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八章
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「アーニー、僕はね、ヨシノに多大な借りがあるんだよ」
「借り?」
「あの子はね、君が思っている以上に優しい子だよ」
その言葉に、アーネストは露骨に眉を潜めている。彼は吉野のアレンに対する態度のなかに、とてもそんな優しさなど感じたことはなかったからだ。それに、マリーネ・フォン・アッシェンバッハに対しても――。恋情をビジネスに利用する彼のやり方を、理解できないわけではない。だが賛同することはできない。アーネストの知る吉野は、その無邪気な外見とは裏腹の、残酷なまでに冷徹かつ打算的な少年だった。
「納得しかねる、て顔だね」と、ヘンリーはくすりと笑った。
「きみが言ったんだよ。ヨシノは僕に借りを返すために、アレンを保護しているんだって。そしてただそれだけのために、彼は四年という歳月をあの学校に費やしてくれたんだ」
ヘンリーは出逢った頃の幼さの残る吉野を思いだしていた。あの頃の、どこか無鉄砲さの残る溌剌とした吉野を――。だがアーネストは、とても信じられない、と首を振る。
「きみの考えすぎだ」
「本当にそう思う? あの合理的な子が、あそこでただ無為に日々をすごしていたと? ヨシノはね、僕のために僕が捨ててきたものを拾いあげ、きっちりと方をつけてくれたんだよ」
ヘンリーの憂いを含んだ微笑は、どこか後悔を含んで重たげだった。
「アスカに出逢うまで僕にはサラしかいなかった。きみや、デイヴのことすら二の次で――。それに、」
「――フランク、キングスリー」
ヘンリーの言葉を継いで、アーネストは喉の奥から絞りだすように呟いた。ヘンリーの言わんとすることが唐突に理解できたのだ。そして今彼は、自分を糾弾するために、この話題を持ちだしたのだということも――。
「僕はね、すべてを捨てて生きていたんだ。思い出も、自分に課せられた義務も、責任も――、何もかもをね。その自己中心的な行動がセディをあんな愚行に走らせ、校内の荒廃に繋がった」
「きみのせいじゃない」
「僕の責任だよ。フランクは僕を守るために命を落としたのに。僕は彼の遺志を継ぐことなく転校してしまったんだ。彼の想いに気づくことすらなく」
「それが、フランクの遺志だった」
「そう、きみは知っていたものね。知っていたからこそ僕を騙して、エリオットから離れるように仕向けたんだ。きみたちはどこまで知っていたの? フランクは、どこまで真相を掴んでいたの?」
口を閉ざし、視線を逸らしたアーネストに、ヘンリーは静かに畳みかける。
「マルセッロ・ボルージャ?」
「きみは知って、」
「知ったのはウイスタンに移ってからだけどね」
「これで解ったろう? ヨシノが四年間エリオットでしてきたことの意味が。もちろん僕のためだけじゃない。彼には彼の交友関係があり、そのなかでの打算もある。フランクの弟を思ってのことも多分にあったと思う。きみが陰ながらずっと、彼、フレデリックの後見をしてきたように。――面白い子だよね。さすがというか。フランクの弟だけのことはあるね。あの想像力と文才は、キングスリーの血筋なのかな」
ヘンリーはふっと表情を緩めて微笑んだ。目を細めて亡き友人の面影をその弟に重ねて。
「彼の小説の続編の原稿を見せてもらったんだ。前作で迷惑をかけたから、僕が感情を害するようなら取りやめますって。わざわざ僕に出版許可のお伺いを立ててきたんだよ」
「それはぜひ僕も読みたかったな」
くすくす笑いながら面白そうに語るヘンリーに、アーネストは羨ましそうに吐息を漏らした。話の方向が若干ずれたことに内心胸を撫で下ろしたのもあったのだ。
「上巻はフランクが志半ばで倒れるところで終わっただろ? 下巻はね、フランクの志を継いだヨシノが、彼の残したメッセージを読み解いて復讐を果たしていく物語なんだよ。題名は「黎明の空」。ヨシノはともかくアレンも登場するんだ。学校内での影響を考慮して、出版はエリオット卒業後を考えているそうだよ」
「楽しみだね――」
