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九章
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「飛鳥」
彼らと入れ違いで部屋に入ってきた弟に呼ばれ、飛鳥はきらきらと鋭い、それでいて澄んだ瞳を向けてよこした。すぐに「後ろ、閉めて」と身体を起こし、ベッドの上に胡坐を組む。そして、同じベッドの端に腰を下ろした吉野を黙したままじっと睨みつけている。
「ヘンリーの妹さんをエスコートするんだって?」
「うん。向こうで世話になったんだ」
吉野は屈託のない笑顔で応えた。
「その妹さんは、」
自身の婚約話で浮かれ飛んでいる間に取り沙汰されていた米国でのゴシップを、飛鳥は最近になって知ったのだ。だがそんな噂話を本人に問い質すのもいやらしく思え、今まで話題にはあげなかった。だが、そんなことも言っていられないような状況にやはり黙っていられなくなったのだ。
「ロバート・カールトンの婚約者なんだって? それなのになんで、お前がエスコートするの? そのご本人だって会場に来るんだろ?」
それにヘンリーから聞いた共同事業の話。ヘンリーはロバートに好意も信頼も寄せていない。それなのにこの事業に協力するという。開発以外の事業戦略に自分は蚊帳の外とはいえ、あまりにも不透明すぎる。
「ああ、今回の彼女の英国訪問はな、俺のエリオットの友人を紹介するためなんだ。別にボブがエスコートでもかまわないんだけどさ。サウードに断りを入れるのに都合がよかったんだよ。なんか役割がないとさ、ホスト側で出席しなきゃならないからさ。そうなると、キャルの相手なんてしてられない。だからだよ。ボブも承知のうえ。世間でいわれているような鞘当てをやってるんじゃないよ」
「友人? サウード殿下のこと?」
「そうじゃなくて。親が偉いさんでさ、偶然を装って引き逢わさなけりゃゴシップネタにされて困るような相手だよ。渡りをつけてくれって頼まれたんだ。俺だって仕方なくだよ」
予想外の理由をあっさりと告げられ、飛鳥はきょとんと、弟のにこやかな、落ち着いた佇まいをまじまじと見つめる。
今日の吉野はタキシードを着ている。
それは、主催者側の一員としてではなく、招待客としてパーティに出席するということなのか? たしか、ロレンツォから送られて来ていた吉野のマシュリク国政府関係の公式の場での写真では、彼は常にあちらの民族衣装を身に着けていた。
「――ボブって愛称で呼ぶほど、お前、あの彼と親しいの?」
訝しげな飛鳥の瞳に、噴きだしている吉野の楽しげな顔が映る。
「そうだな。まぁ、本人はアレだけどさ。事業内容はいいんだよ。飛鳥、あいつに逢ったんだろ?」
何ともいえない表情で頷く兄の顔を見て、吉野はまたクックッと笑った。
「クセの強い奴だけどさ。面白いんだよ、あいつ。キャルは嫌ってるけどな!」
危うく忘れかけていた彼女に話題が戻り、飛鳥はもどかしげに首を傾けた。この様子では本当にゴシップはゴシップでしかないのだろう。吉野の言動にはまったく悪びれたところがない。事業のことは、今話さなければならない事でもないし――。
「カウントダウンには、お前、こっちにも顔だせそう?」
「どうかな、判らない。キャル次第だな」
当然だ。女の子連れなのだから。そして、彼女をこの部屋に招待するわけにはいかない。そんなことにも気の回らない自分の無意味な問いかけを、飛鳥は無性に情けなく感じる。
「ヨシノ~! そろそろパネルの設置しなきゃ、あんまり時間ないよ!」
「おう!」
無造作に開けられたドアから、デヴィッドの顔が覗く。立ちあがる吉野に続き、飛鳥もリビングルームに戻った。
ソファーに寛ぐヘンリーの横にサラがいる。空中を睨んでいるので、二人でこちらからは見えないTS画面を見ているのだろう。映像に処置する人工知能に手を加えているのだろうか。
ぼんやりと入り口に立ち尽くしたままの飛鳥を置いて、デヴィッドと吉野は「じゃあ、お先に。会場でね~」と、早々と部屋を後にした。
賑やかな二人がいなくなり、ふと降りた沈黙の中、飛鳥は思いだしたようにその場に残る彼らに笑みを向けた。
「そういえばヘンリー、吉野が、きみの妹さんをエリオットの友人に紹介する、って言ってたよ。きみたちの共通の友人じゃないの?」と、ヘンリーから移した視線の先で、アレンが蒼褪め顔を伏せていた。フレデリックはぎこちなくその場で固まっている。その横のクリスだけが、怪訝そうに眉をひそめている。
「誰だろう? サウードの友人なのかな? 大使館主催だもの、限られるよね」
向けられた疑問に、フレデリックが、引きつった口許を無理に開くようなぎこちなさで応えていた。
「同期とは限らないんじゃないかな。ヨシノは先輩方との付き合いの方が多かったもの」
声が震えている。クリスはそんなフレデリックを、訝しげに凝視する。
「アボットだよ。ケネス・アボット。きみたちの寮長でもあっただろう?」
彼らから離れた位置に座っていたヘンリーの声に、歓声があがった。
「本当ですか! 久しぶりだなぁ! それならそうとヨシノも教えてくれればいいのに!」
