胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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九章

イベント1

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カウントダウンの後は、夜を徹して騒ぐもの。
 皆、さすがに疲れはて、クリスとフレデリックはソファーにもたれて眠ってしまっている。飛鳥は早々にダウンして別室で眠っている。笑い声が絶えなかったリビングも、今は静寂に包まれている。


 サウードは、カウントダウンの花火を終えるとほどなく、自身の義務を遂行すべく、名残惜しそうにパーティ会場へと戻っていった。
 時を同じくしてヘンリーもまたサラを連れ、自分のたちに用意されたファミリータイプの部屋へと引き揚げている。

 彼らがこの部屋を去る際には、「婚約した二人のためのイベントじゃなかったのか?」などという吉野の嫌味にも、ヘンリーは涼しい顔で応えていた。
「まさかここにきみたちもいるなんて、想定外だったからね」
「俺たちのせいかよ! もちろん、その中にはあんただって含まれてるんだろ?」
「そうだよ。兄として妹の不摂生を許す訳にはいかないからね。それにサラには、あの人騒がせなヘンリーの後始末もしてもらわなきゃいけない」

 飛鳥とサラのためにサウードが用意してくれたイベントのはずが、自分をも含めた、つまらない社交場から逃げてきた連中の溜まり場となっているのだ。この現状に、ヘンリーはわずかに首を竦ませただけで、いけしゃあしゃあと、仕方ないだろ?、と軽くため息をついているのだ。



 カウントダウンの始まる前には、TS映像はその出番を終了させていた。設置したパネルの片付けはマクレガーに任せるにしても、騒がしい客人たちの相手を終始務めてくれたデヴィッドが、じきにパーティ会場から帰ってくるだろう。吉野やサラの希望するように、米国での見本市にあれを展示するのならば、一刻も早く話を詰めてしまわなければならない。のんびりしている時間などないのだ。
 彼のなかでは、新年のイベントなどもうとっくに終わっている。頭はとうに切り替わっているのだ。それはサラも同じだろう。

 事後処理と聞いて飛鳥も同行しようとしたが、技術的な話にはならないだろうから、とヘンリーは、「たまには新年の馬鹿騒ぎを楽しむといいよ」とこの場に残るようにと笑って告げた。むろん飛鳥は不服そうではあったが、ヘンリーがこんな遅くまでサラに作業をさせる訳がない、ここから早々に退出するための言い訳もあるのだろうと、手前勝手に納得して頷いた。
 すでに顔見知りであるにしろ、男ばかりに囲まれて、サラだって多分に緊張していたに違いないのだ。ヘンリーのようにさり気なく、周囲を気負わせることなく彼女を休ませ労わるような、当たり前の気遣いができない自分を、飛鳥は情けなく思わずにはいられない。
 まるで命綱でも握っているかのようにヘンリーの腕を取って、ようやくほっとできたようなそんな彼女の笑みが、棘のように飛鳥の心に刺さっていた。


 二人が部屋を後にしてからは、そういえば、大学を終えてからは屋敷とマーシュコート、ケンブリッジの郊外に移された研究室にたまに出向くだけで、こうしてロンドンに出てくることさえなくなっていた、指輪を買いにいったくらいか、と飛鳥はぼんやりと思い返していた。
 今日一日だって、部屋の中にほぼ籠っていたのと変わらない。それなのに、モニター画面を睨んでいただけでどっと疲れを感じている。映像の調節をしていた時とは比べ物にならないほどに――。
 現実であれだけ多くの人たちと関わっているヘンリーや、吉野はどうなのだろう? やはり自分と同じ、あるいはそれ以上の疲労を感じているのだろうか? 

 飛鳥は、自分がどこか現実とズレているような、そんな奇妙な軋みを感じていた。

「飛鳥!」

 急に吉野に呼ばれ、慌てて声のする方を振り返る。少し離れた位置にいた吉野は、飛鳥にも見えるように空中に浮く画面を向けた。それはもうパーティ会場を映したモニター画面ではなくなっていた。大きく映しだされたクロスワードパズルのようなマス目に、数字がランダムにのっている。

「これ、解けるか?」
 挑発するような弟の楽しげな声に、飛鳥はくしゃりと笑って立ちあがった。
「お前が作ったの? 久しぶりだな。どれくらい腕をあげたかみてやるよ」




 そして、夜が白みかけてもなおアレンと吉野だけが、静まり返ったリビングで、欠伸を連発しながら向きあっているという次第だ。

「解けた!」
 相好を崩し、アレンは眼前のTS画面をくるりと吉野の側に向けた。傍らの彼は、面倒くさそうにちらと画面に眼をやる。
 飛鳥の作った数学パズルで、一晩中盛りあがった。吉野が飛鳥向けに考えたパズルでは難解すぎるので、飛鳥がもっと簡略化したものに改良し、皆で遊べるようにしたのだ。
 クリスやフレデリックも夢中で楽しんでいたけれど、いつの間にか眠りに負けた。アレンだけが、最後の難問に粘り強く取り組み続けていたのだ。

「お、正解! お疲れさん! 頑張ったな」

 眠たそうに間延びした声音で言いながら、頭を撫でようと伸びてきた吉野の大きな手を、アレンはぴしゃりと払いのける。

「だからもう、子どもじゃないんだから」
「ああ、そうだったな」

 口の端で笑いながら、吉野はやはりアレンの頭をくしゃくしゃと撫でる。


 今年もまた、このまま何も変わらずすぎていくのかな、とアレンは唇を尖らせ吉野を睨んだ。眠たそうにソファーの背に頭をもたせかけている吉野は、出逢った頃とそう変わらないような気がする。あの頃も、どこででも、彼はこんなふうにうたた寝していた。

 僕も同じ、あの頃と変わらない幼い子どものように彼の眼には映っているのだろうか――、とアレンは自問自答する。自分が全く成長できていないようで悔しいような、それでいて、それはそれで嬉しいような、そんな複雑な気持ちが胸に渦巻いていた。

 それでも、こうして手の届く距離にいる吉野を見ていると、彼と迎える事のできた新年はこれまで以上に素晴らしいものになるに違いない、とそんな気がして、アレンはほんわりと幸せな気分で微笑んでいた。
 



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