胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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一章

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「このローブ、今までありがとう。やっとクリーニングから返ってきたんだ。これは週末のクリーニングに出すから、来週には返せると思う」
 飛鳥はうっすらと染みの残る自分のローブを羽織り、律儀にヘンリーに頭を下げた。ヘンリーは複雑な表情を浮かべて何か言いかけたが、結局一言「そう」と口にしただけだった。



 今日から『ガイ・フォークス・ナイト』の準備が始まる。
 毎年、仮装行列と寮主催の催し物が点数制で競われるこのイベントに、スポーツの寮対抗戦には参加しないカレッジ・スカラーも、総力を挙げて取り組んでいる。七十名のスカラーを縦割り班に分け、班ごとに協力しつつ競わせる。そこでの指導力や発想力が翌年の監督生選抜に大きく影響してくるため、皆真剣そのものだ。

 今回は、進行、仮装行列、衣装製作、映画、技術、の五つの班に分かれることになっている。


 第一回目のミーティングが行われる日、飛鳥が指定された談話室の一角に来てみると、技術班のメンバーはすでに皆揃っており冷ややかな視線を彼に投げつけてきた。

「遅れてすみません」
 飛鳥はすぐさま頭を下げた。
「まだ五分前だ」
 同じ最上級生の一人が冷やかすように笑う。

「早速だけどね。技術班って振り分けられているけれど、この中で技術と電気学のクラスを取っているのはきみだけなんだ。必然的にきみが班長ってことでいいかな」
「皆さんが、それでかまわないのでしたら」
「じゃ、そういうことでよろしく頼むよ。教室の使用は進行班に言って許可をもらうこと。あとのことは進行班にきいてくれ」
「スクリーンやプロジェクターの希望はないですか?」
「僕たちじゃ判らないよ。どこかでレンタルしてくればいいんじゃないのかい? 予算なんかも進行班にきくといい」

 周囲で押し殺した笑い声が漏れる。

「演出なんかは」
「映画班に言ってくれ。僕らは何もできないよ。きみのように知識はないんだから」

 最上級生二人が代わる代わる喋るだけで、下級生は押しなべて下を向いたり、よそ見をしていて何も言わない。

 またか……。

 飛鳥は小さくため息をついた。

「分かりました。企画書と、進行に応じた報告書を作っておきます。それを承認してもらう形でかまいませんか?」
「OK、じゃ、解散」



 飛鳥は自室に戻るなり、思いっきり息を吐きだして深呼吸する。
「怒らない、怒らない。予想はついていたことだ」

 つまらないことで時間を潰すよりも有効に使わなくちゃ。
 思ったより予算も多いし、やりたいことを充分にできるチャンスじゃないか。




「デイヴ、ミントタブレットを持ってないか?」
「そんなに気にならないよ」と、言いながらもデヴィッドは、ポケットから取り出したタブレットケースをヘンリーに渡した。
「アスカは鼻がいいんだ。ローブを貸したときに言われた。こんなに臭いがつくまで吸うなんて、吸いすぎだって」
「コロンの香りしか判らないけどな」

 ヘンリーはタブレットを2、3粒口に頬り込みガリガリと噛み砕く。

「それにしても、きみのローブを返しちゃって、アスカちゃん、大丈夫なの?」
「アスカちゃん?」
「日本語の愛称だよ。かわいいでしょ」

 なんともイラッとくる呼び方だな、と思いながら、「ずいぶん仲良くなったんだな」とヘンリーはデヴィッドに露骨に冷めた目を向ける。だが当の本人はそんなもの気にも留めずにキラキラ瞳を輝かせている。

「そりゃあね。彼、きみの言った通り、ゲームめちゃくちゃ強かったよ。僕じゃ、まったく太刀打ちできなかった。もう師匠と呼ばせてもらいたいくらいだ」
「そりゃ、かなうわけがないよ、きみじゃあ。アスカは、ゲームのプログラムを逆アセンブルして解析しているんだ。そうやってバトル大会に出る選手のアシストをしたこともあるそうだよ」
「きみ、同じことできる?」
「できるけれどしない」
 ヘンリーは、あっさりとそっぽを向いた。
に頼めよ」



 胸に湧き上がってくるモヤモヤとした何かを抱えたまま、ヘンリーはどこ、という訳でもなく前方を睨みつけて歩いていた。その横でデヴィッドは不満そうに文句を告げている。だが、ヘンリーが無視したところでとくに気にする様子もない。いつものことだからだ。
 そんな彼の取り留めのないお喋りを聞き流しながら、ヘンリーはいかにも呑気そうなデヴィッドの顔を横目で盗み見る。
 彼が適任かもしれない。彼なら警戒されることもないだろう。僕ではきっとまた、飛鳥の自尊心を傷つけてしまう、と、ヘンリーはようやくつらつらと考えていた内容に区切りをつけた。

「ところできみの寮の催しは何だい、デイヴ? もし時間が取れるなら、頼まれて欲しいんだが」





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