胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
525 / 751
八章

しおりを挟む
 そこは、起伏のある丘陵の連なりの一つを削りとって刻み、築かれたような街だった。急な斜面に沿って小さな箱のような家々が凸凹おうとつを見せる様は、おもちゃのレゴブロックのようであり、海辺で子どもたちが作る砂の城のようでもある。
 現実味のない、今は観光地として保存されるばかりで実際には住人などほぼ住んでいないいにしえの街並みに夕陽が射しこんでいた。日干し煉瓦の砂色の壁が黄金で包まれている。

 夢のような黄金の街。その背後から爆音があがり黒煙が広がる。


「また誤爆、て――」

 飛鳥が、壁に映しだされているテレビ画面を睨めつけながら悔しそうに呟いている。

「何が誤爆だよ! 狙って破壊しているくせに!」

 飛鳥の向かいで、クリスも悔しそうに歯噛みしながら拳を握りしめている。


 ケンブリッジの館では、送りだしたヘンリーたち、そして吉野やサウードの無事を祈りながら、飛鳥やクリス、フレデリックが、今もニュースを眺めて、こうしてただ手をこまねいて待つことしかできない現状に憤然としていた。


 反乱軍の王宮占拠はすぐに鎮圧されたものの、混乱に乗じて活発化したテロ活動の拠点として、このサハイヤ地区は現状封鎖、立ち入り禁止区域に指定され、住民には避難勧告がだされているのだ。
 観光保護区とされている旧市街地の裏側には、政府主導の太陽光発電施設や、温室、工場、そしてそこで働く人々の住宅や市場が新市街地として建設されている。だがその場所は避難勧告にも拘わらず、いまだ住民の避難は遅々として進んでいない。戒厳令の下で多くの人々が息を殺して日々を過ごしているのだ。

 このまだ建設させて数年の新興都市のどこにテロリストの拠点があるというのか――。

 時おり聞こえる爆音、黒煙。戦闘が行われていると、遠く離れた砂漠から中継している政府筋のニュースより他に、飛鳥たちには情報を得る術はない。


「この施設は国営なんですよね?」
 テレビ画面を眺めながらフレデリックが首を捻る。
「どうだろう? 前に吉野が、アブド大臣の米国の国際会議出席は、海外投資家の参画を募るためだって、言っていたような覚えがあるんだけど」
「うちの銀行も出資しているよ。前にお祖父さまがおっしゃっていた」
 飛鳥に続いて、クリスが大きな目を瞬かせて口を挟む。
「保険はどうなっているんだろう?」
 フレデリックはクリスに向き直り、疑問をぶつけるようにその瑠璃色の瞳を覗きこむ。
「保険?」
「政府は自分たちの施設を攻撃してるわけだよね? 対テロ攻撃とはいえ、テロ保険はおりるのかな?」

 フレデリックのこの場には相応しからぬ俗な質問に、クリスは露骨に顔をしかめた。

「フレッド、こんな時に心配することが違うだろ?」
「そうか――。テロ保険に、CDSか! 吉野とアブド大臣の闘いはそんな形で始まっていたの!」

 クリスの反応とは裏腹に、飛鳥は的を得たり、とばかりに大きく頷いている。

「この大規模な国を挙げての大事業を、一国の大臣が自らこんな形で潰すはずがないと思うんです。報道で伝えられている事が真実なら、発電施設や世界技術の最先端をいく冷却システムを持つ温室、栽培工場の半数近くが爆撃で破壊されていることになる。大部分は国営であるにしろ、民間企業も出資しているのなら、その会社は膨大な負債を負うことになるでしょう?」

 淡々としたフレデリックの口調に頷いて、飛鳥は深いため息を漏らす。

「保険が適用されるか、されないかで存続が危ぶまれるほどの、っていうことだね」

 飛鳥の面は毅然と引きしまり、その視線は考えこむように下に落とされていた。

 ヘンリーが中東へ自ら赴いたのも、吉野の護衛にウィリアムを派遣しているのも、たんに自分のように吉野一人の身を案じての問題ではなかったのだ。
 吉野とサウード皇太子の計画には、自分たちアーカシャーHDも少なからず関わっているのだ。あの広大な砂漠に造られた温室に使用されているのは『杜月』のガラスだし、蓄電に不可欠なリチウムの供給はルベリーニ一族の経営する会社が請け負っている――。


