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八章
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闇がりの中で、宙に浮かぶ古びた木製のドアが輪郭を滲ませて白く発光する。
1、2、3……、全部で12のドアが、トランプの束を滑らせるようにぱらぱらと広がっていき、二人を円形に囲んだ。
「ヘンリー、どのドアを開く?」
すべて色の違うドアをくるりと見渡すと、デヴィッドは至極真面目な眼差しをヘンリーに向けている。
「どれを開けたって同じだろ」
「って、なんだよ? ランダムに投影されるシーンの順番やストーリーが変わるんだよ!」
「出口は同じじゃないか」
どうでも良さそうに眉根を寄せたヘンリーに、デヴィッドは大袈裟にため息を漏らす。
「つまらない奴だね、きみは! CEOがそんなこと言ってちゃ駄目だろ! ほら行くよ、選んで!」
こんな投げやりな態度には、さすがのデヴィッドも顔をしかめて諫めている。ヘンリーは仕方なく小さく吐息を噛み殺し、ざっと見回した内で、最初に目にした白いドアを手で押した。基本コースだ。
彼にしても、中東からの帰国直後から慌ただしさをぬって、何度も繰り返しこのドアを潜っている。すべてのストーリーを体験したわけではないけれど、デヴィッドに言われるまでもなく、概要は概ね把握しているのだ。
軋んだ音を立ててドアが開く。閃光に目を眇めて足を進める。
「英国編、秘密の花園だね」
天井から垂れさがる蔦、固く冷たいはずのタイル敷のフロアには土と芝生の柔らかな感触すら錯覚しそうな下生えの緑。辺りを見渡す彼らの視線に反応して、壁に沿って絡みあう蔓薔薇が淡い光を放ちながら、次々と花開くのも同じ。
「センサーには反応しないって、言っていたんじゃないの?」
「ゲーム機能は動作しないよ。これはただの背景さ」
「どこが変わったの?」
ぐるりと壁から天井へと視線を移していたヘンリーに、デヴィッドは笑いながら、そしてどこか自慢げに地面を指差した。
――僕は誰?
「ここって、白の女王の花園だっけ?」
入口からここまでの自分の足取りに沿って、草の上に白い小花が文字を形作っていた。
読みあげた一瞬後には消えてしまった文字に微苦笑し、ヘンリーは小首を傾げてデヴィッドを見やった。
「それが、きみのここでの課題だよ。僕のはこれ」
言いながらデヴィッドは、大股でゆっくりと蔓に囲まれた花園を歩き回った。足を踏みだした跡に咲く花は、オレンジ色の文字を描いている。
――何をしたいの?
地面を見つめるヘンリーを振り返り、デヴィッドは首をすくめる。
「僕だって、分からないよ」
「ここを出るまでに見つけろってことかい?」
大袈裟に両手を広げて首を横に振るデヴィッドに、ヘンリーは苦笑を漏らした。
「クノッソス以上の迷宮に入りこんだみたいだね。さすが英国ブースだ。これって訓戒と謎解きが大好きな英国人向けだろ、っていうアスカの皮肉なのかな?」
「出口に着くまでに彼の意図を見出すのが、もうひとつの僕らの課題なんじゃない?」
緩やかに発光して、点滅する緑に囲まれた花園が、言葉一つ投げかけられただけで、閉鎖された鳥籠のように見えてくる。咲き乱れた花々が、一陣の風に煽られ花弁を散らす。やがて、ひらひらと舞う花弁は徐々に色を失くし、光の蝶となって川が流れるように群れなして一方向へ飛び去っていく。
「時間だ。移動しろってサインだよ」
デヴィッドに続き、白く輝く光をくぐり抜けた。紫紺の薄闇に足を踏みだす度に、きゅっ、きゅっ、と踏みしめる音と光る足跡が残った。
「これは雪なの?」
ひらりひらりと飛んでいるのは、先ほどの蝶だとばかり思っていたのに――。いつの間にか天井から下がるのは蔦ではなく、氷柱になっている。そして、はてのない空間に舞うのは雪。そこかしこにすっと高く枝を伸ばす樹々の梢には、様々な幾何学模様の透き通った樹氷が咲いている。
「ここは来てないの? スノーマンの世界だよ」
デヴィッドが足下の雪を掬いとり、放り投げる。粉のように舞い散った結晶の集まりは、くるくると螺旋を描きながら空に昇り星になる。
頭上に輝く雪の結晶。足下に広がる星の海。
床を覆う仄かな白に紺が映り、輝く星々が流れていく。ぶつかり合い、チリン、チリン、とガラスの鈴のような音を立てながら。
その響きに、ヘンリーはふっと眩暈を覚えていた。
一瞬目を瞑り、開けた時には、天に上った雪の結晶は流星となって頭上に降りそそいでいた。彗星のように尾を引く煙が文字を描く。
――僕は誰?
