137 / 745
三章
6
しおりを挟む
「綺麗な顔だな。その容姿で稼ぐなら来る場所を間違っている。ハリウッドはもっと西だ」
米国、ラスベガスの国際見本市講演会場の喫煙所で、壁にもたれ掛かって煙草を吸っていたリック・カールトンは、今まさに通り過ぎようとした二人づれの一方に声をかけた。
「失礼、僕のことですか?」
ゆっくりと振り返ったその男は、悠然とカールトンに面を向けた。
「稼ぎに来たわけではありませんよ。金ならもう充分にありますからね」
「それなら、お坊ちゃんが何をしに? 新作ゲームでも探しているのかい?」
「『俺たちが世界を変える』――、あなたに出来る事は僕たちにも出来る。それを証明しに来たんですよ」
ヘンリー・ソールスベリーは、おもむろに右手を差し出しながら微笑んでいる。リック・カールトンは、煙草を挟んだ右手をそのまま唇に運び、「握手は目上からだ。パブリックスクールで習わなかったのか?」と、ふーと煙を吹きかけるようにして応えた。
「僕に、あなたが手を差し出すのを待てと? 何か勘違いなさっていらっしゃるのではありませんか?」
ヘンリーは、壁際のマガジンラックに並べられている雑誌のひとつを指で弾くと、「読みましたよ。この中でピカソの言葉を引用されていましたね? 『優れた芸術家は真似をし、偉大な芸術家は盗む』でしたっけ? 大学教育すら耐えられなかったあなたが、芸術を語るなんて!」と、馬鹿にしたように顎をしゃくる。
「上流気取り!」
眉根を寄せ、手にしていた煙草を灰皿に叩きつけるカールトンに、「成り上がりが芸術を口にするのは百年早いよ。優れた才能は天からのギフトだ。あなたのような盗人に盗めるようなものではない」と、親子ほども年下の、まだ学生でもある若者はそう言って薄ら笑いを浮かべた。
髪の毛一本から爪の先まで完璧な、上流階級の男――。
カールトンはがむしゃらに、ハイエナのように貪欲に生き、階段を駆け上がってここまできたのだ。対極にある世界に住む、全てを与えられてきた若造に、こうも馬鹿にされ黙っていられる訳がない。歯ぎしりをして吐き捨てるように言い、睨みつける。
「それはそれは! 貴族のお坊ちゃんのお遊びをぜひとも拝見させて貰うよ」
「あなたのために中央座席を押さえておきますよ。それとも、出口近くの方がいいかな? 発表が終わり次第、報道陣は一番にあなたのコメントを欲しがるでしょうからね。早々に逃げられるようにしておかなければね」
にこやかな笑顔から柔らかく発せられるクイーンズ・イングリッシュは、聞くほどにカールトンを苛立たせる。二本目の煙草に火を付け、深く吸い込むと、「せいぜい恥をかかないことだな。いまだ旧時代の英国と違って、米国の観衆は目が肥えている」彼はもうこの忌々しい男から、視線を逸らすことにした。
「あなたもね。ご進言感謝します」
ヘンリーは、最後まで顎を突き出した高慢な態度のままで軽く会釈すると、歩み去って行った。
「随分と無礼な奴だな。あいつに比べれば俺の若い頃の方がまだマシじゃなかったか?」
カールトンは呆れたように額に皺をよせ、ニヤニヤと成行きを見守っていた旧友でもある部下に同意を求め、振り返る。
「どっこいどっこいだね。スーツを着ているかどうかの差だな」
訊ねられた友人は、肩を震わせて笑いを堪えている。
「それにしても美男子だねぇ。メディアが飛びつきたくなる顔だな」
「おまけに血統書付き。米国資産家と英国貴族のサラブレッドだよ。祖父さんの金で遊んでいるだけさ」
カールトンは、ふん、と鼻で嗤って、三本目の煙草に火を付けた。
「そうとも言えないだろ? お前が飯を食っている間に、日本の『杜月』と合併を発表したぞ。残念だな。うちが欲しかったのに。横からまんまとかっ攫われた」
カールトンは、煙草を銜えようとしていた手を止め、眉根を寄せた。
「聞いていない」
「だから今、言っているだろ。合併して、ホールディングス化だ。なんとかって、サンスクリットの変な社名だった」
「サンスクリット? 貴族の坊ちゃんは、インド哲学でもかじっているのか?」
「さぁ? 本人に訊けよ」
大袈裟に両腕を広げ頭を振る部下の肩越しに、さっきの若造の去って行ったドアを眺めた。
――優れた才能は天からのギフト。
先程の言葉が脳裏を掠める。
「『杜月』はまずいな……」
カールトンはぼんやりとしたまま、いつもの癖で手を打ち合わせていた。
「あつっ!」
指に挟んだままの煙草のことを忘れていたのだ。反対の手に落ちてきた灰に思わず叫び声を上げる。
傍らの友人は大声で笑い、「なんだ、動揺しているのか? 『杜月』っていったって、お前の尊敬していたあの爺さんはもういないじゃないか。今の『杜月』は、爺さんの特許で食いつないでいるだけの会社だろ? まぁ、確かにあの特許は魅力だったけどな」
呑気に笑う部下を尻目に、四本目の煙草を取り出しかけ、また内ポケットにしまい込むと、「行くぞ」と、カールトンは足早に歩き出した。
「見ないのか?」
慌てて煙草を揉み消し、会場とは反対方向に進むその背中に声をかける。振り返りもせずに、カールトンは怒鳴りつけるように叫んだ。
「控室にだってモニターくらいついてるだろ! ディーンを呼んでおけ」
米国、ラスベガスの国際見本市講演会場の喫煙所で、壁にもたれ掛かって煙草を吸っていたリック・カールトンは、今まさに通り過ぎようとした二人づれの一方に声をかけた。
「失礼、僕のことですか?」
ゆっくりと振り返ったその男は、悠然とカールトンに面を向けた。
「稼ぎに来たわけではありませんよ。金ならもう充分にありますからね」
「それなら、お坊ちゃんが何をしに? 新作ゲームでも探しているのかい?」
「『俺たちが世界を変える』――、あなたに出来る事は僕たちにも出来る。それを証明しに来たんですよ」
ヘンリー・ソールスベリーは、おもむろに右手を差し出しながら微笑んでいる。リック・カールトンは、煙草を挟んだ右手をそのまま唇に運び、「握手は目上からだ。パブリックスクールで習わなかったのか?」と、ふーと煙を吹きかけるようにして応えた。
「僕に、あなたが手を差し出すのを待てと? 何か勘違いなさっていらっしゃるのではありませんか?」
ヘンリーは、壁際のマガジンラックに並べられている雑誌のひとつを指で弾くと、「読みましたよ。この中でピカソの言葉を引用されていましたね? 『優れた芸術家は真似をし、偉大な芸術家は盗む』でしたっけ? 大学教育すら耐えられなかったあなたが、芸術を語るなんて!」と、馬鹿にしたように顎をしゃくる。
「上流気取り!」
眉根を寄せ、手にしていた煙草を灰皿に叩きつけるカールトンに、「成り上がりが芸術を口にするのは百年早いよ。優れた才能は天からのギフトだ。あなたのような盗人に盗めるようなものではない」と、親子ほども年下の、まだ学生でもある若者はそう言って薄ら笑いを浮かべた。
髪の毛一本から爪の先まで完璧な、上流階級の男――。
カールトンはがむしゃらに、ハイエナのように貪欲に生き、階段を駆け上がってここまできたのだ。対極にある世界に住む、全てを与えられてきた若造に、こうも馬鹿にされ黙っていられる訳がない。歯ぎしりをして吐き捨てるように言い、睨みつける。
「それはそれは! 貴族のお坊ちゃんのお遊びをぜひとも拝見させて貰うよ」
「あなたのために中央座席を押さえておきますよ。それとも、出口近くの方がいいかな? 発表が終わり次第、報道陣は一番にあなたのコメントを欲しがるでしょうからね。早々に逃げられるようにしておかなければね」
にこやかな笑顔から柔らかく発せられるクイーンズ・イングリッシュは、聞くほどにカールトンを苛立たせる。二本目の煙草に火を付け、深く吸い込むと、「せいぜい恥をかかないことだな。いまだ旧時代の英国と違って、米国の観衆は目が肥えている」彼はもうこの忌々しい男から、視線を逸らすことにした。
「あなたもね。ご進言感謝します」
ヘンリーは、最後まで顎を突き出した高慢な態度のままで軽く会釈すると、歩み去って行った。
「随分と無礼な奴だな。あいつに比べれば俺の若い頃の方がまだマシじゃなかったか?」
カールトンは呆れたように額に皺をよせ、ニヤニヤと成行きを見守っていた旧友でもある部下に同意を求め、振り返る。
「どっこいどっこいだね。スーツを着ているかどうかの差だな」
訊ねられた友人は、肩を震わせて笑いを堪えている。
「それにしても美男子だねぇ。メディアが飛びつきたくなる顔だな」
「おまけに血統書付き。米国資産家と英国貴族のサラブレッドだよ。祖父さんの金で遊んでいるだけさ」
カールトンは、ふん、と鼻で嗤って、三本目の煙草に火を付けた。
「そうとも言えないだろ? お前が飯を食っている間に、日本の『杜月』と合併を発表したぞ。残念だな。うちが欲しかったのに。横からまんまとかっ攫われた」
カールトンは、煙草を銜えようとしていた手を止め、眉根を寄せた。
「聞いていない」
「だから今、言っているだろ。合併して、ホールディングス化だ。なんとかって、サンスクリットの変な社名だった」
「サンスクリット? 貴族の坊ちゃんは、インド哲学でもかじっているのか?」
「さぁ? 本人に訊けよ」
大袈裟に両腕を広げ頭を振る部下の肩越しに、さっきの若造の去って行ったドアを眺めた。
――優れた才能は天からのギフト。
先程の言葉が脳裏を掠める。
「『杜月』はまずいな……」
カールトンはぼんやりとしたまま、いつもの癖で手を打ち合わせていた。
「あつっ!」
指に挟んだままの煙草のことを忘れていたのだ。反対の手に落ちてきた灰に思わず叫び声を上げる。
傍らの友人は大声で笑い、「なんだ、動揺しているのか? 『杜月』っていったって、お前の尊敬していたあの爺さんはもういないじゃないか。今の『杜月』は、爺さんの特許で食いつないでいるだけの会社だろ? まぁ、確かにあの特許は魅力だったけどな」
呑気に笑う部下を尻目に、四本目の煙草を取り出しかけ、また内ポケットにしまい込むと、「行くぞ」と、カールトンは足早に歩き出した。
「見ないのか?」
慌てて煙草を揉み消し、会場とは反対方向に進むその背中に声をかける。振り返りもせずに、カールトンは怒鳴りつけるように叫んだ。
「控室にだってモニターくらいついてるだろ! ディーンを呼んでおけ」
1
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる