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一章
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「優秀な弁護士を紹介しただけだよ」
ヘンリーは、穏やかに微笑んで言った。
飛鳥は真っ青になって、そんな彼を凝視している。
「うちは軍事産業に手を出す気はないからね。心配しなくていい」
ヘンリーは少し困ったように首を傾げ、飛鳥の小刻みに震える手に宥めるように自分の手を重ねた。
「この裁判、勝つよ。グラスフィールド社はじき、きみのお祖父さまの開発したレーザー光増幅用特殊ガラスを製造出来なくなる。『杜月』の技術が軍事目的に使用されることは、もうなくなるんだ」
「……きみは、知って……」
「きみのお祖父さまが医療用に開発したものを、グラスフィールド社が契約を破ってレーザー核融合の実験用ガラスに応用し、米国の核兵器開発施設に売った。そうだね?」
飛鳥は青褪めたまま、虚ろな目を大きく見開いている。
「きみの持つ特許は、今あるものの精度を更に高めた製品の製造方法だ。グラスフィールド社は喉から手が出るほど欲しがっている。日本にいた時から、ずっと脅迫されていたの?」
飛鳥は震えながら目を伏せ、俯いたまま何も言わない。
「きみ達が脅迫に屈しないから、グラスフィールド社は手段を変えて、一見何の関係もないガン・エデン社と組んで『杜月』を潰しにかかった。破綻させて、特許とその技術を手に入れるために」
ヘンリーはここでようやく言葉を切って、飛鳥を見つめた。飛鳥は唇を噛み締めたまま、肩を震わせている。じっと、圧し掛かる語群に耐えるように。
「きみの持つ特許ときみがいれば、今ある核兵器は次の段階に入ることができる。どうしてグラスフィールド社に屈しない? こんな危険な目に遭ってまで」
飛鳥はやっと顔を上げ、毅然とした目つきでヘンリーを見返した。
「人を救うための技術が、大量殺戮兵器に使われることを、許せる訳、ないじゃないか」
声を詰まらせ、絞り出すように小さく、だがはっきりと告げた。
「会社を潰されても? 命を危険にさらされても? たった、二十年の特許期間しか守れないのに?」
「その二十年の間に、『杜月』の技術で開発された核兵器が使われるかもしれないじゃないか。『もし私がヒロシマとナガサキのことを予見していたら、一九〇五年に発見した公式を破棄していただろう』、このアインシュタインの意思を継ぐことが、科学技術を扱う人間の最低限のモラルだよ。プロメテウスの火は人類を生かす為のもので、世界を焼き払う為のものじゃない。化学技術は常に諸刃なんだ。祖父が開発していた時は、こんなふうに使われるなんて思いもしなかった」
飛鳥は、遂に涙を堪えることができなくなっていた。
「きみのお祖父さまは、このことに抗議して亡くなられたんんだね。そして、会社を救うためにも」
飛鳥は黙って頷く。
「きみはあくまでお祖父さまの意思を継いで、この技術を兵器開発には使用させない。その気持ちは絶対に揺るがない?」
「絶対に……、変わらない……」
嗚咽交じりの声だった。
「きみは頑固だものね」
ヘンリーは微笑んで立ち上がると、飛鳥の傍に屈み込み、指先でそっとその涙を拭う。
「英国は、核の均等が崩れることを望んでいない。米国にレーザー核融合兵器で抜きんでられるのは、英国にとっても都合が悪いんだ」
飛鳥の前に膝をついてその両手を握り締め、俯いたままの飛鳥を見上げる。
「『杜月』の技術を使ったグラスフィールド社の特殊ガラスの供給が止まれば、米国のレーザー核融合を使った核開発は一歩も二歩も後退する。それに、きみの持つ特許を核開発には使わせない確約が取れるなら、米国は、現段階の初歩的な実験から進みようがなくなる」
ヘンリーは優雅な仕草でもう一度飛鳥の涙を拭い、そのまま両の手でその頬を挟んで、涙で潤んだ瞳を優しく覗き込んだ。
「英国は、世界が今以上に核兵器の開発をすることを望まない。だから、これからはきみの身柄を保護し、きみ達の技術が不当に取り扱われることに厳重に抗議していくことに決めたんだ。きみも、『杜月』も、もう安全なんだよ。もう理不尽な要求に屈することも、脅迫に怯えることもないんだ」
