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八章
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そこは、起伏のある丘陵の連なりの一つを削りとって刻み、築かれたような街だった。急な斜面に沿って小さな箱のような家々が凸凹を見せる様は、おもちゃのレゴブロックのようであり、海辺で子どもたちが作る砂の城のようでもある。
現実味のない、今は観光地として保存されるばかりで実際には住人などほぼ住んでいない古の街並みに夕陽が射しこんでいた。日干し煉瓦の砂色の壁が黄金で包まれている。
夢のような黄金の街。その背後から爆音があがり黒煙が広がる。
「また誤爆、て――」
飛鳥が、壁に映しだされているテレビ画面を睨めつけながら悔しそうに呟いている。
「何が誤爆だよ! 狙って破壊しているくせに!」
飛鳥の向かいで、クリスも悔しそうに歯噛みしながら拳を握りしめている。
ケンブリッジの館では、送りだしたヘンリーたち、そして吉野やサウードの無事を祈りながら、飛鳥やクリス、フレデリックが、今もニュースを眺めて、こうしてただ手をこまねいて待つことしかできない現状に憤然としていた。
反乱軍の王宮占拠はすぐに鎮圧されたものの、混乱に乗じて活発化したテロ活動の拠点として、このサハイヤ地区は現状封鎖、立ち入り禁止区域に指定され、住民には避難勧告がだされているのだ。
観光保護区とされている旧市街地の裏側には、政府主導の太陽光発電施設や、温室、工場、そしてそこで働く人々の住宅や市場が新市街地として建設されている。だがその場所は避難勧告にも拘わらず、いまだ住民の避難は遅々として進んでいない。戒厳令の下で多くの人々が息を殺して日々を過ごしているのだ。
このまだ建設させて数年の新興都市のどこにテロリストの拠点があるというのか――。
時おり聞こえる爆音、黒煙。戦闘が行われていると、遠く離れた砂漠から中継している政府筋のニュースより他に、飛鳥たちには情報を得る術はない。
「この施設は国営なんですよね?」
テレビ画面を眺めながらフレデリックが首を捻る。
「どうだろう? 前に吉野が、アブド大臣の米国の国際会議出席は、海外投資家の参画を募るためだって、言っていたような覚えがあるんだけど」
「うちの銀行も出資しているよ。前にお祖父さまがおっしゃっていた」
飛鳥に続いて、クリスが大きな目を瞬かせて口を挟む。
「保険はどうなっているんだろう?」
フレデリックはクリスに向き直り、疑問をぶつけるようにその瑠璃色の瞳を覗きこむ。
「保険?」
「政府は自分たちの施設を攻撃してるわけだよね? 対テロ攻撃とはいえ、テロ保険はおりるのかな?」
フレデリックのこの場には相応しからぬ俗な質問に、クリスは露骨に顔をしかめた。
「フレッド、こんな時に心配することが違うだろ?」
「そうか――。テロ保険に、CDSか! 吉野とアブド大臣の闘いはそんな形で始まっていたの!」
クリスの反応とは裏腹に、飛鳥は的を得たり、とばかりに大きく頷いている。
「この大規模な国を挙げての大事業を、一国の大臣が自らこんな形で潰すはずがないと思うんです。報道で伝えられている事が真実なら、発電施設や世界技術の最先端をいく冷却システムを持つ温室、栽培工場の半数近くが爆撃で破壊されていることになる。大部分は国営であるにしろ、民間企業も出資しているのなら、その会社は膨大な負債を負うことになるでしょう?」
淡々としたフレデリックの口調に頷いて、飛鳥は深いため息を漏らす。
「保険が適用されるか、されないかで存続が危ぶまれるほどの、っていうことだね」
飛鳥の面は毅然と引きしまり、その視線は考えこむように下に落とされていた。
ヘンリーが中東へ自ら赴いたのも、吉野の護衛にウィリアムを派遣しているのも、たんに自分のように吉野一人の身を案じての問題ではなかったのだ。
吉野とサウード皇太子の計画には、自分たちアーカシャーHDも少なからず関わっているのだ。あの広大な砂漠に造られた温室に使用されているのは『杜月』のガラスだし、蓄電に不可欠なリチウムの供給はルベリーニ一族の経営する会社が請け負っている――。
「どういうこと?」
クリス一人が取り残されたように、きょとんと首を傾げる。
「つまりね、アブド大臣は、テロ組織を壊滅させる名目で、こうしてこのサハイヤ地区に爆弾を降らせて破壊している。それも、発電所や温室を狙っての事じゃない。隣接する別の建物を、テロリストの潜伏先と特定してだよね。発電所は政府も運営に関わっているから、自分の財産を自分で爆破したら保険金狙いの詐欺的行為になって保険金はおりないだろ? だから国にとってもアブド大臣にとっても、施設の破壊は大きな痛手で、利益になることはない」
解るかな? とそこで言葉を切ったフレデリックに、クリスは表情を引き締めて頷いてみせる。
「でもね、出資比率とか詳しいことは解らないけれど、この施設には世界中の大企業も投資して、運営に関わっているんだ。当然、その各企業にしても、この施設損壊で膨大な損失が発生している。この状況では、投資したのはいいけれど、見返りもないまま手を引かなきゃいけないことになりかねないからね」
フレデリックの説明に、クリスは、あっと小さく声をあげた。
「つまり、参画企業の株式やCDSの価格を、アブド大臣はこの爆撃で操っているんじゃないかってことだよ。いろんなパターンが考えられると思うんだ。テロ保険がおりる、おりない。いくつかの企業が潰れる、もちこたえる。だけど、どう動くにしろ、アブド大臣にはこの破壊に見合うだけの金銭的メリットがあるんじゃないかな。たぶん、米国に居る大臣のお兄さんが入れ知恵しているんじゃないのかな。株式や債券にかけてのエキスパートとして有名な人だからね」
アブド大臣の米国在住の兄は世界的に有名な投資家なのだった。こんな人の命を巻きこんだ争いの中でさえ、混乱を金に替え換算しようとする発想に、クリスは驚き憤懣やるかたない想いが湧きあがるのを感じていた。だがそれ以上に、会社が潰れれば保証金がおりる、通称倒産保険と呼ばれるCDSなどという金融商品が、テロや内乱というキナ臭い現実の陰でこうも生臭く意識されている、と指摘するフレデリックの厳しい視線に何よりも驚かされていた。
まじまじと見つめる視線の先、柔らかな黒髪に澄んだ空の瞳をした友人は、見知った穏やかな優等生ではなく、冷徹な目で現状を分析しようとする作家の顔をしていたのだ。
「株式にCDS――、」
そうか、サラが部屋に籠りきりでコンピューターから離れないのは、この方面を追いかけているから――、と飛鳥は今さらながら、自分の狭量な視野を嘆いてやるせなさから唇を噛んでいた。
マシュリク国に直接投資はしていないにしろ、影響を受ける会社の株式をアーカシャーHDの投資部門が保有しているのかもしれないのだ。
「吉野が――、このまま黙って見ているわけがない」
テレビからインターネットに画面を切り替え、現状、稼働停止されたまま放置されている、この国きっての発電システムに参画する外国企業の株式やCDSを調べ始めたフレデリックとクリスを心強く見つめながら、飛鳥は、自分に言い聞かせるように一人呟いていた。
現実味のない、今は観光地として保存されるばかりで実際には住人などほぼ住んでいない古の街並みに夕陽が射しこんでいた。日干し煉瓦の砂色の壁が黄金で包まれている。
夢のような黄金の街。その背後から爆音があがり黒煙が広がる。
「また誤爆、て――」
飛鳥が、壁に映しだされているテレビ画面を睨めつけながら悔しそうに呟いている。
「何が誤爆だよ! 狙って破壊しているくせに!」
飛鳥の向かいで、クリスも悔しそうに歯噛みしながら拳を握りしめている。
ケンブリッジの館では、送りだしたヘンリーたち、そして吉野やサウードの無事を祈りながら、飛鳥やクリス、フレデリックが、今もニュースを眺めて、こうしてただ手をこまねいて待つことしかできない現状に憤然としていた。
反乱軍の王宮占拠はすぐに鎮圧されたものの、混乱に乗じて活発化したテロ活動の拠点として、このサハイヤ地区は現状封鎖、立ち入り禁止区域に指定され、住民には避難勧告がだされているのだ。
観光保護区とされている旧市街地の裏側には、政府主導の太陽光発電施設や、温室、工場、そしてそこで働く人々の住宅や市場が新市街地として建設されている。だがその場所は避難勧告にも拘わらず、いまだ住民の避難は遅々として進んでいない。戒厳令の下で多くの人々が息を殺して日々を過ごしているのだ。
このまだ建設させて数年の新興都市のどこにテロリストの拠点があるというのか――。
時おり聞こえる爆音、黒煙。戦闘が行われていると、遠く離れた砂漠から中継している政府筋のニュースより他に、飛鳥たちには情報を得る術はない。
「この施設は国営なんですよね?」
テレビ画面を眺めながらフレデリックが首を捻る。
「どうだろう? 前に吉野が、アブド大臣の米国の国際会議出席は、海外投資家の参画を募るためだって、言っていたような覚えがあるんだけど」
「うちの銀行も出資しているよ。前にお祖父さまがおっしゃっていた」
飛鳥に続いて、クリスが大きな目を瞬かせて口を挟む。
「保険はどうなっているんだろう?」
フレデリックはクリスに向き直り、疑問をぶつけるようにその瑠璃色の瞳を覗きこむ。
「保険?」
「政府は自分たちの施設を攻撃してるわけだよね? 対テロ攻撃とはいえ、テロ保険はおりるのかな?」
フレデリックのこの場には相応しからぬ俗な質問に、クリスは露骨に顔をしかめた。
「フレッド、こんな時に心配することが違うだろ?」
「そうか――。テロ保険に、CDSか! 吉野とアブド大臣の闘いはそんな形で始まっていたの!」
クリスの反応とは裏腹に、飛鳥は的を得たり、とばかりに大きく頷いている。
「この大規模な国を挙げての大事業を、一国の大臣が自らこんな形で潰すはずがないと思うんです。報道で伝えられている事が真実なら、発電施設や世界技術の最先端をいく冷却システムを持つ温室、栽培工場の半数近くが爆撃で破壊されていることになる。大部分は国営であるにしろ、民間企業も出資しているのなら、その会社は膨大な負債を負うことになるでしょう?」
淡々としたフレデリックの口調に頷いて、飛鳥は深いため息を漏らす。
「保険が適用されるか、されないかで存続が危ぶまれるほどの、っていうことだね」
飛鳥の面は毅然と引きしまり、その視線は考えこむように下に落とされていた。
ヘンリーが中東へ自ら赴いたのも、吉野の護衛にウィリアムを派遣しているのも、たんに自分のように吉野一人の身を案じての問題ではなかったのだ。
吉野とサウード皇太子の計画には、自分たちアーカシャーHDも少なからず関わっているのだ。あの広大な砂漠に造られた温室に使用されているのは『杜月』のガラスだし、蓄電に不可欠なリチウムの供給はルベリーニ一族の経営する会社が請け負っている――。
「どういうこと?」
クリス一人が取り残されたように、きょとんと首を傾げる。
「つまりね、アブド大臣は、テロ組織を壊滅させる名目で、こうしてこのサハイヤ地区に爆弾を降らせて破壊している。それも、発電所や温室を狙っての事じゃない。隣接する別の建物を、テロリストの潜伏先と特定してだよね。発電所は政府も運営に関わっているから、自分の財産を自分で爆破したら保険金狙いの詐欺的行為になって保険金はおりないだろ? だから国にとってもアブド大臣にとっても、施設の破壊は大きな痛手で、利益になることはない」
解るかな? とそこで言葉を切ったフレデリックに、クリスは表情を引き締めて頷いてみせる。
「でもね、出資比率とか詳しいことは解らないけれど、この施設には世界中の大企業も投資して、運営に関わっているんだ。当然、その各企業にしても、この施設損壊で膨大な損失が発生している。この状況では、投資したのはいいけれど、見返りもないまま手を引かなきゃいけないことになりかねないからね」
フレデリックの説明に、クリスは、あっと小さく声をあげた。
「つまり、参画企業の株式やCDSの価格を、アブド大臣はこの爆撃で操っているんじゃないかってことだよ。いろんなパターンが考えられると思うんだ。テロ保険がおりる、おりない。いくつかの企業が潰れる、もちこたえる。だけど、どう動くにしろ、アブド大臣にはこの破壊に見合うだけの金銭的メリットがあるんじゃないかな。たぶん、米国に居る大臣のお兄さんが入れ知恵しているんじゃないのかな。株式や債券にかけてのエキスパートとして有名な人だからね」
アブド大臣の米国在住の兄は世界的に有名な投資家なのだった。こんな人の命を巻きこんだ争いの中でさえ、混乱を金に替え換算しようとする発想に、クリスは驚き憤懣やるかたない想いが湧きあがるのを感じていた。だがそれ以上に、会社が潰れれば保証金がおりる、通称倒産保険と呼ばれるCDSなどという金融商品が、テロや内乱というキナ臭い現実の陰でこうも生臭く意識されている、と指摘するフレデリックの厳しい視線に何よりも驚かされていた。
まじまじと見つめる視線の先、柔らかな黒髪に澄んだ空の瞳をした友人は、見知った穏やかな優等生ではなく、冷徹な目で現状を分析しようとする作家の顔をしていたのだ。
「株式にCDS――、」
そうか、サラが部屋に籠りきりでコンピューターから離れないのは、この方面を追いかけているから――、と飛鳥は今さらながら、自分の狭量な視野を嘆いてやるせなさから唇を噛んでいた。
マシュリク国に直接投資はしていないにしろ、影響を受ける会社の株式をアーカシャーHDの投資部門が保有しているのかもしれないのだ。
「吉野が――、このまま黙って見ているわけがない」
テレビからインターネットに画面を切り替え、現状、稼働停止されたまま放置されている、この国きっての発電システムに参画する外国企業の株式やCDSを調べ始めたフレデリックとクリスを心強く見つめながら、飛鳥は、自分に言い聞かせるように一人呟いていた。
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