胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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三章

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「僕は、『俺たちが世界を変える』なんておこがましいことは言わない。僕たちの製品を見た後は、世界が僕たちに追従する。賭けてもいい。スーパーコンピューター、コズモスを世に送り出してから二年余り、ジョサイアグループから独立した僕たちの、ここで発表する『トランススパークス』こそが、新制コズモスの総力を結集した第一弾製品となる。二〇XX年一月五日、コズモスはコンピューター業界を一新する。場所は、米国ラスベガス家電テクノロジー国際見本市。全てのビジネスマンをデスクワークから解放する画期的な製品を、全世界に向けて発信する」


 記者会見の行われているホテルの一室が映し出されているモニター中継での、ダークオリーブグリーンのスーツをエレガントに着こなしたヘンリーの自信に満ちた第一声に、控室で見ていたアーネストもロレンツォも大爆笑していた。

「あいつ、本当に言ったよ!」
「本気で喧嘩を売るなんて、楽しみ過ぎじゃないの、ヘンリー?」

 飛鳥だけが蒼褪めた顔をして、画面の中のヘンリーを身動き一つせず凝視している。

「まさかガン・エデン社のCEOは見ないよね……。英国でのこんな小さな会見なんて……」
「本人は分からないけどな、社員は間違いなく見ているな。スパコン部門はコズモスが世界シェアトップだ。唯一ガン・エデン社が自社でトップを取れないIT部門だからな。そのコズモスがいよいよパーソナルコンピューターに進出するって言うんだ、今頃、戦々恐々として画面にかじりついているさ」

 ロレンツォは笑いが収まらないといった様子で、身を捩って横に腰かける飛鳥の肩をバシバシと叩いた。


『俺たちが世界を変える』は、ガン・エデン社が文字通り世界を変えたパーソナルコンピューターを売り出した時のキャッチコピーだ。その当時のことを知らない飛鳥でさえ知っている、流行語にまでなった言葉だ。

 それを、冒頭で揶揄するなんて――。


「無茶だよヘンリー……」

 今にも泣きだしそうに顔を引きつらせて、飛鳥は呟いた。

「彼の無茶ぶりは今に始まった事じゃないしね」
「あの面の皮の厚さもな」
「大ぼら吹きなところも」

 アーネストとロレンツォが代わる代わるに笑いながら、ヘンリーを批判する。

「そして、その大ぼらを現実にしてしまう行動力も、でしょ?」
 飛鳥は眉をしかめて二人に顔を向けると、「ほんと、ひどいよ! こんな全世界に向けた中継であんなことを言うなんて……。僕にプレッシャーをかけているとしか思えないじゃないか!」

 二人は一瞬呆気にとられ、次に顔を見合わせて、涙を滲ませて笑い転げた。

「確かに、そりゃそうだ! 本当にひどい奴だな!」
「作るのはきみだったね!」




 パン! パン! 

 モニターから響く銃声と叫び声に、三人は一瞬にして言葉を失い、画面に引き戻されていた。

 騒然とする室内を映す、視点の定まらない乱れる画面の中で、演壇の前方に並べられた椅子に腰かけていた記者連中は、頭を抱え込んで壁際へ逃げている。
 それなのに演壇中央にはただ一人ヘンリーが、髪の毛一筋乱すことなく薄ら笑いを浮かべて立っているのだ。

 その姿に被さるように、再び銃声が響き――。

「そんなに震えていたら当たらないよ、アデル・マーレイ」

 遠く聞きづらい音声が、かろうじて拾われ伝えられた。

 ヘンリーは演壇を下り、ゆっくりと並べられたパイプ椅子の間の細い通路に踏み出している。カメラは彼を追い掛けている。

「止まれ!」

 マーレイの悲鳴に近い甲高い声と、何発かの銃声がまたもや響き渡る。
 ヘンリーの視線が一瞬マーレイから逸れ、視界の端で身じろいだ警備員を小さく首を横に振り目で制した。

「彼は僕の知り合いだ」

 ヘンリーは真っ直ぐに進み蒼白のマーレイの眼前に立つと、銃を持つ震えるその手を両手で握り締めていた。そしてそのままマーレイの耳許に口を寄せ何事か囁いた。マーレイは唇を震わせ何か言おうとしたが言葉にならず、がっくりと膝から崩れ落ちる。

「マーレイ、顔を上げろ。きみはエリオティアンだろ。ぼくの前で膝を折るな」

 そしてヘンリーは戸口付近で待機していたジョン・スミスを呼ぶと、後の始末を任せて会見室を後にした。ばらばらと駆け寄る警備員に、マーレイはもう抵抗することもなく、素直に従っていた――。




 だが、控室に戻ったヘンリーは、室内に入るなりその場に立ち尽くしていた。

 部屋の隅で顔をくしゃくしゃにして泣く飛鳥と、その腕を背中で羽交い絞めにしているロレンツォが何よりも先に視界に入ってきたのだ。ロレンツォはヘンリーを見るなりほっとして手を緩め飛鳥を放した。みるみる怒気を含んで青みを帯びるヘンリーの瞳に気づいたアーネストが、小さくため息をついて言い訳した。

「アスカがきみのところへ行こうとしたから。部屋から出したら危険だと思ったんだ」

 ヘンリーは唇を噛んで怒りを抑え込むと、「ありがとう」と小さく頷く。


「ヘンリー」
 背後から声をかけられヘンリーは振り返った。先ほどまで会見室にいたウィリアムが眉をひそめて立っている。怒りを隠そうともせず、彼はつかつかと主人に歩み寄ると、バシッ、とその頬を平手打ちした。

「マーカス!」
 アーネストが咎めるように叫び、間に入った。

「いいんだ。彼にはその権利がある」
「どういうおつもりですか? 無責任な真似をなさらないでください!」

 ウィリアムは押し殺した声でヘンリーを詰っている。目を伏せたまま、アーネストを傍らに押しやると、ヘンリーは静かな口調で答えた。

「死に急いだわけじゃない。銃弾は当たらないことが解っていたからだよ。彼の左腕には怪我の後遺症で麻痺が残っている。あの距離では、100%当てられない。本人も解っていたはずだ」


「ヘンリー、きみは悪くない! 彼が、こんな行動に出たのは、きみのせいじゃない。きみが、こんなにも、他人に影響を与えてしまうのは、きみが、悪いんじゃない。きみは、悪くないんだ……」

 ひとり離れて放心したように事の成り行きを見ていた飛鳥が、涙で詰まらせた言葉を、投げかけていた。

「唇を読んだの?」
 口の端を皮肉に曲げて嗤い、ヘンリーは自嘲的に呟いた。

「きみのせい、なんかじゃない……」

 繰り返される言葉に、ヘンリーは唇をぎゅっと引き締めて飛鳥から顔を逸らす。

「アデル・マーレイに何を言ったの?」

 アーネストの問にも、ヘンリーは首を振って答えなかった。






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