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三章
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「ニューイヤーパーティー?」
熱も下がりすっかり元気になった吉野は、器用に左手でコーヒーを淹れながら、遅い朝食を取る飛鳥に訊き返していた。
「また酒だろ?」
露骨に、さも嫌そうに、吉野は顔をしかめてみせる。
「パブに集まって、みんなでカウントダウンするだけだよ。ほとんどの学生は帰省しているから、せめて残っている連中だけでも騒ごうって」
「行ってこいよ。クリスマス・ディナーも、俺のせいで出席できなかったしな」
日本にいた頃とは違って、カレッジでのイベントに積極的に参加し、交流を厭わない飛鳥を嬉しく思うのと、新歓の折の、連日の飲み会での醜態を思い比べ、吉野は迷いながらも仕方なく勧めていた。飛鳥のためには、その方がいいに決まっている。つい心配がつのってしまうのは、自分が過保護に考え過ぎるのだ、と半ば自嘲的に反省しているのだ。
「吉野もぜひにって」
飛鳥は、困ったように笑って言った。
「なんで? 関係ないだろ」
怪訝そうに訊き返す吉野に、飛鳥は小さくため息を漏らし、それこそ仕方がなさそうに、小声で告げる。
「ポーカー」
「ああ――。じゃあ、よけいに俺、行かれないわ。この腕じゃシャッフルできない」
「やっぱり、いかさましていたんだ」
飛鳥は、むっと眉根を寄せる。
「まぁ、いかさまするほどの相手でもなかったけれどな。大差でさっさとケリつけたかったからさ」
「本当に、もう、いい加減にしなよ――」
今度は、飛鳥も遠慮なく、大きくため息を吐いた。
「あの連中になら、いかさまなしでも十分に勝てるよ。インテリってのは博打しないんだな。張り方が滅茶苦茶だったよ、どいつもこいつも」
大真面目な顔をしていう吉野に、「ケンブリッジの学生には、木村さんみたいな友人はなかなかいないだろうしね」と飛鳥は呆れたように苦笑して、懐かしく、吉野のポーカーの『師匠』を思い浮かべた。
木村さんは、引退した元カジノディーラーで、飛鳥たちの祖父の友人だった。祖父よりも少し年上で、上品で物腰の柔らかなお洒落な人だ。だが、中身は根っからのギャンブラーで、内気で気の弱い飛鳥よりも、負けん気が強くて何よりも数字に強い吉野を気に入って、ことの他、可愛がってくれたのだ。
吉野に、様々なトランプゲームから、ダイス、ルーレットまで教えてくれたのはいいとして、いかさまの見抜き方からやり方まで、プロの技を叩きこんでくれたことに感謝していいのかどうか、飛鳥にも未だに判断がつかない。今となっては、懐かしいばかりの人ではある――。
「とにかく、腕前を披露するのはオンラインゲームだけにしてくれよ。みんなプライドが高い連中ばかりなんだから。必要ない恨みまで買うことはないんだからね」
言い聞かすように人差し指を立て、軽く吉野を睨むと、「飛鳥が酒飲んで、潰れたりしなけりゃいいんだよ」と吉野の方も素知らぬ顔で言い返した。
「取り敢えず、顔見せるだけでいいから来てよ。ポーカー抜きで。なんかもう、みんな、うるさいんだ、お前に会わせろって」
「俺、行かなきゃダメなわけ? それなら、まぁ、今日はしない。ていうか、この手じゃできない」
渋々とした口調で、だが裏腹の屈託のない笑顔で応じる吉野に、飛鳥もつい頬をほころばせて、「約束だよ」と念を押す。吉野にしてみれば、家で心配しながら飛鳥の帰りを待つよりも、面倒であっても傍にいられる方がマシかもしれない、という思惑であったのだが――。
夜十時をかなり回ってから、所属するカレッジの裏手にある、いつも学生連中が集まる『オールド・スター』というこぢんまりとしたパブに、飛鳥は吉野を伴ってやって来た。
あらかじめ買っておいたチケットを手に、店内に入る。一階と二階でレストランとパブが分かれている造りの多いなかで、ここは一階フロアにそのどちらもが混在していた。テーブル席も、フロアもすでに学生たちで溢れかえっている。つい、勝手が判らず、知っている顔はいないかと飛鳥はキョロキョロと辺りを見回していた。おそらく初めて来た訳ではないのだろうが、酒が入っていた飛鳥には明確な記憶というものがなく、どうもはっきりしないのだ。
だがそんな心配も無用だったようで、壁際の柔らかな間接照明が照らすだけの仄暗い店内に足を踏みこむなり、あっという間に人垣に囲まれていた。客席の端にあるライブステージで演奏される耳障りな音楽と、歌声とに入り混じり、何を話しかけられているのかさえ、よく聞き取れないほどだ。
引っ張られるようにして連れて行かれ、テーブル席についた吉野の目前には、なみなみと注がれたパイントグラスが置かれている。
「おい、俺は未成年だ」
吉野はうっとおしそうにグラスを押しやる。
「無理。怪我が痛くて集中できない」
耳許でしきりと繰り返されるポーカーの誘いを、何度も同じセリフで断った。だがそれにもかかわらず、吉野のつくテーブルではカードゲームが始まっている。吉野は初め、見るでもなくゲームの成り行きを眺めていたが、次第に眉間に皺を寄せ、飛鳥を振り返った。ついさっきまで横に座っていたはずの飛鳥が、いない。
来るんじゃなかった――。
いい加減イラつきながら、助けを求めるように飛鳥を目で探す。慌てて立ち上がり、人垣を掻き分けてフロア中探し廻った。
やがて、ようやく壁際で、すっと背が高く姿勢の良い細身の老人と話込んでいる飛鳥を見つけ、安堵した。
「飛鳥、帰ろう」
吉野は左手で、飛鳥の腕をぐいと引っ張る。
「なんで? もうすぐカウントダウンだよ」
「もう嫌だ。腹立たしい」
吉野はいかにも不愉快そうに顔をしかめているのだ。
「吉野――!」
さすがに飛鳥も吉野をたしなめ、口を尖らせた。弟の不機嫌よりも、その不作法の方が癇に障ったのだ。だが吉野は、そんなことにも気づいてもいないようだった。
「……じゃあ、ポーカーしていい? 俺のいたテーブル、二人組がいかさまして、一人を集中してカモってやがるんだ。見ていて胸糞が悪い」
吐き捨てるように告げた吉野の横で、はっはっは、と豪快な笑い声がした。
「そうかね、なるほどそういう事なら、私が懲らしめてくるかな」と流暢な日本語が聞こえてきた。
吉野はポカンと、その言葉を発した上品な銀髪の紳士を見上げていた。
熱も下がりすっかり元気になった吉野は、器用に左手でコーヒーを淹れながら、遅い朝食を取る飛鳥に訊き返していた。
「また酒だろ?」
露骨に、さも嫌そうに、吉野は顔をしかめてみせる。
「パブに集まって、みんなでカウントダウンするだけだよ。ほとんどの学生は帰省しているから、せめて残っている連中だけでも騒ごうって」
「行ってこいよ。クリスマス・ディナーも、俺のせいで出席できなかったしな」
日本にいた頃とは違って、カレッジでのイベントに積極的に参加し、交流を厭わない飛鳥を嬉しく思うのと、新歓の折の、連日の飲み会での醜態を思い比べ、吉野は迷いながらも仕方なく勧めていた。飛鳥のためには、その方がいいに決まっている。つい心配がつのってしまうのは、自分が過保護に考え過ぎるのだ、と半ば自嘲的に反省しているのだ。
「吉野もぜひにって」
飛鳥は、困ったように笑って言った。
「なんで? 関係ないだろ」
怪訝そうに訊き返す吉野に、飛鳥は小さくため息を漏らし、それこそ仕方がなさそうに、小声で告げる。
「ポーカー」
「ああ――。じゃあ、よけいに俺、行かれないわ。この腕じゃシャッフルできない」
「やっぱり、いかさましていたんだ」
飛鳥は、むっと眉根を寄せる。
「まぁ、いかさまするほどの相手でもなかったけれどな。大差でさっさとケリつけたかったからさ」
「本当に、もう、いい加減にしなよ――」
今度は、飛鳥も遠慮なく、大きくため息を吐いた。
「あの連中になら、いかさまなしでも十分に勝てるよ。インテリってのは博打しないんだな。張り方が滅茶苦茶だったよ、どいつもこいつも」
大真面目な顔をしていう吉野に、「ケンブリッジの学生には、木村さんみたいな友人はなかなかいないだろうしね」と飛鳥は呆れたように苦笑して、懐かしく、吉野のポーカーの『師匠』を思い浮かべた。
木村さんは、引退した元カジノディーラーで、飛鳥たちの祖父の友人だった。祖父よりも少し年上で、上品で物腰の柔らかなお洒落な人だ。だが、中身は根っからのギャンブラーで、内気で気の弱い飛鳥よりも、負けん気が強くて何よりも数字に強い吉野を気に入って、ことの他、可愛がってくれたのだ。
吉野に、様々なトランプゲームから、ダイス、ルーレットまで教えてくれたのはいいとして、いかさまの見抜き方からやり方まで、プロの技を叩きこんでくれたことに感謝していいのかどうか、飛鳥にも未だに判断がつかない。今となっては、懐かしいばかりの人ではある――。
「とにかく、腕前を披露するのはオンラインゲームだけにしてくれよ。みんなプライドが高い連中ばかりなんだから。必要ない恨みまで買うことはないんだからね」
言い聞かすように人差し指を立て、軽く吉野を睨むと、「飛鳥が酒飲んで、潰れたりしなけりゃいいんだよ」と吉野の方も素知らぬ顔で言い返した。
「取り敢えず、顔見せるだけでいいから来てよ。ポーカー抜きで。なんかもう、みんな、うるさいんだ、お前に会わせろって」
「俺、行かなきゃダメなわけ? それなら、まぁ、今日はしない。ていうか、この手じゃできない」
渋々とした口調で、だが裏腹の屈託のない笑顔で応じる吉野に、飛鳥もつい頬をほころばせて、「約束だよ」と念を押す。吉野にしてみれば、家で心配しながら飛鳥の帰りを待つよりも、面倒であっても傍にいられる方がマシかもしれない、という思惑であったのだが――。
夜十時をかなり回ってから、所属するカレッジの裏手にある、いつも学生連中が集まる『オールド・スター』というこぢんまりとしたパブに、飛鳥は吉野を伴ってやって来た。
あらかじめ買っておいたチケットを手に、店内に入る。一階と二階でレストランとパブが分かれている造りの多いなかで、ここは一階フロアにそのどちらもが混在していた。テーブル席も、フロアもすでに学生たちで溢れかえっている。つい、勝手が判らず、知っている顔はいないかと飛鳥はキョロキョロと辺りを見回していた。おそらく初めて来た訳ではないのだろうが、酒が入っていた飛鳥には明確な記憶というものがなく、どうもはっきりしないのだ。
だがそんな心配も無用だったようで、壁際の柔らかな間接照明が照らすだけの仄暗い店内に足を踏みこむなり、あっという間に人垣に囲まれていた。客席の端にあるライブステージで演奏される耳障りな音楽と、歌声とに入り混じり、何を話しかけられているのかさえ、よく聞き取れないほどだ。
引っ張られるようにして連れて行かれ、テーブル席についた吉野の目前には、なみなみと注がれたパイントグラスが置かれている。
「おい、俺は未成年だ」
吉野はうっとおしそうにグラスを押しやる。
「無理。怪我が痛くて集中できない」
耳許でしきりと繰り返されるポーカーの誘いを、何度も同じセリフで断った。だがそれにもかかわらず、吉野のつくテーブルではカードゲームが始まっている。吉野は初め、見るでもなくゲームの成り行きを眺めていたが、次第に眉間に皺を寄せ、飛鳥を振り返った。ついさっきまで横に座っていたはずの飛鳥が、いない。
来るんじゃなかった――。
いい加減イラつきながら、助けを求めるように飛鳥を目で探す。慌てて立ち上がり、人垣を掻き分けてフロア中探し廻った。
やがて、ようやく壁際で、すっと背が高く姿勢の良い細身の老人と話込んでいる飛鳥を見つけ、安堵した。
「飛鳥、帰ろう」
吉野は左手で、飛鳥の腕をぐいと引っ張る。
「なんで? もうすぐカウントダウンだよ」
「もう嫌だ。腹立たしい」
吉野はいかにも不愉快そうに顔をしかめているのだ。
「吉野――!」
さすがに飛鳥も吉野をたしなめ、口を尖らせた。弟の不機嫌よりも、その不作法の方が癇に障ったのだ。だが吉野は、そんなことにも気づいてもいないようだった。
「……じゃあ、ポーカーしていい? 俺のいたテーブル、二人組がいかさまして、一人を集中してカモってやがるんだ。見ていて胸糞が悪い」
吐き捨てるように告げた吉野の横で、はっはっは、と豪快な笑い声がした。
「そうかね、なるほどそういう事なら、私が懲らしめてくるかな」と流暢な日本語が聞こえてきた。
吉野はポカンと、その言葉を発した上品な銀髪の紳士を見上げていた。
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