胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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四章

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 飛鳥が目を開けると、濃緑の天蓋がまず視界に入る。ゆっくりと首を動かす。同色のカバーと枕の向こうに、こげ茶色の支柱と優しい空色の壁紙が見える。ぐるりと頭の位置を変える。
 漆黒のまつ毛に縁どられた大きなペリドットの瞳が、そこにあった。明るい、撥ねつけるようなその輝きに魅入られて、目が離せなくなっていた。

 黒々とした長い髪を一つに編んで肩から垂らし、ベッド脇に両手で頬杖をついて、飛鳥をじっと見つめていたその目が数回瞬きをして、小さな口がゆっくりと開いた。

「大丈夫?」
「アスカ、気分は?」

 可愛らしい声の上に、ヘンリーの声が重なる。飛鳥は思わずシーツの端を握ってぐいっと引上げ、情けない自分の顔を隠した。

「サラ、ちょっと外してくれる?」
 サラは軽く頷いて立ち上がり、パタパタと音を立てて部屋を出た。


 ドアの閉まる音を聴いて、ほっとしたようにおずおずと顔を出し、起き上がった飛鳥は、「僕はレディーの前で、すごく失礼なことをしてしまったのかな?」と、泣きそうな口調でヘンリーを見やる。ヘンリーは微笑んで首を振った。

「吐いたりはしなかったよ。その替わり、倒れたけどね」
「似たようなものじゃないか――」
 飛鳥はまた、自分の膝に顔を埋めた。
「幾分かはマシだろう? すまなかったね。きみが三半規管が弱いことをヨシノから聞いていたのに。車酔いしてしまったんだろう? もっと休憩を取りながら来るべきだった」
「最悪の第一印象だ――」
 飛鳥は膝を抱えたまま呟いている。
「起きれるようならお茶にしよう。それとも、もっと休む?」
 ヘンリーは慰めるように、飛鳥の髪をさらりと撫でる。


「起きるよ」
 ベッドからもぞもぞと這い出したものの、とたんにドスンと腰を突いた。支えようと伸ばされたヘンリーの腕を拒んで、飛鳥は大きく肩で息を継いだ。

「彼女、幾つなの?」
「きみの弟と同じだよ」
「嘘だろ? もっと年下かと……。ああ、吉野の見かけが大人び過ぎているのか――。まったく、あいつは図体ばっかりでかくなって、中身はあんなに幼いのに。彼女と反対だね」

 飛鳥はこれまでオンラインで会話してきた理知的なサラと、吉野を比べて苦笑いする。それにしても、十四歳とはとても思えない。二つ、三つは幼く見える。小柄な背と、小さな顔、それにあの作り物のように大きな眼のせいだ。

「ヘンリー、僕はあんな綺麗な女の子、初めて会ったよ。お人形が動いているのかと思った」
「ありがとう。サラも喜ぶよ」
「だからこの失態をなんとか挽回しないと、もう恥ずかし過ぎて、立っていられない気分なんだ」
 飛鳥は大きくため息をつく。

「サラは気にしないよ」
 ヘンリーはクスクスと笑っている。そして、のろのろと立ち上がって、自分の旅行鞄を開いた飛鳥に背を向けて立ち、静かな声で訊ねた。

「きみは、何も訊かないんだね」
「訊いたよ、彼女の年齢」
「そうじゃなくて――。彼女の肌の色や、髪の色や、」
「きみが、きみの妹だって紹介してくれたじゃないか。それに僕は、彼女が本物のシューニヤだっていうこと、判るよ。それ以上に知らなきゃいけないことがある?」

 飛鳥はまるで、知りたくない、とでも言うように、ヘンリーを遮った。

「サラは学校にすら通っていないんだ。こんなふうに人目から隠すように暮らさせていることを、きみは非難しないの?」

 ヘンリーは背中を向けたまま、後ろ手に組んだ手をぎゅっと握り合わせていた。
「僕だって吉野を隠したいよ。吉野が女の子だったら、きっと、きみと同じようにしていた。あんな、彼女ほどの才能の塊を人目に晒せるわけがないじゃないか。きみは間違っていないよ。そうやって彼女を守ってきたんだろう?」

 飛鳥は言葉を切って、ごそごそと新しいシャツを出し着替え始めた。

「ヘンリー、タイはいるの? 正式なお茶会?」
「…………。いや、タイはいらない。カジュアルでかまわないよ。それにきみ、まだ本調子じゃないだろ?」

 衣擦れの音が止むのを待って、ヘンリーはゆっくりと振り返った。

「まだ顔色が悪いな」
「また失敗するんじゃないかって、緊張しているんだ」
「きみはそのままで完璧だよ」

 微笑んで、飛鳥の肩に手をかけた。

「行こうか、サラが待ちくたびれているよ。きみに会えるのを、本当に楽しみにしていたんだ」







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