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八章
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「何が政治に介入しないだ、いけしゃあしゃあと――。あの子、ますます強かになってきたね」
自室に戻ったヘンリーは、ジャケットを脱ぎネクタイを解きながら、傍らのウィリアムにため息混じりに愚痴を漏らしていた。ウィリアムは、そんなヘンリーに微笑でもって応えている。
「ああ、イスハーク、ラシード一族の思惑を聴きそびれた」
ソファーに寛ぎながら自分を見上げた主人に、ウィリアムは頷いて淡々と応じる。
「サウード殿下と国王が帰国した暁には、ラシード家の選んだ者を空いた大臣職に就任させる予定です」
「王族ではない?」
「実際の政務を執り行っていた者をです」
「傀儡政治を辞めるのか――」
「傀儡であるはずの王族が、贅沢に慣れきって散財、放蕩三昧。そのうえ諸外国の差しだす利権に飛びついての贈賄、汚職。それが国家財政を圧迫するほどになっているのですよ」
「その筆頭がアブド大臣じゃなかったかな? 彼は決してストイックな人物ではなかったと記憶しているが」
皮肉げにヘンリーは唇を歪めている。ウィリアムも苦笑を湛えて頷く。
「利権の奪いあいも、もちろんあったでしょう」
「西側諸国に意のままに操られる王族を粛清させ、断行したアブドを追いやり、結局はヨシノが思惑通りに事を運んでいるとしか思えない。ヨシノが懐柔した真の相手は、サウード殿下でもアブド大臣でもなく、陰で実権を握るラシード家ということか――」
困ったものだと、なんともいえない笑みを見せる主人に、ウィリアムは同意しながらも言葉を継ぐ。
「あなたのため、引いてはアーカシャーHDのためです」
「どこでどう繋がるんだ? さっぱり判らないよ」
怪訝そうに面をあげて自分を見据えるヘンリーに、ウィリアムは表情を引き締めて告げた。
「ルベリーニです。彼の手腕をご覧になって下さい」
「首を突っこむなと言ったのに!」
「金の匂いを嗅ぎ分けて機を逃さず。それが、彼ら一族の信条ですからね」
「あの二人――! エリオットにしろウイスタンにしろ、パブリックスクールの教育信条に、拝金主義は含まれてはいなかったはずだけどね」
「階級意識は徹底して叩きこまれましたが」
涼しい顔で言い返してきたウィリアムに、ヘンリーは呆れたように眉をあげた。
「おいおい、お前まであの子に毒されたんじゃないだろうね!」
「誰かが手を汚さなければ円滑には動かない。それが政治というものです」
静かに告げた従者に、ヘンリーはふわりと頬笑みけた。
「それは僕に対する皮肉?」
「いいえ、決してそのような意味ではありません」
「いいよ、もう。お前の言いたい事が理解できないわけではない」
つ、と頭を振った主人に一礼し、ウィリアムはその場を辞した。
ヘンリーは深くソファーにもたれて、ぼんやりと視線を漂わせていた。だがやがて、ガラス戸に映るこの部屋の虚像の後ろ側、無限に広がる漆黒の闇を求めておもむろに立ちあがった。
ガラス戸を開け放ったとたんに、熱風ではなく真冬のような冷気に包まれ震えあがった。だが部屋の続きに張りだしたデッキにあるジャクシーバスからは、こぽこぽと湧きあがる湯音と湯煙が立ち昇っている。
衣服を脱ぎ捨てて湯に浸かったヘンリーは、頭上に広がる満天の星空を眺めながら、今さらながら今日一日で蓄積された気怠い疲れを身体に感じて、一人ごちる。
「解らないわけじゃないんだ――」
アル=マルズーク家にラシード家があるように、自分の背後にはルベリーニがいる。
望めば、望み通りのものが差しだされる。それがどのような手段で得られたものなのか、知らないまま。知る必要もない、おそらくそう思っていたのだろう。アル=マルズーク家の王族は――。
つまるところは、そういうことだ。湯水のように使ってきた金は、魔法のランプを擦って出したものではないし、王族に与えられた特権は、本来その頂点に立つ王を補強するための土台にすぎず、決してその血の純潔性を讃えて与えられたものではない。思いあがれば、そして邪魔であると承知されれば、とたんに切り捨てられる。王族といってもその程度の存在にすぎないのだ。この過酷な環境で、常に戦乱の中で大国に翻弄されるがままに自由を奪われ、意思を縛られてきた彼らの定めた掟は、かくも冷酷で容赦がない。
それを容認できる吉野と自分との差は、そのまま生きる世界の差だ。
残酷なまでの冷徹さで未来を見据える吉野には、現実を見ているように見えて、自分の基盤となる大地に根ざした根っこはないのだ。ただ、見据え、推し量るのみだ。享受する利益を――。
そして、自分も。常に量られているのだ。あの鳶色の瞳に――。
ヘンリーの頭上では、悠久の年月、この不毛の大地を見下ろし続けてきた星々が瞬き、囁き、嘲笑っているかのようだった。
