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九章
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コンサバトリーのドアを開けるなり、ヘンリーは炸裂する光に目を覆う。目まぐるしく動き回る光の残像が、闇の中に数多の弧を描いている。
何度も目にしてきた映像なのに、眼前のそれは、記憶にあるもの以上に渦巻き広がる焔のような激しさを湛えてみえる。おそらく、その中心に座る飛鳥のせいで――。
いつかの記憶がヘンリーの脳裏をよぎっていた。こうして創生される宇宙の中央に座りこんでいたのは、飛鳥ではなく彼の弟だった。
ゆっくりと振り向いてヘンリーを見上げた飛鳥の面を、旋回する青い星々の輝きが青く染めている。向けられた眼差しに宿る冷ややかさに、なぜが解らず、ヘンリーは訝しげに眉根を寄せる。
「どうしたの?」
見つめられるだけの沈黙に堪えきれず、口を開いたのはヘンリーだ。
「――あの小説、どこまでがフィクションで、どれだけの真実が含まれているの? きみは、知っているんだろう?」
咎めるような声音を臆することなくヘンリーは足を進め、彼と向きあって腰をおろした。
フレデリックの小説にはヘンリーもすでに目を通している。だが、飛鳥がいったいどの箇所に憤慨しているのか解らなかった。頭の中で製本される前に受けとった原稿を繰り、飛鳥の気に障りそうな箇所を探す。しかし、これといって特定することができないまま、ヘンリーは困った顔で小首を傾げていた。
「フィクションだよ。登場人物の個性を彼の友人たちから拝借しているだけのね」
「誤魔化すなよ。以前フレッド自身から聞いた話とも合致しているんだ」
ギリッと歯ぎしりをして、飛鳥はヘンリーを睨めつける。
「あいつは、吉野は、アレンの自由をフェイラーから買い戻すために金融に戻ったんだね? そして、きみが、そのための軍資金をあいつに提供したんだ!」
語尾を叩きつけるように言い放った飛鳥の憤りを、ヘンリーは真っ直ぐに受け止め静かに応じた。
「経緯は若干異なっているけれどね、概要はそうだよ」
「そのせいで、あいつはまた、あの連中に追いかけられる羽目になったんだ! どうして止めてくれなかったんだよ!」
緩やかに星が巡る。紫紺の宇宙に涙を呑みこんだ飛鳥の声が溶ける。
「彼の意志を尊重したんだ」
「嘘だ! きみはただ知りたかったんだ。あいつが何をするのか、どこまでできるのか、僕が、なぜあいつを英国に呼んだのか!」
「どういうこと? 僕はきみの言う意味の方が解らないよ」
吉野のあの特殊な才能に関しての発言なら、なにを今さらと言わざるをえない。いったい飛鳥はあの小説から、新しくなにを知り得て怒っているのか、ヘンリーには皆目見当がつかなかった。
苛立ちを誤魔化そうともせずヘンリーを凝視していた飛鳥は、諦めたように顔を背けふらりと立ちあがった。
「いいよ、もう、終わったことだ」
「アスカ、」
呼びかけに応じようともせず出口に向かうその背中に、ヘンリーも噛みつくように声を荒げた。
「きみはまた僕から逃げるの?」
足を止め、わずかに振り返って飛鳥は苦笑する。
「どこへ? 砂漠へでも行くと思った?」
「そんな勝手は許さない」
「ヘンリー、まるで僕はきみの虜囚のようだね。きみはいったい、僕になにを望んでいるの?」
表情を強張らせた彼の面を一瞥することもなく、飛鳥はドアを開けて静かに音もなくその背後で閉ざした。
「わけが解らない……」
眉をひそめてヘンリーは呟いた。その彼の周りをくるくると星が巡る。軌道に沿って――。
「きみこそ、なにが望みなんだ?」
「まーたアスカちゃんと遣りあったんだ?」
どのくらい、その場を動くこともなく考えこんでいたのか――。
ノックの音と呆れ声に、ヘンリーはふと我に返って面をあげた。ティーセットとサンドイッチをトレイに載せたデヴィッドが、遠慮なく室内に足を踏みいれていた。立体映像が消え、柔らかな灯りに切り替わる。
「戻ってくるのが遅いからさ、マーカスが心配してた。食事、まだなんでしょ?」
「ああ、ありがとう」
そういえば、とようやくヘンリーは床から立ちあがってソファーに移り、その好意を有難く受けとった。サンドイッチを咀嚼し、温かな紅茶で流しこむ。あまりの腹立たしさに、空腹すらも忘れていたのだ。
「あの本のなにが彼の気に障ったのか、きみ、解るかい?」
「ヨシノがきみのお金を動かして、フェイラーの株を買い占めた箇所だろ?」
デヴィッドが事もなげに応えたので、ヘンリーは呆気にとられてその動きを留め、ティーカップを口許に寄せたまま問いを続けた。
「なぜ今さら? アスカだって知っていることだろう? そのことが知られて、彼は以前、ここから家出したんじゃないか」
「ちょっと違うなぁ……。アスカちゃんは、ヨシノはアレンを英国に連れ戻すために、フェイラーと友好的な取引を結んだと思っていたんだよ。ヨシノがそう説明したからね。僕だって小説を読んでびっくりだったよ。あんな脅迫まがいを、本当にやってのけていたなんてね!」
デヴィッドは揶揄うように片目をつぶる。
小説を読んだ限りでは、吉野の金融取引の資金提供者はヘンリーだとは判らない。内情を知っているものにしか解らない。
飛鳥は、知っていたのではなかったのか?
「納得いかないな。確かに手段は正当とは言えなかったさ。相手はあの人だからね」
ヘンリーは吐き捨てるように言い、顔をしかめる。デヴィッドは解っていると頷いてみせる。ソールスベリーとフェイラーの確執は、遠縁でもある彼ら、ラザフォード家にとっても他人事ではなかったのだ。
「だからって、どうしてこうも僕が悪者のように言われなきゃならないんだい?」
拗ねた子どものようにヘンリーは唇を尖らせているのだ。そんな彼を、デヴィッドは、とうとう我慢しきれずに笑いとばした。
「誰が悪いっていうなら、そりゃヨシノだろ? あの嘘つき小僧に、今さらひっかき回されてるんじゃないよ!」
何度も目にしてきた映像なのに、眼前のそれは、記憶にあるもの以上に渦巻き広がる焔のような激しさを湛えてみえる。おそらく、その中心に座る飛鳥のせいで――。
いつかの記憶がヘンリーの脳裏をよぎっていた。こうして創生される宇宙の中央に座りこんでいたのは、飛鳥ではなく彼の弟だった。
ゆっくりと振り向いてヘンリーを見上げた飛鳥の面を、旋回する青い星々の輝きが青く染めている。向けられた眼差しに宿る冷ややかさに、なぜが解らず、ヘンリーは訝しげに眉根を寄せる。
「どうしたの?」
見つめられるだけの沈黙に堪えきれず、口を開いたのはヘンリーだ。
「――あの小説、どこまでがフィクションで、どれだけの真実が含まれているの? きみは、知っているんだろう?」
咎めるような声音を臆することなくヘンリーは足を進め、彼と向きあって腰をおろした。
フレデリックの小説にはヘンリーもすでに目を通している。だが、飛鳥がいったいどの箇所に憤慨しているのか解らなかった。頭の中で製本される前に受けとった原稿を繰り、飛鳥の気に障りそうな箇所を探す。しかし、これといって特定することができないまま、ヘンリーは困った顔で小首を傾げていた。
「フィクションだよ。登場人物の個性を彼の友人たちから拝借しているだけのね」
「誤魔化すなよ。以前フレッド自身から聞いた話とも合致しているんだ」
ギリッと歯ぎしりをして、飛鳥はヘンリーを睨めつける。
「あいつは、吉野は、アレンの自由をフェイラーから買い戻すために金融に戻ったんだね? そして、きみが、そのための軍資金をあいつに提供したんだ!」
語尾を叩きつけるように言い放った飛鳥の憤りを、ヘンリーは真っ直ぐに受け止め静かに応じた。
「経緯は若干異なっているけれどね、概要はそうだよ」
