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八章
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『僕の親愛なる従兄であり副皇太子、そして国防・財務大臣を務めるアブド・H・アル=マルズークに告ぐ。僕はあなたの思惑に反して、この通り生きている』
「サウード!」
ケンブリッジのヘンリーの館でいつものようにインターネットを検索していたフレデリックが、突然、頓狂な声をあげた。彼は急いでクリスにも見えるようにと、手にしていたTSタブレットを大画面の空中表示に切り替える。
『親愛なるアブド、僕の最も信頼する友ヨシノ・トヅキ、そして愛する僕の民よ。僕の声は、今、あなた方に届いているだろうか?』
「サウード、元気そうだね」
クリスから笑みが零れる。
「アスカさん! アスカさんを呼んでこなくちゃ!」
慌てて立ちあがったフレデリックをお茶を運んできたマーカスが慇懃に制して、にこやかに頷く。
そのわずかな間にも白い壁面をバックにしたサウードは淡々と話し続けている。
フレデリックは彼の意図を察して、またすぐにストンとソファーに腰を落とすと、クリスと並んで食いいるように画面を眺める。
『親愛なるアブドよ、あなたが今行っている破壊と殺戮を止めて下さるなら、僕は王位も、この命も、あなたに差し上げても惜しくはない、とずっとそう思ってきました。だが恐らく、僕の命ひとつではこの現状は変わらないのでしょう。僕はようやくそのことを理解し、こうして再びあなたの前に立つことを決意したのです』
ぱたぱたという足音とともに、飛鳥が二階から駆けおりてきた。呼びに行くまでもなく、彼もまたインターネットを通じて流されているライブ映像に気づき、皆に知らせにきたのだった。
「クリス、フレッド、」
息を弾ませながら二人を気遣う飛鳥にぐっと頷き返すと、クリスもフレデリックも、画面上の、記憶にあるよりもずっと面やつれしている、だが変わらず誇り高く気品ある友人の毅然とした姿に視線を据えた。
『ヨシノ、エリオット校に入学して間もない頃、きみは僕にこう訊ねた事を覚えているだろうか? 皇太子の称号がなくても人々を導き統べることができると思うか、と。僕はその時、皇太子であることと僕自身は切り離すことはできない、とそう答えた。あれから僕は、この問いをずっと考え続けてきた』
静かに力強くサウードは語り続けていた。エリオットの名がだされたとき、クリスはちらりと傍らの友人の横顔に目をやった。きみは二人のそんな会話を知っていたか、と。だが、訊ねかけて口を閉じ直し、画面に集中する。
『僕自身と皇太子である、という事実を切り離して考える事は、今でもできない。僕を僕たらしめるのは皇太子であるという事実だけだ。もし仮に王位を継がないのであれば、僕は僕自身に何の価値も見いだせない。ならば、僕は皇太子としてその地位に相応しくあらねばならない。王を王たらしめるのは国の民であるのだから、その民のために国を繁栄させ、豊かに安心して暮らせるように導かねばならない』
サウードは一旦言葉を切って、心を落ち着けるように大きく息を吸い込んだ。
『だがら僕は、僕の知り得る最高の知性を、きみを、ヨシノ・トヅキを得たいと思った。僕の民のために。これから大きく変わりゆく時代の荒波を乗り切り、僕たちの国が生き残るために。僕たちの国を導いてくれる大切な彼の命を、アブド、あなたに委ねるわけにはいかない』
「吉野――」
今まで深く訊ねることもなかった弟とサウードの関係に、飛鳥は驚きながら画面を凝視している。
『親愛なる僕の従兄、アブドよ、もう一度繰り返そう。王は民に喜捨する存在であって、民から搾取、また民の命を我が物顔で切り捨てていく存在であってはならない。僕とあなたとの対立が、あなたを今の愚行へと駆りたてたのであれば、僕はこの過ちが二度と繰り返されることがないように、王の権威を代弁する皇太子として正しい道を示さねばならない。もう二度と、玉座という蜃気楼に過ぎない権威の象徴に惑わされる愚かな王族を生みださないためにも。そしてそのために、僕の民の血が一滴たりとも流されることのないように』
語り続けるサウードの漆黒の瞳には、並々ならぬ決意が現れていた。フレデリックもクリスも、緊張に拳を固く握りしめながら画面に見入っていた。
『現国王ムハンマド・A・アル=マルズークの名のもとに、今後、王族の政治介入を制限し議会制民主主義を推進、我がマシュリク国は、これまでの王族に依る血族政治を廃し、国民投票に依って選ばれた議員に依って国を運営する民主国家に生まれ変わることを、マシュリク国皇太子サウード・M・アル=マルズークは、ここに約束する』
暫くの間、停止した動画に呆然と視線を釘づけられたまま、誰も、何も言わなかった。
「嘘だろ……。サウードは、王制を、皇太子自ら廃止するって言うの?」
その沈黙を破り呟いたクリスに、フレデリックはあくまで冷静さを保ったまま淡々と首を振った。
「そうは言ってないよ。王制を制限――、時間をかけて議会制に移行させていくんじゃないかな。急にはさすがに無理だと思う。今まで彼の国は血族で上位役職の全てを占めた絶対王制だったんだもの。絶対君主制から制限君主制へ。王族は国の象徴として残り、政治介入しない。そう持っていきたいんじゃないのかな」
「サウード殿下、とんでもない宣言しちゃったね」
ぽつりと呟いた飛鳥に、フレデリックは神妙な顔で頷いた。
「これが、サウードとヨシノの目指すかの国の在り方なのかな?」
クリスは深く吐息を漏らしながら、傍らの友人と飛鳥を代わる代わる見比べている。
「吉野の?」
訝し気に首をかしげた飛鳥に、フレデリックは逸る心を押し殺すようなくぐもった声音で返答した。
「おそらく混乱に乗じて現政府の在り方を変えたかったのは、アブド大臣だけじゃなかった、てことだと思います。ヨシノもサウードも、千載一遇のチャンスを虎視眈々と狙ってたんじゃないかな、って」
吉野なら、おそらくは――。
厳しい表情で黙りこんだ飛鳥の傍らで、フレデリックは、SNSに投稿されたサウードの動画の反響を確かめるべく、画面を切り替えた。
「サウード!」
ケンブリッジのヘンリーの館でいつものようにインターネットを検索していたフレデリックが、突然、頓狂な声をあげた。彼は急いでクリスにも見えるようにと、手にしていたTSタブレットを大画面の空中表示に切り替える。
『親愛なるアブド、僕の最も信頼する友ヨシノ・トヅキ、そして愛する僕の民よ。僕の声は、今、あなた方に届いているだろうか?』
「サウード、元気そうだね」
クリスから笑みが零れる。
「アスカさん! アスカさんを呼んでこなくちゃ!」
慌てて立ちあがったフレデリックをお茶を運んできたマーカスが慇懃に制して、にこやかに頷く。
そのわずかな間にも白い壁面をバックにしたサウードは淡々と話し続けている。
フレデリックは彼の意図を察して、またすぐにストンとソファーに腰を落とすと、クリスと並んで食いいるように画面を眺める。
『親愛なるアブドよ、あなたが今行っている破壊と殺戮を止めて下さるなら、僕は王位も、この命も、あなたに差し上げても惜しくはない、とずっとそう思ってきました。だが恐らく、僕の命ひとつではこの現状は変わらないのでしょう。僕はようやくそのことを理解し、こうして再びあなたの前に立つことを決意したのです』
ぱたぱたという足音とともに、飛鳥が二階から駆けおりてきた。呼びに行くまでもなく、彼もまたインターネットを通じて流されているライブ映像に気づき、皆に知らせにきたのだった。
「クリス、フレッド、」
息を弾ませながら二人を気遣う飛鳥にぐっと頷き返すと、クリスもフレデリックも、画面上の、記憶にあるよりもずっと面やつれしている、だが変わらず誇り高く気品ある友人の毅然とした姿に視線を据えた。
『ヨシノ、エリオット校に入学して間もない頃、きみは僕にこう訊ねた事を覚えているだろうか? 皇太子の称号がなくても人々を導き統べることができると思うか、と。僕はその時、皇太子であることと僕自身は切り離すことはできない、とそう答えた。あれから僕は、この問いをずっと考え続けてきた』
静かに力強くサウードは語り続けていた。エリオットの名がだされたとき、クリスはちらりと傍らの友人の横顔に目をやった。きみは二人のそんな会話を知っていたか、と。だが、訊ねかけて口を閉じ直し、画面に集中する。
『僕自身と皇太子である、という事実を切り離して考える事は、今でもできない。僕を僕たらしめるのは皇太子であるという事実だけだ。もし仮に王位を継がないのであれば、僕は僕自身に何の価値も見いだせない。ならば、僕は皇太子としてその地位に相応しくあらねばならない。王を王たらしめるのは国の民であるのだから、その民のために国を繁栄させ、豊かに安心して暮らせるように導かねばならない』
サウードは一旦言葉を切って、心を落ち着けるように大きく息を吸い込んだ。
『だがら僕は、僕の知り得る最高の知性を、きみを、ヨシノ・トヅキを得たいと思った。僕の民のために。これから大きく変わりゆく時代の荒波を乗り切り、僕たちの国が生き残るために。僕たちの国を導いてくれる大切な彼の命を、アブド、あなたに委ねるわけにはいかない』
「吉野――」
今まで深く訊ねることもなかった弟とサウードの関係に、飛鳥は驚きながら画面を凝視している。
『親愛なる僕の従兄、アブドよ、もう一度繰り返そう。王は民に喜捨する存在であって、民から搾取、また民の命を我が物顔で切り捨てていく存在であってはならない。僕とあなたとの対立が、あなたを今の愚行へと駆りたてたのであれば、僕はこの過ちが二度と繰り返されることがないように、王の権威を代弁する皇太子として正しい道を示さねばならない。もう二度と、玉座という蜃気楼に過ぎない権威の象徴に惑わされる愚かな王族を生みださないためにも。そしてそのために、僕の民の血が一滴たりとも流されることのないように』
語り続けるサウードの漆黒の瞳には、並々ならぬ決意が現れていた。フレデリックもクリスも、緊張に拳を固く握りしめながら画面に見入っていた。
『現国王ムハンマド・A・アル=マルズークの名のもとに、今後、王族の政治介入を制限し議会制民主主義を推進、我がマシュリク国は、これまでの王族に依る血族政治を廃し、国民投票に依って選ばれた議員に依って国を運営する民主国家に生まれ変わることを、マシュリク国皇太子サウード・M・アル=マルズークは、ここに約束する』
暫くの間、停止した動画に呆然と視線を釘づけられたまま、誰も、何も言わなかった。
「嘘だろ……。サウードは、王制を、皇太子自ら廃止するって言うの?」
その沈黙を破り呟いたクリスに、フレデリックはあくまで冷静さを保ったまま淡々と首を振った。
「そうは言ってないよ。王制を制限――、時間をかけて議会制に移行させていくんじゃないかな。急にはさすがに無理だと思う。今まで彼の国は血族で上位役職の全てを占めた絶対王制だったんだもの。絶対君主制から制限君主制へ。王族は国の象徴として残り、政治介入しない。そう持っていきたいんじゃないのかな」
「サウード殿下、とんでもない宣言しちゃったね」
ぽつりと呟いた飛鳥に、フレデリックは神妙な顔で頷いた。
「これが、サウードとヨシノの目指すかの国の在り方なのかな?」
クリスは深く吐息を漏らしながら、傍らの友人と飛鳥を代わる代わる見比べている。
「吉野の?」
訝し気に首をかしげた飛鳥に、フレデリックは逸る心を押し殺すようなくぐもった声音で返答した。
「おそらく混乱に乗じて現政府の在り方を変えたかったのは、アブド大臣だけじゃなかった、てことだと思います。ヨシノもサウードも、千載一遇のチャンスを虎視眈々と狙ってたんじゃないかな、って」
吉野なら、おそらくは――。
厳しい表情で黙りこんだ飛鳥の傍らで、フレデリックは、SNSに投稿されたサウードの動画の反響を確かめるべく、画面を切り替えた。
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