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五章
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「チェッリー、きみの方から連絡をくれるなんて!」
「一応、礼を言うよ、ジム。助かった、ありがとう。――おい、泣くな、鬱陶しいって」
眼前にぽっかりと浮かぶTS画面から目を逸らし、吉野は小さく溜め息をつく。
「僕のメモは役に立ったかい?」
「ああ」
「それは良かった! マイ・ハニー。それであいつは、きみにどんな悪さを仕掛けたんだい? 僕はもう、心配で、心配で……」
「俺の恋人に手、出しやがった」
ぶっ、と吹きだし慌てて両の手で口を覆うサウードの足を、吉野の革靴がトンと小突く。
「何だって! あの豚野郎、僕の可愛いチェリーに何て真似をしでかすんだ!」
サウードは笑いを堪えるために、腰かけている枝に繋がる太い幹に腕を廻してしがみついた。おかしすぎて震える身体があまりに不安定だったのだ。甲高い声で罵声を繰り出していたTS画面は、「分かった、分かった」という吉野のげんなりした声で、やっと閉じられたようだ。
「ヨシノ、木から落ちるかと思ったじゃないか!」
サウードは我慢していた分、思い切り声をたてて笑った。
「いい奴なんだけれどな、このオヤジ……」
わずかな会話だったにもかかわらず、吉野は一気に疲れた様子で吐息を漏らしている。
ニューヨークのアーカシャ―HDレセプション会場で初めてじかに対面したジェームズ・テイラーは、いきなり抱きついてきた際に一枚のメモを吉野の手に握らせていた。
『テーブルメンバーが、きみの獲得に動いている』
彼のポーカー仲間であり、投資仲間、そしてライバルでもあるテーブルメンバーの中で、一番に接触してきたのがスタンレー投資銀行のハーディー・オズボーンだった。
「それできみ、いつからアレンと恋仲になったの? 冗談でもそんなことを言っていたら、また変な噂がたつんじゃないの?」
サウードは訊ねながら、まだ揶揄うようにクスクスと笑っている。
「このオヤジ、そういう設定が好きなんだよ。愛に生きているからな」
吉野は、引きつった笑みを浮かべ、「どうせなら、本人が楽しめる大義名分がある方がいいだろ」と、いまだに笑いを収めずに小首を傾げているサウードをもてあますように首をすくめる。
「きみの代わりに、仕返ししてくれるってこと?」
「いい奴なんだよ。すげー怖いけれどな。スタンレーの系列のヘッジファンドが大株主になっている企業の株を持っているなら、早めに手放しておけよ。ジムは見せしめに一つ、二つは潰しにかかるからな。今回のはオズボーンのルール違反だもの。俺のものに手を出すな! だよ。俺との数字の上での勝負じゃないと意味がないからな」
吉野は大枝に腰かけたまま、両腕を頭の後ろで組んでゆらゆらと身体を揺らす。
「俺なら絶対に敵に廻したりしないのになぁ――。昔っから、やたらとジムと張り合いたがるんだよ、オズボーンはさぁ」
吉野にポーカーを教えた師匠木村の友人たちと、吉野は何度もオンラインでポーカーテーブルについたことがある。ジェームズ・テイラーも、オズボーンも、その内の一人だ。テーブルは常に五名。メンバーはほぼ同じ顔ぶれ。そのほとんどがウォール街のファンドマネージャーだと後から聞いた。互いにハンドルネームで呼びあうから本名は知らなかった。彼らの本名と経歴が記されてある、テイラーのメモを受け取るまでは――。
テーブルから離れて吉野に金融工学を教えたテイラーだけが、最初から名を名乗って身分を明かしていた。
「でもさ、要はみんな株屋なんだ。テーブルでもそんな話ばかりになるんだよ。決算書の読み方も、マーケティングリサーチの仕方も、そこで覚えたようなもんなんだよ」
吉野は懐かしそうに目を細める。
「きみの金融の先生でもあったってことだね」
「だから、あんまり敵に廻したくないんだ。まぁ、今回みたいな汚いやり方をしてくるのは、オズボーンだけだと思うけどさ」
「そうかな? みんな似たり寄ったりなんじゃないの?」
サウードは、深い漆黒の瞳で静かに吉野を見据える。
「そうじゃないことを願うよ」
特に否定することもせず、吉野は首を竦める。サウードはそんな吉野を眺めながら、どうしてだろう、彼はこんな状況に慣れている、まるで、我が身が危険に晒されることを当たり前のように受け入れているみたいだ、と不思議に思わずにはいられない。
「僕に隠し事はなしだよ」
ぼんやりと遠くを眺める彼の意識を引き戻すように、サウードは静かな、けれど、どこか気づかわしげな声をかけていた。吉野はゆっくりと向き直り、にっと笑う。
「知らない方がいいこともあるかもしれないぞ」
「僕は無知を嘆くよりも、知ることの恐怖を選ぶよ」
サウードは咽喉の奥でくっくっと含み笑う。
「それが、王冠を頂く者の務めだろう?」
「もう一人の王様の方も教育しないとな」
吉野も鳶色の瞳を悪戯っ子のように大きく見開いて、くしゃっと笑って言った。
「一応、礼を言うよ、ジム。助かった、ありがとう。――おい、泣くな、鬱陶しいって」
眼前にぽっかりと浮かぶTS画面から目を逸らし、吉野は小さく溜め息をつく。
「僕のメモは役に立ったかい?」
「ああ」
「それは良かった! マイ・ハニー。それであいつは、きみにどんな悪さを仕掛けたんだい? 僕はもう、心配で、心配で……」
「俺の恋人に手、出しやがった」
ぶっ、と吹きだし慌てて両の手で口を覆うサウードの足を、吉野の革靴がトンと小突く。
「何だって! あの豚野郎、僕の可愛いチェリーに何て真似をしでかすんだ!」
サウードは笑いを堪えるために、腰かけている枝に繋がる太い幹に腕を廻してしがみついた。おかしすぎて震える身体があまりに不安定だったのだ。甲高い声で罵声を繰り出していたTS画面は、「分かった、分かった」という吉野のげんなりした声で、やっと閉じられたようだ。
「ヨシノ、木から落ちるかと思ったじゃないか!」
サウードは我慢していた分、思い切り声をたてて笑った。
「いい奴なんだけれどな、このオヤジ……」
わずかな会話だったにもかかわらず、吉野は一気に疲れた様子で吐息を漏らしている。
ニューヨークのアーカシャ―HDレセプション会場で初めてじかに対面したジェームズ・テイラーは、いきなり抱きついてきた際に一枚のメモを吉野の手に握らせていた。
『テーブルメンバーが、きみの獲得に動いている』
彼のポーカー仲間であり、投資仲間、そしてライバルでもあるテーブルメンバーの中で、一番に接触してきたのがスタンレー投資銀行のハーディー・オズボーンだった。
「それできみ、いつからアレンと恋仲になったの? 冗談でもそんなことを言っていたら、また変な噂がたつんじゃないの?」
サウードは訊ねながら、まだ揶揄うようにクスクスと笑っている。
「このオヤジ、そういう設定が好きなんだよ。愛に生きているからな」
吉野は、引きつった笑みを浮かべ、「どうせなら、本人が楽しめる大義名分がある方がいいだろ」と、いまだに笑いを収めずに小首を傾げているサウードをもてあますように首をすくめる。
「きみの代わりに、仕返ししてくれるってこと?」
「いい奴なんだよ。すげー怖いけれどな。スタンレーの系列のヘッジファンドが大株主になっている企業の株を持っているなら、早めに手放しておけよ。ジムは見せしめに一つ、二つは潰しにかかるからな。今回のはオズボーンのルール違反だもの。俺のものに手を出すな! だよ。俺との数字の上での勝負じゃないと意味がないからな」
吉野は大枝に腰かけたまま、両腕を頭の後ろで組んでゆらゆらと身体を揺らす。
「俺なら絶対に敵に廻したりしないのになぁ――。昔っから、やたらとジムと張り合いたがるんだよ、オズボーンはさぁ」
吉野にポーカーを教えた師匠木村の友人たちと、吉野は何度もオンラインでポーカーテーブルについたことがある。ジェームズ・テイラーも、オズボーンも、その内の一人だ。テーブルは常に五名。メンバーはほぼ同じ顔ぶれ。そのほとんどがウォール街のファンドマネージャーだと後から聞いた。互いにハンドルネームで呼びあうから本名は知らなかった。彼らの本名と経歴が記されてある、テイラーのメモを受け取るまでは――。
テーブルから離れて吉野に金融工学を教えたテイラーだけが、最初から名を名乗って身分を明かしていた。
「でもさ、要はみんな株屋なんだ。テーブルでもそんな話ばかりになるんだよ。決算書の読み方も、マーケティングリサーチの仕方も、そこで覚えたようなもんなんだよ」
吉野は懐かしそうに目を細める。
「きみの金融の先生でもあったってことだね」
「だから、あんまり敵に廻したくないんだ。まぁ、今回みたいな汚いやり方をしてくるのは、オズボーンだけだと思うけどさ」
「そうかな? みんな似たり寄ったりなんじゃないの?」
サウードは、深い漆黒の瞳で静かに吉野を見据える。
「そうじゃないことを願うよ」
特に否定することもせず、吉野は首を竦める。サウードはそんな吉野を眺めながら、どうしてだろう、彼はこんな状況に慣れている、まるで、我が身が危険に晒されることを当たり前のように受け入れているみたいだ、と不思議に思わずにはいられない。
「僕に隠し事はなしだよ」
ぼんやりと遠くを眺める彼の意識を引き戻すように、サウードは静かな、けれど、どこか気づかわしげな声をかけていた。吉野はゆっくりと向き直り、にっと笑う。
「知らない方がいいこともあるかもしれないぞ」
「僕は無知を嘆くよりも、知ることの恐怖を選ぶよ」
サウードは咽喉の奥でくっくっと含み笑う。
「それが、王冠を頂く者の務めだろう?」
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