美味しそうな」男が現れて―――…?! 【孤独でニヒルな(絶滅一歩手前)の人狼×紳士でちょっと天然(?)な吸血鬼】 ◆閲覧ありがとうございます。小説投稿は初めてですがのんびりと完結まで書いてゆけたらと思います。「pixiv」にも同時連載中。 ◆ダブル主人公・人狼と吸血鬼の一人称視点で交互に物語が進んでゆきます。 ◆現在・毎日17時頃更新。 ◆年齢制限の話数には(R)がつきます。ご注意ください。 ◆未来、部分的に挿絵や漫画で描けたらなと考えています☺

唾棄すべき日々(1993年のリアル)

緑旗工房
経済・企業
バブル崩壊で激変した日本経済、ソフトウエア産業もまた例外ではなかった。 不況に苦しめられる中小企業戦士の日々を描きます。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

日本国転生

北乃大空
SF
 女神ガイアは神族と呼ばれる宇宙管理者であり、地球を含む太陽系を管理して人類の歴史を見守ってきた。  或る日、ガイアは地球上の人類未来についてのシミュレーションを実施し、その結果は22世紀まで確実に人類が滅亡するシナリオで、何度実施しても滅亡する確率は99.999%であった。  ガイアは人類滅亡シミュレーション結果を中央管理局に提出、事態を重くみた中央管理局はガイアに人類滅亡の回避指令を出した。  その指令内容は地球人類の歴史改変で、現代地球とは別のパラレルワールド上に存在するもう一つの地球に干渉して歴史改変するものであった。  ガイアが取った歴史改変方法は、国家丸ごと転移するもので転移する国家は何と現代日本であり、その転移先は太平洋戦争開戦1年前の日本で、そこに国土ごと上書きするというものであった。  その転移先で日本が世界各国と開戦し、そこで起こる様々な出来事を超人的な能力を持つ女神と天使達の手助けで日本が覇権国家になり、人類滅亡を回避させて行くのであった。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

処理中です...