胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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八章

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 日干し煉瓦の積まれた直線的な家々が続いている。その狭間に迷路のようにはり巡らされた坂道は、最終的にはこの丘陵の街の頂上にある離宮へと繋がる。モザイク状にはめ込まれた敷板で舗装された狭い道をのぼり切ると白く輝く城壁につき当たるのだ。
 それまでの土の香りのする砥の粉色とは異なった白い石造りの壁面の内には、小振りな大理石の宮殿が、朝夕に黄金に輝く街並みを見下ろすように建てられている。

 緻密な透かし彫りのはいる窓、細やかで豊かな色彩が散りばめられたモザイクの床、贅を尽くしたこの離宮は、現在は使用されず観光施設となっている。だが、裾野に広がる隊商交易の中継地として栄えた旧市街地ほどに古い遺跡というわけではない。この国が石油で栄えるようになってからの、若い時代の建造物だ。

 宮殿から全景を見渡せる広いテラスはヘリポートも兼ねている。隣国との国境に近く紛争地域が広がり危険区域に指定されるまでは、この国を治めるアル=マルズーク家発祥地として、ここを訪れる王族や、観光客が多くいたためだった。

 アブド・H・アル=マルズークもまた、ヘリコプターでこの地に降りたった。宮殿を囲む城壁はすでに蟻の子一匹逃さぬ万全の警備で取り囲んでいる。杜月吉野の捕獲を兵士任せにはせず、アブド自らこの地に降りたのは、吉野が抑えている学問・経済・インフラと多岐に渡るエキスパートたちを怯えさせることなく、継続して従わせるためだった。現国王からアブドに政権が移ったあとの、これまでと変わらぬ経済成長を維持するためには軍部など役にたたない。現実的な壁がいくつもあることを、アブドは充分に理解している。だから吉野とは、あくまでも友好的な関係維持を努めなければならないのだ。

 アブドは灼熱の陽射しの降りそそぐテラスから、影が涼を呼ぶ屋内に入った。薄暗い室内の床に透かし彫りから射しこむ光が美しい幾何学模様を描いている。その光を踏みしだき、アブドは先を急ぐ。



 首都の王宮に比べれば小振りとはいえ、いくつもある部屋を通りぬけて謁見の間へと進んでいく。

 紫檀の扉を自ら大きく開き、玉座を睨めつける。

 したり――。

 アブドの頬は自然に緩んでいた。

「顔色が良くないな。温和な国育ちのお前には、ここまで来るだけで過酷な小旅行だったか?」
「そうでもないよ。俺、駱駝の扱いは上手いんだ」

 透かし彫りの窓から入るわずかな自然光に照らされた吉野の表情は、アブドの位置からは見え辛かった。アブドは扉を閉め、大股に吉野に向かい歩みよる。


 正面から見据えた吉野は、初めて出逢った頃のような、どこか悲しげに見える歪んだ微笑を湛えていた。もうずっと以前に頬の傷は完治しているというのに。その不穏さと不可解さに、アブドはゆっくりと眉根を寄せる。

「何を企んでいる?」
「ご苦労さま」

 王しか座ることの許されない玉座に、吉野は脚を組んで腰かけている。肘かけに肘を立て頬杖をつき、弛緩しきっただらしない姿態でくすくす笑っている。

「あんたの役目はひとまず完了だ」
「お前一人で何ができるというのだ?」

 声を荒げたアブドに、吉野はやっとその視線をあげた。その怒りに燃える瞳を見つめ返す。

「なぜ俺がここにいるのか、考えた?」
「私を王と認め、跪くためだ」

 臆面もなく答えるアブドに、吉野は楽しそうに声をたてて笑った。

「やっぱりあんたは、そうこなくっちゃね。――覚えておけ、アブド。俺は傲慢な能無しが死ぬほど嫌いなんだ」

 吉野の挑発的な言葉にぴくりと眉尻を逆立てながらも、アブドは唇を引き結び、いつか問うたのと同じ問いを投げかける。

「ヨシノ、私とともに来るか?」
「答えは変わらない。ノー一択だ」
「なぜだ? サウードは、」
「ぴんぴんしてるよ。今頃、国営放送から全国民に向けて、政権立て直しの演説をぶってる頃だよ」

 しめやかに時の止まったかのような大理石の部屋に、吉野の押し殺した笑い声が響く。立ち尽くすアブドの眉間には深い皺が刻まれ、その唇が歪んで開かれる。

「英国が、私を謀ったと?」
「向こうにもいろいろ事情があるんだよ。まぁ、あんたが提案した武器購入取引の件は白紙に戻させてもらうよ」

 アブドは唇を引き結んだまま、真っ直ぐに銃口を吉野に向けた。

「脅しても無駄だ」
「お前も映像だからか?」

 轟音と同時に、玉座に施された縁飾りが砕けて飛んだ。
 顔を背けた吉野の頬には、細かな傷が走り血が滲んでいた。

「これ以上俺の顔に傷つけんなよ。泣く奴がいるんだからさ」

 唇を尖らせて被った木屑を頭から叩き払いながらぼやく吉野を、アブドは意外そうに見つめてくっと口角をあげる。

「まさか私を拒むために実物がくるとはな」
「あんたにはまだ用があるんだよ」

 立ちあがり、吉野は着ているサウブをはたはたと叩いた。アブドはただ皮肉気に嗤ってそんな彼を見つめている。

「それは奇遇だな、私もだ」
「先に言えよ。何?」
「一緒に来てもらおうか」
「お断りだ」
「私がお前をこのまま帰すとでも思っているのか?」



 アブドが顎で示した扉から、兵士たちがばらばらと駆けこんでくる。そして、カチャカチャと重たげに、この静謐な部屋には不釣りあいな音を立てて、銃をかまえた。




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