胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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一章

波乱の幕開け1

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 「サラ、こんな状況下で、アスカは、なぜ英国に留学してきたんだと思う?」

 クリスマス休暇になり、ヘンリー・ソールスベリーはマナー・ハウスに戻って来ている。
 父の秘書であり、病床の父に代わり自分の後見をも務めるジョン・スミスに依頼した、『杜月特殊ガラス製作所』の調査書類にざっくりと目を通し終え、苛立たし気にロー・テーブルに放り出し、顔をしかめている。

「たまらないな。アスカの会社は、どうしてこんな状況を甘んじて受け入れているんだ? 提訴すれば勝てるだろうに」
「もう時間もお金も掛かる裁判をやり通すだけの体力がないのよ。この会社はすごく特徴があって魅力的なのに」
 サラは、ロー・テーブルに置かれたノートパソコンのキーボードを叩くのを止め、横に座るヘンリーに向き直る。

「資本金三千万程度のこんな小さな会社なのに、特許技術を幾つも持っていて、元々は規模の割に売上高が大きかったの。ガン・エデン社の目的は、『杜月』の持つ光配光技術。特許を持つ『杜月』を通さず、人件費の安い海外で直接二次下請けに注文することで、液晶ディスプレイの大幅コストダウンを狙っているのね。倒産させて特許を安く買い叩くか、倒産間際で買収するか、時間の問題ね」


 サラは、調査書類をぱらぱらとめくり、その中の一枚をヘンリーに手渡した。
「ヘンリー、これを見て。ここ三年間、この間に出願された三つの特許はアスカの個人名になっているの。『杜月』は、アスカにライセンス料を払い、アスカはそのお金で増資を引き受ける形で株式を所得している。『杜月』の持ち株50%以上の筆頭株主は、アスカなの」
「なんのために、そんな回りくどいことを?」
 ヘンリーは納得できない様子で眉根を寄せ、書類に目を走らせている。


「おそらく、アスカのお父さんの現社長は、『杜月』の行く末を諦めているのね。でも買収には応じない。例え倒産しても、日本の独自技術を外国企業には渡さない腹積もり。過去に資金繰りに行き詰った時も、特許はガン・エデン社ではなく国内企業に売っているもの。これは想像だけれど、沈んでいく会社の中にいたら、自分も、飛鳥も、買収の説得に負けてしまう。社員の為にきっと会社が存続できる道を選ぼうとする。だからアスカを、簡単にはガン・エデン社も手が出せない、英国のパブリックスクールに入れたんじゃないかしら」
「自分の会社を潰すために?」
 ヘンリーは、理解できない、といった顔でサラを凝視した。
「アスカの持っている特許さえあれば、すぐに立て直せるわ。それだけの価値があるもの。それ以上にアスカ自身が『杜月』の本当の財産だもの」

 サラはペリドットの瞳を妖しく輝かせて、ヘンリーをじっと見つめている。

「ヘンリー、アスカの持っている『杜月』の株式を買い取って」






 飛鳥の敵は、アメリカの時価総額ランキングに入る上場企業。狙われたのは飛鳥の会社だけじゃない。このヒット商品ひとつの為に、どれだけの下請け会社が技術を盗まれ、騙され、裏切られて潰れていったんだ?

 ヘンリーは、自分の手の内にあるスマートフォンをじっと見つめる。

 だがやがて薄闇の中、ソファーに寝転んで足を投げ出し、紫煙をくゆらせながらぼんやりと視線を天井に移した。


 飛鳥の言った通り、祖父はガン・エデン社の大株主だった。おまけにアデル・マーレイの一族の経営する銀行までが、株主名簿に記載されていた。マーレイ自身、どこまで知っていて、あんな真似をしたのかは判らないが……。

 ローテーブルに置かれた、飛鳥に貰ったクリスマス・プレゼントに目をやり、ぼんやりと眺めた。
 八インチ(約二十センチ)程の自分のミニチュアが、台座の上でぼんやりと発光しながら、ヴァイオリンで『荒野の果てに』を弾いている。

 スマートフォンで撮影され、動画サイトに投稿されていたものを元に作ったのだそうだ。サラに見せると手を叩いて喜んでいた。



 これなら十分に商品化できるのではないか? 

 と、飛鳥に尋ねると、日の光の下でもはっきりと見えるように出来なければ無理だと言われた。

 でも初めに見せてくれた蛍よりも、ずっと画像は鮮明クリアになっているね。

 そう褒めると、ガイ・フォークスの時にいいアイデアを思いついたからね、と飛鳥は嬉しそうに笑っていた。

 品物以上に、この発明品に込められた信頼が、ヘンリーは嬉しかった。

 どうするのが一番効果的か、冷静に考えなくては。
 飛鳥はフェイラーでもある僕を、本当に信じてくれるのだろうか?



 彼の口許からゆらゆらと立ち昇る紫煙も、ヘンリーの揺れ動く思念そのままに、形を成さぬまま闇に溶けていた。







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