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五章
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しおりを挟むまだ日の残る午後8時、待ちに待ったメイ・ボールがスタートした。会場は、すでに煌びやかに正装した多くの若者で埋め尽くされている。受付で手首に水色のリボンを巻いてもらい、彼ら四人はいきなり放り込まれた大人な世界にギクシャクと緊張しながら、芝生の上に張られた大きな天幕や、移動遊園地をキョロキョロと見廻しながら約束の場所へと急ぐ。
重厚感のある扉を開けると、一面真っ白な壁で仕切られた広々としたホールを、透き通る蒼い光が照らしている。ホール内はすでにかなりの人数のカップルがいるのに、なぜか皆、壁際に寄っていて、中央がぽっかりと空いていた。
「なんだ、お前ら本当に男同士で来たんだ?」
待ち合わせ場所に現れた吉野は燕尾服姿で、身体にそったマーメイドランの薄紅色のドレスを優雅に着こなしたマリーネを同伴していた。
「おまけに、なんでタキシードなの?」
「ブラックタイ着用って……」
「ホワイトタイの方が格上だろ。ワルツには断然こっちの方がかっこいいのに。尻尾がひらひらしてさ」
「ワルツ!?」
アレンも、クリスも、フレデリックも、恨めしそうにサウードを横目に見つめる。
「今年の目玉がな、『ヘンリー・ソールスベリーと踊る一夜』だからさ。限定十名、踊る権利をオークションにかけたんだよ。例年はプロのバンドを入れてのコンサートや、ディスコなんだけどな。今時ワルツを踊る奴なんて、ボールルームダンスをやっている奴と、パブリックスクール出くらいしかいないかもだろ? 俺たちはサクラだよ。ヘンリーが来るのは十時頃らしいから、それまで間を持たせてくれって」
「俺たちはって、」
相手もいないのに……。ふてくされて顔を伏せる友人たちに、吉野は笑って言った。
「俺、忙しいからさ、義理で一曲だけ。後、こいつの相手してやってくれる?」
ぱぁーと顔を輝かせるクリスとフレデリックと裏腹に、アレンは小さく溜息をついている。
「それにもう少ししたら、ロレンツォが女の子を連れてくるって」
わぉ!
顔を見合わせる皆を眺めてにっと笑うと、吉野は傍らのマリーネの手を取って、ホール中央に進みでた。
「あなた、本当に踊れるの? 足、踏まないでね」
向かい合い、差しだされた手の上に自分の掌を重ねながら、マリーネは吉野を軽く睨みつける。
「スタンダード五種はいけるよ。エリオットで必須科目だから」
メリーウイドウの調べにのって大きく一歩を踏みだし、優雅にターンを繰り返しながら話す吉野に、「スタンダード五種って……。競技ダンサーにでもなるつもり?」マリーネは驚きながらもクスクスと笑う。
「あなた、ホールドが大きすぎるわ。それに速すぎる」
「ついてこられない?」
くるりと視界が変わる。流れるようなステップに思考まで流される。いつの間にかマリーネは何も考えらえなくなって、ただホールの上を滑るように漂っていた。
「俺、優しいだろ?」
「相変わらず、ヨシノのダンスは綺麗だね」
優雅に踊る彼らにぼんやりと見とれるクリスは、簡単の吐息を漏らしていた。
波のように揺れる照明の下、淡いマリーネのドレスがその色彩を変えながら、熱帯魚の尾鰭のようにゆらゆらと揺れ跳ねあがっている。
「神業の動体視力と運動神経で身につけた、世界チャンピオンのコピーダンスだものね」
「あのヨシノについていけるのだもの、彼女もすごいね。さすがはルベリーニ一族ってところかな」
アレンの言葉に頷きながら、クルクルと踊り続ける二人を目で追いながら、フレデリックも溜息をつく。
「やっぱりダンスにはテールコートだね。あの燕の尻尾がひるがえって羽みたいだ」
「ヨシノだからだよ。僕らじゃあのスピードでターンできないよ」
踊る二人の周囲に泡のような、水滴のような白い粒が光ってみえた。
「ここ、海の底なんだ――」
蒼から深緑に波打つ水底を、くるり、くるりと、吉野はマリーネをリードして泳ぐイルカのようだ。
「アレン、次、頼む」
気がつくと曲が終わっていた。アレンは仕方なく頷いてマリーネの手を取ると、ホール中央へ進みでた。吉野がオープニングダンスを踊ったことで、フロアにはすでに何組ものカップルが進みでている。
向かい合う二人を、吉野は真剣な眼で見つめている。
「跪け、マリーネ」
小さく呟いた吉野の顔を、横にいたサウードが見あげた。
マリーネは片足を斜め後ろに引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋を屈めてアレンの手を取り接吻を落とした。
にんまり、と吉野は微笑んだ。
アレンは無表情のままその右手をマリーネの背中に廻し、左腕を伸ばして基本通りにホールドする。
部屋の片側にいる室内楽団の指揮棒があがる。
「じゃ、俺、もう行かなきゃ。あ、ルベリーニだ。後はあいつの連れが案内してくれるよ。思ったより踊れる奴もいるようだし、別にここにいる必要もないからさ、適当に遊んでこいよ」
吉野は上機嫌でそれだけ言うと、入り口付近で立ち止まっているロレンツォに歩み寄り、一言、二言、言葉を交わしてホールを後にした。
「ここに来た目的は、あれなの?」
フレデリックは不安気な視線をサウードに向ける。だが、サウードからは、鷹揚な笑みが返ってきただけだ。
「アレンも綺麗だねぇ。人魚姫の恋する王子さまみたいだ……」
クリスの溜息に、二人も誘われるようにフロアに視線を戻す。
「あ、見て!」
天井付近で熱帯魚の群れがいっせいに泳ぎだす。いつの間にか足元には輝く珊瑚が揺れている。手を伸ばせば届きそうな頭上を、透明な海月がワルツの調べに乗ってふわふわと通りすぎていく。
「ヨシノ……」
ホール中央の透明な蒼い水底で、アレンとマリーネはただ静かに、水流に翻弄されているように、舞っている。
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