胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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四章

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「ハッタリなんでしょ?」
 香り高い紅茶を楽しみながら、のんびりと寛いでいるデヴィッドとは相対照的に、アーネストは厳しい顔で空を睨んでいた。

「だといいんだけれどねぇ――。あながち、いい加減なことを言っている訳でもないんだよ、あの子……」
 アーネストは、空中をピンと弾いて眼前のTS画面を消す。

「本当に冗談ならいいんだけれどねぇ」
「ヘンリーには連絡ついたの?」
「マーカスには伝えたよ」

 おもむろにカップに伸ばした指先がびくりと反応する。アーネストは、慌ててローテーブルに置かれたTSタブレットをタップしている。

「ヘンリー!」
 その声に、デヴィッドも急いで席を移り画面の見えるアーネストの横に移動した。
「アーニー、音、聞こえるようにして」
 直接持主の鼓膜に響くように設定されているTSタブレットをデヴィッドに渡すと、アーネストは唖然と画面上のヘンリーを見つめ、ついで、ほっとしたように微笑んだ。

「なんだ、やっぱりただの冗談だったんだね」
 空中に浮かぶ半透明のヘンリーは、クスクスと笑い続けながら首を横に振った。

『やられたよ、保有株式を一旦売却して現金化し、口座に戻したところだったんだ。ごっそり持っていかれている。さすがに、頭から水をかけられた気分だったよ。まぁ、会社の資金と言っても、こっちの金は表に出せないやつだからね、別にかまわないんだけれど――』

 すーと顔色を無くすアーネストにも、『やっぱり面白いね、彼は――』とヘンリーはいつも通りの、のんびりとした口調だ。

『彼にお礼を言わなくては。おかげでサラがやっと元気を取り戻してくれたよ。これで二度目だからね、彼にセキュリティーを破られたのは。今必死になって、金の行方を追っているところさ。それでね――、』

 いったん言葉を切って、ヘンリーは楽し気に瞳を輝かせ、悪戯っぽく口の端で笑った。

『彼の案に乗ろうと思うんだ。ヨシノに伝えてくれる? ずっと鳴らしているんだけれど、携帯も、TSも出ないんだ』
「あ、ヨシノなら笛を吹いているよ~。その間は、いつも電源切っているからねぇ。ヨシノに何て言うの~」
『その金、好きに使っていいから、フェイラー社の株を買い占めろってね。0.1%分くらいなら何とか買えるだろ。足りないようならもっと資金援助するよ、て。できれば、3%は欲しいところだしね』

 唖然として画面を見つめるデヴィッドと、相変わらず渋い表情のアーネスト。

『まぁ、僕としては、アラブ勢のシェール潰しはもう少し後からだ、と分析しているんだけどね。仕掛けるにはまだ少し早いかなぁ。それでも小手調べにはいいころ合い、』
「ヘンリー、論点が違うだろ! ヨシノにこうも好き勝手させていいわけ? もう、何を言っているんだよ――」

 いつも冷静な兄の激した様子に目を見張り、デヴィッドは、「きみ、本物のヘンリーだよねぇ?」と画面上のラフなシャツ一枚の見知った顔を訝し気に見つめる。

『『スペア』なら、常にネクタイを締めているよ』

 ヘンリーは変わらずにこやかに答えると、眼差しだけは真剣に、アーネストを見据えた。

『それからね、ジョサイアのことだけれど、『彼』に明後日、TSバージョン1.0の追加製造を発表させるよ』
「作らないって、言っていたのに――」
『フェイラーにダメージを与える絶好のチャンスだ。少しくらいの軌道修正はするさ。ルベリーニにジョサイア株を買いに回らせる』
「土日挟んで、月曜日が勝負だね」
『フェイラーに買戻しの隙を与えないように、一気に踏み上げるんだ』
「OKヘンリー、僕の方でも買いに回るよ」

 ふっと会話が途切れた瞬間、デヴィッドが割り込むようにして、「ヨシノは~? お咎めなしなの?」と心配しているのか、不満なのか判らないしかめっ面で口を挟んだ。

『ん? 今、考えているところだよ。こうもやられっ放しも面白くないしね』
 ヘンリーは楽しそうに笑っている。




「あんなヘンリー、久しぶりだ――」

 画面を閉じ、苦笑するアーネストに、デヴィッドも一気に気が抜けたようにソファーにもたれながら、同意するように頷いた。

「フランク以来だね、こうもヘンリーをひっかき廻して、なおかつ受け入れられている特殊な立ち位置の子って」
「彼も、めちゃくちゃだったねぇ――」

 アーネストはデヴィッドと顔を見合わせ、少し寂しそうに笑って、懐かしそうに目を細める。

「でも、ヨシノほどじゃないでしょ~?」
「確かに。ヨシノはもう、僕らの想像の範疇を軽く超えているよ」

 くたびれきった様子でため息をつく。逆にデヴィッドは、落ち着かない様子で兄と同じ巻き毛のブリュネットをかき上げながら、面白そうに瞳を輝かせている。

「ヘンリーが気に入るはずだよねぇ、ここまで、彼を退屈させないんだもの、ヨシノも、アスカちゃんも――。あ、アスカちゃんの薬のこと、ヘンリーに言うの忘れてた」
「ヨシノも判らない子だよ……。あんなにアスカのことに気を使っているのに、あんな薬を使っているんだもの、全く信じられないよ」
「判らない事だらけだねぇ~。でも結局、アスカちゃんは、ヨシノが来たとたんスコーンと眠っているし、やっぱり僕らじゃダメなのかなぁ……」

 寂し気に溜息をついたデヴィッドの肩に、慰めるように手を添えて「ヘンリーにしても同じさ。これだけ長い間一緒にいても、立ち入れないもの、あの二人の間には――。こんなむちゃなやり方でも、こうやってヘンリーを引っ張り出してくれて、ヨシノの思惑は成功したわけだ。――後は、自分でアレンまでたどり着けってとこだね」アーネストは、吉野に同情するかのようにつけ加えた。

「ヘンリーも、キツイよねぇ。それでさぁ、あの子、幾らぐらい彼の金を盗んだの?」
「さぁ? でもフェイラー社の株式の0.1%はギリギリ買えるって言っていたから、4億ドルくらいじゃない?」
「ポンドで言ってよ」
「3億2千5百万くらいだよ」
「――ヨシノ、そんな額のお金をどう扱うんだろう」さすがのデヴィッドも、声を詰まらせて呟いていた。

「ヘンリーも、それを知りたいから、自由にしろって言っているんだよ」
「ヨシノも判らないけれど、ヘンリーも、いつまで経っても謎だねぇ」

 兄弟二人、顔を見合わせ苦笑する。

「お茶でも淹れようか。凡人には、見届けるくらいしかできないからね」


 アーネストは、小さくため息をつくと、ふっと微笑して冷めた紅茶の残るティーポットを持って立ち上がった。




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