喜色満面のクリスたち面々に、ヘンリーは片目を瞑ってみせた。
「僕が漏らしたことは内密にね。彼はきみたちを驚かせたかったに違いないからね!」
彼らと入れ違いで部屋に入ってきた弟に呼ばれ、飛鳥はきらきらと鋭い、それでいて澄んだ瞳を向けてよこした。すぐに「後ろ、閉めて」と身体を起こし、ベッドの上に胡坐を組む。そして、同じベッドの端に腰を下ろした吉野を黙したままじっと睨みつけている。
「ヘンリーの妹さんをエスコートするんだって?」
「うん。向こうで世話になったんだ」
吉野は屈託のない笑顔で応えた。
「その妹さんは、」
自身の婚約話で浮かれ飛んでいる間に取り沙汰されていた米国でのゴシップを、飛鳥は最近になって知ったのだ。だがそんな噂話を本人に問い質すのもいやらしく思え、今まで話題にはあげなかった。だが、そんなことも言っていられないような状況にやはり黙っていられなくなったのだ。
「ロバート・カールトンの婚約者なんだって? それなのになんで、お前がエスコートするの? そのご本人だって会場に来るんだろ?」
それにヘンリーから聞いた共同事業の話。ヘンリーはロバートに好意も信頼も寄せていない。それなのにこの事業に協力するという。開発以外の事業戦略に自分は蚊帳の外とはいえ、あまりにも不透明すぎる。
「ああ、今回の彼女の英国訪問はな、俺のエリオットの友人を紹介するためなんだ。別にボブがエスコートでもかまわないんだけどさ。サウードに断りを入れるのに都合がよかったんだよ。なんか役割がないとさ、ホスト側で出席しなきゃならないからさ。そうなると、キャルの相手なんてしてられない。だからだよ。ボブも承知のうえ。世間でいわれているような鞘当てをやってるんじゃないよ」
「友人? サウード殿下のこと?」
「そうじゃなくて。親が偉いさんでさ、偶然を装って引き逢わさなけりゃゴシップネタにされて困るような相手だよ。渡りをつけてくれって頼まれたんだ。俺だって仕方なくだよ」
予想外の理由をあっさりと告げられ、飛鳥はきょとんと、弟のにこやかな、落ち着いた佇まいをまじまじと見つめる。
今日の吉野はタキシードを着ている。
それは、主催者側の一員としてではなく、招待客としてパーティに出席するということなのか? たしか、ロレンツォから送られて来ていた吉野のマシュリク国政府関係の公式の場での写真では、彼は常にあちらの民族衣装を身に着けていた。
「――ボブって愛称で呼ぶほど、お前、あの彼と親しいの?」
訝しげな飛鳥の瞳に、噴きだしている吉野の楽しげな顔が映る。
「そうだな。まぁ、本人はアレだけどさ。事業内容はいいんだよ。飛鳥、あいつに逢ったんだろ?」
何ともいえない表情で頷く兄の顔を見て、吉野はまたクックッと笑った。
「クセの強い奴だけどさ。面白いんだよ、あいつ。キャルは嫌ってるけどな!」
危うく忘れかけていた彼女に話題が戻り、飛鳥はもどかしげに首を傾けた。この様子では本当にゴシップはゴシップでしかないのだろう。吉野の言動にはまったく悪びれたところがない。事業のことは、今話さなければならない事でもないし――。
「カウントダウンには、お前、こっちにも顔だせそう?」
「どうかな、判らない。キャル次第だな」
当然だ。女の子連れなのだから。そして、彼女をこの部屋に招待するわけにはいかない。そんなことにも気の回らない自分の無意味な問いかけを、飛鳥は無性に情けなく感じる。
「ヨシノ~! そろそろパネルの設置しなきゃ、あんまり時間ないよ!」
「おう!」
無造作に開けられたドアから、デヴィッドの顔が覗く。立ちあがる吉野に続き、飛鳥もリビングルームに戻った。
ソファーに寛ぐヘンリーの横にサラがいる。空中を睨んでいるので、二人でこちらからは見えないTS画面を見ているのだろう。映像に処置する人工知能に手を加えているのだろうか。
ぼんやりと入り口に立ち尽くしたままの飛鳥を置いて、デヴィッドと吉野は「じゃあ、お先に。会場でね~」と、早々と部屋を後にした。
賑やかな二人がいなくなり、ふと降りた沈黙の中、飛鳥は思いだしたようにその場に残る彼らに笑みを向けた。
「そういえばヘンリー、吉野が、きみの妹さんをエリオットの友人に紹介する、って言ってたよ。きみたちの共通の友人じゃないの?」と、ヘンリーから移した視線の先で、アレンが蒼褪め顔を伏せていた。フレデリックはぎこちなくその場で固まっている。その横のクリスだけが、怪訝そうに眉をひそめている。
「誰だろう? サウードの友人なのかな? 大使館主催だもの、限られるよね」
向けられた疑問に、フレデリックが、引きつった口許を無理に開くようなぎこちなさで応えていた。
「同期とは限らないんじゃないかな。ヨシノは先輩方との付き合いの方が多かったもの」
声が震えている。クリスはそんなフレデリックを、訝しげに凝視する。
「アボットだよ。ケネス・アボット。きみたちの寮長でもあっただろう?」
彼らから離れた位置に座っていたヘンリーの声に、歓声があがった。
「本当ですか! 久しぶりだなぁ! それならそうとヨシノも教えてくれればいいのに!」
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