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七章
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「おめでとう、キングスリー。次年度の銀ボタンはきみに決定したよ」
寮長室に呼びだされて開口一番告げられた言葉は、フレデリックにとって、嬉しさよりも衝撃の方が大きかった。
なぜ吉野ではないのか、と。
当然、すぐにその旨を尋ねる。
「彼の論文がね――、」
いったん言葉を切って深く嘆息する寮長のマイケル・ウェザーが、かい摘んで詳細を語る。
上級数学のブラウン先生が長年取り組んでこられた未解決問題の定理を、共同で吉野が解いたのだ。それをいざ発表という段になって、吉野は、「これは自分の功績ではない」と連名を拒否した。それに対してブラウンは、「解いたのは彼だ」と主張を曲げず、これまた単独での論文発表を拒んだのだ。そうこうする内に、今年度の専門誌への論文掲載が間に合わなくなってしまった。
「なんて、彼らしい――」
フレデリックからも、残念極まりない吐息が漏れる。
「それだけじゃなく、彼は今年度の行事やスポーツ大会には一切参加しなかったしね、試験結果だけでは評価できなかったんだよ。それに彼の件とは別で、学校側としてもきみの小説を寛大に評価して栄誉を与える事で、事の収集を図りたい思惑もあるんだろうねぇ」
マイケルは相変わらずの早口で、弾丸のように一気に喋べっている。その口調には、フレデリックを前にしていながら、この栄誉を告げる相手が吉野ではないことが残念で堪らない、といった色合いが染みでていた。
フレデリックは釈然としないまま寮長室を後にして、アレンと、クリスを呼びに部屋へ向かった。
「え! ヨシノが銀ボタンを降ろされた!」
三人入ると狭苦しく感じるクリスの部屋であがった叫び声に近い想像通りの反応に、フレデリックは唇に指を立てて頷く。クリスとアレンは、硬直したままその理由を聴き終えると、やはりフレデリックと同じため息を漏らしている。
「まったく、彼って人は――」
三人、互いに顔を見合わせて苦笑しあった。
ここで自分たちが何を言おうと、どう思おうと、彼はきっと平気な顔で「大した事じゃないよ」と、笑顔を見せるに決まっているのだ。
「それでね、次年度の寮長と、監督生代表なんだけれど、」
「うん、頑張って、フレッド」
クリスが大きく頷いた。今年度副寮長のフレデリックが来年度の寮長兼監督生代表だ。銀ボタンの栄誉まで与えられているのだから、誰もが納得の人選だ。
「僕は断ったんだ。小説の続きも書きたいし――。卒業と同時くらいに、下巻を出版できたらな、て思っているんだ」
「すっかり、売れっ子作家だね!」
感嘆の声をあげたクリスに「ありがとう」と、照れたように微笑み返し、フレデリックは話を継いだ。
「それでね、きみに寮長を、アレンに代表を頼みたいんだ。これは寮長と現代表の意見でもあるからね。また改めて、きみたちにも呼びだしがあると思うよ」
たて続けの予想外の人事、それもまさか自分の名前がでるなんて思ってもいなかったクリス、そしてアレンは、目を白黒させている。
「クリスは寮内でも下級生にも慕われているし、アレンは――、」
意味ありげに苦笑いするフレデリックに、アレンは困ったように微苦笑し、クリスは視線を逸らして笑いだしそうな口元を隠す。
あの創立祭直前の暴力事件以来、アレンは、かのルベリーニを従えてこの学校に君臨する闇の帝王として恐れられているのだ。
もともと親しい友人としか付き合わず、同じ寮のキングス・スカラーたちにがっちりとガードされて神秘のベールに包まれた彼なのだ。
彼に手出ししようとした生徒会役員を含む馬鹿な奴らが、十数名病院送りになった、と噂に尾ひれがついてまことしやかに広がっていった結果だった。
「きみは、生徒会に顔が利くみたいだから――」
ずっと敵対していると思っていた生徒総監、それに役員のレイモンド・マーカイルは、前監督生代表のパトリック・ウェザーの、というよりもセドリック・ブラッドリーの派閥で、連綿とその意志を受け継いでアレンを守ってくれていたのだ、などと誰に想像できただろう?
きっと、吉野くらいだ――。
これで危険分子のあぶりだしはほぼ終わったって、笑っていたもの。あの日、僕が一人きりにされていたのも、きっと隙を見せてあいつらを誘い出すための罠だったんだ。
相変わらず、何も教えてもらえないまま……。
「顔が利くのは、ヨシノだよ」
アレンは少し寂しそうに微笑んで言った。
「銀ボタンじゃなくたって、彼こそがこの学校の王様で、兄みたいな伝説だよ」
「無冠の帝王だね。――その方が、かっこいいだろ、て、ヨシノならきっとそう言うね!」
妙に納得したように頷いたクリスに、アレンも頷き返している。
「なんだろうね。兄とヨシノは全然違うのに、時々、すごく似ているって思うよ」
「人を捉えて放さない――」
「揺るぎない存在感かな」
言葉を探すクリスの後を、フレデリックが継いだ。
「心の強さ、だね」
お前にはやれない、と言われた吉野の心。誰にも触れられない彼の心は、彼だけのもの――。
銀ボタンの吉野が、ただの吉野になったところで、彼を貶める馬鹿な輩はきっといない。彼には、どんな修飾語もいらない。吉野は、吉野である、ということが最高の賛辞だから。
「この人事、ヨシノは知っているの?」
ふと訊ねたクリスに、フレデリックは笑って答えた。
「そりゃ、知っているだろ。決めたのは彼だもの。寮長がそう言っていたよ。彼の推薦だって」
寮長室に呼びだされて開口一番告げられた言葉は、フレデリックにとって、嬉しさよりも衝撃の方が大きかった。
なぜ吉野ではないのか、と。
当然、すぐにその旨を尋ねる。
「彼の論文がね――、」
いったん言葉を切って深く嘆息する寮長のマイケル・ウェザーが、かい摘んで詳細を語る。
上級数学のブラウン先生が長年取り組んでこられた未解決問題の定理を、共同で吉野が解いたのだ。それをいざ発表という段になって、吉野は、「これは自分の功績ではない」と連名を拒否した。それに対してブラウンは、「解いたのは彼だ」と主張を曲げず、これまた単独での論文発表を拒んだのだ。そうこうする内に、今年度の専門誌への論文掲載が間に合わなくなってしまった。
「なんて、彼らしい――」
フレデリックからも、残念極まりない吐息が漏れる。
「それだけじゃなく、彼は今年度の行事やスポーツ大会には一切参加しなかったしね、試験結果だけでは評価できなかったんだよ。それに彼の件とは別で、学校側としてもきみの小説を寛大に評価して栄誉を与える事で、事の収集を図りたい思惑もあるんだろうねぇ」
マイケルは相変わらずの早口で、弾丸のように一気に喋べっている。その口調には、フレデリックを前にしていながら、この栄誉を告げる相手が吉野ではないことが残念で堪らない、といった色合いが染みでていた。
フレデリックは釈然としないまま寮長室を後にして、アレンと、クリスを呼びに部屋へ向かった。
「え! ヨシノが銀ボタンを降ろされた!」
三人入ると狭苦しく感じるクリスの部屋であがった叫び声に近い想像通りの反応に、フレデリックは唇に指を立てて頷く。クリスとアレンは、硬直したままその理由を聴き終えると、やはりフレデリックと同じため息を漏らしている。
「まったく、彼って人は――」
三人、互いに顔を見合わせて苦笑しあった。
ここで自分たちが何を言おうと、どう思おうと、彼はきっと平気な顔で「大した事じゃないよ」と、笑顔を見せるに決まっているのだ。
「それでね、次年度の寮長と、監督生代表なんだけれど、」
「うん、頑張って、フレッド」
クリスが大きく頷いた。今年度副寮長のフレデリックが来年度の寮長兼監督生代表だ。銀ボタンの栄誉まで与えられているのだから、誰もが納得の人選だ。
「僕は断ったんだ。小説の続きも書きたいし――。卒業と同時くらいに、下巻を出版できたらな、て思っているんだ」
「すっかり、売れっ子作家だね!」
感嘆の声をあげたクリスに「ありがとう」と、照れたように微笑み返し、フレデリックは話を継いだ。
「それでね、きみに寮長を、アレンに代表を頼みたいんだ。これは寮長と現代表の意見でもあるからね。また改めて、きみたちにも呼びだしがあると思うよ」
たて続けの予想外の人事、それもまさか自分の名前がでるなんて思ってもいなかったクリス、そしてアレンは、目を白黒させている。
「クリスは寮内でも下級生にも慕われているし、アレンは――、」
意味ありげに苦笑いするフレデリックに、アレンは困ったように微苦笑し、クリスは視線を逸らして笑いだしそうな口元を隠す。
あの創立祭直前の暴力事件以来、アレンは、かのルベリーニを従えてこの学校に君臨する闇の帝王として恐れられているのだ。
もともと親しい友人としか付き合わず、同じ寮のキングス・スカラーたちにがっちりとガードされて神秘のベールに包まれた彼なのだ。
彼に手出ししようとした生徒会役員を含む馬鹿な奴らが、十数名病院送りになった、と噂に尾ひれがついてまことしやかに広がっていった結果だった。
「きみは、生徒会に顔が利くみたいだから――」
ずっと敵対していると思っていた生徒総監、それに役員のレイモンド・マーカイルは、前監督生代表のパトリック・ウェザーの、というよりもセドリック・ブラッドリーの派閥で、連綿とその意志を受け継いでアレンを守ってくれていたのだ、などと誰に想像できただろう?
きっと、吉野くらいだ――。
これで危険分子のあぶりだしはほぼ終わったって、笑っていたもの。あの日、僕が一人きりにされていたのも、きっと隙を見せてあいつらを誘い出すための罠だったんだ。
相変わらず、何も教えてもらえないまま……。
「顔が利くのは、ヨシノだよ」
アレンは少し寂しそうに微笑んで言った。
「銀ボタンじゃなくたって、彼こそがこの学校の王様で、兄みたいな伝説だよ」
「無冠の帝王だね。――その方が、かっこいいだろ、て、ヨシノならきっとそう言うね!」
妙に納得したように頷いたクリスに、アレンも頷き返している。
「なんだろうね。兄とヨシノは全然違うのに、時々、すごく似ているって思うよ」
「人を捉えて放さない――」
「揺るぎない存在感かな」
言葉を探すクリスの後を、フレデリックが継いだ。
「心の強さ、だね」
お前にはやれない、と言われた吉野の心。誰にも触れられない彼の心は、彼だけのもの――。
銀ボタンの吉野が、ただの吉野になったところで、彼を貶める馬鹿な輩はきっといない。彼には、どんな修飾語もいらない。吉野は、吉野である、ということが最高の賛辞だから。
「この人事、ヨシノは知っているの?」
ふと訊ねたクリスに、フレデリックは笑って答えた。
「そりゃ、知っているだろ。決めたのは彼だもの。寮長がそう言っていたよ。彼の推薦だって」
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