錯覚だったのかもしれない。
紫紺の空には銀の月。ここは何もない無音の雪原だ。蒼銀に輝く地面には、自分たちの影だけが長く伸びている。
「こんな淋しい世界で、お客さまは喜んでくれているの?」
思わず呟いたヘンリーに、大きく顔を反らせ頭上に面を向けていたデヴィッドが、大きく息をついて目前の映像を振り払うように頭を振った。
「ここはスノーマンと闘う部屋なんだよ。入場前に冒険を選択するとそういう要素が加味されるんだ。小さい子たちには、優しいスノーマンがダンスに誘ってくれるんだけどね。――お望みなら、スノーマンを呼びだそうか?」
ヘンリーは苦笑して頭を横に振る。
「僕はダンスは苦手なんだ。遠慮しておくよ」
その言葉に応えるように突風が通り抜けた。ザァーと足下の雪を舞いあがらせる。思わずヘンリーが顔を背けていると、粉雪は小さな雪玉に膨らみ、チチチ、と鳴き声を立てながら黒い翼をまとって、愛らしい小鳥に変じて旋回し始めた。
「シマエナガっていうんだって。可愛いだろ?」
白く柔らかな羽毛に包まれた小鳥はやがて列を作り、次のドアへと吸い込まれていく。
「さぁ、」
デヴィッドに促され、ヘンリーは「ああ」と返事をして足を向けながらもその場を動かず、後ろを振り返っている。
濃紺の闇に覆われた白銀の世界が、まるで飛鳥のように思えてならなかったのだ。寂寞の中に、一人佇む彼がいるような気がした。
僕は何者かと、きみが問うのなら……。
その答えを持って、もう一度きみと向きあおう。
吹きすさぶ風に、透き通る繊細な結晶を舞いあがらせる静寂の世界に、「必ず」と約束を残して、ヘンリーは光のドアをまた一つくぐりぬけていく。
1、2、3……、全部で12のドアが、トランプの束を滑らせるようにぱらぱらと広がっていき、二人を円形に囲んだ。
「ヘンリー、どのドアを開く?」
すべて色の違うドアをくるりと見渡すと、デヴィッドは至極真面目な眼差しをヘンリーに向けている。
「どれを開けたって同じだろ」
「って、なんだよ? ランダムに投影されるシーンの順番やストーリーが変わるんだよ!」
「出口は同じじゃないか」
どうでも良さそうに眉根を寄せたヘンリーに、デヴィッドは大袈裟にため息を漏らす。
「つまらない奴だね、きみは! CEOがそんなこと言ってちゃ駄目だろ! ほら行くよ、選んで!」
こんな投げやりな態度には、さすがのデヴィッドも顔をしかめて諫めている。ヘンリーは仕方なく小さく吐息を噛み殺し、ざっと見回した内で、最初に目にした白いドアを手で押した。基本コースだ。
彼にしても、中東からの帰国直後から慌ただしさをぬって、何度も繰り返しこのドアを潜っている。すべてのストーリーを体験したわけではないけれど、デヴィッドに言われるまでもなく、概要は概ね把握しているのだ。
軋んだ音を立ててドアが開く。閃光に目を眇めて足を進める。
「英国編、秘密の花園だね」
天井から垂れさがる蔦、固く冷たいはずのタイル敷のフロアには土と芝生の柔らかな感触すら錯覚しそうな下生えの緑。辺りを見渡す彼らの視線に反応して、壁に沿って絡みあう蔓薔薇が淡い光を放ちながら、次々と花開くのも同じ。
「センサーには反応しないって、言っていたんじゃないの?」
「ゲーム機能は動作しないよ。これはただの背景さ」
「どこが変わったの?」
ぐるりと壁から天井へと視線を移していたヘンリーに、デヴィッドは笑いながら、そしてどこか自慢げに地面を指差した。
――僕は誰?
