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五章
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「そうじゃない!」
吉野は慌てて首を横に振る。
「そういう理由じゃなくて――。やっぱりいいよ、嫌だよな? プライバシーの侵害だもんな」
「それは、べつにかまわないけど――」
吉野の意外そうな表情に、アレンの抱いた恐怖感はすっと消え去っていった。それよりも、どっちつかずなままの吉野の方がよほど気になる。
「たんにさ、心配なだけだよ。ほら、ストーカーとかさ、移動の時なんかに絡まれたりすることがあっただろ?」
吉野は下を向いたまま、もごもごと弁解がましく小さな声で呟いている。
たしかに街中のコンサートホール、それに学舎から離れた場所にある馬場や、スポーツホールへ行く時には一旦学校の敷地から出て移動しなければならない。道行く人たちの不躾な視線に晒されることも多い。その中には話しかけてくる輩も何人もいる。でも、ひとりで移動することはなかったし、位置情報を確認するというのはまた意味が違う気がする。
「いいよ、分かった。それでどうすればいいの? スマートフォンのGPSでいいの?」
アレンは納得できないまでも、これ以上吉野を困らせたくなくて、にっこりと頷いた。
「ヨシノ、アレン!」
軋んだ音を立てて正面扉が開き、クリスが顔を覗かせる。
「遅いから迎えにいこうと思っていたんだ。見本市の中継が始まっちゃうよ!」
狭苦しい一人部屋は、五人も入ればぎゅうぎゅうだ。少しでも見えやすいようにと、サウードとアレンはベッドの上に胡坐をかき、吉野はその端に腰かけて、クリスとフレデリックは立ったまま、白い壁に拡大されたTSのネット中継画面に見入っている。
ラスベガスで行われている家電テクノロジー国際見本市の、お目当てのアーカシャ―HDのブースにカメラが入る。その場の誰よりも早く、吉野はくっくっと肩を震わせて笑いだした。
「何、ヨシノ?」
「いいから見てろって」
訝しげな皆の視線に悪戯な視線を返し、吉野は画面に向かって顎をしゃくる。
画面の中では、光沢のある紺のスーツを着たヘンリーが、滑らかな口調で、新製品のTSネクストの説明をしている。
「え――?」
皆、呆気に取られて画面に見いっていた。
美人のニュースキャスターが、何度話しかけても、ヘンリーがはおかまいなしで喋っているのだ。徐々にキャスターの作り笑いにいら立ちが見え始め、瞳に険が走る。その美貌と甘い雰囲気に似合わない辛口の切り口で人気のキャスターは、とうとう腹に据えかねたのかヘンリーの腕に手をかけて声を荒げた。
「ミスター!」と、掴んだはずの腕に自分の手が擦り抜けていく――「きゃぁ!」と、つんざく悲鳴に、そこいら中の来場者が振り返り、何事かと集まりだす。目を瞠っているキャスターに、ヘンリーは、軽く顔をしかめて尊大な口調で言い放つ。
「気安く触らないで下さい」
吉野はもう我慢しきれずに、声を立てて笑い出している。
「判らない? あれ、TSで作ったヘンリーの映像だよ。おまけに人口知能で多少のリアクションもできるようにしてあるみたいだな。あいつ、どこまでも人を食った嫌な野郎だよ!」
画面では、ニューヨーク支店長のサリー・フィールドがにこやかな笑みを浮かべてキャスターに謝りながら、TSネクストに使われている最新技術のアピールを始めている。
吉野を除いて、一同、感嘆の吐息を漏らしつつ、画面に見入っていた。
「TSネクストより、僕はこのヘンリー卿の立体映像が欲しいよ――」
クリスが吐息を漏らして呟いた。
「ああ、判る……」
フレデリックも頷く。
「兄が見ていてくれたら、何でも頑張れそうな気がする……」
うるうると瞳を揺らして画面に齧りついているアレンに、吉野はしかめっ面を向けて、「おい、お前までそんなこと言うなよ」と唇を尖らせる。
「俺、絶対嫌だからな、あいつの顔が四六時中あるなんて。だいたいさぁ、あいつがいたら頑張れる、じゃなくて、頑張ら・さ・れ・る、なんだぞ! すっげぇ、スパルタだぞ。優しく励ましてなんかくれないからな。毎回すげぇ、嫌味炸裂でさぁ――」
不平不満をたらたらと垂れ流す吉野に、皆、顔を見合わせて笑っている。
「そりゃあね、だから映像がいいんじゃないか。本人では畏れ多すぎるもの」
首をすくめるフレデリックに、アレンも、クリスも、クスクスと笑いながら頷き合う。
「ヨシノ、」黙って画面を見ていたサウードが、手前に座る吉野の肩を叩いた。振り返ると、目線で中継画面奥を示している。
「彼だね。間違いない?」
耳元で囁く声に、吉野は口許を引き締めて頷いた。
「でもこうして見ると、TSネクストの発表ブースなのに、次は3DARだ、って予告宣言しているみたいだね」
フレデリックは吉野とアレンに、順繰りに問いかけるような視線を送る。
「ニューヨーク店舗はもっとすごいよ」
アレンは、画面の中の兄の映像に目を据えたまま、誇らしげに微笑んだ。
「ロンドンの本店も改装に入っているんだ。イースター休暇には間にあわせるって。皆で見にいこうよ」
嬉しそうに歓声を上げるクリスやフレデリックを尻目に立ちあがると、吉野は、「これ、そろそろ終わりだろ? 俺たちメシ食ってくる。さっきからもう、腹減って死にそうなんだ」と、サウードと連れだって瞬く間に部屋を出ていた。
「なんだか彼、休み明けから落ち着かないね……」
そんなフレデリックの呟きにクリスは唇を尖らせて、「ヨシノだけじゃない、サウードもだよ!」と、ひとりベッドに腰かけてるアレンに、泣きつくような瞳を向けた。
吉野は慌てて首を横に振る。
「そういう理由じゃなくて――。やっぱりいいよ、嫌だよな? プライバシーの侵害だもんな」
「それは、べつにかまわないけど――」
吉野の意外そうな表情に、アレンの抱いた恐怖感はすっと消え去っていった。それよりも、どっちつかずなままの吉野の方がよほど気になる。
「たんにさ、心配なだけだよ。ほら、ストーカーとかさ、移動の時なんかに絡まれたりすることがあっただろ?」
吉野は下を向いたまま、もごもごと弁解がましく小さな声で呟いている。
たしかに街中のコンサートホール、それに学舎から離れた場所にある馬場や、スポーツホールへ行く時には一旦学校の敷地から出て移動しなければならない。道行く人たちの不躾な視線に晒されることも多い。その中には話しかけてくる輩も何人もいる。でも、ひとりで移動することはなかったし、位置情報を確認するというのはまた意味が違う気がする。
「いいよ、分かった。それでどうすればいいの? スマートフォンのGPSでいいの?」
アレンは納得できないまでも、これ以上吉野を困らせたくなくて、にっこりと頷いた。
「ヨシノ、アレン!」
軋んだ音を立てて正面扉が開き、クリスが顔を覗かせる。
「遅いから迎えにいこうと思っていたんだ。見本市の中継が始まっちゃうよ!」
狭苦しい一人部屋は、五人も入ればぎゅうぎゅうだ。少しでも見えやすいようにと、サウードとアレンはベッドの上に胡坐をかき、吉野はその端に腰かけて、クリスとフレデリックは立ったまま、白い壁に拡大されたTSのネット中継画面に見入っている。
ラスベガスで行われている家電テクノロジー国際見本市の、お目当てのアーカシャ―HDのブースにカメラが入る。その場の誰よりも早く、吉野はくっくっと肩を震わせて笑いだした。
「何、ヨシノ?」
「いいから見てろって」
訝しげな皆の視線に悪戯な視線を返し、吉野は画面に向かって顎をしゃくる。
画面の中では、光沢のある紺のスーツを着たヘンリーが、滑らかな口調で、新製品のTSネクストの説明をしている。
「え――?」
皆、呆気に取られて画面に見いっていた。
美人のニュースキャスターが、何度話しかけても、ヘンリーがはおかまいなしで喋っているのだ。徐々にキャスターの作り笑いにいら立ちが見え始め、瞳に険が走る。その美貌と甘い雰囲気に似合わない辛口の切り口で人気のキャスターは、とうとう腹に据えかねたのかヘンリーの腕に手をかけて声を荒げた。
「ミスター!」と、掴んだはずの腕に自分の手が擦り抜けていく――「きゃぁ!」と、つんざく悲鳴に、そこいら中の来場者が振り返り、何事かと集まりだす。目を瞠っているキャスターに、ヘンリーは、軽く顔をしかめて尊大な口調で言い放つ。
「気安く触らないで下さい」
吉野はもう我慢しきれずに、声を立てて笑い出している。
「判らない? あれ、TSで作ったヘンリーの映像だよ。おまけに人口知能で多少のリアクションもできるようにしてあるみたいだな。あいつ、どこまでも人を食った嫌な野郎だよ!」
画面では、ニューヨーク支店長のサリー・フィールドがにこやかな笑みを浮かべてキャスターに謝りながら、TSネクストに使われている最新技術のアピールを始めている。
吉野を除いて、一同、感嘆の吐息を漏らしつつ、画面に見入っていた。
「TSネクストより、僕はこのヘンリー卿の立体映像が欲しいよ――」
クリスが吐息を漏らして呟いた。
「ああ、判る……」
フレデリックも頷く。
「兄が見ていてくれたら、何でも頑張れそうな気がする……」
うるうると瞳を揺らして画面に齧りついているアレンに、吉野はしかめっ面を向けて、「おい、お前までそんなこと言うなよ」と唇を尖らせる。
「俺、絶対嫌だからな、あいつの顔が四六時中あるなんて。だいたいさぁ、あいつがいたら頑張れる、じゃなくて、頑張ら・さ・れ・る、なんだぞ! すっげぇ、スパルタだぞ。優しく励ましてなんかくれないからな。毎回すげぇ、嫌味炸裂でさぁ――」
不平不満をたらたらと垂れ流す吉野に、皆、顔を見合わせて笑っている。
「そりゃあね、だから映像がいいんじゃないか。本人では畏れ多すぎるもの」
首をすくめるフレデリックに、アレンも、クリスも、クスクスと笑いながら頷き合う。
「ヨシノ、」黙って画面を見ていたサウードが、手前に座る吉野の肩を叩いた。振り返ると、目線で中継画面奥を示している。
「彼だね。間違いない?」
耳元で囁く声に、吉野は口許を引き締めて頷いた。
「でもこうして見ると、TSネクストの発表ブースなのに、次は3DARだ、って予告宣言しているみたいだね」
フレデリックは吉野とアレンに、順繰りに問いかけるような視線を送る。
「ニューヨーク店舗はもっとすごいよ」
アレンは、画面の中の兄の映像に目を据えたまま、誇らしげに微笑んだ。
「ロンドンの本店も改装に入っているんだ。イースター休暇には間にあわせるって。皆で見にいこうよ」
嬉しそうに歓声を上げるクリスやフレデリックを尻目に立ちあがると、吉野は、「これ、そろそろ終わりだろ? 俺たちメシ食ってくる。さっきからもう、腹減って死にそうなんだ」と、サウードと連れだって瞬く間に部屋を出ていた。
「なんだか彼、休み明けから落ち着かないね……」
そんなフレデリックの呟きにクリスは唇を尖らせて、「ヨシノだけじゃない、サウードもだよ!」と、ひとりベッドに腰かけてるアレンに、泣きつくような瞳を向けた。
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