27 / 745
一章
10
しおりを挟む
「しかし、きみには恐れ入ったよ。まさか、英国に喧嘩を売るようなマネをするとはね。言ってくれれば良かったのに」
言葉とは裏腹に、ヘンリー・ソールスベリーはさもおかしそうに笑っていた。
「だってきみは、英国国教会の信者だろ? 言えないよ、とても」
「クリスチャン・ネームは持っているけれど。信者とはいえないな。僕は、神の創りたもうたこの世界が好きじゃないんだ」
ヘンリーは、珍しく飛鳥の横で煙草を燻らせながら、そんな不遜なことを口にした。
「僕は気に入ったよ、あのラスト。英国にとっては国王暗殺未遂の犯罪者でも、カトリック信者にとっては、自分たちのための抵抗者だ。神に救いを求める者が無残に打ち捨てられるのでは、あまりに無慈悲だものな。それにしても、きみの人選は見事だったな。ルベリーニが絡んできたところで気付くべきだった」
「え? 彼が映画班だったからだよ。僕はイタリア人ならカトリックかな、くらいにしか考えなかったよ」
ヘンリーはまた可笑しそうにくっくっ、と肩を揺らす。
「その運の良さも実力のうちだ」
ドーン!
澄み切った夜空に花火が打ち上がる。
本来なら7時から始まる投票結果や、閉会式に出ていなければならない時間だ。だが飛鳥は、ヘンリーに誘われるままに、連れ立って城跡まで逃げてきた。そこで二人して崩れかかった城壁にもたれ、次々と打ち上げられる色鮮やかな花火を見上げている。
上映会が終わった後、飛鳥は知らない連中から声をかけられ賛辞を贈られた。だが嬉しく思う反面、戸惑いも大きかった。睡眠薬の影響なのか、体調もいまだすっきりしていなかった。
さっさと身を隠していたヘンリーが、ひと息ついたところで飛鳥を連れだしてくれたのだ。白い顔にピンと口髭の立つ不気味な笑みのガイ・フォークスのお面をつけていたので、最初は誰だか判らなかった。日が暮れてからの街中は、この同じガイのお面をつけた人々で溢れていたのだから。
「これ、ありがとう」
飛鳥はポケットから、からになった袋を取りだした。
「英国製でも問題なかった?」
「うん、助かった。正直、フラフラだったんだ。これが無かったらきっと倒れていた。ぶじに終われて本当、良かったよ」
ヘンリーが直前でくれたのは、不揃いのブドウ糖の結晶だ。彼は飛鳥が寝ぼけて言ったことを覚えていて、わざわざ探して買ってきてくれたのだ。
「それから、ロレンツォがきみに感謝していたよ。モーツァルトのレクイエム。『永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光を彼らの上に照らしたまえ』。彼らの救済を神に祈るこの曲がすべてを語っているから、最後の字幕は余計だった、って。僕からも、ありがとう、ヘンリー」
「寒いかい?」
飛鳥が気怠げにぶるりと身震いしていた。ヘンリーは壁から体を起こすと、飛鳥の顔色を確かめようと覗きこむ。
「疲れただけだよ」
ヘンリーは、ローブを脱いで飛鳥にかぶせる。
「ローブ、着ているから平気だよ」
「いいから。寒いのなら、もっとそばにくるといい」
「英国人って、本当に体温高いね。この季節でも、みんなてんで薄着でびっくりした」
飛鳥は、眉をしかめて無理に笑った。
ヘンリーは飛鳥の肩を掴んで、強引に自分の膝の上にその頭をのせた。
「横になっているといい。辛いんだろ?」
「意外にきみ、乱暴だよね。あの一発、きいたよ」
飛鳥は薄く笑って目を瞑る。
「ありがとう、助けにきてくれて。きみに助けられたのって、これで何度目だろう……」
頭上で、何発もの花火が連続して打ち上がる。
辺りが煌々と照らされる。 賑やかな音にまぎらわせるように、飛鳥は小さく呟いた。
「きみが、ヘンリー・ソールスベリーじゃなかったら、友達になれたかもしれないのにね――」
言葉とは裏腹に、ヘンリー・ソールスベリーはさもおかしそうに笑っていた。
「だってきみは、英国国教会の信者だろ? 言えないよ、とても」
「クリスチャン・ネームは持っているけれど。信者とはいえないな。僕は、神の創りたもうたこの世界が好きじゃないんだ」
ヘンリーは、珍しく飛鳥の横で煙草を燻らせながら、そんな不遜なことを口にした。
「僕は気に入ったよ、あのラスト。英国にとっては国王暗殺未遂の犯罪者でも、カトリック信者にとっては、自分たちのための抵抗者だ。神に救いを求める者が無残に打ち捨てられるのでは、あまりに無慈悲だものな。それにしても、きみの人選は見事だったな。ルベリーニが絡んできたところで気付くべきだった」
「え? 彼が映画班だったからだよ。僕はイタリア人ならカトリックかな、くらいにしか考えなかったよ」
ヘンリーはまた可笑しそうにくっくっ、と肩を揺らす。
「その運の良さも実力のうちだ」
ドーン!