「ここって、白の女王の花園だっけ?」
入口からここまでの自分の足取りに沿って、草の上に白い小花が文字を形作っていた。
読みあげた一瞬後には消えてしまった文字に微苦笑し、ヘンリーは小首を傾げてデヴィッドを見やった。
「それが、きみのここでの課題だよ。僕のはこれ」
言いながらデヴィッドは、大股でゆっくりと蔓に囲まれた花園を歩き回った。足を踏みだした跡に咲く花は、オレンジ色の文字を描いている。
――何をしたいの?
地面を見つめるヘンリーを振り返り、デヴィッドは首をすくめる。
「僕だって、分からないよ」
「ここを出るまでに見つけろってことかい?」
大袈裟に両手を広げて首を横に振るデヴィッドに、ヘンリーは苦笑を漏らした。
「クノッソス以上の迷宮に入りこんだみたいだね。さすが英国ブースだ。これって訓戒と謎解きが大好きな英国人向けだろ、っていうアスカの皮肉なのかな?」
「出口に着くまでに彼の意図を見出すのが、もうひとつの僕らの課題なんじゃない?」
緩やかに発光して、点滅する緑に囲まれた花園が、言葉一つ投げかけられただけで、閉鎖された鳥籠のように見えてくる。咲き乱れた花々が、一陣の風に煽られ花弁を散らす。やがて、ひらひらと舞う花弁は徐々に色を失くし、光の蝶となって川が流れるように群れなして一方向へ飛び去っていく。
「時間だ。移動しろってサインだよ」
デヴィッドに続き、白く輝く光をくぐり抜けた。紫紺の薄闇に足を踏みだす度に、きゅっ、きゅっ、と踏みしめる音と光る足跡が残った。
「これは雪なの?」
ひらりひらりと飛んでいるのは、先ほどの蝶だとばかり思っていたのに――。いつの間にか天井から下がるのは蔦ではなく、氷柱になっている。そして、はてのない空間に舞うのは雪。そこかしこにすっと高く枝を伸ばす樹々の梢には、様々な幾何学模様の透き通った樹氷が咲いている。
「ここは来てないの? スノーマンの世界だよ」
デヴィッドが足下の雪を掬いとり、放り投げる。粉のように舞い散った結晶の集まりは、くるくると螺旋を描きながら空に昇り星になる。
頭上に輝く雪の結晶。足下に広がる星の海。
床を覆う仄かな白に紺が映り、輝く星々が流れていく。ぶつかり合い、チリン、チリン、とガラスの鈴のような音を立てながら。
その響きに、ヘンリーはふっと眩暈を覚えていた。
一瞬目を瞑り、開けた時には、天に上った雪の結晶は流星となって頭上に降りそそいでいた。彗星のように尾を引く煙が文字を描く。
――僕は誰?
錯覚だったのかもしれない。
紫紺の空には銀の月。ここは何もない無音の雪原だ。蒼銀に輝く地面には、自分たちの影だけが長く伸びている。
「こんな淋しい世界で、お客さまは喜んでくれているの?」
思わず呟いたヘンリーに、大きく顔を反らせ頭上に面を向けていたデヴィッドが、大きく息をついて目前の映像を振り払うように頭を振った。
「ここはスノーマンと闘う部屋なんだよ。入場前に冒険を選択するとそういう要素が加味されるんだ。小さい子たちには、優しいスノーマンがダンスに誘ってくれるんだけどね。――お望みなら、スノーマンを呼びだそうか?」
ヘンリーは苦笑して頭を横に振る。
「僕はダンスは苦手なんだ。遠慮しておくよ」
その言葉に応えるように突風が通り抜けた。ザァーと足下の雪を舞いあがらせる。思わずヘンリーが顔を背けていると、粉雪は小さな雪玉に膨らみ、チチチ、と鳴き声を立てながら黒い翼をまとって、愛らしい小鳥に変じて旋回し始めた。
「シマエナガっていうんだって。可愛いだろ?」
白く柔らかな羽毛に包まれた小鳥はやがて列を作り、次のドアへと吸い込まれていく。
「さぁ、」
デヴィッドに促され、ヘンリーは「ああ」と返事をして足を向けながらもその場を動かず、後ろを振り返っている。
濃紺の闇に覆われた白銀の世界が、まるで飛鳥のように思えてならなかったのだ。寂寞の中に、一人佇む彼がいるような気がした。
僕は何者かと、きみが問うのなら……。
その答えを持って、もう一度きみと向きあおう。
吹きすさぶ風に、透き通る繊細な結晶を舞いあがらせる静寂の世界に、「必ず」と約束を残して、ヘンリーは光のドアをまた一つくぐりぬけていく。
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