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二章
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「え! デイヴをうちで預かるの? このボロ家で!」
珍しくいつもより早い時間に帰宅した父にそんな報告をされ、古い家屋に飛鳥の素っ頓狂な声が響き渡った。
「だって、お前も向こうじゃお世話になっていたんだろう? 空いている部屋もあるじゃないか。ここじゃ充分なお世話ができないから、っていったんは断ったんだけれどね。少しでも知っている間柄の方が安心だからと言われると、そりゃそうだ、て思うだろう?」
杜月氏は、普段は従順でなんでもハイハイと流している飛鳥の、いつもとは違う反応を意外に思いながら、もう決まったことだから、と締めくくる。この父は穏やかだが、一度決めたことを簡単には覆さない。今さら反対しても無駄だろう、と解ってはいても、飛鳥はやはり素直に頷く気にもなれず、困惑気味に言葉を継いだ。
「僕はかまわないよ。かまわないけど……。父さんは本当にいいの? それで、デイヴは何人引き連れてくるの?」
「引き連れてって?」
「彼が一人で来るわけないだろ? 執事に家政婦、メイドまで連れてくるよ、間違いなく!」
「失礼します。ご心配にはおよびません。アスカ、お供は執事と従者の二人だけと聞いています」
帰宅したばかりのウィリアムが、苦笑しながら部屋に入ってきた。
「お帰り、ウィル。ヘンリーに聞いたの? デイヴはこの家のボロさを知っていて、言ってるんだろうね?」
飛鳥は顔をしかめて、矢継ぎ早に質問を繰りだした。
「そんなお前、ボロ、ボロ、って……」
杜月氏は飛鳥を窘めるように苦笑する。
「父さん、デヴィッド・ラザフォードは、とんでもない名門のお坊ちゃんなんだよ! イギリスじゃ正真正銘のお城暮らしなんだから!」
「大丈夫ですよ。彼はこちらが考えるよりもずっと優れた適応力をお持ちの方です」
「世界一わがままなお姫様だよ!」
飛鳥はラザフォード家でのデヴィッドのわがまま、傍若無人ぶりを思い出してため息をつく。その横でウィリアムは無表情を装いながらも、意外に彼は、よく人を見ているのだな、と込みあげている笑いを押し殺す。杜月氏だけが、息子とこの英国から来た客人を見比べ、にこにことしていた。
学校ではいい奴だけれど……。私生活はめちゃくちゃじゃないか……。
と、その間も飛鳥の脳裏では、あれこれぎょっとさせられたデヴィッドの私生活でのエピソードが絶え間なく駆け巡っている。
「執事のマクレガーもいますから心配いりません。それにベネットも。ビル・ベネットはご存知でしょう?」
淡々としたウィリアムの口調に、飛鳥は顔をしかめたまま頷く。
ビル・ベネットは、ウイスタンでデヴィッドに影のように従っていた男だ。彼のボディーガードだと聞いている。
「父さんは、共同生活だなんて、本当に大丈夫なの?」
「うん? まあ、私は家にほとんどいないしなぁ。お前たちには、かえっていい話かと思ったんだがなぁ」
杜月氏は、のほほんと曖昧な返事でお茶を濁した。まだ実感として湧いていないのかもしれない。飛鳥はそんな父にも不安を抱いているのか、また大きな息をつく。
「デイヴのボディーガードは彼だけ? それで大丈夫? この家だってごたごたしているのに、こんな時に来て」
ああ、やはり飛鳥はデヴィッドの身辺を心配しているのか――、とウィリアムは納得したように目を細めた。
デヴィッドの警護は、本人にも知られないようにラザフォード家で厳重に手配されている。単身でこそないが、ラザフォード侯が溺愛しているデヴィッドに、こんな極東の島国での一年間もの留学を許可しただけで奇跡なのだ。護衛をつけないはずがない。
「ご心配は無用です。その辺りに関しては、ラザフォード家に抜かりはありません」
ウィリアムにいつもの穏やかな微笑みを返されると、飛鳥も自分ひとり目くじらを立てているのが恥ずかしくなってきた。「いつくるの?」と、ため息を交えて諦めの笑みを浮かべる。
「八月十日、ってきいているよ」
とりあえず納得してくれた息子に、杜月氏もほっとした様子で答えた。
「一週間もないじゃないか。急いで片付けなきゃ。部屋割りは――。三人分、空けなきゃいけないんだね。あー、どうしよう……」
飛鳥は畳に両手をついて、ぐっと頭をのけ反らせる。と同時に目を剥いて声を張り上げた。
「吉野! そんな恰好で歩き回るなよ!」
「なんで? 暑いだろ」
居間から続く台所の入り口で、風呂上がりの吉野がパンツ一枚で牛乳を紙パックからそのまま飲んでいたのだ。
「吉野、行儀悪い!」
「飛鳥、こうるさくなったな。こいつの影響?」
最近やたらと嫌味っぽい弟の一言は受け流して、「取りあえず、何か着てこっちに来いよ。話があるんだ」と、飛鳥はため息混じりに弟を呼んだ。だが吉野は、「ここでも聞こえる。腹が減ってるんだ。こっちで食ってるから話せよ」と、夕飯の残りのカレーを温め直しもせずにご飯にかけてテーブルにつく。
「吉野、」
飛鳥は立ち上がると、台所の弟の向かいに腰かけた。
「お前、たくましくなったなぁ、兄ちゃん、体格でお前に負けてるじゃん。身長も抜かれちゃったしなぁ」
「じろじろ見るなよ。恥ずかしいだろ」
「だから何か着ろって」
笑う飛鳥をじろりと睨みつけるだけで、吉野はガツガツとカレーを口に運んでいる。
帰ってきてからまだひと月も経たないのに、吉野はまた一段と背が伸びていた。一年近く会わないでいた間のあまりの成長ぶりに驚かされたばかりなのに、こうしている間も日々成長し続けているのだ。
そんな当たり前のことが、飛鳥には嬉しくて堪らない。こうして実感する度に、胸が温かく満たされていくのを感じていた。だが今はそんな感慨に浸っている場合ではない。飛鳥は困ったような、なんともいえない笑みを結んで、さっそく本題を切り出した。
「うちで留学生を預かることになったんだ。十日に来る。三人分部屋を用意しなきゃいけないんだ。僕の部屋を空けるからさ、お前の部屋に泊めて」
吉野はカレーを食べるのを忘れ、唖然として飛鳥を見つめた。力の緩んだその手からスプーンがカツンと皿の端を叩いていた。
「冗談だろ?」
「そうだと言いたいところだけれどね。僕も、今聞いたところなんだ。エンドウ豆の上のお姫様が来るからな、覚悟しとけよ」
飛鳥はいたって真面目な顔でそう告げた。
珍しくいつもより早い時間に帰宅した父にそんな報告をされ、古い家屋に飛鳥の素っ頓狂な声が響き渡った。
「だって、お前も向こうじゃお世話になっていたんだろう? 空いている部屋もあるじゃないか。ここじゃ充分なお世話ができないから、っていったんは断ったんだけれどね。少しでも知っている間柄の方が安心だからと言われると、そりゃそうだ、て思うだろう?」
杜月氏は、普段は従順でなんでもハイハイと流している飛鳥の、いつもとは違う反応を意外に思いながら、もう決まったことだから、と締めくくる。この父は穏やかだが、一度決めたことを簡単には覆さない。今さら反対しても無駄だろう、と解ってはいても、飛鳥はやはり素直に頷く気にもなれず、困惑気味に言葉を継いだ。
「僕はかまわないよ。かまわないけど……。父さんは本当にいいの? それで、デイヴは何人引き連れてくるの?」
「引き連れてって?」
「彼が一人で来るわけないだろ? 執事に家政婦、メイドまで連れてくるよ、間違いなく!」
「失礼します。ご心配にはおよびません。アスカ、お供は執事と従者の二人だけと聞いています」
帰宅したばかりのウィリアムが、苦笑しながら部屋に入ってきた。
「お帰り、ウィル。ヘンリーに聞いたの? デイヴはこの家のボロさを知っていて、言ってるんだろうね?」
飛鳥は顔をしかめて、矢継ぎ早に質問を繰りだした。
「そんなお前、ボロ、ボロ、って……」
杜月氏は飛鳥を窘めるように苦笑する。
「父さん、デヴィッド・ラザフォードは、とんでもない名門のお坊ちゃんなんだよ! イギリスじゃ正真正銘のお城暮らしなんだから!」
「大丈夫ですよ。彼はこちらが考えるよりもずっと優れた適応力をお持ちの方です」
「世界一わがままなお姫様だよ!」
飛鳥はラザフォード家でのデヴィッドのわがまま、傍若無人ぶりを思い出してため息をつく。その横でウィリアムは無表情を装いながらも、意外に彼は、よく人を見ているのだな、と込みあげている笑いを押し殺す。杜月氏だけが、息子とこの英国から来た客人を見比べ、にこにことしていた。
