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八章
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「いいかい、ここからはTSネクストも携帯電話も、すべて電源を切って。傍受される恐れがあるからね」
車に乗りこむなり出されたヘンリーの指示に、アレンは緊迫した面持ちで頷いた。すぐにポケットからネクストを取りでし、電源を切る。
それきりヘンリーは何も喋らない。じっと何かに集中しているようだった。そんな兄をちらちらと眺めながら、アレンは身体を固くして息を殺していた。自分の存在が彼の邪魔にならないようにと――。
ヘンリーは、TSネクストで今も状況を追い続けているのだ。アレンの視界には何も映らなくても、彼の面持ちからそれが見て取れた。決して表情にあふれ出ているというのではなかったが。
アレンたちの使っている一般回線とは違う強固なセキュリティに守られた専用回線で、サラや飛鳥と繋がっているのだろう。その回線の違いが、そのまま自分と兄との違い、彼らとの繋がりの強さの違いに思えて、アレンはぎゅっと拳を握りこんでいた。
「どうして、ついて来ようと思ったの?」
やがてふい打ちのように向けられたその問いに、アレンは、緊張に強ばっていた身体から顔を跳ねあげて兄を見つめた。
「ここで待っていられないほど、ヨシノが心配?」
ヘンリーのどこか憐れむような視線に、アレンは唇を引き結んで首を横に振る。
「ヨシノは、あんな人なんかに絶対に負けたりしない」
「じゃあ、なぜ? ついて来ることで、僕の足手まといになるとは考えなかったの?」
「いいえ。あなたなら、僕に一緒に来るように、とおっしゃって下さると思っていました」
「なぜ?」
ヘンリーは静かな口調で小首を傾げた。アレンは眉根を寄せ、深く息を吸んだ後、ひと息に吐き出すように告げた。
「そうすることをヨシノが望んでいると思ったからです」
そして、兄にまっすぐな眼差しを向け言葉を継ぐ。
「だから、本当はアーネスト卿と行動をともにしたかった」
「囮として?」
見つめ返したヘンリーの瞳には、泣き笑いしているような歪んだ笑みを浮かべたアレンが映っている。
「ずっと不思議だったんです。どうしてヨシノは、僕にこんなに優しくしてくれるんだろう、って」
ヘンリーから目を逸らしたアレンは、長い睫毛を伏せて、まるで独り言でも言っているかのように呟いた。
「アブド大臣に紹介されたとき――。ヨシノは、何よりも大切な人を見るような、そんな優しくて誇らしげな目で僕を見てくれていた。そのとき、ヨシノは確かに僕を見ていたのに、彼が心に描いていたのは別の人だって、判ったんです」
ぐっと口角をあげ、アレンは無理に笑顔を作る。とつとつと話すその声は、苦しげでかすかに震えている。
「それからかな、徐々に解ってきたのは。ヨシノが僕に望んでいること」
ヘンリーは何も言わずに弟の横顔をじっと見つめている。
「僕がヨシノのかけがえのない人に見えるように」
ぎゅっとアレンの眉根がしかめられ、息を詰め奥歯が噛みしめられる。
「もう――、」それ以上言わなくていいと、ヘンリーは、アレンの膝上でぐっと握りこまれている拳を包みこむように自分の掌を重ねる。
「彼の、一番大切な人の身代わりになるように。それが、彼が僕に望むこと」
甘い、吐息のようなため息が、アレンの口から漏れていた。涙の滲んだ目を数回瞬かせると、顔を伏せたままヘンリーを見上げて、にっこりと微笑む。
「これが僕の生きる意味です」
「間違っている」
ヘンリーは吐き捨てるように呟いた。
「僕は、それでかまわない。それで彼の傍にいられるのなら」
「お前には自分ってものはないのかい? お前はあの子の傀儡じゃないんだ」
「空っぽの僕の中にはヨシノしかいない。彼が僕のすべてなんです」
「あの子は、お前のものになることはないのに」
呆れたように眉根を寄せ吐息を吐くヘンリーに、アレンはふふっと笑い返していた。
「彼はものじゃない。誰のものにもなりはしません。僕は、彼を僕のものにしたいんじゃない。どんな形でもいい。彼の傍らに居続けたいだけなんです。彼が、望んでくれる限り」
「お前は愚かすぎるよ」
「アスカさんの代わりでいられるなら、本望です」
その瞬間、すっとヘンリーの面から表情が消えた。
「なぜアスカだと?」
「だって、僕はずっと彼を見てきたんですよ。もう何年も。――それにあなたも。だから僕を同行させたのでしょう? 敵の注意がヨシノの家族ではなく僕に向くように。僕が中東にいる方が、彼らにとっても狙い易いですものね」
兄に向けられた脱力してシートにもたれかかったアレンの笑顔は、ふわりとした花のように優しいものだった。
車に乗りこむなり出されたヘンリーの指示に、アレンは緊迫した面持ちで頷いた。すぐにポケットからネクストを取りでし、電源を切る。
それきりヘンリーは何も喋らない。じっと何かに集中しているようだった。そんな兄をちらちらと眺めながら、アレンは身体を固くして息を殺していた。自分の存在が彼の邪魔にならないようにと――。
ヘンリーは、TSネクストで今も状況を追い続けているのだ。アレンの視界には何も映らなくても、彼の面持ちからそれが見て取れた。決して表情にあふれ出ているというのではなかったが。
アレンたちの使っている一般回線とは違う強固なセキュリティに守られた専用回線で、サラや飛鳥と繋がっているのだろう。その回線の違いが、そのまま自分と兄との違い、彼らとの繋がりの強さの違いに思えて、アレンはぎゅっと拳を握りこんでいた。
「どうして、ついて来ようと思ったの?」
やがてふい打ちのように向けられたその問いに、アレンは、緊張に強ばっていた身体から顔を跳ねあげて兄を見つめた。
「ここで待っていられないほど、ヨシノが心配?」
ヘンリーのどこか憐れむような視線に、アレンは唇を引き結んで首を横に振る。
「ヨシノは、あんな人なんかに絶対に負けたりしない」
「じゃあ、なぜ? ついて来ることで、僕の足手まといになるとは考えなかったの?」
「いいえ。あなたなら、僕に一緒に来るように、とおっしゃって下さると思っていました」
「なぜ?」
ヘンリーは静かな口調で小首を傾げた。アレンは眉根を寄せ、深く息を吸んだ後、ひと息に吐き出すように告げた。
「そうすることをヨシノが望んでいると思ったからです」
そして、兄にまっすぐな眼差しを向け言葉を継ぐ。
「だから、本当はアーネスト卿と行動をともにしたかった」
「囮として?」
見つめ返したヘンリーの瞳には、泣き笑いしているような歪んだ笑みを浮かべたアレンが映っている。
「ずっと不思議だったんです。どうしてヨシノは、僕にこんなに優しくしてくれるんだろう、って」
ヘンリーから目を逸らしたアレンは、長い睫毛を伏せて、まるで独り言でも言っているかのように呟いた。
「アブド大臣に紹介されたとき――。ヨシノは、何よりも大切な人を見るような、そんな優しくて誇らしげな目で僕を見てくれていた。そのとき、ヨシノは確かに僕を見ていたのに、彼が心に描いていたのは別の人だって、判ったんです」
ぐっと口角をあげ、アレンは無理に笑顔を作る。とつとつと話すその声は、苦しげでかすかに震えている。
「それからかな、徐々に解ってきたのは。ヨシノが僕に望んでいること」
ヘンリーは何も言わずに弟の横顔をじっと見つめている。
「僕がヨシノのかけがえのない人に見えるように」
ぎゅっとアレンの眉根がしかめられ、息を詰め奥歯が噛みしめられる。
「もう――、」それ以上言わなくていいと、ヘンリーは、アレンの膝上でぐっと握りこまれている拳を包みこむように自分の掌を重ねる。
「彼の、一番大切な人の身代わりになるように。それが、彼が僕に望むこと」
甘い、吐息のようなため息が、アレンの口から漏れていた。涙の滲んだ目を数回瞬かせると、顔を伏せたままヘンリーを見上げて、にっこりと微笑む。
「これが僕の生きる意味です」
「間違っている」
ヘンリーは吐き捨てるように呟いた。
「僕は、それでかまわない。それで彼の傍にいられるのなら」
「お前には自分ってものはないのかい? お前はあの子の傀儡じゃないんだ」
「空っぽの僕の中にはヨシノしかいない。彼が僕のすべてなんです」
「あの子は、お前のものになることはないのに」
呆れたように眉根を寄せ吐息を吐くヘンリーに、アレンはふふっと笑い返していた。
「彼はものじゃない。誰のものにもなりはしません。僕は、彼を僕のものにしたいんじゃない。どんな形でもいい。彼の傍らに居続けたいだけなんです。彼が、望んでくれる限り」
「お前は愚かすぎるよ」
「アスカさんの代わりでいられるなら、本望です」
その瞬間、すっとヘンリーの面から表情が消えた。
「なぜアスカだと?」
「だって、僕はずっと彼を見てきたんですよ。もう何年も。――それにあなたも。だから僕を同行させたのでしょう? 敵の注意がヨシノの家族ではなく僕に向くように。僕が中東にいる方が、彼らにとっても狙い易いですものね」
兄に向けられた脱力してシートにもたれかかったアレンの笑顔は、ふわりとした花のように優しいものだった。
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