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八章
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「アスカ、ヨシノがテレビに映ってるよ!」
いつものようにコンサバトリーの床に座って作業していた飛鳥の耳に、デヴィッドの頓狂な声が飛びこんできた。振り向いた飛鳥の腕を、デヴィッドはいきなり掴んで急かしたてる。
「早く、早く、ニュース終わっちゃうよ!」
飛鳥は、デヴィッドに引っ張られるままに居間に走った。
「サラ、まだやっている?」
ソファーに座るサラが目線だけ返して頷く。
暖炉の上のテレビ画面には、ニューヨークでおこなわれている環境国際会議の模様が映されていた。すり鉢型の半円型にずらりと連なる机と椅子。各々の机の上にはネームプレートと小さな国旗が置かれている。だが数えきれないほどの参加者を映した遠景では、どれが吉野だか見極めるのは困難に思えた。誰もが版で押したような紺のスーツを着ているのだ。
「いた。アブド大臣の隣だ」
だがいち早く、飛鳥の嬉しそうな声があがった。
「え? どこどこ?」
と、身を乗りだすデヴィッドに、腕を伸ばして飛鳥は画面を指差した。
「ほら、画面の左上辺り」
そこには白いクーフィーヤを被り、黒のベシュトを羽織ったアブド大臣が、他の列席者を威圧する独特の異彩を放っていた。画面が切り替わり、そのアブド大臣が大きく映しだされる。
「吉野――」
アブド大臣は、手前に置かれたマイクを優雅な仕草で覆い、傍らの吉野の耳元に顔を寄せて何事か囁いている。吉野が頷いて大臣に応えている。
「ヨシノ~、悪い顔だね、あれは――。あの二人が並んでいると、どうしてだかよからぬ相談をしているように、見えるんだよねぇ」
冗談めかして笑うデヴィッドに、飛鳥も苦笑気味に頷いた。
「あいつの利益は誰かの不利益だ。昔っから、あいつは容赦ない子だったからね」
「でも、会議でのプレゼンテーションは素晴らしかった」
その横でぽつんと呟いたサラに、二人は驚いて顔を向ける。
「プレゼン?」
「このニュースとは別。インターネットでプレゼンテーションの様子が見られるの」
サラが言い終わると同時に、ついっとTS画面が滑るように現れる。
「TSのパネルだ」
画面の中の吉野の横に浮かぶ映像パネルに、飛鳥の上には思わず笑みが溢れていた。
「あいつ、ちゃんと営業してくれているんだ」
「そりゃ、抜かりはないでしょ、あの子のことだもの」
デヴィッドもくすくす笑っている。
「たった半年で大人びたねぇ」
しみじみと呟いたデヴィッドの横で、飛鳥は食いいるように画面に見入っていた。いつの間にか環境会議の中継は終わっている。他の話題に移っていたテレビを消し、デヴィッドはTS画面ではなく、そんな飛鳥をじっと眺める。
「ヨシノときみは似てるね」
どこか懐かしそうに、目を細めてデヴィッドは呟いた。
「そう? あまり言われた事ないけど」
「似てるよ。何もかも捨てて、夢を追いかけていくところ。日本が恋しくならないの?」
「ここに吉野がいるもの。父さんだって、こっちでたまに会っているし。僕には日本に友達なんて――、ほとんどどいなかったしね。忙しすぎて」
飛鳥の瞳にふっと影が差す。その思い出を振り払うように、飛鳥は立ちあがった。
「僕もさっさと修正を仕上げてくるよ。あいつが頑張っているのを見たら、負けていられないよ」
「後でお茶を持っていくよ」
ひらひらと掌を振るデヴィッドに、飛鳥は振り返りざま「ありがとう」と笑いかけた。
「僕も真剣に未来を考えないとなぁ」
大きく伸びをして呟いたデヴィッドに、サラがきょとんと大きなライムグリーンの瞳を瞬かせている。
「考えないといけないの?」
「次男だしねぇ」
「次男だと考えなきゃいけないの? ヨシノも次男だから、考えて砂漠へ行ったの? じゃあ、アスカは? 考えてここにいるんじゃないの?」
真剣な眼差しに、茶化されている訳ではないのは判ってはいるのだが、デヴィッドは答えに窮して苦笑いを浮かべるしかない。
「考えるってのはね、選択の自由があるってことだよ。たぶんね、アスカちゃんには、その自由はなかったはずだよ。ヨシノとは違う。でもそれは、彼が考えなかったっていうのとは違うんだ。少ない選択肢から一杯考えて、今を選んだ。僕も後悔しない未来を選び取りたい、ってこと。解るかなぁ?」
「考えるのは誰でも同じじゃないの? どうして長男とか、次男とかでてくるのかが解らない」
「僕とアーニーじゃ、この背に担う責任の重さが違うんだよ。きみとヘンリーだってそうでしょ? もしきみがソールスベリーの跡取りなら、きみだって、今みたいに引き篭ってはいられないよ」
何気なくだした例えに、サラの瞳が揺れた。かすかに形良く弧を描く眉が潜められる。
「僕はラザフォードだけれど、ただのデヴィッドであることを許されて生きてきた。でもヘンリーは、ヘンリーである以上にソールスベリーだし、アーニーは、アーニーである以前にラザフォードだ、ってことを忘れたことなんてない。それが長男と次男の違いだよ。アスカちゃんだって、結局は『杜月』を一番に考えてるでしょ?」
「私は――」
「サラは好きなことを考えて生きていけばいいんだよ。面倒なことは、全部ヘンリーがやってくれるじゃないか! 妹特権だね」
ついと伸びてきた長い指先で、サラは頭をぽんぽんされる。
その手の持ち主の温かい笑顔を、サラはどうしようもなく、情けない思いで見つめていた。
いつものようにコンサバトリーの床に座って作業していた飛鳥の耳に、デヴィッドの頓狂な声が飛びこんできた。振り向いた飛鳥の腕を、デヴィッドはいきなり掴んで急かしたてる。
「早く、早く、ニュース終わっちゃうよ!」
飛鳥は、デヴィッドに引っ張られるままに居間に走った。
「サラ、まだやっている?」
ソファーに座るサラが目線だけ返して頷く。
暖炉の上のテレビ画面には、ニューヨークでおこなわれている環境国際会議の模様が映されていた。すり鉢型の半円型にずらりと連なる机と椅子。各々の机の上にはネームプレートと小さな国旗が置かれている。だが数えきれないほどの参加者を映した遠景では、どれが吉野だか見極めるのは困難に思えた。誰もが版で押したような紺のスーツを着ているのだ。
「いた。アブド大臣の隣だ」
だがいち早く、飛鳥の嬉しそうな声があがった。
「え? どこどこ?」
と、身を乗りだすデヴィッドに、腕を伸ばして飛鳥は画面を指差した。
「ほら、画面の左上辺り」
そこには白いクーフィーヤを被り、黒のベシュトを羽織ったアブド大臣が、他の列席者を威圧する独特の異彩を放っていた。画面が切り替わり、そのアブド大臣が大きく映しだされる。
「吉野――」
アブド大臣は、手前に置かれたマイクを優雅な仕草で覆い、傍らの吉野の耳元に顔を寄せて何事か囁いている。吉野が頷いて大臣に応えている。
「ヨシノ~、悪い顔だね、あれは――。あの二人が並んでいると、どうしてだかよからぬ相談をしているように、見えるんだよねぇ」
冗談めかして笑うデヴィッドに、飛鳥も苦笑気味に頷いた。
「あいつの利益は誰かの不利益だ。昔っから、あいつは容赦ない子だったからね」
「でも、会議でのプレゼンテーションは素晴らしかった」
その横でぽつんと呟いたサラに、二人は驚いて顔を向ける。
「プレゼン?」
「このニュースとは別。インターネットでプレゼンテーションの様子が見られるの」
サラが言い終わると同時に、ついっとTS画面が滑るように現れる。
「TSのパネルだ」
画面の中の吉野の横に浮かぶ映像パネルに、飛鳥の上には思わず笑みが溢れていた。
「あいつ、ちゃんと営業してくれているんだ」
「そりゃ、抜かりはないでしょ、あの子のことだもの」
デヴィッドもくすくす笑っている。
「たった半年で大人びたねぇ」
しみじみと呟いたデヴィッドの横で、飛鳥は食いいるように画面に見入っていた。いつの間にか環境会議の中継は終わっている。他の話題に移っていたテレビを消し、デヴィッドはTS画面ではなく、そんな飛鳥をじっと眺める。
「ヨシノときみは似てるね」
どこか懐かしそうに、目を細めてデヴィッドは呟いた。
「そう? あまり言われた事ないけど」
「似てるよ。何もかも捨てて、夢を追いかけていくところ。日本が恋しくならないの?」
「ここに吉野がいるもの。父さんだって、こっちでたまに会っているし。僕には日本に友達なんて――、ほとんどどいなかったしね。忙しすぎて」
飛鳥の瞳にふっと影が差す。その思い出を振り払うように、飛鳥は立ちあがった。
「僕もさっさと修正を仕上げてくるよ。あいつが頑張っているのを見たら、負けていられないよ」
「後でお茶を持っていくよ」
ひらひらと掌を振るデヴィッドに、飛鳥は振り返りざま「ありがとう」と笑いかけた。
「僕も真剣に未来を考えないとなぁ」
大きく伸びをして呟いたデヴィッドに、サラがきょとんと大きなライムグリーンの瞳を瞬かせている。
「考えないといけないの?」
「次男だしねぇ」
「次男だと考えなきゃいけないの? ヨシノも次男だから、考えて砂漠へ行ったの? じゃあ、アスカは? 考えてここにいるんじゃないの?」
真剣な眼差しに、茶化されている訳ではないのは判ってはいるのだが、デヴィッドは答えに窮して苦笑いを浮かべるしかない。
「考えるってのはね、選択の自由があるってことだよ。たぶんね、アスカちゃんには、その自由はなかったはずだよ。ヨシノとは違う。でもそれは、彼が考えなかったっていうのとは違うんだ。少ない選択肢から一杯考えて、今を選んだ。僕も後悔しない未来を選び取りたい、ってこと。解るかなぁ?」
「考えるのは誰でも同じじゃないの? どうして長男とか、次男とかでてくるのかが解らない」
「僕とアーニーじゃ、この背に担う責任の重さが違うんだよ。きみとヘンリーだってそうでしょ? もしきみがソールスベリーの跡取りなら、きみだって、今みたいに引き篭ってはいられないよ」
何気なくだした例えに、サラの瞳が揺れた。かすかに形良く弧を描く眉が潜められる。
「僕はラザフォードだけれど、ただのデヴィッドであることを許されて生きてきた。でもヘンリーは、ヘンリーである以上にソールスベリーだし、アーニーは、アーニーである以前にラザフォードだ、ってことを忘れたことなんてない。それが長男と次男の違いだよ。アスカちゃんだって、結局は『杜月』を一番に考えてるでしょ?」
「私は――」
「サラは好きなことを考えて生きていけばいいんだよ。面倒なことは、全部ヘンリーがやってくれるじゃないか! 妹特権だね」
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