学校ではいい奴だけれど……。私生活はめちゃくちゃじゃないか……。
と、その間も飛鳥の脳裏では、あれこれぎょっとさせられたデヴィッドの私生活でのエピソードが絶え間なく駆け巡っている。
「執事のマクレガーもいますから心配いりません。それにベネットも。ビル・ベネットはご存知でしょう?」
淡々としたウィリアムの口調に、飛鳥は顔をしかめたまま頷く。
ビル・ベネットは、ウイスタンでデヴィッドに影のように従っていた男だ。彼のボディーガードだと聞いている。
「父さんは、共同生活だなんて、本当に大丈夫なの?」
「うん? まあ、私は家にほとんどいないしなぁ。お前たちには、かえっていい話かと思ったんだがなぁ」
杜月氏は、のほほんと曖昧な返事でお茶を濁した。まだ実感として湧いていないのかもしれない。飛鳥はそんな父にも不安を抱いているのか、また大きな息をつく。
「デイヴのボディーガードは彼だけ? それで大丈夫? この家だってごたごたしているのに、こんな時に来て」
ああ、やはり飛鳥はデヴィッドの身辺を心配しているのか――、とウィリアムは納得したように目を細めた。
デヴィッドの警護は、本人にも知られないようにラザフォード家で厳重に手配されている。単身でこそないが、ラザフォード侯が溺愛しているデヴィッドに、こんな極東の島国での一年間もの留学を許可しただけで奇跡なのだ。護衛をつけないはずがない。
「ご心配は無用です。その辺りに関しては、ラザフォード家に抜かりはありません」
ウィリアムにいつもの穏やかな微笑みを返されると、飛鳥も自分ひとり目くじらを立てているのが恥ずかしくなってきた。「いつくるの?」と、ため息を交えて諦めの笑みを浮かべる。
「八月十日、ってきいているよ」
とりあえず納得してくれた息子に、杜月氏もほっとした様子で答えた。
「一週間もないじゃないか。急いで片付けなきゃ。部屋割りは――。三人分、空けなきゃいけないんだね。あー、どうしよう……」
飛鳥は畳に両手をついて、ぐっと頭をのけ反らせる。と同時に目を剥いて声を張り上げた。
「吉野! そんな恰好で歩き回るなよ!」
「なんで? 暑いだろ」
居間から続く台所の入り口で、風呂上がりの吉野がパンツ一枚で牛乳を紙パックからそのまま飲んでいたのだ。
「吉野、行儀悪い!」
「飛鳥、こうるさくなったな。こいつの影響?」
最近やたらと嫌味っぽい弟の一言は受け流して、「取りあえず、何か着てこっちに来いよ。話があるんだ」と、飛鳥はため息混じりに弟を呼んだ。だが吉野は、「ここでも聞こえる。腹が減ってるんだ。こっちで食ってるから話せよ」と、夕飯の残りのカレーを温め直しもせずにご飯にかけてテーブルにつく。
「吉野、」
飛鳥は立ち上がると、台所の弟の向かいに腰かけた。
「お前、たくましくなったなぁ、兄ちゃん、体格でお前に負けてるじゃん。身長も抜かれちゃったしなぁ」
「じろじろ見るなよ。恥ずかしいだろ」
「だから何か着ろって」
笑う飛鳥をじろりと睨みつけるだけで、吉野はガツガツとカレーを口に運んでいる。
帰ってきてからまだひと月も経たないのに、吉野はまた一段と背が伸びていた。一年近く会わないでいた間のあまりの成長ぶりに驚かされたばかりなのに、こうしている間も日々成長し続けているのだ。
そんな当たり前のことが、飛鳥には嬉しくて堪らない。こうして実感する度に、胸が温かく満たされていくのを感じていた。だが今はそんな感慨に浸っている場合ではない。飛鳥は困ったような、なんともいえない笑みを結んで、さっそく本題を切り出した。
「うちで留学生を預かることになったんだ。十日に来る。三人分部屋を用意しなきゃいけないんだ。僕の部屋を空けるからさ、お前の部屋に泊めて」
吉野はカレーを食べるのを忘れ、唖然として飛鳥を見つめた。力の緩んだその手からスプーンがカツンと皿の端を叩いていた。
「冗談だろ?」
「そうだと言いたいところだけれどね。僕も、今聞いたところなんだ。エンドウ豆の上のお姫様が来るからな、覚悟しとけよ」
飛鳥はいたって真面目な顔でそう告げた。
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