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六章
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「神に誓ってルベリーニの者ではない」
「罰も恩恵も、自分の基準でしか選ばないものに誓われてもね……」
ヘンリーは冷笑を浮かべてロレンツォを見おろし、苛ついた様子で腰かけている椅子のひじ掛けをコツコツと叩く。
「彼の拾ってきたテロ情報のフランス政府との交渉役は、きみに任せたんだ。その上での襲撃だよ。ド・パルデュ夫人は一体どんな交渉を行ったんだい? その席にはヨシノもいたんじゃなかったの? 言い訳するつもりなら、僕の前にさっさと首謀者を連れてきて欲しいものだね」
「もちろん調べている。誓ってうちの手のものじゃない」
ロレンツォは感情のない押し殺した声音で繰り返した。
ニースで吉野の語った国際見本市テロ襲撃を未然に防ぐために、フランス政府に顔の効くフィリップの母であるマリー・ド・パルデュ公爵夫人を代理人に立てて話をさせた。
襲撃時間、狙われている要人、テログループの規模までおよその予測はついていた。信憑性の裏づけも取れていた。それなのに、実際の会場での警備、対策、すべてが行われた話し合いとは違っていたのだ。
3D映像で作られた警察官をおとりのカモフラージュにして、本物の警察官が怪しい容疑者を拘束する手はずだったのに、実際には自爆テロが起こるとほぼ同時にテロリストは射殺された。おまけに、爆音に講演会場を警備していたはずの警官までが持ち場を離れて駆けつけ、本来、会場外で侵入者を未然に防ぐ予定だった講演会場が、まったく無防備に放置された。加えて会場内でのテロリストの射殺、映写室への発砲、すべてがシナリオにはなかったのだ。
グレンツ社はアーカシャ―HDに買収されたとはいえ、いまだその株の35%をルベリーニ一族が握っている。ヘンリーは、このテロ襲撃が、ルノー議員の軍部増強政策の正当化に加え、未上場のアーカシャ―HDに替わり市場で売買できるグレンツ社の株価をつり上げるための偽装テロ工作ではなかったのかと、疑っているのだ。そしてその株式を、ルノー議員と裏で手を結んでいる米国フェイラー財閥が事前に買い漁って仕込んでいたのではないかと。
実際、あのテロのニュースが放映されてからというもの、ドイツ・グレンツ社及びに、その子会社のフランス・グレンツ社の株価は鰻のぼりだ。テロリストに襲撃され、大打撃を被ったこの見本市の最大スポンサーであるにもかかわらず――。
だが、断じてそんなことはしていない!
ロレンツォはぐっと拳を握りしめて、ヘンリーから浴びせられる侮蔑的な視線、情のない言葉のすべてに歯を食い縛って耐えていた。
「こうなると、彼のことも信じられなくなってきたな。きみの可愛いがっている甥っ子のフィリップ・ド・パルデュ。あの子がアレンを選んだのも、ソールスベリーではなく、フェイラーと結びつきたいという意思表示とも受け取れる。それも、きみの意思なのかな?」
「お前!」
さすがにそこまで言及されることは筋が違う。屈辱感に耐え切れず、ギリリと歯ぎしりをして睨めつけたロレンツォを、酷薄なセレストブルーの瞳が見つめ返した。
「テロとの闘いにしろ実際の戦争にしろ、ルノー議員は核開発推進派だ。みせしめに、ウラン濃縮施設を停めてみたっていいんだよ」
「――どうやって?」
「マルウェアを植えつけるのさ」
驚愕して自分を見つめるロレンツォを見て、ヘンリーはクスクスといかにもおかしそうに笑った。
「米軍が数年前に開発した有名なマルウェア兵器があるだろ? あれをさらに進化させたんだ。そんなに戦争がしたいのなら僕が受けてたってやる。国内電力の77%を原子力発電に依存しているフランスで濃縮ウランの供給が止まったらどういうことになるか、見ものだろ?」
「馬鹿なことを言うな! そんなことをしたらフランスだけじゃない、フランスから電力を輸入しているスイスやオランダにも影響が出るんだぞ!」
「フランスが責任を取ればいい。僕の身内に銃を向けたんだ、このくらい当然だろ」
ついにロレンツォは呆れ返るあまり声をたてて笑いだす。
「馬鹿馬鹿しくて話にならないぞ! それこそテロ行為だろうが! 頭を冷やせよ、ヘンリー」
「判ってるよ。あまりいいアイデアではないことくらい――。経済に多少のダメージは与えられるにしても、濃縮ウランくらい、アメリカなり、ロシアなりから買えばいいものね。なんでも金でカタをつけるのが、きみ達のやり方だ」
ヘンリーは、つまらなそうにため息をついた。
「ただ、この程度のマルウェアくらい簡単に作れる、てことを言いたかっただけさ。――でも、あまり僕を待たせるのなら本気でフランスを攻撃する」
「ウラン濃縮施設を?」
「まさか! もっと効率よく都市機能をマヒさせるよ」
ヘンリーはくいっと顎を持ちあげ、優雅に人差し指を立てた。
「一週間。それ以上は待たない。きみとの縁もそれまでだ」
「――そんなに、あの弟が大事か?」
「あの弟、じゃない、ヨシノだよ。きみは、アスカがどれほど深く彼を愛しているのかまるで分かっていない。だからこんな失態を犯すんだ」
ヘンリーは憎しみとも憐れみともつかない不思議な静けさを湛えた視線をロレンツォに投げかけると、腰かけていた椅子から立ちあがり、振り返ることもなくアーカシャ―HD本社最上階にある執務室を後にした。
「僕のニケは、その翼でどこにでも飛んで行ってしまうんだ――」
マルセルは泊まっているホテルのルーフトップレストランから、ライトアップされ、漆黒の闇に幻想的に浮かび上がるアクロポリスを眺めながら呟いていた。
「ルキーノ、」
テーブルを挟んで座る黒ずくめのスーツ姿の連れに向き直る。気楽なポロシャツにスニーカー姿の彼とはまるでそぐわないその男に、マルセルはその胸の内をぶつけてみた。
「どうすれば、彼は僕の傍に留まってくれるんだろう?」
「籠に閉じこめるか、あるいはその翼を切り落とせばいい」
こともなげに答えたルキーノにマルセルは苦笑する。
「どちらも美しくないなぁ」
「なら、こんなのはどうです? 目を潰す。サモトラケのニケ像のように、頭部をなくせば動けない」
「ますます嫌だ」
話にならないと小首を振って、マルセルはクスクスと笑った。
「どんな餌を好む鳥なのか調べましょうか?」
「ニケは鳥じゃない。勝利の女神だよ」
訂正を入れながら、やっと満足のいく答えを得たマルセルは目を細めて薄く微笑んだ。
「罰も恩恵も、自分の基準でしか選ばないものに誓われてもね……」
ヘンリーは冷笑を浮かべてロレンツォを見おろし、苛ついた様子で腰かけている椅子のひじ掛けをコツコツと叩く。
「彼の拾ってきたテロ情報のフランス政府との交渉役は、きみに任せたんだ。その上での襲撃だよ。ド・パルデュ夫人は一体どんな交渉を行ったんだい? その席にはヨシノもいたんじゃなかったの? 言い訳するつもりなら、僕の前にさっさと首謀者を連れてきて欲しいものだね」
「もちろん調べている。誓ってうちの手のものじゃない」
ロレンツォは感情のない押し殺した声音で繰り返した。
ニースで吉野の語った国際見本市テロ襲撃を未然に防ぐために、フランス政府に顔の効くフィリップの母であるマリー・ド・パルデュ公爵夫人を代理人に立てて話をさせた。
襲撃時間、狙われている要人、テログループの規模までおよその予測はついていた。信憑性の裏づけも取れていた。それなのに、実際の会場での警備、対策、すべてが行われた話し合いとは違っていたのだ。
3D映像で作られた警察官をおとりのカモフラージュにして、本物の警察官が怪しい容疑者を拘束する手はずだったのに、実際には自爆テロが起こるとほぼ同時にテロリストは射殺された。おまけに、爆音に講演会場を警備していたはずの警官までが持ち場を離れて駆けつけ、本来、会場外で侵入者を未然に防ぐ予定だった講演会場が、まったく無防備に放置された。加えて会場内でのテロリストの射殺、映写室への発砲、すべてがシナリオにはなかったのだ。
グレンツ社はアーカシャ―HDに買収されたとはいえ、いまだその株の35%をルベリーニ一族が握っている。ヘンリーは、このテロ襲撃が、ルノー議員の軍部増強政策の正当化に加え、未上場のアーカシャ―HDに替わり市場で売買できるグレンツ社の株価をつり上げるための偽装テロ工作ではなかったのかと、疑っているのだ。そしてその株式を、ルノー議員と裏で手を結んでいる米国フェイラー財閥が事前に買い漁って仕込んでいたのではないかと。
実際、あのテロのニュースが放映されてからというもの、ドイツ・グレンツ社及びに、その子会社のフランス・グレンツ社の株価は鰻のぼりだ。テロリストに襲撃され、大打撃を被ったこの見本市の最大スポンサーであるにもかかわらず――。
だが、断じてそんなことはしていない!
ロレンツォはぐっと拳を握りしめて、ヘンリーから浴びせられる侮蔑的な視線、情のない言葉のすべてに歯を食い縛って耐えていた。
「こうなると、彼のことも信じられなくなってきたな。きみの可愛いがっている甥っ子のフィリップ・ド・パルデュ。あの子がアレンを選んだのも、ソールスベリーではなく、フェイラーと結びつきたいという意思表示とも受け取れる。それも、きみの意思なのかな?」
「お前!」
さすがにそこまで言及されることは筋が違う。屈辱感に耐え切れず、ギリリと歯ぎしりをして睨めつけたロレンツォを、酷薄なセレストブルーの瞳が見つめ返した。
「テロとの闘いにしろ実際の戦争にしろ、ルノー議員は核開発推進派だ。みせしめに、ウラン濃縮施設を停めてみたっていいんだよ」
「――どうやって?」
「マルウェアを植えつけるのさ」
驚愕して自分を見つめるロレンツォを見て、ヘンリーはクスクスといかにもおかしそうに笑った。
「米軍が数年前に開発した有名なマルウェア兵器があるだろ? あれをさらに進化させたんだ。そんなに戦争がしたいのなら僕が受けてたってやる。国内電力の77%を原子力発電に依存しているフランスで濃縮ウランの供給が止まったらどういうことになるか、見ものだろ?」
「馬鹿なことを言うな! そんなことをしたらフランスだけじゃない、フランスから電力を輸入しているスイスやオランダにも影響が出るんだぞ!」
「フランスが責任を取ればいい。僕の身内に銃を向けたんだ、このくらい当然だろ」
ついにロレンツォは呆れ返るあまり声をたてて笑いだす。
「馬鹿馬鹿しくて話にならないぞ! それこそテロ行為だろうが! 頭を冷やせよ、ヘンリー」
「判ってるよ。あまりいいアイデアではないことくらい――。経済に多少のダメージは与えられるにしても、濃縮ウランくらい、アメリカなり、ロシアなりから買えばいいものね。なんでも金でカタをつけるのが、きみ達のやり方だ」
ヘンリーは、つまらなそうにため息をついた。
「ただ、この程度のマルウェアくらい簡単に作れる、てことを言いたかっただけさ。――でも、あまり僕を待たせるのなら本気でフランスを攻撃する」
「ウラン濃縮施設を?」
「まさか! もっと効率よく都市機能をマヒさせるよ」
ヘンリーはくいっと顎を持ちあげ、優雅に人差し指を立てた。
「一週間。それ以上は待たない。きみとの縁もそれまでだ」
「――そんなに、あの弟が大事か?」
「あの弟、じゃない、ヨシノだよ。きみは、アスカがどれほど深く彼を愛しているのかまるで分かっていない。だからこんな失態を犯すんだ」
ヘンリーは憎しみとも憐れみともつかない不思議な静けさを湛えた視線をロレンツォに投げかけると、腰かけていた椅子から立ちあがり、振り返ることもなくアーカシャ―HD本社最上階にある執務室を後にした。
「僕のニケは、その翼でどこにでも飛んで行ってしまうんだ――」
マルセルは泊まっているホテルのルーフトップレストランから、ライトアップされ、漆黒の闇に幻想的に浮かび上がるアクロポリスを眺めながら呟いていた。
「ルキーノ、」
テーブルを挟んで座る黒ずくめのスーツ姿の連れに向き直る。気楽なポロシャツにスニーカー姿の彼とはまるでそぐわないその男に、マルセルはその胸の内をぶつけてみた。
「どうすれば、彼は僕の傍に留まってくれるんだろう?」
「籠に閉じこめるか、あるいはその翼を切り落とせばいい」
こともなげに答えたルキーノにマルセルは苦笑する。
「どちらも美しくないなぁ」
「なら、こんなのはどうです? 目を潰す。サモトラケのニケ像のように、頭部をなくせば動けない」
「ますます嫌だ」
話にならないと小首を振って、マルセルはクスクスと笑った。
「どんな餌を好む鳥なのか調べましょうか?」
「ニケは鳥じゃない。勝利の女神だよ」
訂正を入れながら、やっと満足のいく答えを得たマルセルは目を細めて薄く微笑んだ。
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