「そのせいで、あいつはまた、あの連中に追いかけられる羽目になったんだ! どうして止めてくれなかったんだよ!」
緩やかに星が巡る。紫紺の宇宙に涙を呑みこんだ飛鳥の声が溶ける。
「彼の意志を尊重したんだ」
「嘘だ! きみはただ知りたかったんだ。あいつが何をするのか、どこまでできるのか、僕が、なぜあいつを英国に呼んだのか!」
「どういうこと? 僕はきみの言う意味の方が解らないよ」
吉野のあの特殊な才能に関しての発言なら、なにを今さらと言わざるをえない。いったい飛鳥はあの小説から、新しくなにを知り得て怒っているのか、ヘンリーには皆目見当がつかなかった。
苛立ちを誤魔化そうともせずヘンリーを凝視していた飛鳥は、諦めたように顔を背けふらりと立ちあがった。
「いいよ、もう、終わったことだ」
「アスカ、」
呼びかけに応じようともせず出口に向かうその背中に、ヘンリーも噛みつくように声を荒げた。
「きみはまた僕から逃げるの?」
足を止め、わずかに振り返って飛鳥は苦笑する。
「どこへ? 砂漠へでも行くと思った?」
「そんな勝手は許さない」
「ヘンリー、まるで僕はきみの虜囚のようだね。きみはいったい、僕になにを望んでいるの?」
表情を強張らせた彼の面を一瞥することもなく、飛鳥はドアを開けて静かに音もなくその背後で閉ざした。
「わけが解らない……」
眉をひそめてヘンリーは呟いた。その彼の周りをくるくると星が巡る。軌道に沿って――。
「きみこそ、なにが望みなんだ?」
「まーたアスカちゃんと遣りあったんだ?」
どのくらい、その場を動くこともなく考えこんでいたのか――。
ノックの音と呆れ声に、ヘンリーはふと我に返って面をあげた。ティーセットとサンドイッチをトレイに載せたデヴィッドが、遠慮なく室内に足を踏みいれていた。立体映像が消え、柔らかな灯りに切り替わる。
「戻ってくるのが遅いからさ、マーカスが心配してた。食事、まだなんでしょ?」
「ああ、ありがとう」
そういえば、とようやくヘンリーは床から立ちあがってソファーに移り、その好意を有難く受けとった。サンドイッチを咀嚼し、温かな紅茶で流しこむ。あまりの腹立たしさに、空腹すらも忘れていたのだ。
「あの本のなにが彼の気に障ったのか、きみ、解るかい?」
「ヨシノがきみのお金を動かして、フェイラーの株を買い占めた箇所だろ?」
デヴィッドが事もなげに応えたので、ヘンリーは呆気にとられてその動きを留め、ティーカップを口許に寄せたまま問いを続けた。
「なぜ今さら? アスカだって知っていることだろう? そのことが知られて、彼は以前、ここから家出したんじゃないか」
「ちょっと違うなぁ……。アスカちゃんは、ヨシノはアレンを英国に連れ戻すために、フェイラーと友好的な取引を結んだと思っていたんだよ。ヨシノがそう説明したからね。僕だって小説を読んでびっくりだったよ。あんな脅迫まがいを、本当にやってのけていたなんてね!」
デヴィッドは揶揄うように片目をつぶる。
小説を読んだ限りでは、吉野の金融取引の資金提供者はヘンリーだとは判らない。内情を知っているものにしか解らない。
飛鳥は、知っていたのではなかったのか?
「納得いかないな。確かに手段は正当とは言えなかったさ。相手はあの人だからね」
ヘンリーは吐き捨てるように言い、顔をしかめる。デヴィッドは解っていると頷いてみせる。ソールスベリーとフェイラーの確執は、遠縁でもある彼ら、ラザフォード家にとっても他人事ではなかったのだ。
「だからって、どうしてこうも僕が悪者のように言われなきゃならないんだい?」
拗ねた子どものようにヘンリーは唇を尖らせているのだ。そんな彼を、デヴィッドは、とうとう我慢しきれずに笑いとばした。
「誰が悪いっていうなら、そりゃヨシノだろ? あの嘘つき小僧に、今さらひっかき回されてるんじゃないよ!」
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