胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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七章

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「きみって、ホント判らない子だね!」
 タキシードに着替えて二階から下りてきた吉野を、デヴィッドはソファーから立ち上がって呆れたように睨めつける。
「お前こそいい加減にしろよ、俺だけの問題じゃないんだからさ」
 だが、吉野も負けじと言い返している。
 つい今しがたまでデヴィッドのチェスの相手をしていたアレンは、身動きひとつできずに目を見開いて、はらはらしながらそんな二人を見守っている。

「デヴィッド様」
 睨み合う二人に割って入るように、マーカスがデヴィッドを呼んだ。彼に促されてデヴィッドがその場を外した隙に、吉野は、心配そうに自分を見つめるアレンに向かって顎をしゃくった。

「お前も行くんだ。着替えてこい」
「え?」
「タキシード」
「行くって?」
「サウードの国の大使館主催のパーティーだよ。お前も呼ばれてるだろ。招待状、見ていないのか?」
「あ……、見ていない」
 知らない相手からの封書など、アレンは封も切らないのだ。


「勝手なこと言ってるんじゃないよ! 表の連中、追い返しなよ!」
 苦々しげな顔つきで戻ってきたデヴィッドが吐き捨てるように言い、吉野に対峙する。

 玄関横にある控え室でマーカスに見せられた監視モニターに、外壁に沿ってずらりと並ぶ黒塗のリムジンが映っていたのだ。吉野を迎えにきたのだという。数時間前から待ち続け、十分おきに催促してくる。
 どう致しましょう? と、マーカスに問われたたところでデヴィッドの答えは一つだ。

「無理だよ。なぁ、デヴィ、解ってくれよ。俺だっていろいろ立場ってものがあるんだよ。サウードの顔を立ててやらないと」
「殿下ならともかく、あの迎えの連中、アブド大臣からだよ!きみ、あの腐った大臣とどういう関係なわけさ?」
「だから、それはもう説明しただろ?」
 吉野はため息をつき、肩をすくめる。
「な、あいつが相手なんだからさ、並の常識は通用しないんだ。今リムジン何台くらいいる? 俺が行かなきゃ、そのリムジンの運転手は、まとめて首になっちまうんだよ」

「……なんでそんなややこしい相手と関わったんだよ?」
「サウードが廃嫡されるかの瀬戸際なんだよ。アブドゥルアジーズ……、前王の治世時に廃嫡されたアブドの兄貴な、今は米国に住んでる投資家なんだ。アブドはその兄貴の金で、王位継承者を決める委員会の連中の買収を始めてる。ロンドンにいるサウードの親戚なんて、アブドの息のかかった奴らばかりだ。サウードはそんな中で、たった一人で闘っているんだよ。俺、あいつを放っておけない」

 淡々と語る吉野に、デヴィッドはきゅっと唇を引き結ぶ。

「着替えてくる」
 アレンが、ソファーから立ちあがった。
「僕は、フェイラーとしてサウードの傍らにいればいいんだね?」

 頷いた吉野に、デヴィッドは厳しい顔で呟いた。
「僕も着替えてくるよ。一緒に行く。きみは未成年で、ラザフォード家は、あくまでもきみの身元引受人ガーディアンだからね」




 アブドゥルアジーズ・H・アル=マルズーク、職業個人投資家。マシュリク国廃太子というよりも、皇太子の地位を自ら捨て、自由を選んだ王子として有名。オイルマネーではなく、投資で資産を築きあげ米国資産家ランキングにランクインしたことでも知られている。

 昼食をティールームで軽くすませ、ヘンリーは届いたばかりの資料に目を通している。

「ありきたりの事しか書かれていないね。まぁ、急ごしらえではこんなものか」
 手許から目線を上げ、微苦笑を滲ませる。
「僕の方でも取り立てて気になる情報はキャッチできなかった。ね、彼が多くの兄弟の中でもアブド国防大臣と懇意なのは解るけど――。本当に、アブド大臣のヨシノへの干渉の抑止力になってくれるかな?」
「交渉次第だろうね。彼ならヨシノの価値を判るはずだからね」

 ヘンリーは湯気の立つ二杯目のコーヒーを口許に運ぶ。

 今夜の彼の祖父の開くパーティーには、各国の政・財界人が集まる。吉野に強い執着を持つヘッジファンドオーナー、ジェームズ・テイラーも、くだんのアブドゥルアジーズも出席するはずだ。
 狡猾で傲慢、だが燃え広がる炎のような行動力と、手段を選ばない姿勢で恐れられているアブド・H・アル=マルズークの吉野への干渉を止めてもらうのは、このルートしかない。

 あるいは吉野に、マシュリク国への干渉をやめさせるか――。

「誤算だらけだ。まさか、あの子がここまでするとは思わなかったよ」
 ヘンリーのボヤキにアーネストは微笑で返し、「こっちの方もね」と、手にしていた新聞の見出しを指先でトントンと叩く。

「年末だというのに、ガン・エデン社は休日返上だな。きみが選んでくれた法律事務所は実に優秀だね。訴訟ニュースからもう10%の株価ダウンだ。原油価格の暴落と相まって、祖父は今頃、青筋立てて怒っているだろうな」
「僕たちも年明けから戦闘開始だね」

 やっと厳しい表情を緩めたヘンリーに、アーネストは、ほっとしたように眉根をあげた。



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