127 / 739
三章
4
しおりを挟む
「ヨシノ! 降りて来て!」
クリスは息を弾ませて、やっと見つけた木の上の吉野を大声で呼んだ。
「誰の用事? みんな俺のこと、しょうもない用事で使いすぎだろ!」
イライラとした声だけが、遥か頭上から降って来る。
「僕だよ! 僕がきみと話したいんだ!」
クリスは、木の枝に留まる大きな鳥の羽にも見える、黒いローブに向かって更に声を高める。
「じゃ、登って来いよ」
平然と言い放つ吉野に、「無理だよ!」クリスは唇を尖らせて叫び返す。
「ロープを下ろしてやるよ」
吉野は、自分の座っている枝に金具の付いたロープを回して固定し、ゆらりと垂らしてやった。
「それから、これ嵌めて」
次いで、ポケットから取り出した手袋を投げてやる。
クリスは手袋を受け止めて嵌めると、ぎゅっとロープを握りしめ、片足を木に掛ける。
「そうじゃない、結び目があるだろ? そこに足を掛けるんだ」
言われた通りにロープの結び目を足掛かりにして、自分の身体を引き上げた。歯を食いしばり、顔を真っ赤にして必死に登る。やっと、吉野のいる枝が近づいてきた。ふいに痺れるような手の痛みが消え、大きな手に支えられて身体がふわっと宙に浮いた。
慎重に下された座りの良い枝の上で、目の前の幹にしがみつく。しばらくすると早鐘のように鳴り響く心臓と、荒い息使いも落ち着いてきたので、頭をそうっと動かしてみた。葉のすっかり落ち切った冬枯れた樫の木の、三又に分かれた枝の一本に腰かけている。小刻みに震える手を、落ちないようにと幹に回したまま、地面を、ついで樹上に広がる空を眺める。
「空が近いね」
ロープを登っていた時のドキドキとは別の高揚感が、全身に広がっていく。今まで感じたことのない不思議な充足感を味わいながら、自然に湧き上がってくる笑みで頬を緩めて、吉野を振り返る。
「なんでだろう? わずか数ヤード高い場所にいるだけで、世界が違って見えるよ」
「何でだろうな」
吉野もにっと笑って言った。
「それで、話って?」
「この景色を見ていたら、どうでも良くなっちゃったよ」
クリスは木の幹に背をもたせかけて、すっきりと微笑んだ。
「そうか」
吉野も、特に訊こうともしなかった。
「でも、ここに来るまで、かなり迷ったよ」
クリスは思い出したように苦笑いして言った。
「位置情報を教えたのに?」
「池の方が判り易くて良かったのに」
「葉が落ち切ったからな。こっちの方なら、来る奴もいないし。向こうはしょっちゅう、フェイラーがうろうろしているからもう行かない」
「きみを探しているんだよ」
「言うなよ」
それには答えずに、クリスは唇を尖らせて悔しそうな顔をした。
「時々、腹が立つよ。なんでアレンは、きみのこと、あんなに嫌うんだろうって」
「そうか? 俺は解るよ」
茜色に空を染め、金色の塊が幾重にも重なる木々の細い枝の向こうに、ゆっくりと傾き始めている。吉野は眩しそうに目を細めて眺めながら、ぽつりと呟いた。
「綺麗だろ。影絵みたいなんだ」
樹の幹を挟んで背中合わせのクリスに声をかける。クリスはそろそろと身体の向きを変え、顔を上げた。
「羨ましいな。きみはいつも、こんな高みから世界を眺めていたんだね」
二人とも、じっと黙り込んだまま同じ空を見つめた。
「きみはどうして嫌われるのが怖くないの?」
唐突に尋ねられた問いかけに、吉野はククッとおかしそうに笑った。
「どうして万人に好かれたいって思うんだ? 他人に気に入られるように気を使って、生きていて楽しいか?」
逆に尋ねられたが、クリスには答えられなかった。目を見開いて、吉野を凝視する。
「俺は、俺のことを判ってくれる奴が一人いればいいよ」
吉野は枝の上に立ち上がるとじっと遠くを眺め、「帰ろうか。日が落ちると、お前、暗闇の中じゃまともに歩けないだろ?」と、からかうような声音でクリスを促した。
クリスは息を弾ませて、やっと見つけた木の上の吉野を大声で呼んだ。
「誰の用事? みんな俺のこと、しょうもない用事で使いすぎだろ!」
イライラとした声だけが、遥か頭上から降って来る。