緊張を解したアーネストに、ヘンリーは意地悪く、「涙が出るほどいじましい、アレンのヨシノへの想いが綴られていると言っても?」と冷ややかな笑みを向けて、小首を傾げてみせる。
「作家って、不思議な精神構造をしているよね。彼自身は、どんな想いであの二人を見守ってきたんだろうね」
ヘンリーはここで言葉を切って嘆息すると、皮肉げな笑みを浮かべて哀愁を含んだ眼差しでアーネストを見つめた。
「――僕がフランクの想いに応えられなかったように、きっとヨシノもアレンの想いに応えることはないだろうよ。――アーニー、教えてくれ。それは罪なのだろうか?」
きゅっと引き結んだアーネストの唇が震えている。
「僕の知る限り、フランクは、そんな応えなんか望んでいなかった」
間を置いて呟かれたその返答に、ヘンリーは哀しげな笑みを浮かべたまま頷いた。
「知っているよ。だから僕はそれに甘えて、そこで思考を止めたんだ」
すっと窓の外へと顔を向け、ヘンリーは遠く広がる蒼穹に視線を漂わせる。そして、胸内に渦巻く想いを噛みしめるように淡々と続けた。
「ヨシノとアレンの物語はまだ続いているんだ。今でもね。あの子がただ自分の利益のためにあの国にいると思わないでやって欲しい。僕のため。そして延いては、アレンのためでもある。きみは忘れているみたいだけど、アレンはフェイラーなんだよ。今は自由にしているように見えても、フェイラー財閥の後継者である事実に変わりはないんだ」
米国――!
英国情報部だけではない。米国までが絡んでいるのか――。
その瞬間、アーネストは表情を強ばらせて唇を噛んでいた。
個人の想いと国家の思惑が千々に乱れて交差する。彼には吉野の思惑はあまりにも遠く、見え辛かった。
と、ふわりとヘンリーが微笑んだ。
「そんなに憂う必要なんてないよ、アーニー。彼は英国の利益に反することはしないよ。だって、アスカがここにいるんだよ。この、僕たちの国に。ヨシノにとっては、人質に取られているようなものじゃないか」
拍子抜けしたような、ぽかんとしたアーネストを見て、ヘンリーは声を立てて笑った。
「僕が憂慮しているのはね、アーニー、英国が、何が自国に取って有利なのか、履き違えているんじゃないかってことなんだよ」
「借り?」
「あの子はね、君が思っている以上に優しい子だよ」
その言葉に、アーネストは露骨に眉を潜めている。彼は吉野のアレンに対する態度のなかに、とてもそんな優しさなど感じたことはなかったからだ。それに、マリーネ・フォン・アッシェンバッハに対しても――。恋情をビジネスに利用する彼のやり方を、理解できないわけではない。だが賛同することはできない。アーネストの知る吉野は、その無邪気な外見とは裏腹の、残酷なまでに冷徹かつ打算的な少年だった。
「納得しかねる、て顔だね」と、ヘンリーはくすりと笑った。
「きみが言ったんだよ。ヨシノは僕に借りを返すために、アレンを保護しているんだって。そしてただそれだけのために、彼は四年という歳月をあの学校に費やしてくれたんだ」
ヘンリーは出逢った頃の幼さの残る吉野を思いだしていた。あの頃の、どこか無鉄砲さの残る溌剌とした吉野を――。だがアーネストは、とても信じられない、と首を振る。
「きみの考えすぎだ」
「本当にそう思う? あの合理的な子が、あそこでただ無為に日々をすごしていたと? ヨシノはね、僕のために僕が捨ててきたものを拾いあげ、きっちりと方をつけてくれたんだよ」
ヘンリーの憂いを含んだ微笑は、どこか後悔を含んで重たげだった。
「アスカに出逢うまで僕にはサラしかいなかった。きみや、デイヴのことすら二の次で――。それに、」
「――フランク、キングスリー」
ヘンリーの言葉を継いで、アーネストは喉の奥から絞りだすように呟いた。ヘンリーの言わんとすることが唐突に理解できたのだ。そして今彼は、自分を糾弾するために、この話題を持ちだしたのだということも――。
「僕はね、すべてを捨てて生きていたんだ。思い出も、自分に課せられた義務も、責任も――、何もかもをね。その自己中心的な行動がセディをあんな愚行に走らせ、校内の荒廃に繋がった」
「きみのせいじゃない」
「僕の責任だよ。フランクは僕を守るために命を落としたのに。僕は彼の遺志を継ぐことなく転校してしまったんだ。彼の想いに気づくことすらなく」
