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八章
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「大天使自らお出迎えかと思ったぞ」
そこはどこか現実味のない白い空間だった。持ちあげた瞼の下の琥珀色の双眸に懐かしい面が映っている。その面を、エドワードはしばらくの間ぼんやりと眺めていた。記憶の中の幼馴染そのままに、成長してからも変わらず静謐でどこか人を寄せつけない威厳のある眼差しが、すっと細められて自分を見下ろしている。その天上の空の色に、エドワードはにっと引きつった笑みを向けて、囁くような小声で呟いたのだった。
「天国へ行けると思っていたのかい?」
図々しいと言わんばかりのその口調に、エドワードは目を細めて笑った。ゆっくりと眼球を動かして、ヘンリーの背後のドアを、白い天井に取りつけられた細長い蛍光灯を、はめ殺しの窓を眺める。
「ここは英国か?」
窓にかかる変な柄物のカーテンがそれはないと語っているのに、エドワードの口からは、つい、そんな言葉が出ていた。
「残念ながら」とヘンリーはやんわりと首を振る。
「何だったんだ?」
エドワードはアーネストや国王のことを訊ねたつもりだったのだが、ヘンリーは彼の現状を教えてくれた。
「きみのいるこの場所は市内の国立病院だよ。報道では、民間の小型ジェット機がテロリストの地対空ミサイルの直撃を受け墜落。砂漠に不時着したが幸い死者はゼロ。負傷者八名と伝えている。英国空軍のパイロットは優秀だな。片翼が半壊した状態で着陸を果たしたのだからね」
どこかふわふわとした脳内に、ヘンリーの声が言語というよりは音の羅列として流れていた。ぼんやりと定まらない思考を一つ一つ捉まえて、エドワードは呟いた。
「他の奴らは?」
「別室に。きみが一番重症だよ」
重症と言われても、彼にはよく判らなかった。言われてみれば、確かに身体が上手く動かせない。だが取りたてて痛みもなく、重力に引っ張られているように重いだけだ。
「アスカの弟がいた」
エドワードは記憶を探るように目を細めて言った。紗をかけたような砂塵の舞う白い空を背負って、写真のみで知る顔が自分を見下ろしていたような気がする。あれが砂漠の見せる蜃気楼でないのなら。
「あれも映像なのか? 国王やアーニーのように」
視線をヘンリーに据え、エドワードは大きな瞳を剥きだすようにして睨みをきかせた。もっとも、こうも動けないのでは迫力もそうそう出ないだろうが。これが、かつての親友に現状の惨めな姿を見下ろされている彼の、精一杯の意地だった。
「さぁ、どうだろうね。救護班が到着したとき、きみたちを救助していたのは四輪駆動車の耐久性能を測るために砂漠にでていた、自動車会社のメーカーの人間だったよ」
あれが本物の杜月吉野であるかどうかを、この男が正直に喋るわけがなかった。そして、それ以前に――。
「どうしてお前がいるんだ、ハリー?」
何年も逢っていないのに、そこにいるのが当たり前のように自分を見つめている、懐かしい顔。そして忘れようのないほど見慣れたその瞳に、エドワードは、やっと至極当然の問いを投げかけるに至った。
「きみのお見舞いにね」
涼しい顔でさらりと答えた彼の様子は、ここがどこであるかを、エドワードに忘れさせてしまいそうだ。真面目な返答を得ることはできないのだと悟り、エドワードは不毛な質問を続けるのはやめて小さくため息をついた。
「よくできていたな、あの映像。いつアーニーと摺り替わったのか、まるで気がつかなかったぞ」
「それは褒め言葉なの?」
ヘンリーにしては珍しく、声音が誇らしく喜んでいるように快活に響く。この件に関してはシラを切る気もないのかと、エドワードはほっとして喋り続けた。
「アスカに伝えてくれ。すっかり騙されたって」
声をたてて笑いたかったが、上手く腹に力が入らなくて、彼の口からは含み笑うような笑いが零れる。
「きみの同僚の国防情報参謀部も、秘密情報部の連中も、大した怪我は負っていないよ。護送機が落ちるのは予定通りだったからね」
唐突に告げられたヘンリーの言葉に触発されたのか、突如、混乱した機内で交わされていた会話がエドワードの脳裏に鮮明さをもって蘇っていた。
あれは地対空ミサイルなどではなかった。左翼損傷は仕組まれたもので、パイロットは不時着後、国王、皇太子もろとも機体を爆破するつもりだったのだ。あの国王と皇太子、そしてアーネストが映像でさえなければ――。そして、秘密情報部の奴らに気づかれることがなければ。気を失う寸前に飛び交っていた会話は、そんな内容だった。
段々とクリアになってくる記憶に、エドワードはようやく現状を認識してため息を一つついた。
「そうか。お前、知っていたんだな」
ヘンリーはふっと笑みを浮かべる。
「きみが無事でよかったよ」
皮肉げにエドワードは口の端を歪める。
「見ていただけの癖によく言うよ」
「見守っていたと言って欲しいな」
それがお前がここにいる理由か――、とエドワードは苦笑して、「俺たちを売ったのはパイロットだけなのか? それとも国防情報参謀部がかんでいるのか?」と、真剣な瞳で問い質す。
「その辺りの追求はこれからだよ。今のところ、きみも容疑者の一人だよ」
ヘンリーの静かな口調と微動だしないその姿勢に掴みかかろうと、エドワードは動かない身体を力ませた。無駄なことだ、とすでに解ってはいたのだが、そうせずにはいられなかたったのだ。
「きみは忠誠を尽くす相手を間違えたんだよ、エド」
憐れむようなその瞳を、エドワードは渾身の力を込めて睨みつけていた。
そこはどこか現実味のない白い空間だった。持ちあげた瞼の下の琥珀色の双眸に懐かしい面が映っている。その面を、エドワードはしばらくの間ぼんやりと眺めていた。記憶の中の幼馴染そのままに、成長してからも変わらず静謐でどこか人を寄せつけない威厳のある眼差しが、すっと細められて自分を見下ろしている。その天上の空の色に、エドワードはにっと引きつった笑みを向けて、囁くような小声で呟いたのだった。
「天国へ行けると思っていたのかい?」
図々しいと言わんばかりのその口調に、エドワードは目を細めて笑った。ゆっくりと眼球を動かして、ヘンリーの背後のドアを、白い天井に取りつけられた細長い蛍光灯を、はめ殺しの窓を眺める。
「ここは英国か?」
窓にかかる変な柄物のカーテンがそれはないと語っているのに、エドワードの口からは、つい、そんな言葉が出ていた。
「残念ながら」とヘンリーはやんわりと首を振る。
「何だったんだ?」
エドワードはアーネストや国王のことを訊ねたつもりだったのだが、ヘンリーは彼の現状を教えてくれた。
「きみのいるこの場所は市内の国立病院だよ。報道では、民間の小型ジェット機がテロリストの地対空ミサイルの直撃を受け墜落。砂漠に不時着したが幸い死者はゼロ。負傷者八名と伝えている。英国空軍のパイロットは優秀だな。片翼が半壊した状態で着陸を果たしたのだからね」
どこかふわふわとした脳内に、ヘンリーの声が言語というよりは音の羅列として流れていた。ぼんやりと定まらない思考を一つ一つ捉まえて、エドワードは呟いた。
「他の奴らは?」
「別室に。きみが一番重症だよ」
重症と言われても、彼にはよく判らなかった。言われてみれば、確かに身体が上手く動かせない。だが取りたてて痛みもなく、重力に引っ張られているように重いだけだ。
「アスカの弟がいた」
エドワードは記憶を探るように目を細めて言った。紗をかけたような砂塵の舞う白い空を背負って、写真のみで知る顔が自分を見下ろしていたような気がする。あれが砂漠の見せる蜃気楼でないのなら。
「あれも映像なのか? 国王やアーニーのように」
視線をヘンリーに据え、エドワードは大きな瞳を剥きだすようにして睨みをきかせた。もっとも、こうも動けないのでは迫力もそうそう出ないだろうが。これが、かつての親友に現状の惨めな姿を見下ろされている彼の、精一杯の意地だった。
「さぁ、どうだろうね。救護班が到着したとき、きみたちを救助していたのは四輪駆動車の耐久性能を測るために砂漠にでていた、自動車会社のメーカーの人間だったよ」
あれが本物の杜月吉野であるかどうかを、この男が正直に喋るわけがなかった。そして、それ以前に――。
「どうしてお前がいるんだ、ハリー?」
何年も逢っていないのに、そこにいるのが当たり前のように自分を見つめている、懐かしい顔。そして忘れようのないほど見慣れたその瞳に、エドワードは、やっと至極当然の問いを投げかけるに至った。
「きみのお見舞いにね」
涼しい顔でさらりと答えた彼の様子は、ここがどこであるかを、エドワードに忘れさせてしまいそうだ。真面目な返答を得ることはできないのだと悟り、エドワードは不毛な質問を続けるのはやめて小さくため息をついた。
「よくできていたな、あの映像。いつアーニーと摺り替わったのか、まるで気がつかなかったぞ」
「それは褒め言葉なの?」
ヘンリーにしては珍しく、声音が誇らしく喜んでいるように快活に響く。この件に関してはシラを切る気もないのかと、エドワードはほっとして喋り続けた。
「アスカに伝えてくれ。すっかり騙されたって」
声をたてて笑いたかったが、上手く腹に力が入らなくて、彼の口からは含み笑うような笑いが零れる。
「きみの同僚の国防情報参謀部も、秘密情報部の連中も、大した怪我は負っていないよ。護送機が落ちるのは予定通りだったからね」
唐突に告げられたヘンリーの言葉に触発されたのか、突如、混乱した機内で交わされていた会話がエドワードの脳裏に鮮明さをもって蘇っていた。
あれは地対空ミサイルなどではなかった。左翼損傷は仕組まれたもので、パイロットは不時着後、国王、皇太子もろとも機体を爆破するつもりだったのだ。あの国王と皇太子、そしてアーネストが映像でさえなければ――。そして、秘密情報部の奴らに気づかれることがなければ。気を失う寸前に飛び交っていた会話は、そんな内容だった。
段々とクリアになってくる記憶に、エドワードはようやく現状を認識してため息を一つついた。
「そうか。お前、知っていたんだな」
ヘンリーはふっと笑みを浮かべる。
「きみが無事でよかったよ」
皮肉げにエドワードは口の端を歪める。
「見ていただけの癖によく言うよ」
「見守っていたと言って欲しいな」
それがお前がここにいる理由か――、とエドワードは苦笑して、「俺たちを売ったのはパイロットだけなのか? それとも国防情報参謀部がかんでいるのか?」と、真剣な瞳で問い質す。
「その辺りの追求はこれからだよ。今のところ、きみも容疑者の一人だよ」
ヘンリーの静かな口調と微動だしないその姿勢に掴みかかろうと、エドワードは動かない身体を力ませた。無駄なことだ、とすでに解ってはいたのだが、そうせずにはいられなかたったのだ。
「きみは忠誠を尽くす相手を間違えたんだよ、エド」
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