「僕だよ! 僕がきみと話したいんだ!」
クリスは、木の枝に留まる大きな鳥の羽にも見える、黒いローブに向かって更に声を高める。
「じゃ、登って来いよ」
平然と言い放つ吉野に、「無理だよ!」クリスは唇を尖らせて叫び返す。
「ロープを下ろしてやるよ」
吉野は、自分の座っている枝に金具の付いたロープを回して固定し、ゆらりと垂らしてやった。
「それから、これ嵌めて」
次いで、ポケットから取り出した手袋を投げてやる。
クリスは手袋を受け止めて嵌めると、ぎゅっとロープを握りしめ、片足を木に掛ける。
「そうじゃない、結び目があるだろ? そこに足を掛けるんだ」
言われた通りにロープの結び目を足掛かりにして、自分の身体を引き上げた。歯を食いしばり、顔を真っ赤にして必死に登る。やっと、吉野のいる枝が近づいてきた。ふいに痺れるような手の痛みが消え、大きな手に支えられて身体がふわっと宙に浮いた。
慎重に下された座りの良い枝の上で、目の前の幹にしがみつく。しばらくすると早鐘のように鳴り響く心臓と、荒い息使いも落ち着いてきたので、頭をそうっと動かしてみた。葉のすっかり落ち切った冬枯れた樫の木の、三又に分かれた枝の一本に腰かけている。小刻みに震える手を、落ちないようにと幹に回したまま、地面を、ついで樹上に広がる空を眺める。
「空が近いね」
ロープを登っていた時のドキドキとは別の高揚感が、全身に広がっていく。今まで感じたことのない不思議な充足感を味わいながら、自然に湧き上がってくる笑みで頬を緩めて、吉野を振り返る。
「なんでだろう? わずか数ヤード高い場所にいるだけで、世界が違って見えるよ」
「何でだろうな」
吉野もにっと笑って言った。
「それで、話って?」
「この景色を見ていたら、どうでも良くなっちゃったよ」
クリスは木の幹に背をもたせかけて、すっきりと微笑んだ。
「そうか」
吉野も、特に訊こうともしなかった。
「でも、ここに来るまで、かなり迷ったよ」
クリスは思い出したように苦笑いして言った。
「位置情報を教えたのに?」
「池の方が判り易くて良かったのに」
「葉が落ち切ったからな。こっちの方なら、来る奴もいないし。向こうはしょっちゅう、フェイラーがうろうろしているからもう行かない」
「きみを探しているんだよ」
「言うなよ」
それには答えずに、クリスは唇を尖らせて悔しそうな顔をした。
「時々、腹が立つよ。なんでアレンは、きみのこと、あんなに嫌うんだろうって」
「そうか? 俺は解るよ」
茜色に空を染め、金色の塊が幾重にも重なる木々の細い枝の向こうに、ゆっくりと傾き始めている。吉野は眩しそうに目を細めて眺めながら、ぽつりと呟いた。
「綺麗だろ。影絵みたいなんだ」
樹の幹を挟んで背中合わせのクリスに声をかける。クリスはそろそろと身体の向きを変え、顔を上げた。
「羨ましいな。きみはいつも、こんな高みから世界を眺めていたんだね」
二人とも、じっと黙り込んだまま同じ空を見つめた。
「きみはどうして嫌われるのが怖くないの?」
唐突に尋ねられた問いかけに、吉野はククッとおかしそうに笑った。
「どうして万人に好かれたいって思うんだ? 他人に気に入られるように気を使って、生きていて楽しいか?」
逆に尋ねられたが、クリスには答えられなかった。目を見開いて、吉野を凝視する。
「俺は、俺のことを判ってくれる奴が一人いればいいよ」
吉野は枝の上に立ち上がるとじっと遠くを眺め、「帰ろうか。日が落ちると、お前、暗闇の中じゃまともに歩けないだろ?」と、からかうような声音でクリスを促した。
1
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
ポンコツ女子は異世界で甘やかされる(R18ルート)
三ツ矢美咲
ファンタジー
投稿済み同タイトル小説の、ifルート・アナザーエンド・R18エピソード集。
各話タイトルの章を本編で読むと、より楽しめるかも。
第?章は前知識不要。
基本的にエロエロ。
本編がちょいちょい小難しい分、こっちはアホな話も書く予定。
一旦中断!詳細は近況を!
