602 / 739
九章
6
しおりを挟む
それぞれのカレッジで夕食を終え帰宅したアレンたちが、居間でお茶を飲みながら思いおもいにくつろいでいる。窓外は細やかな雨が降り続いている。静かで穏やかな時間が流れていた。
アレンがついっと顔を窓に向けた。通りに停まった車のヘッドライトに目ざとく気づいたらしい。
「デヴィッド卿だ」
嬉しそうに顔をほころばし、玄関に出迎える。その背中にちらりと目をやりクリスも頬を緩めている。
「アレンはなんだか、すごく充実している感じだね」
「毎日に張りがあるって本人も言ってたよ」
フレデリックも穏やかな口調で同意する。
詳しい経緯は聴いていないものの、アレンはここしばらく、ヘンリーと飛鳥との仲違いの責任が自分にあると感じていて、酷く落ちこんでいたのだ。ところが、それがどうやらアレンのせい、というわけでもなかったと解ると、安堵するどころか余計に難しい顔をして考えこむようになっていた。
数日前に、飛鳥がヘンリーとサラの待つ彼らの地元を訪れると聴き、やっと蟠りも解消されたのか、と浮上し始めたところなのだ。
それまでは、そんな心の中の澱に足をすくわれてなるものかとばかりに、必死な形相で大学の課題やインテリアのデザインに打ちこんでいたのだが。もうすっかり、ふわりと肩の力の抜けた様子だ。
「デヴィッド卿の影響もあるんだろうね」
フレデリックは、かすかに声の漏れ聞こえる閉ざされたドアを眺め、どこかしら淋しそうな笑みを結んでつけ加えた。
彼は、自分では力不足なのだ、と諦めに似た羨望に胸を塞がれていた。それでも、アレンが前向きに何かに取り組んでいる現状は喜ばしい気持ちに嘘はない。だから、そこに居るだけで周囲を陽気な気分にし、盛り立て、なおかつアレンに殻に籠る時間を与えないデヴィッドの隠れた気遣いを、尊敬せずにはいられない。とても敵わない、そう思わずにはいられない。
「フレッド、クリス!」
そんなフレデリックの物思いを打ち破る、アレンの悲鳴にも似た声があがる。何ごとかと、ソファーから跳ねあがった二人の前で、ドアがいささか乱暴なほど勢いよく開く。
飛びこんできたアレンは、興奮した面持ちで上気している。
「アスカさんが!」
事故か、事件か――。
二人は不安に固まり、室内には緊張が走る。
「婚約だって! サラと!」
嬉しくて堪らないふうに上擦った声音で叫ぶと、「やった!」と、アレンは我を忘れて叫んでいた。
その内容にも、伝えたアレンの様子にもあっけにとられた様子で、フレデリックも、クリスも、言葉を忘れて立ちつくしている。
「まぁまぁ、落ち着いて、落ち着いて」
アレンの背後にいたデヴィッドが、ぽんぽんと彼の両肩に手を置いて宥めている。
「兄弟になるんだ! アスカさんと、ヨシノと! 奇跡みたいだ!」
そこまで考えが及んでいなかったクリスは、目をまん丸にしたまま、呆然と「おめでとう」と呟いた。
「なんだか、アスカさんとレディ・サラにおめでとうっていうより、きみへお祝いを告げているみたいだ」
くすくす肩を震わせて笑いだし、クリスは傍らのフレデリックに眼をやる。
「ね?」
「また、急な話なのですね」
フレデリックは、なにか思惑有りなのではないかと疑っているのか、ふぅ、とため息をつきながら苦笑している。
奇しくも米国では、アレンの姉キャルの婚約話がたけなわのはず。そこへもってサラまでなんて――。
「急ってことはないよ。アスカさんはずっとサラを想っていたもの。やっと兄のお許しがもらえたんじゃないかな。アスカさんの帰国の話で、サラもアスカさんがかけがえのない人だって再認識したんだよ、きっと」
いつになく饒舌に語るアレンは、蕩けそうな笑みを浮かべている。