「どういうこと?」

 クリス一人が取り残されたように、きょとんと首を傾げる。

「つまりね、アブド大臣は、テロ組織を壊滅させる名目で、こうしてこのサハイヤ地区に爆弾を降らせて破壊している。それも、発電所や温室を狙っての事じゃない。隣接する別の建物を、テロリストの潜伏先と特定してだよね。発電所は政府も運営に関わっているから、自分の財産を自分で爆破したら保険金狙いの詐欺的行為になって保険金はおりないだろ? だから国にとってもアブド大臣にとっても、施設の破壊は大きな痛手で、利益になることはない」

 解るかな? とそこで言葉を切ったフレデリックに、クリスは表情を引き締めて頷いてみせる。

「でもね、出資比率とか詳しいことは解らないけれど、この施設には世界中の大企業も投資して、運営に関わっているんだ。当然、その各企業にしても、この施設損壊で膨大な損失が発生している。この状況では、投資したのはいいけれど、見返りもないまま手を引かなきゃいけないことになりかねないからね」

 フレデリックの説明に、クリスは、あっと小さく声をあげた。

「つまり、参画企業の株式やCDSの価格を、アブド大臣はこの爆撃で操っているんじゃないかってことだよ。いろんなパターンが考えられると思うんだ。テロ保険がおりる、おりない。いくつかの企業が潰れる、もちこたえる。だけど、どう動くにしろ、アブド大臣にはこの破壊に見合うだけの金銭的メリットがあるんじゃないかな。たぶん、米国に居る大臣のお兄さんが入れ知恵しているんじゃないのかな。株式や債券にかけてのエキスパートとして有名な人だからね」

 
 アブド大臣の米国在住の兄は世界的に有名な投資家なのだった。こんな人の命を巻きこんだ争いの中でさえ、混乱を金に替え換算しようとする発想に、クリスは驚き憤懣やるかたない想いが湧きあがるのを感じていた。だがそれ以上に、会社が潰れれば保証金がおりる、通称倒産保険と呼ばれるCDSなどという金融商品が、テロや内乱というキナ臭い現実の陰でこうも生臭く意識されている、と指摘するフレデリックの厳しい視線に何よりも驚かされていた。
 まじまじと見つめる視線の先、柔らかな黒髪に澄んだ空の瞳をした友人は、見知った穏やかな優等生ではなく、冷徹な目で現状を分析しようとする作家の顔をしていたのだ。


「株式にCDS――、」

 そうか、サラが部屋に籠りきりでコンピューターから離れないのは、この方面を追いかけているから――、と飛鳥は今さらながら、自分の狭量な視野を嘆いてやるせなさから唇を噛んでいた。

 マシュリク国に直接投資はしていないにしろ、影響を受ける会社の株式をアーカシャーHDの投資部門が保有しているのかもしれないのだ。


「吉野が――、このまま黙って見ているわけがない」

 テレビからインターネットに画面を切り替え、現状、稼働停止されたまま放置されている、この国きっての発電システムに参画する外国企業の株式やCDSを調べ始めたフレデリックとクリスを心強く見つめながら、飛鳥は、自分に言い聞かせるように一人呟いていた。





しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁
BL
大学受験に失敗した比良坂晃(ひらさかあきら)は、心機一転イギリスの大学へと留学する。 古ぼけた学生寮に嫌気のさした晃は、掲示板のメモからシェアハウスのルームメイトに応募するが……。 ひょんなことから始まった、晃・アルビー・マリーの共同生活。 美貌のアルビーに憧れる晃は、生活に無頓着な彼らに振り回されながらも奮闘する。 一つ屋根の下、徐々に明らかになる彼らの事情。 そして晃の真の目的は? 英国の四季を通じて織り成される、日常系心の旅路。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

双葉病院小児病棟

moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。 病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。 この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。 すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。 メンタル面のケアも大事になってくる。 当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。 親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。 【集中して治療をして早く治す】 それがこの病院のモットーです。 ※この物語はフィクションです。 実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

OLサラリーマン

廣瀬純一
ファンタジー
女性社員と体が入れ替わるサラリーマンの話

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

入れ替われるイメクラ

廣瀬純一
SF
男女の体が入れ替わるイメクラの話

処理中です...