澄み切った夜空に花火が打ち上がる。
本来なら7時から始まる投票結果や、閉会式に出ていなければならない時間だ。だが飛鳥は、ヘンリーに誘われるままに、連れ立って城跡まで逃げてきた。そこで二人して崩れかかった城壁にもたれ、次々と打ち上げられる色鮮やかな花火を見上げている。
上映会が終わった後、飛鳥は知らない連中から声をかけられ賛辞を贈られた。だが嬉しく思う反面、戸惑いも大きかった。睡眠薬の影響なのか、体調もいまだすっきりしていなかった。
さっさと身を隠していたヘンリーが、ひと息ついたところで飛鳥を連れだしてくれたのだ。白い顔にピンと口髭の立つ不気味な笑みのガイ・フォークスのお面をつけていたので、最初は誰だか判らなかった。日が暮れてからの街中は、この同じガイのお面をつけた人々で溢れていたのだから。
「これ、ありがとう」
飛鳥はポケットから、からになった袋を取りだした。
「英国製でも問題なかった?」
「うん、助かった。正直、フラフラだったんだ。これが無かったらきっと倒れていた。ぶじに終われて本当、良かったよ」
ヘンリーが直前でくれたのは、不揃いのブドウ糖の結晶だ。彼は飛鳥が寝ぼけて言ったことを覚えていて、わざわざ探して買ってきてくれたのだ。
「それから、ロレンツォがきみに感謝していたよ。モーツァルトのレクイエム。『永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光を彼らの上に照らしたまえ』。彼らの救済を神に祈るこの曲がすべてを語っているから、最後の字幕は余計だった、って。僕からも、ありがとう、ヘンリー」
「寒いかい?」
飛鳥が気怠げにぶるりと身震いしていた。ヘンリーは壁から体を起こすと、飛鳥の顔色を確かめようと覗きこむ。
「疲れただけだよ」
ヘンリーは、ローブを脱いで飛鳥にかぶせる。
「ローブ、着ているから平気だよ」
「いいから。寒いのなら、もっとそばにくるといい」
「英国人って、本当に体温高いね。この季節でも、みんなてんで薄着でびっくりした」
飛鳥は、眉をしかめて無理に笑った。
ヘンリーは飛鳥の肩を掴んで、強引に自分の膝の上にその頭をのせた。
「横になっているといい。辛いんだろ?」
「意外にきみ、乱暴だよね。あの一発、きいたよ」
飛鳥は薄く笑って目を瞑る。
「ありがとう、助けにきてくれて。きみに助けられたのって、これで何度目だろう……」
頭上で、何発もの花火が連続して打ち上がる。
辺りが煌々と照らされる。 賑やかな音にまぎらわせるように、飛鳥は小さく呟いた。
「きみが、ヘンリー・ソールスベリーじゃなかったら、友達になれたかもしれないのにね――」
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる