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三章
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「『新製品は、手のひらサイズのTS!』だってさ。順調に拡散されていってるみたいだね。やっぱり、口コミは強いねぇ」
呆れたような口調とは裏腹に、SNSサイトを次々と確認しているアーネストはあくまでも上品に微笑んでいる。
ロンドンのアパートメントの小さな坪庭は、すっかり春めいてラッパ水仙が群れ咲いている。暖かな日差しの中、それを階下に見下ろすベランダのガーデンセットに座り、三人はそれぞれに好きな事をしながら、午後のお茶を楽しんでいた。
「新製品も何もないだろ、まだ何も発売されてないのに」
英文学のテキストから目を離すことなく、吉野はぶっきらぼうに茶々を入れる。
「これが第一弾製品になるよ」
テーブルに置かれたパソコンを凝視したまま、飛鳥が答える。
「そりゃ、そうだな。あの見本市のは惨かったもんな」
「やっぱり、判った?」
「元を知っているからな」
吉野はテキストから顔を上げて、憮然とした面持ちで飛鳥を見つめる。
「実物を映している訳じゃない、人工知能で修正しまくりの拡大画像だろ? ステージ受けのいい、体の良いパフォーマンスだ」
吹き出すアーネストを尻目に、飛鳥も苦笑いしている。
「そうだね、反論できないよ」
飛鳥の提案した、タブレットで拡大できる最大サイズは二十インチだ。それ以上はどう頑張っても、どうしようもなく画像が粗くなり、ヘンリーの望む形には至らなかった。それをコズモスの人工知能技術で画像修正して作り出されたのが、見本市でのTSだったのだ。
「でも、それでいいんじゃないかと思えるんだ。人間の脳だって、眼から得た情報を脳内で画像処理しているんだもの」
のんびりとした飛鳥の言い分に、「TSの人工知能が、人間の脳の代わりをするのか?」と吉野は嫌そうに顔をしかめる。
「僕らが見ていると思っているものも、実は、脳内で取捨選択されたあやふやなものに過ぎないってことだよ。現実そのままよりも、画像処理された見やすいものを人は好むものかもしれないって、最近、思うんだ。実際のところ、空中に映す鏡を創る必要なんてないだろ?」
以前とは違う、熱のない静かな飛鳥の言い方に、吉野は漠然とした不安を感じ取っていた。
「なら、『杜月』はコズモスには必要ない」
「いずれはね」
押し黙った吉野に、飛鳥は優しく微笑みかける。アーネストも黙ったまま紅茶を口に運んでいる。だが、その瞳は睨めつけるように飛鳥を見ている。気詰まりな空気が重たくその場を満たしていた。それを払拭するように、飛鳥は声を高めて訊いた。
「それで、やっぱりスイスには、一緒に来ないの?」
「行かない。そのために、今日わざわざ会いに来たんだろ? 最初の週はクリスの家で、次の週はフレデリックの家に招待されている。もう三回断っているから、行ってくるよ。飛鳥もその方が仕事に打ち込めるだろ?」
先程の飛鳥の言葉が引っかかるのか、吉野は浮かない表情のまま早口で答えた。
「かえって心配で仕事が手につかなくなるよ」
冗談なのか本気なのか判らない微妙な表情の飛鳥に、「過保護だねぇ、全く……」とアーネストはため息をついて苦笑している。
「なぁ」
と、吉野は、急に思い出したように、「ごめん、アーニー、貰った時計をなくしちまったんだ」と申し訳なさそうに頭をぴょこんと下げた。
アーネストは猫のように目を細めて髪を掻き上げると、「じゃあ、新しいのをあげるよ」と、薄く笑った。特に気分を損ねた様子もないので、吉野の方もあっさりと唇に笑みのせ、首を横に振った。
「いいよ、もう買った」
「時計は、いいものを身に着けておかないと」
「そんな高価なもの、またなくすと嫌だからさ」
「アーニー、ごめん。本当にいいよ。学校で、きみがしているような高価なものは必要ないよ」
反論すべく口を開きかけていたアーネストも、飛鳥も口を挟んできたとあっては、渋々引き下がるしかない。軽く肩をすくめ、視線を空に漂わせた。
「日が陰ると、まだまだ寒いね」
徐々に鼠色の雲が広がり、暖かな陽光を遮り始めていた。
飛鳥がぶるっと身震いをしたので、ベランダのテーブルを片づけ、居間に戻ることにした。お茶を淹れ直しにキッチンに向かうアーネストに、コーヒーは自分で淹れる、と、吉野も続く。
「なぁ、アーニー、サラがヘンリーの腹違いの妹って、本当なの?」
湯が沸くのを待つ間、白で統一された生活感のないキッチンの、大理石の天板に腰かけていた吉野から発せられた唐突な質問に、アーネストは眉根を寄せてきつい視線で応えながら、「誰に聞いたの?」と固い表情のまま逆に訊き返した。
「エリオットの先輩」
その返答に、小さくため息をつく。
「それ、誰かに話した?」
吉野は黙って首を振る。
「誰にも言わないでくれる? アスカにも。あの子は――、サラは小さい頃に誘拐されたことがあって、なんというか、いろいろ事情があるんだよ。だから本人から話すまでは、ヘンリーにも訊かないで欲しいんだ」
「本当なんだ?」
重ねて問われた吉野の言葉に、アーネストは諦めたように頷いた。
「何歳?」
「ノーコメント。本人が話すまで、僕は何も喋らないよ。ヨシノ、きみにだって、誰にも触れられたくない大切なものがあるだろう?」
お前たちは、その大切なものを掻っ攫ったじゃないか――。
吉野は無表情に、「解った。もう訊かない。誰にも言わないから安心して」と告げ、背を向けて沸騰し過ぎた湯を止め、しばらく冷ましてから、コーヒードリッパーに注ぎ入れた。
呆れたような口調とは裏腹に、SNSサイトを次々と確認しているアーネストはあくまでも上品に微笑んでいる。
ロンドンのアパートメントの小さな坪庭は、すっかり春めいてラッパ水仙が群れ咲いている。暖かな日差しの中、それを階下に見下ろすベランダのガーデンセットに座り、三人はそれぞれに好きな事をしながら、午後のお茶を楽しんでいた。
「新製品も何もないだろ、まだ何も発売されてないのに」
英文学のテキストから目を離すことなく、吉野はぶっきらぼうに茶々を入れる。
「これが第一弾製品になるよ」
テーブルに置かれたパソコンを凝視したまま、飛鳥が答える。
「そりゃ、そうだな。あの見本市のは惨かったもんな」
「やっぱり、判った?」
「元を知っているからな」
吉野はテキストから顔を上げて、憮然とした面持ちで飛鳥を見つめる。
「実物を映している訳じゃない、人工知能で修正しまくりの拡大画像だろ? ステージ受けのいい、体の良いパフォーマンスだ」
吹き出すアーネストを尻目に、飛鳥も苦笑いしている。
「そうだね、反論できないよ」
飛鳥の提案した、タブレットで拡大できる最大サイズは二十インチだ。それ以上はどう頑張っても、どうしようもなく画像が粗くなり、ヘンリーの望む形には至らなかった。それをコズモスの人工知能技術で画像修正して作り出されたのが、見本市でのTSだったのだ。
「でも、それでいいんじゃないかと思えるんだ。人間の脳だって、眼から得た情報を脳内で画像処理しているんだもの」
のんびりとした飛鳥の言い分に、「TSの人工知能が、人間の脳の代わりをするのか?」と吉野は嫌そうに顔をしかめる。
「僕らが見ていると思っているものも、実は、脳内で取捨選択されたあやふやなものに過ぎないってことだよ。現実そのままよりも、画像処理された見やすいものを人は好むものかもしれないって、最近、思うんだ。実際のところ、空中に映す鏡を創る必要なんてないだろ?」
以前とは違う、熱のない静かな飛鳥の言い方に、吉野は漠然とした不安を感じ取っていた。
「なら、『杜月』はコズモスには必要ない」
「いずれはね」
押し黙った吉野に、飛鳥は優しく微笑みかける。アーネストも黙ったまま紅茶を口に運んでいる。だが、その瞳は睨めつけるように飛鳥を見ている。気詰まりな空気が重たくその場を満たしていた。それを払拭するように、飛鳥は声を高めて訊いた。
「それで、やっぱりスイスには、一緒に来ないの?」
「行かない。そのために、今日わざわざ会いに来たんだろ? 最初の週はクリスの家で、次の週はフレデリックの家に招待されている。もう三回断っているから、行ってくるよ。飛鳥もその方が仕事に打ち込めるだろ?」
先程の飛鳥の言葉が引っかかるのか、吉野は浮かない表情のまま早口で答えた。
「かえって心配で仕事が手につかなくなるよ」
冗談なのか本気なのか判らない微妙な表情の飛鳥に、「過保護だねぇ、全く……」とアーネストはため息をついて苦笑している。
「なぁ」
と、吉野は、急に思い出したように、「ごめん、アーニー、貰った時計をなくしちまったんだ」と申し訳なさそうに頭をぴょこんと下げた。
アーネストは猫のように目を細めて髪を掻き上げると、「じゃあ、新しいのをあげるよ」と、薄く笑った。特に気分を損ねた様子もないので、吉野の方もあっさりと唇に笑みのせ、首を横に振った。
「いいよ、もう買った」
「時計は、いいものを身に着けておかないと」
「そんな高価なもの、またなくすと嫌だからさ」
「アーニー、ごめん。本当にいいよ。学校で、きみがしているような高価なものは必要ないよ」
反論すべく口を開きかけていたアーネストも、飛鳥も口を挟んできたとあっては、渋々引き下がるしかない。軽く肩をすくめ、視線を空に漂わせた。
「日が陰ると、まだまだ寒いね」
徐々に鼠色の雲が広がり、暖かな陽光を遮り始めていた。
飛鳥がぶるっと身震いをしたので、ベランダのテーブルを片づけ、居間に戻ることにした。お茶を淹れ直しにキッチンに向かうアーネストに、コーヒーは自分で淹れる、と、吉野も続く。
「なぁ、アーニー、サラがヘンリーの腹違いの妹って、本当なの?」
湯が沸くのを待つ間、白で統一された生活感のないキッチンの、大理石の天板に腰かけていた吉野から発せられた唐突な質問に、アーネストは眉根を寄せてきつい視線で応えながら、「誰に聞いたの?」と固い表情のまま逆に訊き返した。
「エリオットの先輩」
その返答に、小さくため息をつく。
「それ、誰かに話した?」
吉野は黙って首を振る。
「誰にも言わないでくれる? アスカにも。あの子は――、サラは小さい頃に誘拐されたことがあって、なんというか、いろいろ事情があるんだよ。だから本人から話すまでは、ヘンリーにも訊かないで欲しいんだ」
「本当なんだ?」
重ねて問われた吉野の言葉に、アーネストは諦めたように頷いた。
「何歳?」
「ノーコメント。本人が話すまで、僕は何も喋らないよ。ヨシノ、きみにだって、誰にも触れられたくない大切なものがあるだろう?」
お前たちは、その大切なものを掻っ攫ったじゃないか――。
吉野は無表情に、「解った。もう訊かない。誰にも言わないから安心して」と告げ、背を向けて沸騰し過ぎた湯を止め、しばらく冷ましてから、コーヒードリッパーに注ぎ入れた。
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