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九章
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ここラスベガス国際家電見本市の初日は、関係者だけの公開とは思えないほど人出で賑わっている。得に人気のブースは、注目の新製品を出すというアーカシャーHDの一角だ。
ロンドン、ニューヨークの店舗で新年イベントとして始まっている「書初め」コーナーがことのほか好評で、この見本市会場でも特設されている。中央に設けられた空間だけではとてもたらず、寄せ書きされた様々な新年の抱負の綴られた語や文章は、広いブース内の壁や天井に流れる緩やかな水流に乗って漂いながら対流している。そんな文字群のまにまに、鯉が跳ね鳥が飛び交う。
巨大な水槽の中にいるのか、それとも空の中に浮かんでいるのか、そんな錯覚に囚われそうになる不思議な空間がここにはあった。
そして、中央ではすでに多くの人々が切れ目なく、この空間に特殊なペンで文字通り蛍光色の各々のきらきらしい言葉を刻むために、順番待ちをしているのだ。
そんな同業他社、プレス関係者たちの人垣に混じって、にこやかな笑みを湛えていかにも楽しそうに辺りを見回している兄の姿を見つけ、デヴィッドは驚きのあまり息を呑んだ。
「来るなら来るって、言ってくれればいいのに! すれ違いになるところだったよ!」
咎めるような声音で肩を叩かれ振り返ったアーネストは、弟と同じヘーゼルの瞳を悪戯っぽく輝かせ、「新年おめでとう」とおおらかなハグを交わす。
「もうそんな時期じゃないでしょ!」
デヴィッドはわざと唇を尖らせる。この兄の突然の来訪が嬉しい反面、何か面倒ごとでも起きたのではないかと嫌な予感が走っていた。何といっても、常に忙しい身の彼がわざわざロンドンからニューヨークを経て、こんなところまで来ているのだ。そしてデヴィッド自身、これから人工知能のヘンリー投入のため、この場を離れようとしているところだったのだ。
アーネストは「飛行場からまっ直ぐここへ来たところだよ」、と弟を宥め「これ、お前の新チームの初作品なんだろ? いい出来じゃないか」と、ぐるりと身体を一周させる。
「アスカちゃんに仕上げは手伝ってもらったけどねぇ。やっぱり全然敵わないよ、彼にはねぇ」
デヴィッドは軽く肩をすくめてみせる。だがその表情は悔しげ、というよりもどこか誇らしそうで、追いかける背中があることが楽しくて堪らないのだな、とアーネストには見てとれる。
「このイベント、店舗でもやっているんだろ? いつまで?」
時間を気にしているらしいデヴィッドに、アーネストはのんびりとした口調で訊ねた。
「15日。日本では、その日に書初めを集めて燃やす伝統行事があるんだ。天に届くようにって。そのお焚き上げっていう儀式をやって、終了。このブースではそこまではしないけどね」
「へぇー」
アーネストは感心したように頷く。
「それよりアーニー、予定は? ヘンリーは時間がとれるか判らないよ」
「ああ、ヨシノは今どこにいる?」
「え? ロンドンだろ? 殿下のフラットじゃないの」
「来ているはずなんだ」
「嘘だろ……」
やっぱり面倒ごとだ、と顔をしかめるデヴィッドに、アーネストは軽く息をつくに留め、苦笑気味の笑みをむける。
「まずはヘンリーに逢うかな。彼ならあの子に連絡が取れるかもしれない」
アーカシャーHDの控室へと向かう道々、デヴィッドはアーネストが急遽来訪した理由を聞くことになる。それがはたして予感したような厄介ごとなのかどうか、デヴィッドには今一つピンとこなかったが、不快なことだけは確かだった。
「つまり、アッシャムス破綻でロバート・カールトンが大儲けしたってこと?」
「そう。あの子があいつにアッシャムスのCDSを大量に買わせていたんだ」
「敵に花を持たすって、どういうつもりなんだろうねぇ。ヨシノなんて、誰よりもカールトン一族を憎んでいるはずなのに」
「ヘンリーから聞いた時も信じられなかったけれどね、あのジュニアとヨシノの共同事業の話、まんざら冗談でもなくなってきているようなんだよ」
「寝耳に水!」
淡々としたいつもの口調にも、これが本音に違いないと思えるような不愉快さを含ませるアーネストの話ぶりに、デヴィッドの方は内心の不快さを隠そうともしない。
デヴィッドにしても、サラの祖父の件にしろ、ヘンリーの父の代から続くカールトン率いるガン・エデン社との確執は知っている。直接の関係はないとはいえ、自分もヘンリー共々ずっと苦々しい想いを抱いていたのだ。だがそれ以上に、彼は日本での留学中、飛鳥や吉野がなぜこれほどまでにガン・エデン社を嫌い憎むのかを肌で感じ、身をもって理解するに至っていた。
吉野と飛鳥がいた夏季休暇の期間、そして彼らが英国へ立ってからの一年間、彼にとっての杜月家は決して平穏無事な逗留先とはいえなかったのだ。
あの穏やかで優しい彼らの父親が、どれほどの心労を抱えて日々を過ごしていたことか……。
杜月氏は息子たちに何も言わない。だからデヴィッドも二人には話さない。だがその頃のことを思いだすたびに、腸が煮えくり返るほどの怒りがいまだに湧いてくる。
自分なら、決して彼らのしてきたことを許さない。まして吉野が、あの吉野がカールトンを許すはずがない。父親と息子は関係ないなどと、そんな綺麗ごとを言うはずがない。
唇を噛みしめて黙り込んだまま前方を睨みつけている弟を、アーネストは訝しげに振り返った。
「そういえば、アーニーはまだあのヘンリーを見てないんだっけ? 傑作だよぉ。きっと気にいると思う。ウケること間違いなし!」
兄の視線にデヴィッドはそう言って笑い、さらりと受け流した。
ロンドン、ニューヨークの店舗で新年イベントとして始まっている「書初め」コーナーがことのほか好評で、この見本市会場でも特設されている。中央に設けられた空間だけではとてもたらず、寄せ書きされた様々な新年の抱負の綴られた語や文章は、広いブース内の壁や天井に流れる緩やかな水流に乗って漂いながら対流している。そんな文字群のまにまに、鯉が跳ね鳥が飛び交う。
巨大な水槽の中にいるのか、それとも空の中に浮かんでいるのか、そんな錯覚に囚われそうになる不思議な空間がここにはあった。
そして、中央ではすでに多くの人々が切れ目なく、この空間に特殊なペンで文字通り蛍光色の各々のきらきらしい言葉を刻むために、順番待ちをしているのだ。
そんな同業他社、プレス関係者たちの人垣に混じって、にこやかな笑みを湛えていかにも楽しそうに辺りを見回している兄の姿を見つけ、デヴィッドは驚きのあまり息を呑んだ。
「来るなら来るって、言ってくれればいいのに! すれ違いになるところだったよ!」
咎めるような声音で肩を叩かれ振り返ったアーネストは、弟と同じヘーゼルの瞳を悪戯っぽく輝かせ、「新年おめでとう」とおおらかなハグを交わす。
「もうそんな時期じゃないでしょ!」
デヴィッドはわざと唇を尖らせる。この兄の突然の来訪が嬉しい反面、何か面倒ごとでも起きたのではないかと嫌な予感が走っていた。何といっても、常に忙しい身の彼がわざわざロンドンからニューヨークを経て、こんなところまで来ているのだ。そしてデヴィッド自身、これから人工知能のヘンリー投入のため、この場を離れようとしているところだったのだ。
アーネストは「飛行場からまっ直ぐここへ来たところだよ」、と弟を宥め「これ、お前の新チームの初作品なんだろ? いい出来じゃないか」と、ぐるりと身体を一周させる。
「アスカちゃんに仕上げは手伝ってもらったけどねぇ。やっぱり全然敵わないよ、彼にはねぇ」
デヴィッドは軽く肩をすくめてみせる。だがその表情は悔しげ、というよりもどこか誇らしそうで、追いかける背中があることが楽しくて堪らないのだな、とアーネストには見てとれる。
「このイベント、店舗でもやっているんだろ? いつまで?」
時間を気にしているらしいデヴィッドに、アーネストはのんびりとした口調で訊ねた。
「15日。日本では、その日に書初めを集めて燃やす伝統行事があるんだ。天に届くようにって。そのお焚き上げっていう儀式をやって、終了。このブースではそこまではしないけどね」
「へぇー」
アーネストは感心したように頷く。
「それよりアーニー、予定は? ヘンリーは時間がとれるか判らないよ」
「ああ、ヨシノは今どこにいる?」
「え? ロンドンだろ? 殿下のフラットじゃないの」
「来ているはずなんだ」
「嘘だろ……」
やっぱり面倒ごとだ、と顔をしかめるデヴィッドに、アーネストは軽く息をつくに留め、苦笑気味の笑みをむける。
「まずはヘンリーに逢うかな。彼ならあの子に連絡が取れるかもしれない」
アーカシャーHDの控室へと向かう道々、デヴィッドはアーネストが急遽来訪した理由を聞くことになる。それがはたして予感したような厄介ごとなのかどうか、デヴィッドには今一つピンとこなかったが、不快なことだけは確かだった。
「つまり、アッシャムス破綻でロバート・カールトンが大儲けしたってこと?」
「そう。あの子があいつにアッシャムスのCDSを大量に買わせていたんだ」
「敵に花を持たすって、どういうつもりなんだろうねぇ。ヨシノなんて、誰よりもカールトン一族を憎んでいるはずなのに」
「ヘンリーから聞いた時も信じられなかったけれどね、あのジュニアとヨシノの共同事業の話、まんざら冗談でもなくなってきているようなんだよ」
「寝耳に水!」
淡々としたいつもの口調にも、これが本音に違いないと思えるような不愉快さを含ませるアーネストの話ぶりに、デヴィッドの方は内心の不快さを隠そうともしない。
デヴィッドにしても、サラの祖父の件にしろ、ヘンリーの父の代から続くカールトン率いるガン・エデン社との確執は知っている。直接の関係はないとはいえ、自分もヘンリー共々ずっと苦々しい想いを抱いていたのだ。だがそれ以上に、彼は日本での留学中、飛鳥や吉野がなぜこれほどまでにガン・エデン社を嫌い憎むのかを肌で感じ、身をもって理解するに至っていた。
吉野と飛鳥がいた夏季休暇の期間、そして彼らが英国へ立ってからの一年間、彼にとっての杜月家は決して平穏無事な逗留先とはいえなかったのだ。
あの穏やかで優しい彼らの父親が、どれほどの心労を抱えて日々を過ごしていたことか……。
杜月氏は息子たちに何も言わない。だからデヴィッドも二人には話さない。だがその頃のことを思いだすたびに、腸が煮えくり返るほどの怒りがいまだに湧いてくる。
自分なら、決して彼らのしてきたことを許さない。まして吉野が、あの吉野がカールトンを許すはずがない。父親と息子は関係ないなどと、そんな綺麗ごとを言うはずがない。
唇を噛みしめて黙り込んだまま前方を睨みつけている弟を、アーネストは訝しげに振り返った。
「そういえば、アーニーはまだあのヘンリーを見てないんだっけ? 傑作だよぉ。きっと気にいると思う。ウケること間違いなし!」
兄の視線にデヴィッドはそう言って笑い、さらりと受け流した。
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