「なんだ、僕よりきみの方が詳しいじゃないか! 僕は全然知らなかったよ!」
今度はデヴィッドが頓狂な声をあげる。だがアレンは、ふふふっと笑うだけで、それ以上は口を噤んだ。本人に確かめたわけではないのだ。憶測でそれらしいことを言ってはいけないことに、遅ればせながら気づいたのだ。
「戻ってこられたら、アスカさんにくわしく教えてもらわなくちゃ」
「まったくだよ~。よくあのヘンリーが頷いたな、って仰天したからねぇ、僕にしたって。サラなんてきみらと同い年だよ、早すぎないかな、って気もするよぉ」
納得しきれていない様子のデヴィッドに、クリスは頷き、フレデリックは思案顔だ。
「でも、サラですよ。逆に兄は安心なんじゃないのかなぁ。兄にしたっていつまでも独り身ではいられないでしょうし――。一番信頼している親友に、彼女のことを託せるなら、ってことなんじゃないでしょうか」
軽く小首を傾げて言うアレンに、デヴィッドも吐息交じりに頷いた。
「まぁ、そういうことなんだろうねぇ」
「それでね、クリスマスに婚約披露のパーティーをするって。ヨシノも戻ってくるんだって!」
「そうだよね! アスカさんのお祝いだもの!」
素直に歓声をあげるクリスを尻目に、フレデリックは、あのなによりも兄思いの吉野はこの婚約をどう思っているのだろうか、とこの二人のように手放しで喜んでいいのか判らないまま、ふとアレンの傍らのデヴィッドを見遣っていた。
その口許は微笑んでいるのに、彼もまたいつになく緊張感を湛えた思案気な瞳をしているように、フレデリックには感じられたのだ。
アレンがついっと顔を窓に向けた。通りに停まった車のヘッドライトに目ざとく気づいたらしい。
「デヴィッド卿だ」
嬉しそうに顔をほころばし、玄関に出迎える。その背中にちらりと目をやりクリスも頬を緩めている。
「アレンはなんだか、すごく充実している感じだね」
「毎日に張りがあるって本人も言ってたよ」
フレデリックも穏やかな口調で同意する。
詳しい経緯は聴いていないものの、アレンはここしばらく、ヘンリーと飛鳥との仲違いの責任が自分にあると感じていて、酷く落ちこんでいたのだ。ところが、それがどうやらアレンのせい、というわけでもなかったと解ると、安堵するどころか余計に難しい顔をして考えこむようになっていた。
数日前に、飛鳥がヘンリーとサラの待つ彼らの地元を訪れると聴き、やっと蟠りも解消されたのか、と浮上し始めたところなのだ。
それまでは、そんな心の中の澱に足をすくわれてなるものかとばかりに、必死な形相で大学の課題やインテリアのデザインに打ちこんでいたのだが。もうすっかり、ふわりと肩の力の抜けた様子だ。
「デヴィッド卿の影響もあるんだろうね」
フレデリックは、かすかに声の漏れ聞こえる閉ざされたドアを眺め、どこかしら淋しそうな笑みを結んでつけ加えた。
彼は、自分では力不足なのだ、と諦めに似た羨望に胸を塞がれていた。それでも、アレンが前向きに何かに取り組んでいる現状は喜ばしい気持ちに嘘はない。だから、そこに居るだけで周囲を陽気な気分にし、盛り立て、なおかつアレンに殻に籠る時間を与えないデヴィッドの隠れた気遣いを、尊敬せずにはいられない。とても敵わない、そう思わずにはいられない。
「フレッド、クリス!」
そんなフレデリックの物思いを打ち破る、アレンの悲鳴にも似た声があがる。何ごとかと、ソファーから跳ねあがった二人の前で、ドアがいささか乱暴なほど勢いよく開く。
飛びこんできたアレンは、興奮した面持ちで上気している。
「アスカさんが!」
事故か、事件か――。
二人は不安に固まり、室内には緊張が走る。
「婚約だって! サラと!」
嬉しくて堪らないふうに上擦った声音で叫ぶと、「やった!」と、アレンは我を忘れて叫んでいた。
その内容にも、伝えたアレンの様子にもあっけにとられた様子で、フレデリックも、クリスも、言葉を忘れて立ちつくしている。
「まぁまぁ、落ち着いて、落ち着いて」
アレンの背後にいたデヴィッドが、ぽんぽんと彼の両肩に手を置いて宥めている。
「兄弟になるんだ! アスカさんと、ヨシノと! 奇跡みたいだ!」
そこまで考えが及んでいなかったクリスは、目をまん丸にしたまま、呆然と「おめでとう」と呟いた。
「なんだか、アスカさんとレディ・サラにおめでとうっていうより、きみへお祝いを告げているみたいだ」
くすくす肩を震わせて笑いだし、クリスは傍らのフレデリックに眼をやる。
「ね?」
「また、急な話なのですね」
フレデリックは、なにか思惑有りなのではないかと疑っているのか、ふぅ、とため息をつきながら苦笑している。
奇しくも米国では、アレンの姉キャルの婚約話がたけなわのはず。そこへもってサラまでなんて――。
「急ってことはないよ。アスカさんはずっとサラを想っていたもの。やっと兄のお許しがもらえたんじゃないかな。アスカさんの帰国の話で、サラもアスカさんがかけがえのない人だって再認識したんだよ、きっと」
いつになく饒舌に語るアレンは、蕩けそうな笑みを浮かべている。
「なんだ、僕よりきみの方が詳しいじゃないか! 僕は全然知らなかったよ!」
今度はデヴィッドが頓狂な声をあげる。だがアレンは、ふふふっと笑うだけで、それ以上は口を噤んだ。本人に確かめたわけではないのだ。憶測でそれらしいことを言ってはいけないことに、遅ればせながら気づいたのだ。
「戻ってこられたら、アスカさんにくわしく教えてもらわなくちゃ」
「まったくだよ~。よくあのヘンリーが頷いたな、って仰天したからねぇ、僕にしたって。サラなんてきみらと同い年だよ、早すぎないかな、って気もするよぉ」
納得しきれていない様子のデヴィッドに、クリスは頷き、フレデリックは思案顔だ。
「でも、サラですよ。逆に兄は安心なんじゃないのかなぁ。兄にしたっていつまでも独り身ではいられないでしょうし――。一番信頼している親友に、彼女のことを託せるなら、ってことなんじゃないでしょうか」
軽く小首を傾げて言うアレンに、デヴィッドも吐息交じりに頷いた。
「まぁ、そういうことなんだろうねぇ」
「それでね、クリスマスに婚約披露のパーティーをするって。ヨシノも戻ってくるんだって!」
「そうだよね! アスカさんのお祝いだもの!」
素直に歓声をあげるクリスを尻目に、フレデリックは、あのなによりも兄思いの吉野はこの婚約をどう思っているのだろうか、とこの二人のように手放しで喜んでいいのか判らないまま、ふとアレンの傍らのデヴィッドを見遣っていた。
その口許は微笑んでいるのに、彼もまたいつになく緊張感を湛えた思案気な瞳をしているように、フレデリックには感じられたのだ。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
英雄になった夫が妻子と帰還するそうです
白野佑奈
恋愛
初夜もなく戦場へ向かった夫。それから5年。
愛する彼の為に必死に留守を守ってきたけれど、戦場で『英雄』になった彼には、すでに妻子がいて、王命により離婚することに。
好きだからこそ王命に従うしかない。大人しく離縁して、実家の領地で暮らすことになったのに。
今、目の前にいる人は誰なのだろう?
ヤンデレ激愛系ヒーローと、周囲に翻弄される流され系ヒロインです。
珍しくもちょっとだけ切ない系を目指してみました(恥)
ざまぁが少々キツイので、※がついています。苦手な方はご注意下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる