207 / 758
四章
3
しおりを挟む
コンコン、と、かすかなノックの音がした。アレンは虚ろな顔で立ち上がり、自室のドアを開ける。
「ヨシノ――」
むすっとした仏頂面で部屋に踏み込んできた吉野は、「ごめんな、昼間」とその顔のまま謝った。
「そんな怖い顔をしているから、怒っているのかな、ってドキドキしちゃったよ」
アレンは強張っていた表情を崩して笑い、ほっとしたように窓際に設えられたソファーにすとんと腰を下ろす。
「この部屋から、ロンドンアイが見えるんだな」
吉野は突っ立ったまま、アレンの背後に広がるロンドンの夜景を見下ろした。青い月輪のような大観覧車のネオンが遠くに輝いている。
「うん。新年の花火も良く見えたよ」
アレンも身体を捻って、窓外を見おろす。
「去年の?」
「うん」
「米国に帰ったんじゃなかったのか?」
アレンは吉野に視線を戻すと、情けなさそうに唇を歪め、ふっと瞼を伏せた。
「クリスマスも、新年も、ひとりですごすなんて、恥ずかし過ぎてクリスには言えなかったんだ」
「しばらくここに泊めて」
吉野はどっかりとアレンの向かいのソファーに腰を下ろすとごろりと寝そべって、履いていた革靴を放り出して足を組む。
「え?」
口をポカンと開けて聞き返すアレンに、吉野は頬を膨らませて駄々を捏ねる。
「俺、お前の兄貴に怒っているんだ。だからあいつの家には帰りたくない。しばらく家出する」
アレンは冗談だと思ったのか、クスクスと笑った。
「僕はかまわないけど、きみのお兄さんが心配なさるよ」
「飛鳥なら大丈夫だ。俺のこと、判ってるから」
吉野は至って真剣な眼差しで答えている。
「えっと、じゃぁ、取りあえず、きみのお兄さんに連絡して。それで許可が貰えたら――」
吉野はカーゴパンツの後ろポケットを探り、チッと舌打ちした。
サラに渡したままだ……。
「スマホ、忘れてきた」
アレンは自分のスマートフォンを吉野に差しだした。
「腹が減った」
よほど疲れているのか、しばらくの間ソファーでぼんやりしていた吉野がいきなり目を開けて呟いた。
「じゃ、食べに行こうか。ここのホテルのレストランはシーフードで有名で、」
アレンは言いかけて、あっと言葉を詰まらせ、紺のフリースにカーゴパンツ姿の吉野の服装を気遣い、言い換えた。
「やっぱり、ルームサービスを頼むよ。その方が気楽でいいよね」
「外に食いに行こう。その前に買い物だ。急ごう、店が閉まっちまう。悪いけど、金、貸しといて。俺、飛びだしてきたから何も持ってきてないんだ」
吉野は両手をひらひらと上げてにっと笑う。
「でも、ラザフォード卿も、フレミング先輩も、しばらく外に出るなって……」
「あいつら、本当にひとを閉じ込めておくのが好きだな。かまうもんか! ここは寮の反省室じゃないんだぞ!」
その反省室にいる時でさえ平気で逃げ出す吉野の言うことを聞いていいものやら、とアレンは困って顔をひきつらせている。
吐き捨てるように憤りをぶつけた吉野は、かまわず靴を履いて立ち上がった。
当たり前のように、早くしろ、とばかりに睨みつけられる。そんな吉野に驚かされ、目を見開いて見つめていたアレンは慌てて頷くと、自分のコートを手に取った。
「それ要らない。タクシーで行くから。タイも外していけよ。邪魔になる」
「カムデンタウン」
タクシーに乗り込み行先を告げた吉野は、また黙りこんで、ぼんやりと車窓から流れるネオンを目で追いかけている。アレンは話かけることもできずに、目を伏せたままじっと座っている。
「そこで止めて」
シャッターが閉められた店が多い中で、まだ煌々と明かりの灯る一軒の店の手前でタクシーを降りた。
「来いよ」
くいっと顎をしゃくる。さっさと店に入って行く。アレンは慌ててその背を追った。
所狭しと並べられた、洋服や靴、雑貨や小物にも見向きもせず、吉野は奥のカウンターに向かうと、「この靴、幾らで買ってくれる?」と自分の足元を指さして言った。
靴を脱がせ、念入りにチェックした店員は、「ま、こんなものかな」と電卓を叩いて見せる。
「ちぇっ、もう一声ないのかよ」
吉野はぐるりと店内を見廻して、つかつかと棚にあった履き古したミリタリーブーツを手に取ると、ダンッとカウンターに置いた。
「これ買うからさ、これだけおまけしてくれよ。こんな値段じゃ、ジャケットが買えない。このままじゃ、凍え死んじまう」と唇を尖らせ電卓を弾く。
「ヨシノ! お金なら――」
吉野の背後で唖然とその様子を見守っていたアレンは、我に返って慌てて財布を取り出そうとスーツのポケットに手を入れる。吉野はその手を押さえて、「こいつのスーツも、幾らになる? ブルックスのオーダー品だぜ」と、アレンにポケットに入っている物を取り出させ、ジャケットを脱がせると、もう一度抜き忘れはないか念入りに叩いてから、カウンターに置いた。
「それからこいつに着るもの見繕ってやって。寒がりだから暖かいやつ」
「綺麗な子だねぇ」
金髪を綺麗に刈りこんだひょろりと背の高いその店員は、目を細めてにこっと笑うと、軽くウインクして言った。
「まかせて、サイコーにロックにしてあげるよ!」
「ヨシノ――」
むすっとした仏頂面で部屋に踏み込んできた吉野は、「ごめんな、昼間」とその顔のまま謝った。
「そんな怖い顔をしているから、怒っているのかな、ってドキドキしちゃったよ」
アレンは強張っていた表情を崩して笑い、ほっとしたように窓際に設えられたソファーにすとんと腰を下ろす。
「この部屋から、ロンドンアイが見えるんだな」
吉野は突っ立ったまま、アレンの背後に広がるロンドンの夜景を見下ろした。青い月輪のような大観覧車のネオンが遠くに輝いている。
「うん。新年の花火も良く見えたよ」
アレンも身体を捻って、窓外を見おろす。
「去年の?」
「うん」
「米国に帰ったんじゃなかったのか?」
アレンは吉野に視線を戻すと、情けなさそうに唇を歪め、ふっと瞼を伏せた。
「クリスマスも、新年も、ひとりですごすなんて、恥ずかし過ぎてクリスには言えなかったんだ」
「しばらくここに泊めて」
吉野はどっかりとアレンの向かいのソファーに腰を下ろすとごろりと寝そべって、履いていた革靴を放り出して足を組む。
「え?」
口をポカンと開けて聞き返すアレンに、吉野は頬を膨らませて駄々を捏ねる。
「俺、お前の兄貴に怒っているんだ。だからあいつの家には帰りたくない。しばらく家出する」
アレンは冗談だと思ったのか、クスクスと笑った。
「僕はかまわないけど、きみのお兄さんが心配なさるよ」
「飛鳥なら大丈夫だ。俺のこと、判ってるから」
吉野は至って真剣な眼差しで答えている。
「えっと、じゃぁ、取りあえず、きみのお兄さんに連絡して。それで許可が貰えたら――」
吉野はカーゴパンツの後ろポケットを探り、チッと舌打ちした。
サラに渡したままだ……。
「スマホ、忘れてきた」
アレンは自分のスマートフォンを吉野に差しだした。
「腹が減った」
よほど疲れているのか、しばらくの間ソファーでぼんやりしていた吉野がいきなり目を開けて呟いた。
「じゃ、食べに行こうか。ここのホテルのレストランはシーフードで有名で、」
アレンは言いかけて、あっと言葉を詰まらせ、紺のフリースにカーゴパンツ姿の吉野の服装を気遣い、言い換えた。
「やっぱり、ルームサービスを頼むよ。その方が気楽でいいよね」
「外に食いに行こう。その前に買い物だ。急ごう、店が閉まっちまう。悪いけど、金、貸しといて。俺、飛びだしてきたから何も持ってきてないんだ」
吉野は両手をひらひらと上げてにっと笑う。
「でも、ラザフォード卿も、フレミング先輩も、しばらく外に出るなって……」
「あいつら、本当にひとを閉じ込めておくのが好きだな。かまうもんか! ここは寮の反省室じゃないんだぞ!」
その反省室にいる時でさえ平気で逃げ出す吉野の言うことを聞いていいものやら、とアレンは困って顔をひきつらせている。
吐き捨てるように憤りをぶつけた吉野は、かまわず靴を履いて立ち上がった。
当たり前のように、早くしろ、とばかりに睨みつけられる。そんな吉野に驚かされ、目を見開いて見つめていたアレンは慌てて頷くと、自分のコートを手に取った。
「それ要らない。タクシーで行くから。タイも外していけよ。邪魔になる」
「カムデンタウン」
タクシーに乗り込み行先を告げた吉野は、また黙りこんで、ぼんやりと車窓から流れるネオンを目で追いかけている。アレンは話かけることもできずに、目を伏せたままじっと座っている。
「そこで止めて」
シャッターが閉められた店が多い中で、まだ煌々と明かりの灯る一軒の店の手前でタクシーを降りた。
「来いよ」
くいっと顎をしゃくる。さっさと店に入って行く。アレンは慌ててその背を追った。
所狭しと並べられた、洋服や靴、雑貨や小物にも見向きもせず、吉野は奥のカウンターに向かうと、「この靴、幾らで買ってくれる?」と自分の足元を指さして言った。
靴を脱がせ、念入りにチェックした店員は、「ま、こんなものかな」と電卓を叩いて見せる。
「ちぇっ、もう一声ないのかよ」
吉野はぐるりと店内を見廻して、つかつかと棚にあった履き古したミリタリーブーツを手に取ると、ダンッとカウンターに置いた。
「これ買うからさ、これだけおまけしてくれよ。こんな値段じゃ、ジャケットが買えない。このままじゃ、凍え死んじまう」と唇を尖らせ電卓を弾く。
「ヨシノ! お金なら――」
吉野の背後で唖然とその様子を見守っていたアレンは、我に返って慌てて財布を取り出そうとスーツのポケットに手を入れる。吉野はその手を押さえて、「こいつのスーツも、幾らになる? ブルックスのオーダー品だぜ」と、アレンにポケットに入っている物を取り出させ、ジャケットを脱がせると、もう一度抜き忘れはないか念入りに叩いてから、カウンターに置いた。
「それからこいつに着るもの見繕ってやって。寒がりだから暖かいやつ」
「綺麗な子だねぇ」
金髪を綺麗に刈りこんだひょろりと背の高いその店員は、目を細めてにこっと笑うと、軽くウインクして言った。
「まかせて、サイコーにロックにしてあげるよ!」
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
霧のはし 虹のたもとで
萩尾雅縁
BL
大学受験に失敗した比良坂晃(ひらさかあきら)は、心機一転イギリスの大学へと留学する。
古ぼけた学生寮に嫌気のさした晃は、掲示板のメモからシェアハウスのルームメイトに応募するが……。
ひょんなことから始まった、晃・アルビー・マリーの共同生活。
美貌のアルビーに憧れる晃は、生活に無頓着な彼らに振り回されながらも奮闘する。
一つ屋根の下、徐々に明らかになる彼らの事情。
そして晃の真の目的は?
英国の四季を通じて織り成される、日常系心の旅路。
偏食の吸血鬼は人狼の血を好む
琥狗ハヤテ
BL
人類が未曽有の大災害により絶滅に瀕したとき救済の手を差し伸べたのは、不老不死として人間の文明の影で生きていた吸血鬼の一族だった。その現筆頭である吸血鬼の真祖・レオニス。彼は生き残った人類と協力し、長い時間をかけて文明の再建を果たした。
そして新たな世界を築き上げた頃、レオニスにはひとつ大きな悩みが生まれていた。
【吸血鬼であるのに、人の血にアレルギー反応を引き起こすということ】
そんな彼の前に、とても「美味しそうな」男が現れて―――…?!
【孤独でニヒルな(絶滅一歩手前)の人狼×紳士でちょっと天然(?)な吸血鬼】
◆閲覧ありがとうございます。小説投稿は初めてですがのんびりと完結まで書いてゆけたらと思います。「pixiv」にも同時連載中。
◆ダブル主人公・人狼と吸血鬼の一人称視点で交互に物語が進んでゆきます。
◆現在・毎日17時頃更新。
◆年齢制限の話数には(R)がつきます。ご注意ください。
◆未来、部分的に挿絵や漫画で描けたらなと考えています☺
夏の扉を開けるとき
萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 2nd season」
アルビーの留学を控えた二か月間の夏物語。
僕の心はきみには見えない――。
やっと通じ合えたと思ったのに――。
思いがけない闖入者に平穏を乱され、冷静ではいられないアルビー。
不可思議で傍若無人、何やら訳アリなコウの友人たちに振り回され、断ち切れない過去のしがらみが浮かび上がる。
夢と現を両手に掬い、境界線を綱渡りする。
アルビーの心に映る万華鏡のように脆く、危うい世界が広がる――。
*****
コウからアルビーへ一人称視点が切り替わっていますが、続編として内容は続いています。独立した作品としては読めませんので、「霧のはし 虹のたもとで」からお読み下さい。
注・精神疾患に関する記述があります。ご不快に感じられる面があるかもしれません。
(番外編「憂鬱な朝」をプロローグとして挿入しています)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる