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八章
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音もなくドアを開け足を忍ばせて歩みよると、デヴィッドは声をひそめてベッドに腰かけるヘンリーの肩に触れた。閉めきられたカーテンのかかる窓外は、すでに闇に沈んでいる。だが空中に浮くTS画面の不自然に明るい人工的な光が、横たわる飛鳥の蒼褪めた顔を照らしている。
「眠った?」
「やっとね」
「胃潰瘍の患者にアルコールを飲ますなんて、きみもたいがいだね」
「背に腹は変えられない、っていうだろ」
呆れた口調のデヴィッドに、ヘンリーは苦笑でもって応える。
意地でも休もうとしない飛鳥に、ヘンリーは、空腹のままではまた胃が痛みだすからとポリッジを食べさせ、ブランデー入りのお茶を飲ませた。元々体質的にアルコール耐性が低いうえに極度の疲労も重なって、飛鳥は今度こそ意志の力だけでは抵抗できずに眠りに落ちたのだ。
「それにしても、よくそんなオーソドックスな手に引っかかってくれたね、アスカちゃん」
「たぶん味覚や嗅覚がかなり弱っているんじゃないかな。味があまり解らないって言っていたから」
そう、彼はずいぶん前からそう言っていたのだ――。
無念そうにきゅっと口を引き結ぶヘンリーの傍らで、デヴィッドは飛鳥の眠りを妨げないように気をつけながらベッドに上がり、あぐらをかいた。
「音声を切り替えるよ」
プライベート用に作られたTSネクストと違い、内容を共有することの多い飛鳥のTSタブレットは瞳孔認証等の細かなセキュリティ設定を省いてある。デヴィッドは勝手知ったる様子で、飛鳥にのみ聞こえているはずの音声を切り、誰もに聞こえる通常モードに切り替える。と、とたんにマシンガンの音が連射される。デヴィッドはちっと舌打ちして、ボリュームを極小にまで絞り直す。
「アスカちゃん、昨日からずっとこんな音を聴いてたわけ?」
不快感を顕にしたまま呟かれたその問いかけに返事を躊躇しているのか、ヘンリーは顔をしかめている。
「ずっとって訳じゃない。朝方はもっと激しい戦闘だった。それから、しばらくは間があったんだ」
その合間をぬって飛鳥に食事を取らせて眠らせた。そして、TS映像を作ることはできなくても、動かすことには長けているデヴィッドを、急遽呼んだのだった。
「扱えそうかい?」
これは通常の映像とは違うのだ。遠い中東での、何をどう仕込んでいるのかも判らない立体映像だ。ヘンリーは、慎重に画面と飛鳥のノートパソコンを代わる代わる見比べているデヴィッドを緊迫した眼差しで見守っている。
「たぶんね。操作はタブレットじゃなくて、こっちのパソコンのようだね。従来の映像投影装置と仕組みは変わらないみたいだ」
ほっとした吐息を漏らしながら、デヴィッドは宙に浮く画面の一つを凝視する。
「サウード殿下だ。殿下がいる」
白大理石の廊下にサウードの白いサウブが翻り、あっという間に太い柱の影に消えていった。とたんに響き渡る銃声。だがデヴィッドはもう、驚くこともなかった。
「銃撃しているのは反乱軍じゃないね」
建物外部で行われていた反乱軍側の攻撃はすでに制圧され、この離宮なり別荘なりに、国王もサウード殿下もいないことが確認されて正規軍も首都を守るべくすでに撤退しているはずだ。
だが映像にはいないはずの殿下が映り、その殿下を狙う何者かが映っている。
「時間設定か何かで自動的に投影させてるんだね。でもそれじゃあ、アスカちゃんは手動で何をしてたの?」
「兵士だよ、ほら、」
サウード殿下を守るべく現れたのはいいが、その近衛兵たちは、盲滅法に機関銃を乱射しているのだ。
「侵入者の方向特定までは自動でいかないようなんだ」
「ああ、なるほど。納得」
デヴィッドは頷きながらノートパソコンのマウスを握る。
映像の兵士たちが、一斉に一方向に向き直り、逃げる侵入者を追いかけ始めた。
「殿下が映像だと気づかれないようにしながら、あの連中の足をここに釘づけにしてほしい」
そうやって飛鳥は反乱軍の戦力を削いでいたのだ。サウードの映像を泳がせ、彼らの注意を向けさせては、襲いかかる敵に立ち向かう手薄な近衛兵たちを映像の兵士たちで水増しさせて正規軍が到着するまで持ちこたえさせてきた。
「やるねぇ、アスカちゃん。――このためのシューティングゲームだなんてねぇ」
デヴィッドは低く口笛を吹いた。相手は生きた人間だというのに、この画面に映る侵入者を追う兵士たちを動かし追いたてる作業はまるでゲームのようなのだ。
「それにしても、この場所は王宮の直轄区だろ? よく入りこめたね。やっぱりアスカちゃん、ヨシノと協力してたんだ――」
「まさか。彼の消息は以前として掴めないよ。アスカがハッキングして、ヨシノが設置していたTS装置を乗っ取ったんだよ。少しでも彼の負担を減らすためにね」
「アスカちゃんが?」
睨みつけていた画面から目を逸らし、デヴィッドはヘンリーの面をまじまじと見つめる。
「ヨシノのセキュリティを破って、てこと?」
ヘンリーは無言で頷く。デヴィッドは、ゆっくりと首を振りながら、深くため息を漏らしていた。
「能ある鷹は爪を隠すって? そういう真似、できるのに隠してたんだ。それもやっぱり、ヨシノのためなのかなぁ」
「そうだね。数学のヨシノと、『杜月』の開発者としての自分を区別して印象づけるためだろうね。ヨシノにはハワード教授の庇護を。そして自分には、レーザーガラスに纏わる柵の一切がかかってくるように、って――」
ヘンリーはベッドの端で丸くなっている飛鳥の寝息を確かめるように顔をよせ、その髪を梳く。
「アスカはヨシノを守るためなら、悪魔にだって魂を売り渡しかねないな」
「冗談でもそんなこと言わないでよ。――僕も同類に思えてくる」
ぼそりと、デヴィッドは呟いた。
画面上では、つい数分前までマシンガンを撃ち捲っていた侵入者たちが、今は、悲鳴をあげて逃げ惑っているのだ。撃っても撃っても死なない、疲れを見せることもない、どこに隠れても直ぐに気づいて追いかけてくる、ゾンビのような表情のない兵士たちに、恐怖のあまり狂ったように怯えながら――。
「それでも僕は、そんな彼を愛おしく思ってるよ――」
一句一句を噛みしめるように呟いたヘンリーにちらりと目をやると、デヴィッドは唇の端をあげて、同意する、とばかりににんまりと笑い返した。
「眠った?」
「やっとね」
「胃潰瘍の患者にアルコールを飲ますなんて、きみもたいがいだね」
「背に腹は変えられない、っていうだろ」
呆れた口調のデヴィッドに、ヘンリーは苦笑でもって応える。
意地でも休もうとしない飛鳥に、ヘンリーは、空腹のままではまた胃が痛みだすからとポリッジを食べさせ、ブランデー入りのお茶を飲ませた。元々体質的にアルコール耐性が低いうえに極度の疲労も重なって、飛鳥は今度こそ意志の力だけでは抵抗できずに眠りに落ちたのだ。
「それにしても、よくそんなオーソドックスな手に引っかかってくれたね、アスカちゃん」
「たぶん味覚や嗅覚がかなり弱っているんじゃないかな。味があまり解らないって言っていたから」
そう、彼はずいぶん前からそう言っていたのだ――。
無念そうにきゅっと口を引き結ぶヘンリーの傍らで、デヴィッドは飛鳥の眠りを妨げないように気をつけながらベッドに上がり、あぐらをかいた。
「音声を切り替えるよ」
プライベート用に作られたTSネクストと違い、内容を共有することの多い飛鳥のTSタブレットは瞳孔認証等の細かなセキュリティ設定を省いてある。デヴィッドは勝手知ったる様子で、飛鳥にのみ聞こえているはずの音声を切り、誰もに聞こえる通常モードに切り替える。と、とたんにマシンガンの音が連射される。デヴィッドはちっと舌打ちして、ボリュームを極小にまで絞り直す。
「アスカちゃん、昨日からずっとこんな音を聴いてたわけ?」
不快感を顕にしたまま呟かれたその問いかけに返事を躊躇しているのか、ヘンリーは顔をしかめている。
「ずっとって訳じゃない。朝方はもっと激しい戦闘だった。それから、しばらくは間があったんだ」
その合間をぬって飛鳥に食事を取らせて眠らせた。そして、TS映像を作ることはできなくても、動かすことには長けているデヴィッドを、急遽呼んだのだった。
「扱えそうかい?」
これは通常の映像とは違うのだ。遠い中東での、何をどう仕込んでいるのかも判らない立体映像だ。ヘンリーは、慎重に画面と飛鳥のノートパソコンを代わる代わる見比べているデヴィッドを緊迫した眼差しで見守っている。
「たぶんね。操作はタブレットじゃなくて、こっちのパソコンのようだね。従来の映像投影装置と仕組みは変わらないみたいだ」
ほっとした吐息を漏らしながら、デヴィッドは宙に浮く画面の一つを凝視する。
「サウード殿下だ。殿下がいる」
白大理石の廊下にサウードの白いサウブが翻り、あっという間に太い柱の影に消えていった。とたんに響き渡る銃声。だがデヴィッドはもう、驚くこともなかった。
「銃撃しているのは反乱軍じゃないね」
建物外部で行われていた反乱軍側の攻撃はすでに制圧され、この離宮なり別荘なりに、国王もサウード殿下もいないことが確認されて正規軍も首都を守るべくすでに撤退しているはずだ。
だが映像にはいないはずの殿下が映り、その殿下を狙う何者かが映っている。
「時間設定か何かで自動的に投影させてるんだね。でもそれじゃあ、アスカちゃんは手動で何をしてたの?」
「兵士だよ、ほら、」
サウード殿下を守るべく現れたのはいいが、その近衛兵たちは、盲滅法に機関銃を乱射しているのだ。
「侵入者の方向特定までは自動でいかないようなんだ」
「ああ、なるほど。納得」
デヴィッドは頷きながらノートパソコンのマウスを握る。
映像の兵士たちが、一斉に一方向に向き直り、逃げる侵入者を追いかけ始めた。
「殿下が映像だと気づかれないようにしながら、あの連中の足をここに釘づけにしてほしい」
そうやって飛鳥は反乱軍の戦力を削いでいたのだ。サウードの映像を泳がせ、彼らの注意を向けさせては、襲いかかる敵に立ち向かう手薄な近衛兵たちを映像の兵士たちで水増しさせて正規軍が到着するまで持ちこたえさせてきた。
「やるねぇ、アスカちゃん。――このためのシューティングゲームだなんてねぇ」
デヴィッドは低く口笛を吹いた。相手は生きた人間だというのに、この画面に映る侵入者を追う兵士たちを動かし追いたてる作業はまるでゲームのようなのだ。
「それにしても、この場所は王宮の直轄区だろ? よく入りこめたね。やっぱりアスカちゃん、ヨシノと協力してたんだ――」
「まさか。彼の消息は以前として掴めないよ。アスカがハッキングして、ヨシノが設置していたTS装置を乗っ取ったんだよ。少しでも彼の負担を減らすためにね」
「アスカちゃんが?」
睨みつけていた画面から目を逸らし、デヴィッドはヘンリーの面をまじまじと見つめる。
「ヨシノのセキュリティを破って、てこと?」
ヘンリーは無言で頷く。デヴィッドは、ゆっくりと首を振りながら、深くため息を漏らしていた。
「能ある鷹は爪を隠すって? そういう真似、できるのに隠してたんだ。それもやっぱり、ヨシノのためなのかなぁ」
「そうだね。数学のヨシノと、『杜月』の開発者としての自分を区別して印象づけるためだろうね。ヨシノにはハワード教授の庇護を。そして自分には、レーザーガラスに纏わる柵の一切がかかってくるように、って――」
ヘンリーはベッドの端で丸くなっている飛鳥の寝息を確かめるように顔をよせ、その髪を梳く。
「アスカはヨシノを守るためなら、悪魔にだって魂を売り渡しかねないな」
「冗談でもそんなこと言わないでよ。――僕も同類に思えてくる」
ぼそりと、デヴィッドは呟いた。
画面上では、つい数分前までマシンガンを撃ち捲っていた侵入者たちが、今は、悲鳴をあげて逃げ惑っているのだ。撃っても撃っても死なない、疲れを見せることもない、どこに隠れても直ぐに気づいて追いかけてくる、ゾンビのような表情のない兵士たちに、恐怖のあまり狂ったように怯えながら――。
「それでも僕は、そんな彼を愛おしく思ってるよ――」
一句一句を噛みしめるように呟いたヘンリーにちらりと目をやると、デヴィッドは唇の端をあげて、同意する、とばかりににんまりと笑い返した。
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