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七章
傷
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イースター休暇を目前にして、ようやくフレデリックの謹慎が解けた。
結局学校側は、小説はフィクションで事実に基づいたものではないとし、フレデリック本人も、あくまで創作であるという姿勢を崩さなかったから問題なし、ということで収まったらしい。――表向きは。
ジャックのパブでフレデリックの復学祝いをして解散した後、吉野はそのまま話があると彼の部屋へ立ち寄った。消灯後の薄暗い部屋で差し込む月灯りを頼りに、吉野は窓際にあるベッドに腰掛ける。
「ヘンリー? それともアーニー? 手を回してくれたんだろ?」
クスクス笑いながら尋ねる吉野に、フレデリックもクスリと微笑み返す。
「あいかわらず、きみは何でもお見通しだね」
「あいつらにしたら当事者だものな。騒がれすぎるのも困るだろ」
「僕はやっぱり思慮が足りないな。ご迷惑をおかけしてしまったよ……」
吉野に向き合うように、フレデリックも椅子を動かす。
「そうでもないよ。二人とも喜んでたよ。俺たちが考える以上にさ、無念だったんだと思う」
しみじみとした様子で、吉野は遠くを見るように目を細めた。
「俺、フランクの事を知ってからさ、ヘンリーを信用できるようになったんだ」
え? とフレデリックは頭を傾けた。
「あいつは完璧だろ。人が羨むもの、何でも持っている。類まれな容姿に、知性、家柄、財産、アーニーみたいな友人たち。そんな恵まれた奴に、飛鳥を理解できるはずがないってずっと思っていたんだ」
フレデリックも頷いた。そんな彼が兄の友人である事が、彼もまた信じられなかったのだ。兄の日記を読むまでは。
「でも、そんなのは些細な事にすぎなかったんだ。あいつは俺たちと同じだ。大切な人を失くす辛さを知っている。その無念さを抱えている。だから飛鳥を託す覚悟ができた。あいつは二度としくじらない、フランクの時のようには――。必ず、命懸けで飛鳥を守ってくれる」
驚いたように自分を見つめるフレデリックに、吉野は苦笑いして頭を掻いた。
「共依存だからさ、俺。もう、俺から飛鳥を解放してやらなきゃいけないんだ」
「共依存――。そんなふうには見えないよ。きみは、お兄さんをすごく大切にしていて……。きみは、誰よりも人を大切にできるじゃないか。アレンだって本当にきみを信頼して、」
「そうなるように仕向けてきたんだ。俺に依存するように」
信じられないものでも見るように目を見開いたフレデリックを、吉野は静かな、どこか寂しそうな瞳で見つめ返した。
「世話をする相手がいないと駄目なんだよ、俺は」
「……そんな。彼がきみをどんなふうに想っているか、きみだって解っているんだろ? どうして彼の想いを受けとめてあげないんだ? それに、きみだって、彼を想っているのに、」
眉を寄せ、咎めるような早口で一気に捲し立てたフレデリックを、吉野は首を横に振って遮った。
「どうしろっていうんだ? 抱けばいいのか? ほかのどんな奴とそうしても、俺はあいつとだけはそんな関係にはならない」
「どうして? 判らない。どうして駄目なんだ……」
「あいつには嘘をつきたくないんだ。あいつは家族みたいなものだもの。家族としてみているんだ。それに、可哀想だろ? 俺までがあいつのことをそんな対象として見たりしたら――」
フレデリックは悲痛な色を瞳に浮かべ、吉野の――、誰よりも尊敬し、敬愛している友人の顔に浮かぶ、あまりにも幼い色をまじまじと見つめる。
「――それなら、せめて彼をきみから解放してあげて」
「できないよ。俺の心はあいつにはやれない。でも、他の誰にも渡したくはないんだ。お前にもな」
すっと顔色を変えたフレデリックに、吉野は慰めるような優しい声で続ける。
「あいつは俺のものだ。お前にもやらない。お前の小説、あれは、フランクの想いに託したあいつへのラブレターだろ? 届かなかったみたいだけどな」
「違う、違うよ、ヨシノ。そうじゃないんだ……」
泣きそうに顔を歪めるフレデリックに、吉野は畳みかけて言う。
「お前とフランク、よく似てるよ。秘めた想い、ってやつ? パトリックもそうだな。あれか? それが騎士道精神ってやつか? パブリックスクール仕込みの」
「……きみは酷い奴だね」
「知ってる。でも、それが俺だよ。どうしようもない。変える気もない」
寂しそうに笑い、吉野は立ちあがった。
「俺さ、婚約するんだ。アブド・H・アル=マルズークの娘とさ。解っただろ? あいつとどうこうなんて、はなからあり得ないんだ。愛だの恋だの言ってられるほど、俺は自由じゃない」
全身から力が抜け切ったように放心しているフレデリックを、吉野は笑みを湛えて見下ろして告げた。
「だからさ、これからはお前があいつを守ってやってくれ。それを頼みに来たんだ。たとえあいつの心が俺のものでも、お前なら引き受けてくれるだろ?」
「きみは――」
青く白んだ月光を受け、吉野の姿が薄闇に浮きあがっている。
フレデリックは言葉を呑み込んだまま、ぼんやりと面をもたげた。まるで愛でも囁くような、吉野の柔らかい声が耳を打つ。
「俺はお前を信じられるほど、お前のこと、よく知っているよ、フレデリック・キングスリー」
結局学校側は、小説はフィクションで事実に基づいたものではないとし、フレデリック本人も、あくまで創作であるという姿勢を崩さなかったから問題なし、ということで収まったらしい。――表向きは。
ジャックのパブでフレデリックの復学祝いをして解散した後、吉野はそのまま話があると彼の部屋へ立ち寄った。消灯後の薄暗い部屋で差し込む月灯りを頼りに、吉野は窓際にあるベッドに腰掛ける。
「ヘンリー? それともアーニー? 手を回してくれたんだろ?」
クスクス笑いながら尋ねる吉野に、フレデリックもクスリと微笑み返す。
「あいかわらず、きみは何でもお見通しだね」
「あいつらにしたら当事者だものな。騒がれすぎるのも困るだろ」
「僕はやっぱり思慮が足りないな。ご迷惑をおかけしてしまったよ……」
吉野に向き合うように、フレデリックも椅子を動かす。
「そうでもないよ。二人とも喜んでたよ。俺たちが考える以上にさ、無念だったんだと思う」
しみじみとした様子で、吉野は遠くを見るように目を細めた。
「俺、フランクの事を知ってからさ、ヘンリーを信用できるようになったんだ」
え? とフレデリックは頭を傾けた。
「あいつは完璧だろ。人が羨むもの、何でも持っている。類まれな容姿に、知性、家柄、財産、アーニーみたいな友人たち。そんな恵まれた奴に、飛鳥を理解できるはずがないってずっと思っていたんだ」
フレデリックも頷いた。そんな彼が兄の友人である事が、彼もまた信じられなかったのだ。兄の日記を読むまでは。
「でも、そんなのは些細な事にすぎなかったんだ。あいつは俺たちと同じだ。大切な人を失くす辛さを知っている。その無念さを抱えている。だから飛鳥を託す覚悟ができた。あいつは二度としくじらない、フランクの時のようには――。必ず、命懸けで飛鳥を守ってくれる」
驚いたように自分を見つめるフレデリックに、吉野は苦笑いして頭を掻いた。
「共依存だからさ、俺。もう、俺から飛鳥を解放してやらなきゃいけないんだ」
「共依存――。そんなふうには見えないよ。きみは、お兄さんをすごく大切にしていて……。きみは、誰よりも人を大切にできるじゃないか。アレンだって本当にきみを信頼して、」
「そうなるように仕向けてきたんだ。俺に依存するように」
信じられないものでも見るように目を見開いたフレデリックを、吉野は静かな、どこか寂しそうな瞳で見つめ返した。
「世話をする相手がいないと駄目なんだよ、俺は」
「……そんな。彼がきみをどんなふうに想っているか、きみだって解っているんだろ? どうして彼の想いを受けとめてあげないんだ? それに、きみだって、彼を想っているのに、」
眉を寄せ、咎めるような早口で一気に捲し立てたフレデリックを、吉野は首を横に振って遮った。
「どうしろっていうんだ? 抱けばいいのか? ほかのどんな奴とそうしても、俺はあいつとだけはそんな関係にはならない」
「どうして? 判らない。どうして駄目なんだ……」
「あいつには嘘をつきたくないんだ。あいつは家族みたいなものだもの。家族としてみているんだ。それに、可哀想だろ? 俺までがあいつのことをそんな対象として見たりしたら――」
フレデリックは悲痛な色を瞳に浮かべ、吉野の――、誰よりも尊敬し、敬愛している友人の顔に浮かぶ、あまりにも幼い色をまじまじと見つめる。
「――それなら、せめて彼をきみから解放してあげて」
「できないよ。俺の心はあいつにはやれない。でも、他の誰にも渡したくはないんだ。お前にもな」
すっと顔色を変えたフレデリックに、吉野は慰めるような優しい声で続ける。
「あいつは俺のものだ。お前にもやらない。お前の小説、あれは、フランクの想いに託したあいつへのラブレターだろ? 届かなかったみたいだけどな」
「違う、違うよ、ヨシノ。そうじゃないんだ……」
泣きそうに顔を歪めるフレデリックに、吉野は畳みかけて言う。
「お前とフランク、よく似てるよ。秘めた想い、ってやつ? パトリックもそうだな。あれか? それが騎士道精神ってやつか? パブリックスクール仕込みの」
「……きみは酷い奴だね」
「知ってる。でも、それが俺だよ。どうしようもない。変える気もない」
寂しそうに笑い、吉野は立ちあがった。
「俺さ、婚約するんだ。アブド・H・アル=マルズークの娘とさ。解っただろ? あいつとどうこうなんて、はなからあり得ないんだ。愛だの恋だの言ってられるほど、俺は自由じゃない」
全身から力が抜け切ったように放心しているフレデリックを、吉野は笑みを湛えて見下ろして告げた。
「だからさ、これからはお前があいつを守ってやってくれ。それを頼みに来たんだ。たとえあいつの心が俺のものでも、お前なら引き受けてくれるだろ?」
「きみは――」
青く白んだ月光を受け、吉野の姿が薄闇に浮きあがっている。
フレデリックは言葉を呑み込んだまま、ぼんやりと面をもたげた。まるで愛でも囁くような、吉野の柔らかい声が耳を打つ。
「俺はお前を信じられるほど、お前のこと、よく知っているよ、フレデリック・キングスリー」
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