飛鳥は激しく首を振った。
「そんなの、英国が、グラスフィールド社に取って変わるだけだ!」
「アスカ、そんなことはない。信じてくれ」
ヘンリーは目を瞑って大きく息を吸った。
「英国は、この製法には手を出さないよ。なぜなら……」
言い澱んだまま、飛鳥に鋭い視線を向ける。
「米国方式では、圧縮は進められても、点火は起きないことを知っているから」
飛鳥の祖父は、技術者である以上に科学者であったに違いない。彼の持つ特許は、過去の『杜月』の特許とは明らかに違っている――。
グラスフィールド社の特殊ガラスは、核融合実験室の中で使用される。核の主燃料を圧縮するためのレーザービームは、このガラスを何枚も通過することで強化される。この実験の中核となる材料だ。
飛鳥の持つ特許は、レーザーエネルギーを増幅し更なる強度を得る為のガラス製法理論なのだ。はなからとても医療用とは思えない。飛鳥の祖父は示された可能性に魅せられ、その実現を思い描いたに違いない。そして、そんな自分を恥じ、自ら命を絶ったのだろう。全てを、孫の飛鳥に押し付けて。
「レーザーを強化したところで核融合は起きない。成功しない実験をダラダラと続けてくれる方が、英国に取っては都合がいいんだ。きみの特許で次の段階に進めば、この方式そのものの持つ重大な欠陥に気付いてしまう」
飛鳥は目を大きく見開いて、驚愕している。
「きみは知っているんだろう? 次にすべきことを?」
ヘンリーは優しく微笑んで飛鳥を見つめる。
「僕も、知っている。……でも、最初に言ったろう。僕は、軍需産業にも、核開発にも興味ないんだ。莫大に儲かりそうに見えて、維持管理費はそれ以上にかかって結局利益に繋がらない。後始末も面倒だしね。それより、一緒に空中映像を作ろう。その方がずっと面白いよ」
飛鳥は顔をくしゃくしゃにして、子どものようにぼろぼろ泣きじゃくりながら頷いた。ヘンリーは、そんな彼の髪を優しく撫で擦った。
「今まで一人でよく頑張ったね、アスカ。でも、きみはもう一人ぼっちじゃない。凍てついた大地で風雪に耐える、スノードロップの時期は過ぎ去ったんだ。暖かい空気に包まれて、自由に花を咲かせられる春が訪れているんだよ」
ヘンリーは、穏やかに微笑んで言った。
飛鳥は真っ青になって、そんな彼を凝視している。
「うちは軍事産業に手を出す気はないからね。心配しなくていい」
ヘンリーは少し困ったように首を傾げ、飛鳥の小刻みに震える手に宥めるように自分の手を重ねた。
「この裁判、勝つよ。グラスフィールド社はじき、きみのお祖父さまの開発したレーザー光増幅用特殊ガラスを製造出来なくなる。『杜月』の技術が軍事目的に使用されることは、もうなくなるんだ」
「……きみは、知って……」
「きみのお祖父さまが医療用に開発したものを、グラスフィールド社が契約を破ってレーザー核融合の実験用ガラスに応用し、米国の核兵器開発施設に売った。そうだね?」
飛鳥は青褪めたまま、虚ろな目を大きく見開いている。
「きみの持つ特許は、今あるものの精度を更に高めた製品の製造方法だ。グラスフィールド社は喉から手が出るほど欲しがっている。日本にいた時から、ずっと脅迫されていたの?」
飛鳥は震えながら目を伏せ、俯いたまま何も言わない。
「きみ達が脅迫に屈しないから、グラスフィールド社は手段を変えて、一見何の関係もないガン・エデン社と組んで『杜月』を潰しにかかった。破綻させて、特許とその技術を手に入れるために」
ヘンリーはここでようやく言葉を切って、飛鳥を見つめた。飛鳥は唇を噛み締めたまま、肩を震わせている。じっと、圧し掛かる語群に耐えるように。
「きみの持つ特許ときみがいれば、今ある核兵器は次の段階に入ることができる。どうしてグラスフィールド社に屈しない? こんな危険な目に遭ってまで」
飛鳥はやっと顔を上げ、毅然とした目つきでヘンリーを見返した。
「人を救うための技術が、大量殺戮兵器に使われることを、許せる訳、ないじゃないか」
声を詰まらせ、絞り出すように小さく、だがはっきりと告げた。
「会社を潰されても? 命を危険にさらされても? たった、二十年の特許期間しか守れないのに?」