「それが、フランクの遺志だった」
「そう、きみは知っていたものね。知っていたからこそ僕を騙して、エリオットから離れるように仕向けたんだ。きみたちはどこまで知っていたの? フランクは、どこまで真相を掴んでいたの?」
口を閉ざし、視線を逸らしたアーネストに、ヘンリーは静かに畳みかける。
「マルセッロ・ボルージャ?」
「きみは知って、」
「知ったのはウイスタンに移ってからだけどね」
「これで解ったろう? ヨシノが四年間エリオットでしてきたことの意味が。もちろん僕のためだけじゃない。彼には彼の交友関係があり、そのなかでの打算もある。フランクの弟を思ってのことも多分にあったと思う。きみが陰ながらずっと、彼、フレデリックの後見をしてきたように。――面白い子だよね。さすがというか。フランクの弟だけのことはあるね。あの想像力と文才は、キングスリーの血筋なのかな」
ヘンリーはふっと表情を緩めて微笑んだ。目を細めて亡き友人の面影をその弟に重ねて。
「彼の小説の続編の原稿を見せてもらったんだ。前作で迷惑をかけたから、僕が感情を害するようなら取りやめますって。わざわざ僕に出版許可のお伺いを立ててきたんだよ」
「それはぜひ僕も読みたかったな」
くすくす笑いながら面白そうに語るヘンリーに、アーネストは羨ましそうに吐息を漏らした。話の方向が若干ずれたことに内心胸を撫で下ろしたのもあったのだ。
「上巻はフランクが志半ばで倒れるところで終わっただろ? 下巻はね、フランクの志を継いだヨシノが、彼の残したメッセージを読み解いて復讐を果たしていく物語なんだよ。題名は「黎明の空」。ヨシノはともかくアレンも登場するんだ。学校内での影響を考慮して、出版はエリオット卒業後を考えているそうだよ」
「楽しみだね――」
緊張を解したアーネストに、ヘンリーは意地悪く、「涙が出るほどいじましい、アレンのヨシノへの想いが綴られていると言っても?」と冷ややかな笑みを向けて、小首を傾げてみせる。
「作家って、不思議な精神構造をしているよね。彼自身は、どんな想いであの二人を見守ってきたんだろうね」
ヘンリーはここで言葉を切って嘆息すると、皮肉げな笑みを浮かべて哀愁を含んだ眼差しでアーネストを見つめた。
「――僕がフランクの想いに応えられなかったように、きっとヨシノもアレンの想いに応えることはないだろうよ。――アーニー、教えてくれ。それは罪なのだろうか?」
きゅっと引き結んだアーネストの唇が震えている。
「僕の知る限り、フランクは、そんな応えなんか望んでいなかった」
間を置いて呟かれたその返答に、ヘンリーは哀しげな笑みを浮かべたまま頷いた。
「知っているよ。だから僕はそれに甘えて、そこで思考を止めたんだ」
すっと窓の外へと顔を向け、ヘンリーは遠く広がる蒼穹に視線を漂わせる。そして、胸内に渦巻く想いを噛みしめるように淡々と続けた。
「ヨシノとアレンの物語はまだ続いているんだ。今でもね。あの子がただ自分の利益のためにあの国にいると思わないでやって欲しい。僕のため。そして延いては、アレンのためでもある。きみは忘れているみたいだけど、アレンはフェイラーなんだよ。今は自由にしているように見えても、フェイラー財閥の後継者である事実に変わりはないんだ」
米国――!
英国情報部だけではない。米国までが絡んでいるのか――。
その瞬間、アーネストは表情を強ばらせて唇を噛んでいた。
個人の想いと国家の思惑が千々に乱れて交差する。彼には吉野の思惑はあまりにも遠く、見え辛かった。
と、ふわりとヘンリーが微笑んだ。
「そんなに憂う必要なんてないよ、アーニー。彼は英国の利益に反することはしないよ。だって、アスカがここにいるんだよ。この、僕たちの国に。ヨシノにとっては、人質に取られているようなものじゃないか」
拍子抜けしたような、ぽかんとしたアーネストを見て、ヘンリーは声を立てて笑った。
「僕が憂慮しているのはね、アーニー、英国が、何が自国に取って有利なのか、履き違えているんじゃないかってことなんだよ」
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