いつまでも、愚かで、卑小な、自分たちを……。
自室に戻ったヘンリーは、ジャケットを脱ぎネクタイを解きながら、傍らのウィリアムにため息混じりに愚痴を漏らしていた。ウィリアムは、そんなヘンリーに微笑でもって応えている。
「ああ、イスハーク、ラシード一族の思惑を聴きそびれた」
ソファーに寛ぎながら自分を見上げた主人に、ウィリアムは頷いて淡々と応じる。
「サウード殿下と国王が帰国した暁には、ラシード家の選んだ者を空いた大臣職に就任させる予定です」
「王族ではない?」
「実際の政務を執り行っていた者をです」
「傀儡政治を辞めるのか――」
「傀儡であるはずの王族が、贅沢に慣れきって散財、放蕩三昧。そのうえ諸外国の差しだす利権に飛びついての贈賄、汚職。それが国家財政を圧迫するほどになっているのですよ」
「その筆頭がアブド大臣じゃなかったかな? 彼は決してストイックな人物ではなかったと記憶しているが」
皮肉げにヘンリーは唇を歪めている。ウィリアムも苦笑を湛えて頷く。
「利権の奪いあいも、もちろんあったでしょう」
「西側諸国に意のままに操られる王族を粛清させ、断行したアブドを追いやり、結局はヨシノが思惑通りに事を運んでいるとしか思えない。ヨシノが懐柔した真の相手は、サウード殿下でもアブド大臣でもなく、陰で実権を握るラシード家ということか――」
困ったものだと、なんともいえない笑みを見せる主人に、ウィリアムは同意しながらも言葉を継ぐ。
「あなたのため、引いてはアーカシャーHDのためです」
「どこでどう繋がるんだ? さっぱり判らないよ」
怪訝そうに面をあげて自分を見据えるヘンリーに、ウィリアムは表情を引き締めて告げた。
「ルベリーニです。彼の手腕をご覧になって下さい」
「首を突っこむなと言ったのに!」
「金の匂いを嗅ぎ分けて機を逃さず。それが、彼ら一族の信条ですからね」
「あの二人――! エリオットにしろウイスタンにしろ、パブリックスクールの教育信条に、拝金主義は含まれてはいなかったはずだけどね」
「階級意識は徹底して叩きこまれましたが」
涼しい顔で言い返してきたウィリアムに、ヘンリーは呆れたように眉をあげた。
「おいおい、お前まであの子に毒されたんじゃないだろうね!」
「誰かが手を汚さなければ円滑には動かない。それが政治というものです」
静かに告げた従者に、ヘンリーはふわりと頬笑みけた。
「それは僕に対する皮肉?」
「いいえ、決してそのような意味ではありません」
「いいよ、もう。お前の言いたい事が理解できないわけではない」
つ、と頭を振った主人に一礼し、ウィリアムはその場を辞した。
ヘンリーは深くソファーにもたれて、ぼんやりと視線を漂わせていた。だがやがて、ガラス戸に映るこの部屋の虚像の後ろ側、無限に広がる漆黒の闇を求めておもむろに立ちあがった。
ガラス戸を開け放ったとたんに、熱風ではなく真冬のような冷気に包まれ震えあがった。だが部屋の続きに張りだしたデッキにあるジャクシーバスからは、こぽこぽと湧きあがる湯音と湯煙が立ち昇っている。
衣服を脱ぎ捨てて湯に浸かったヘンリーは、頭上に広がる満天の星空を眺めながら、今さらながら今日一日で蓄積された気怠い疲れを身体に感じて、一人ごちる。
「解らないわけじゃないんだ――」
アル=マルズーク家にラシード家があるように、自分の背後にはルベリーニがいる。
望めば、望み通りのものが差しだされる。それがどのような手段で得られたものなのか、知らないまま。知る必要もない、おそらくそう思っていたのだろう。アル=マルズーク家の王族は――。
つまるところは、そういうことだ。湯水のように使ってきた金は、魔法のランプを擦って出したものではないし、王族に与えられた特権は、本来その頂点に立つ王を補強するための土台にすぎず、決してその血の純潔性を讃えて与えられたものではない。思いあがれば、そして邪魔であると承知されれば、とたんに切り捨てられる。王族といってもその程度の存在にすぎないのだ。この過酷な環境で、常に戦乱の中で大国に翻弄されるがままに自由を奪われ、意思を縛られてきた彼らの定めた掟は、かくも冷酷で容赦がない。
それを容認できる吉野と自分との差は、そのまま生きる世界の差だ。
残酷なまでの冷徹さで未来を見据える吉野には、現実を見ているように見えて、自分の基盤となる大地に根ざした根っこはないのだ。ただ、見据え、推し量るのみだ。享受する利益を――。
そして、自分も。常に量られているのだ。あの鳶色の瞳に――。
ヘンリーの頭上では、悠久の年月、この不毛の大地を見下ろし続けてきた星々が瞬き、囁き、嘲笑っているかのようだった。
いつまでも、愚かで、卑小な、自分たちを……。
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