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三章
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「失礼します」
ノックと共にドアを開けたウィリアムは、返事だけはして顔を上げることはせず、一心不乱にパソコンモニターを見つめる飛鳥の背に声をかけた。
「アスカ、もう外に出られてもかまいませんよ。アデル・マーレイは単独犯で、これ以上の危険が及ぶことはないだろう、と連絡がありました」
「OK。ありがとう、ウィリアム」
飛鳥は手を止めもしない。
「ヘンリーはいつ戻る?」
「まだ何とも」
やっと振り返った飛鳥は、剥き出しの額に沿った眉をひそめ、困惑気味の視線を投げかけている。いつも顔を隠すように伸ばされている長い前髪が、今日は額の上で無造作に輪ゴムでくくられている。
「コンセプト動画を作ってみたんだけれど、どうだろう? 今あるTSの仕上がりじゃ、ヘンリーが会見で発表したものとはイメージが合わないと思うんだ。ヘンリーが望むのは、おもちゃなんかじゃないんだろ?」
飛鳥は鋭い視線を画面に向けながら、肩越しにモニターを覗き込むウィリアムに動画を再生してみせる。
「これを作るのですか……」
唖然とするウィリアムに、「本当にこれでいいのか、ヘンリーに確認したい。時間がないから、可能かどうか、それから、その為の手直しを直接シューニヤに訊ねたいんだ。ヘンリーにもメールで訊いたのだけれど、まだ返事を貰えなくて。ウィル、彼に直接訊いてもらえないかな?」
飛鳥は、動画と完成予想図を次々と表示しながら、淡々とした口調で続けた。
「了解しました」とウィリアムは緊張した面持ちで応え、電話をかけるためにいったん部屋を離れた。
あの記者会見でのヘンリーのプレゼンテーションは、今ある製品とは全く違うものについて話していた。一般市販だとか、大量生産だとか以前の問題だ。と、彼が本当に望むものは何なのかと、飛鳥は頭の中で、何度も繰り返し、繰り返し考えていた。
言われたことをやるだけでは、駄目なのだ、と。
あの会見を、血の気が引く思いで見て、聴いていた。そして導き出した答え――。部品部分の変更はほとんどない。要はプログラミング……。これは『杜月』ではなく、シューニヤの、コズモスの受け持ち分野だ。だが未だにシューニヤへの連絡はヘンリーを経由しなければならず、無駄に時間と手間ばかりが、かかっていた。
「アスカ、彼からの返事です」
戻って来たウィリアムに言われた通りに、飛鳥は届いたばかりのファイルを開いた。
「やっぱり……」
そこに示された動画を再生しながら、飛鳥は茫然とした様子で尋ねていた。
「ヘンリーとガン・エデン社は、僕が知っている以上の確執があるの? ここまでするなんて普通じゃ考えられないよ」
「私にはお答えできません」
「うん、答えないでいい。今のはただの独り言だよ」
目を伏せるウィリアムに、飛鳥は苦笑して頷く。
失言だった。今まで自分たちがされてきたことを思えば、恐らく、このくらいの覚悟で立ち向かわねば敵わない相手なのだ。自分はまだまだ甘いのだ、と飛鳥は改めて気を引き締めていた。
「それから、サラ様の専用回線です。このパソコンを使って直接やり取りされて下さい」
ヘンリーがいつも持ち歩いているのと同じ小型のノートパソコンを渡され、飛鳥は驚いてウィリアムを見つめた。
「市販品からはアクセスできません」
ウィリアムはそのパソコンをさっそく立ち上げている。
ヘンリー様が初めて、サラお嬢様に他人との接触を許された――。
ウィリアムはヘンリーからの返答を、意外とも、やはり、ともどちらとも納得できる、複雑な感情で受け止めていた。ただ単にプロジェクトの成功のためというだけではなく、彼は変わろうとしているのだ、と。
サラお嬢様との閉鎖的な関係も、呪縛的なご自身の生き方も、変えようとなされている――。
ウィリアムは、ここ数日でやつれ、土気色の顔色をした飛鳥を一歩引いた目線で眺めていた。
ヘンリー・ソールスベリーは、アデル・マーレイに何を言ったのか?
巷では、そんな憶測ばかりが取り沙汰されているのに、飛鳥はあの日のことに一切触れることはなかった。そして、身を細らせるほどに心を砕いていたのは、事件後の喧騒に巻き込まれかねない自身の身の安全などではなく、ヘンリーの意に沿った製品を生み出すことだった――。
このお二人は、似た者同士なのだ。自分自身のことには、どこか捨て鉢で、けれど決して投げ遣りにはなさらない。全身全霊を掛けて打ち込むことで、何かの贖罪をしているみたいに。
ヘンリー様の行為は、サラ様へ向けられたもの――。それならば、彼の贖罪は、誰のため、何のためのものなのだろうか?
憑りつかれたように仕事に打ち込むのに、飛鳥が楽しそうに見えたのは、吉野といた時だけ――。
あやふやで不安定、掴みどころがないのに、どこか毅然としていて誇り高い、印象の定まらない飛鳥の静かな瞳を、ウィリアムはじっと見据えていた。その伏せられていた睫毛がくいっと持ち上げられ、鳶色の瞳に印象的な笑みが浮かんだ。
「僕もいつかシューニヤに会えるかな?」、と羞恥を含んだ、だが楽し気な明るい声で問われた時、「ええ、きっと」と思わず微笑んで頷いていた。心から確信して――。
ノックと共にドアを開けたウィリアムは、返事だけはして顔を上げることはせず、一心不乱にパソコンモニターを見つめる飛鳥の背に声をかけた。
「アスカ、もう外に出られてもかまいませんよ。アデル・マーレイは単独犯で、これ以上の危険が及ぶことはないだろう、と連絡がありました」
「OK。ありがとう、ウィリアム」
飛鳥は手を止めもしない。
「ヘンリーはいつ戻る?」
「まだ何とも」
やっと振り返った飛鳥は、剥き出しの額に沿った眉をひそめ、困惑気味の視線を投げかけている。いつも顔を隠すように伸ばされている長い前髪が、今日は額の上で無造作に輪ゴムでくくられている。
「コンセプト動画を作ってみたんだけれど、どうだろう? 今あるTSの仕上がりじゃ、ヘンリーが会見で発表したものとはイメージが合わないと思うんだ。ヘンリーが望むのは、おもちゃなんかじゃないんだろ?」
飛鳥は鋭い視線を画面に向けながら、肩越しにモニターを覗き込むウィリアムに動画を再生してみせる。
「これを作るのですか……」
唖然とするウィリアムに、「本当にこれでいいのか、ヘンリーに確認したい。時間がないから、可能かどうか、それから、その為の手直しを直接シューニヤに訊ねたいんだ。ヘンリーにもメールで訊いたのだけれど、まだ返事を貰えなくて。ウィル、彼に直接訊いてもらえないかな?」
飛鳥は、動画と完成予想図を次々と表示しながら、淡々とした口調で続けた。
「了解しました」とウィリアムは緊張した面持ちで応え、電話をかけるためにいったん部屋を離れた。
あの記者会見でのヘンリーのプレゼンテーションは、今ある製品とは全く違うものについて話していた。一般市販だとか、大量生産だとか以前の問題だ。と、彼が本当に望むものは何なのかと、飛鳥は頭の中で、何度も繰り返し、繰り返し考えていた。
言われたことをやるだけでは、駄目なのだ、と。
あの会見を、血の気が引く思いで見て、聴いていた。そして導き出した答え――。部品部分の変更はほとんどない。要はプログラミング……。これは『杜月』ではなく、シューニヤの、コズモスの受け持ち分野だ。だが未だにシューニヤへの連絡はヘンリーを経由しなければならず、無駄に時間と手間ばかりが、かかっていた。
「アスカ、彼からの返事です」
戻って来たウィリアムに言われた通りに、飛鳥は届いたばかりのファイルを開いた。
「やっぱり……」
そこに示された動画を再生しながら、飛鳥は茫然とした様子で尋ねていた。
「ヘンリーとガン・エデン社は、僕が知っている以上の確執があるの? ここまでするなんて普通じゃ考えられないよ」
「私にはお答えできません」
「うん、答えないでいい。今のはただの独り言だよ」
目を伏せるウィリアムに、飛鳥は苦笑して頷く。
失言だった。今まで自分たちがされてきたことを思えば、恐らく、このくらいの覚悟で立ち向かわねば敵わない相手なのだ。自分はまだまだ甘いのだ、と飛鳥は改めて気を引き締めていた。
「それから、サラ様の専用回線です。このパソコンを使って直接やり取りされて下さい」
ヘンリーがいつも持ち歩いているのと同じ小型のノートパソコンを渡され、飛鳥は驚いてウィリアムを見つめた。
「市販品からはアクセスできません」
ウィリアムはそのパソコンをさっそく立ち上げている。
ヘンリー様が初めて、サラお嬢様に他人との接触を許された――。
ウィリアムはヘンリーからの返答を、意外とも、やはり、ともどちらとも納得できる、複雑な感情で受け止めていた。ただ単にプロジェクトの成功のためというだけではなく、彼は変わろうとしているのだ、と。
サラお嬢様との閉鎖的な関係も、呪縛的なご自身の生き方も、変えようとなされている――。
ウィリアムは、ここ数日でやつれ、土気色の顔色をした飛鳥を一歩引いた目線で眺めていた。
ヘンリー・ソールスベリーは、アデル・マーレイに何を言ったのか?
巷では、そんな憶測ばかりが取り沙汰されているのに、飛鳥はあの日のことに一切触れることはなかった。そして、身を細らせるほどに心を砕いていたのは、事件後の喧騒に巻き込まれかねない自身の身の安全などではなく、ヘンリーの意に沿った製品を生み出すことだった――。
このお二人は、似た者同士なのだ。自分自身のことには、どこか捨て鉢で、けれど決して投げ遣りにはなさらない。全身全霊を掛けて打ち込むことで、何かの贖罪をしているみたいに。
ヘンリー様の行為は、サラ様へ向けられたもの――。それならば、彼の贖罪は、誰のため、何のためのものなのだろうか?
憑りつかれたように仕事に打ち込むのに、飛鳥が楽しそうに見えたのは、吉野といた時だけ――。
あやふやで不安定、掴みどころがないのに、どこか毅然としていて誇り高い、印象の定まらない飛鳥の静かな瞳を、ウィリアムはじっと見据えていた。その伏せられていた睫毛がくいっと持ち上げられ、鳶色の瞳に印象的な笑みが浮かんだ。
「僕もいつかシューニヤに会えるかな?」、と羞恥を含んだ、だが楽し気な明るい声で問われた時、「ええ、きっと」と思わず微笑んで頷いていた。心から確信して――。
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