(完結)元お義姉様に麗しの王太子殿下を取られたけれど・・・・・・エメリーン編
青空一夏
恋愛
「元お義姉様に麗しの王太子殿下を取られたけれど・・・・・・」の続編。エメリーンの物語です。
以前の☆小説で活躍したガマちゃんズ(☆「お姉様を選んだ婚約者に乾杯」に出演)が出てきます。おとぎ話風かもしれません。
※ガマちゃんズのご説明
ガマガエル王様は、その昔ロセ伯爵家当主から命を助けてもらったことがあります。それを大変感謝したガマガエル王様は、一族にロセ伯爵家を守ることを命じます。それ以来、ガマガエルは何代にもわたりロセ伯爵家を守ってきました。
このお話しの時点では、前の☆小説のヒロイン、アドリアーナの次男エアルヴァンがロセ伯爵になり、失恋による傷心を癒やす為に、バディド王国の別荘にやって来たという設定になります。長男クロディウスは母方のロセ侯爵を継ぎ、長女クラウディアはムーンフェア国の王太子妃になっていますが、この物語では出てきません(多分)
前の作品を知っていらっしゃる方は是非、読んでいない方もこの機会に是非、お読み頂けると嬉しいです。
国の名前は新たに設定し直します。ロセ伯爵家の国をムーンフェア王国。リトラー侯爵家の国をバディド王国とします。
ムーンフェア国のエアルヴァン・ロセ伯爵がエメリーンの恋のお相手になります。
※現代的言葉遣いです。時代考証ありません。異世界ヨーロッパ風です。
あなたに愛や恋は求めません
灰銀猫
恋愛
婚約者と姉が自分に隠れて逢瀬を繰り返していると気付いたイルーゼ。
婚約者を諫めるも聞く耳を持たず、父に訴えても聞き流されるばかり。
このままでは不実な婚約者と結婚させられ、最悪姉に操を捧げると言い出しかねない。
婚約者を見限った彼女は、二人の逢瀬を両親に突きつける。
貴族なら愛や恋よりも義務を優先すべきと考える主人公が、自分の場所を求めて奮闘する話です。
R15は保険、タグは追加する可能性があります。
ふんわり設定のご都合主義の話なので、広いお心でお読みください。
24.3.1 女性向けHOTランキングで1位になりました。ありがとうございます。
【完結】「婚約破棄ですか? それなら昨日成立しましたよ、ご存知ありませんでしたか?」
まほりろ
恋愛
【完結】
「アリシア・フィルタ貴様との婚約を破棄する!」
イエーガー公爵家の令息レイモンド様が言い放った。レイモンド様の腕には男爵家の令嬢ミランダ様がいた。ミランダ様はピンクのふわふわした髪に赤い大きな瞳、小柄な体躯で庇護欲をそそる美少女。
対する私は銀色の髪に紫の瞳、表情が表に出にくく能面姫と呼ばれています。
レイモンド様がミランダ様に惹かれても仕方ありませんね……ですが。
「貴様は俺が心優しく美しいミランダに好意を抱いたことに嫉妬し、ミランダの教科書を破いたり、階段から突き落とすなどの狼藉を……」
「あの、ちょっとよろしいですか?」
「なんだ!」
レイモンド様が眉間にしわを寄せ私を睨む。
「婚約破棄ですか? 婚約破棄なら昨日成立しましたが、ご存知ありませんでしたか?」
私の言葉にレイモンド様とミランダ様は顔を見合わせ絶句した。
全31話、約43,000文字、完結済み。
他サイトにもアップしています。
小説家になろう、日間ランキング異世界恋愛2位!総合2位!
pixivウィークリーランキング2位に入った作品です。
アルファポリス、恋愛2位、総合2位、HOTランキング2位に入った作品です。
2021/10/23アルファポリス完結ランキング4位に入ってました。ありがとうございます。
「Copyright(C)2021-九十九沢まほろ」
第15回恋愛小説大賞にエントリーしてます。
壁の花令嬢の最高の結婚
晴 菜葉
恋愛
壁の花とは、舞踏会で誰にも声を掛けてもらえず壁に立っている適齢期の女性を示す。
社交デビューして五年、一向に声を掛けられないヴィンセント伯爵の実妹であるアメリアは、兄ハリー・レノワーズの悪友であるブランシェット子爵エデュアルト・パウエルの心ない言葉に傷ついていた。
ある日、アメリアに縁談話がくる。相手は三十歳上の財産家で、妻に暴力を働いてこれまでに三回離縁を繰り返していると噂の男だった。
アメリアは自棄になって家出を決行する。
行く当てもなく彷徨いていると、たまたま賭博場に行く途中のエデュアルトに出会した。
そんなとき、彼が暴漢に襲われてしまう。
助けたアメリアは、背中に消えない傷を負ってしまった。
乙女に一生の傷を背負わせてしまったエデュアルトは、心底反省しているようだ。
「俺が出来ることなら何だってする」
そこでアメリアは考える。
暴力を振るう亭主より、女にだらしない放蕩者の方がずっとマシ。
「では、私と契約結婚してください」
R18には※をしています。
【R18】清掃員加藤望、社長の弱みを握りに来ました!
Bu-cha
恋愛
ずっと好きだった初恋の相手、社長の弱みを握る為に頑張ります!!にゃんっ♥
財閥の分家の家に代々遣える“秘書”という立場の“家”に生まれた加藤望。
”秘書“としての適正がない”ダメ秘書“の望が12月25日の朝、愛している人から連れてこられた場所は初恋の男の人の家だった。
財閥の本家の長男からの指示、”星野青(じょう)の弱みを握ってくる“という仕事。
財閥が青さんの会社を吸収する為に私を任命した・・・!!
青さんの弱みを握る為、“ダメ秘書”は今日から頑張ります!!
関連物語
『お嬢様は“いけないコト”がしたい』
『“純”の純愛ではない“愛”の鍵』連載中
『雪の上に犬と猿。たまに男と女。』
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高11位
『好き好き大好きの嘘』
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高36位
『約束したでしょ?忘れちゃった?』
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高30位
※表紙イラスト Bu-cha作
茶番には付き合っていられません
わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。
婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。
これではまるで私の方が邪魔者だ。
苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。
どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。
彼が何をしたいのかさっぱり分からない。
もうこんな茶番に付き合っていられない。
そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる