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五章
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「よう、久しぶり! 休暇はどうだった? アンディは元気か?」
寮の薄暗い廊下で退屈そうに佇んでいるクリスとサウードに、吉野はにかっと笑って軽く手を振る。
「ア、アンディって!」
クリスは目を丸くして、口をパクパクさせている。
「え? お前の祖父ちゃんだろ。何、言ってんの?」
吉野は自室の鍵を開け部屋に入ると、どっかりとベッドに腰を下ろす。三学年生からは、これまでの二人部屋から個室に変わっている。その分部屋は狭くなったが、気楽になった。
「ヨシノ、いくらきみでも、お祖父さまを呼び捨てなんて……」
目を白黒させるクリスに、吉野はあっけらかんと笑い返す。
「駄目なの? でも、いつもそう呼んでいるぞ。お前の祖父ちゃん、たまにメールくれるもん。――ほら」と、ポケットから取りだしたスマートフォンを触って、呼びだした写真つきのメールをクリスに向ける。
庭をバックに、あの気難しい祖父がにっこりと笑っている。
「遅咲きの秋薔薇が満開だから見にこい、て言われていたんだけどさぁ。俺も、なんやかんやで忙しかったから」
「なんで……?」
「なんでって、俺たち園芸友達だもの」
知らなかったの? と見あげる吉野の前に、クリスは顔面蒼白で立ちつくしている。サウードは笑いを噛み殺しながらクリスの肩を組むと、「金融友達じゃなくて良かったね」と、冗談とも、皮肉とも取れる言葉を囁いた。
クリスが茫然としている間に、吉野は足下のスポーツバッグから両手で大きな箱を取りだしていた。
「これお土産。ヴィクトリアンケーキだって。メアリーが作ったんだ。あ、メアリーてのはヘンリーの家の家政婦兼コックな」
「本当に! 僕、お茶を淹れてくるよ」
あっという間にショックから立ち直り、クリスは駆けだしていく。そのあまりの速さに残された二人は顔を見合わせ、呆気に取られたまま開け放されたドアから首を出して、廊下を走る彼の後ろ姿を見送った。
「サウード、やっとフェイラーが動くぞ」
急に思いだしたように呟いた吉野の真剣な表情に、サウードもさっと緊張した面持ちで頷いた。
「ヘンリーからの情報だ。間違いない。フェイラーの抱えるシェールオイル子会社の採掘権を、やっと日本の商社に売ったんだ。これで十九億ドルの利益計上だ。今週中に発表される。このニュ―スで、フェイラーの株価は一気に戻るからな。見計らって、フェイラーと原油先物を全力で空売るんだ」
「上げ止まるのを待って、っていうこと?」
慎重に訊き返すサウードに、吉野はがっつりと頷いた。
「あの糞じじい、半年も待たせやがった。もう原油価格を支えきれないんだよ。米国じゃ、シェールオイルのせいで、原油は完全な過剰生産なんだ。あいつら本当に馬鹿じゃないの? 自分たちで、自分たちの首を締め合ってりゃ世話ないよ」
吉野は、サウードを見上げクスクス嗤う。だが、すぐに嗤いを引っ込めると、厳しい視線で眼前の友人を見据えた。
「だけどお前らも覚悟しておけよ。お前ら産油国も無傷じゃ済まない。技術の進歩は目まぐるしく早いんだ。シェールの採算ラインも、以前より下がっているからな。せいぜい、しっかりとヘッジをかけとけよ」
サウードは表情の無いまま静かに頷き、やがて、ふっと緊張を緩めて吐息をついた。
「ありがとう、ヨシノ。きみのお陰で助かっているよ――」
「何を今さら、改まってるんだよ? 大したことじゃないだろ? 皇太子殿下」
吉野の揶揄うような口調に、サウードは苦笑して首を振る。
「皇太子っていっても、いくらでもすげ替えのきく頭にすぎないからね――。骨肉相食むしのぎあいの毎日だよ。王位継承権を持つ人間なんて、二百人からいるんだもの。気をぬいたら足許をすくわれる。無能を晒せば不適格の烙印を押されて早々に隠居生活だ。いつまで皇太子を維持できるかなんて、神のみぞ知るさ」
サウードの乾いた嗤いに、吉野は少し驚いたようだった。
「だから、きみには本当に感謝しているよ。こんな、肉を切らせて骨を断つような方法、僕たちじゃ絶対に思いつかなかったもの」
「そんなの数字に出ている、誰にでも判ることだろ?」
「普通の人間はね、事実に沿って行動したりしない。見たいものしか見ないし、やりたいことしかやらないものなんだよ。きみは特別なんだ」
「俺だって、自分のやりたいようにやっているだけだよ」
不思議そうに呟いた吉野に、サウードはただ静かに微笑み返した。
「お待たせ! あれ、まだ箱を開けていなかったの? 早く食べようよ!」
瞳を輝かせて戻ってきた明るいクリスの声に、ふっと部屋の空気が和む。
「そういえば、アレンは? 部屋にいるかと思って呼びにいったのに、まだ帰っていないみたいだった。一緒じゃなかったの?」
早速箱を開けて中身に歓声を上げながら、クリスが視線だけ吉野に向けた。手にはナイフを持ち、もうケーキを切りだしにかかっている。
「ああ、ロンドンに姉貴が来てるんだ。こーんな顔して、嫌々会いに行ったよ。帰ってくるの、門限ギリギリになるんじゃないかな」
吉野は思いっきり眉間に皺を寄せてお道化て告げる。クリスはケラケラと声を立てて笑った。
「あんな美人のお姉さんなのにねぇ。何であんなに仲が悪いんだろうね? 僕は、妹が可愛くて仕方がないけれどなぁ。じゃ、アレンの分、残しておく?」
「これでいいよ。俺、いらないから」
吉野は渡された皿を机に戻し、ちょっと首を傾げて微笑んだ。
「それ、メアリーがお前らにって。俺、甘いもの苦手だしさ」
「もったいないなぁ! 噂のソールスベリー家のヴィクトリアンケーキを食べないなんて! 僕は、どれほどこのケーキに憧れてきたことか!」
クリスは瞳をうるうるとさせて、さも残念そうに吉野に視線を向ける。そして、その様子をポカーンと見ている吉野とサウードを尻目に、皿の上のケーキを捧げ持って大仰に告げた。
「お祖父さまも、お父さまも、口を揃えて仰っていらしたんだ。ヴィクトリアンケーキは、リチャード・ソールスベリーのが一番だって! 夢が叶ったよ。神よ、感謝します!」
寮の薄暗い廊下で退屈そうに佇んでいるクリスとサウードに、吉野はにかっと笑って軽く手を振る。
「ア、アンディって!」
クリスは目を丸くして、口をパクパクさせている。
「え? お前の祖父ちゃんだろ。何、言ってんの?」
吉野は自室の鍵を開け部屋に入ると、どっかりとベッドに腰を下ろす。三学年生からは、これまでの二人部屋から個室に変わっている。その分部屋は狭くなったが、気楽になった。
「ヨシノ、いくらきみでも、お祖父さまを呼び捨てなんて……」
目を白黒させるクリスに、吉野はあっけらかんと笑い返す。
「駄目なの? でも、いつもそう呼んでいるぞ。お前の祖父ちゃん、たまにメールくれるもん。――ほら」と、ポケットから取りだしたスマートフォンを触って、呼びだした写真つきのメールをクリスに向ける。
庭をバックに、あの気難しい祖父がにっこりと笑っている。
「遅咲きの秋薔薇が満開だから見にこい、て言われていたんだけどさぁ。俺も、なんやかんやで忙しかったから」
「なんで……?」
「なんでって、俺たち園芸友達だもの」
知らなかったの? と見あげる吉野の前に、クリスは顔面蒼白で立ちつくしている。サウードは笑いを噛み殺しながらクリスの肩を組むと、「金融友達じゃなくて良かったね」と、冗談とも、皮肉とも取れる言葉を囁いた。
クリスが茫然としている間に、吉野は足下のスポーツバッグから両手で大きな箱を取りだしていた。
「これお土産。ヴィクトリアンケーキだって。メアリーが作ったんだ。あ、メアリーてのはヘンリーの家の家政婦兼コックな」
「本当に! 僕、お茶を淹れてくるよ」
あっという間にショックから立ち直り、クリスは駆けだしていく。そのあまりの速さに残された二人は顔を見合わせ、呆気に取られたまま開け放されたドアから首を出して、廊下を走る彼の後ろ姿を見送った。
「サウード、やっとフェイラーが動くぞ」
急に思いだしたように呟いた吉野の真剣な表情に、サウードもさっと緊張した面持ちで頷いた。
「ヘンリーからの情報だ。間違いない。フェイラーの抱えるシェールオイル子会社の採掘権を、やっと日本の商社に売ったんだ。これで十九億ドルの利益計上だ。今週中に発表される。このニュ―スで、フェイラーの株価は一気に戻るからな。見計らって、フェイラーと原油先物を全力で空売るんだ」
「上げ止まるのを待って、っていうこと?」
慎重に訊き返すサウードに、吉野はがっつりと頷いた。
「あの糞じじい、半年も待たせやがった。もう原油価格を支えきれないんだよ。米国じゃ、シェールオイルのせいで、原油は完全な過剰生産なんだ。あいつら本当に馬鹿じゃないの? 自分たちで、自分たちの首を締め合ってりゃ世話ないよ」
吉野は、サウードを見上げクスクス嗤う。だが、すぐに嗤いを引っ込めると、厳しい視線で眼前の友人を見据えた。
「だけどお前らも覚悟しておけよ。お前ら産油国も無傷じゃ済まない。技術の進歩は目まぐるしく早いんだ。シェールの採算ラインも、以前より下がっているからな。せいぜい、しっかりとヘッジをかけとけよ」
サウードは表情の無いまま静かに頷き、やがて、ふっと緊張を緩めて吐息をついた。
「ありがとう、ヨシノ。きみのお陰で助かっているよ――」
「何を今さら、改まってるんだよ? 大したことじゃないだろ? 皇太子殿下」
吉野の揶揄うような口調に、サウードは苦笑して首を振る。
「皇太子っていっても、いくらでもすげ替えのきく頭にすぎないからね――。骨肉相食むしのぎあいの毎日だよ。王位継承権を持つ人間なんて、二百人からいるんだもの。気をぬいたら足許をすくわれる。無能を晒せば不適格の烙印を押されて早々に隠居生活だ。いつまで皇太子を維持できるかなんて、神のみぞ知るさ」
サウードの乾いた嗤いに、吉野は少し驚いたようだった。
「だから、きみには本当に感謝しているよ。こんな、肉を切らせて骨を断つような方法、僕たちじゃ絶対に思いつかなかったもの」
「そんなの数字に出ている、誰にでも判ることだろ?」
「普通の人間はね、事実に沿って行動したりしない。見たいものしか見ないし、やりたいことしかやらないものなんだよ。きみは特別なんだ」
「俺だって、自分のやりたいようにやっているだけだよ」
不思議そうに呟いた吉野に、サウードはただ静かに微笑み返した。
「お待たせ! あれ、まだ箱を開けていなかったの? 早く食べようよ!」
瞳を輝かせて戻ってきた明るいクリスの声に、ふっと部屋の空気が和む。
「そういえば、アレンは? 部屋にいるかと思って呼びにいったのに、まだ帰っていないみたいだった。一緒じゃなかったの?」
早速箱を開けて中身に歓声を上げながら、クリスが視線だけ吉野に向けた。手にはナイフを持ち、もうケーキを切りだしにかかっている。
「ああ、ロンドンに姉貴が来てるんだ。こーんな顔して、嫌々会いに行ったよ。帰ってくるの、門限ギリギリになるんじゃないかな」
吉野は思いっきり眉間に皺を寄せてお道化て告げる。クリスはケラケラと声を立てて笑った。
「あんな美人のお姉さんなのにねぇ。何であんなに仲が悪いんだろうね? 僕は、妹が可愛くて仕方がないけれどなぁ。じゃ、アレンの分、残しておく?」
「これでいいよ。俺、いらないから」
吉野は渡された皿を机に戻し、ちょっと首を傾げて微笑んだ。
「それ、メアリーがお前らにって。俺、甘いもの苦手だしさ」
「もったいないなぁ! 噂のソールスベリー家のヴィクトリアンケーキを食べないなんて! 僕は、どれほどこのケーキに憧れてきたことか!」
クリスは瞳をうるうるとさせて、さも残念そうに吉野に視線を向ける。そして、その様子をポカーンと見ている吉野とサウードを尻目に、皿の上のケーキを捧げ持って大仰に告げた。
「お祖父さまも、お父さまも、口を揃えて仰っていらしたんだ。ヴィクトリアンケーキは、リチャード・ソールスベリーのが一番だって! 夢が叶ったよ。神よ、感謝します!」
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