「その二十年の間に、『杜月』の技術で開発された核兵器が使われるかもしれないじゃないか。『もし私がヒロシマとナガサキのことを予見していたら、一九〇五年に発見した公式を破棄していただろう』、このアインシュタインの意思を継ぐことが、科学技術を扱う人間の最低限のモラルだよ。プロメテウスの火は人類を生かす為のもので、世界を焼き払う為のものじゃない。化学技術は常に諸刃なんだ。祖父が開発していた時は、こんなふうに使われるなんて思いもしなかった」
飛鳥は、遂に涙を堪えることができなくなっていた。
「きみのお祖父さまは、このことに抗議して亡くなられたんんだね。そして、会社を救うためにも」
飛鳥は黙って頷く。
「きみはあくまでお祖父さまの意思を継いで、この技術を兵器開発には使用させない。その気持ちは絶対に揺るがない?」
「絶対に……、変わらない……」
嗚咽交じりの声だった。
「きみは頑固だものね」
ヘンリーは微笑んで立ち上がると、飛鳥の傍に屈み込み、指先でそっとその涙を拭う。
「英国は、核の均等が崩れることを望んでいない。米国にレーザー核融合兵器で抜きんでられるのは、英国にとっても都合が悪いんだ」
飛鳥の前に膝をついてその両手を握り締め、俯いたままの飛鳥を見上げる。
「『杜月』の技術を使ったグラスフィールド社の特殊ガラスの供給が止まれば、米国のレーザー核融合を使った核開発は一歩も二歩も後退する。それに、きみの持つ特許を核開発には使わせない確約が取れるなら、米国は、現段階の初歩的な実験から進みようがなくなる」
ヘンリーは優雅な仕草でもう一度飛鳥の涙を拭い、そのまま両の手でその頬を挟んで、涙で潤んだ瞳を優しく覗き込んだ。
「英国は、世界が今以上に核兵器の開発をすることを望まない。だから、これからはきみの身柄を保護し、きみ達の技術が不当に取り扱われることに厳重に抗議していくことに決めたんだ。きみも、『杜月』も、もう安全なんだよ。もう理不尽な要求に屈することも、脅迫に怯えることもないんだ」
飛鳥は激しく首を振った。
「そんなの、英国が、グラスフィールド社に取って変わるだけだ!」
「アスカ、そんなことはない。信じてくれ」
ヘンリーは目を瞑って大きく息を吸った。
「英国は、この製法には手を出さないよ。なぜなら……」
言い澱んだまま、飛鳥に鋭い視線を向ける。
「米国方式では、圧縮は進められても、点火は起きないことを知っているから」
飛鳥の祖父は、技術者である以上に科学者であったに違いない。彼の持つ特許は、過去の『杜月』の特許とは明らかに違っている――。
グラスフィールド社の特殊ガラスは、核融合実験室の中で使用される。核の主燃料を圧縮するためのレーザービームは、このガラスを何枚も通過することで強化される。この実験の中核となる材料だ。
飛鳥の持つ特許は、レーザーエネルギーを増幅し更なる強度を得る為のガラス製法理論なのだ。はなからとても医療用とは思えない。飛鳥の祖父は示された可能性に魅せられ、その実現を思い描いたに違いない。そして、そんな自分を恥じ、自ら命を絶ったのだろう。全てを、孫の飛鳥に押し付けて。
「レーザーを強化したところで核融合は起きない。成功しない実験をダラダラと続けてくれる方が、英国に取っては都合がいいんだ。きみの特許で次の段階に進めば、この方式そのものの持つ重大な欠陥に気付いてしまう」
飛鳥は目を大きく見開いて、驚愕している。
「きみは知っているんだろう? 次にすべきことを?」
ヘンリーは優しく微笑んで飛鳥を見つめる。
「僕も、知っている。……でも、最初に言ったろう。僕は、軍需産業にも、核開発にも興味ないんだ。莫大に儲かりそうに見えて、維持管理費はそれ以上にかかって結局利益に繋がらない。後始末も面倒だしね。それより、一緒に空中映像を作ろう。その方がずっと面白いよ」
飛鳥は顔をくしゃくしゃにして、子どものようにぼろぼろ泣きじゃくりながら頷いた。ヘンリーは、そんな彼の髪を優しく撫で擦った。
「今まで一人でよく頑張ったね、アスカ。でも、きみはもう一人ぼっちじゃない。凍てついた大地で風雪に耐える、スノードロップの時期は過ぎ去ったんだ。暖かい空気に包まれて、自由に花を咲かせられる春が訪れているんだよ」
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