16 / 739
一章
7
しおりを挟む
9日間のハーフタームを終えて、ウイスタンの学寮に戻って来た杜月飛鳥はやっと人心地がついていた。ロンドン郊外のラザフォード家では、本当にいたれりつくせりしてもらったが、自分の部屋の機械類に囲まれている時がやはり一番ほっとする。
休暇中に思いついたことを早速試してみたくて、飛鳥はウキウキとパソコンの電源を入れる。モニターで画像を検索し、解像度を測り、念入りに計算する。イメージ通りのものができそうで嬉しくて堪らない。
いつの間にか日はすっかりと暮れているのに、飛鳥は灯りも点けずにパソコン作業に没頭していた。
門限ぎりぎりに寮に帰りついたヘンリーが自室のドアを開けると、小さく、軽やかで、金属質な高音が、いくつも重なりあって柔らかなハーモニーを作りだし、部屋を満たしていた。
「アスカ、この音は何だい?」
「おかえり、ヘンリー」
飛鳥は喜色満面といったようすで振り返る。
「日本の秋の音だよ。きみはどう思う? 一般的には、虫の音を西洋人は右脳で聞いて、日本人は左脳で聞くらしいよ。西洋人には、虫の音。日本人には、虫の声。きみには、どっちに聞こえる?」
ヘンリーは唖然としばらくその場に突ったっていたが、荷物を下ろし、制服のローブを脱ぎ、窓際にある自分の椅子に腰かけた。そして、薄闇の中、パソコンから流れるその音に耳を傾けた。
「そうだな、虫の声かな。ヴァイオリンの音に似ている」
「虫は翅を摺り合わせて音を出すから、近いかも知れないね。ヘンリーは、今までに聞いたことある? 鈴虫やコオロギって、イギリスにはいないんだろ?」
「初めてだな。こんなのは」
「デヴィッドの家でニュースで見たんだ。イギリス人で、コオロギを輸入して自宅の庭に放って、虫の音を楽しんでいる人がいるって。西洋人には、虫の音は雑音にしか聞こえないって聞いていたから驚いたよ」
飛鳥はモニターを覗き、マウスを操りながら楽しそうに喋っている。普段とは打って変わった彼の饒舌な姿に驚きながら、ヘンリーは小首を傾げて訊いていた。
「それで日本が懐かしくなった?」
「そうじゃないよ。効果音がある方が、イメージが沸くかなって思ってさ」
飛鳥は机の上のモニターを切って立ち上がると、外灯の明かりの差し込む薄暗い部屋の中、ベッドの隅に置かれた段ボール箱から30センチ四方の黒い箱を取り出した。そして、部屋の真ん中に自分の椅子を引き出し、その箱を置いた。
「ヘンリー、カーテンを閉めてくれる?」
暗闇の中で飛鳥が黒い箱に触れると、その上方向にいくつものオレンジ色の光の粒が現れた。指の先ほどの小さなそれは、点滅しながらランダムに飛び交っている。ゆっくりと空間を漂うように乱舞し、ぼんやりと柔らかい光を放ち、まるで生きている星のように神秘的に輝いている。
ヘンリーは息を飲み、魅入られたかのようにじっと見つめていた。だがそのうち静かに立ち上がると、光を驚かさないようにそっと、捕まえようとその手を伸ばした。光はその指先を擦り抜け飛び去っていく。
「これは、何なんだ?」
驚きから覚め、ヘンリーは押し殺したような声で呟いた。壁や天井に映写するミラーボールの光などとはまるで違う。確かにこの狭い空間の中で、紛うことなき光がうごめいているのだ。
「これが、きみが欲しいって言ってくれた特許技術だよ」
飛鳥は、壁のスイッチを押し電灯を点けた。とたんに広がる白々とした灯りに仄かな輝きはかき消され、そこにはもう黒い箱しか残されていない。
ヘンリーは口のきけぬまま、箱と飛鳥を見比べた。
「さっきの光は、蛍っていう発光する虫を再現して見せたんだ。これなら、最大限に欠点をカバーできるかな、って」
飛鳥はいたずらっぽく笑い、「これでも、何を見せたらきみを一番驚かせることができるか、ずっと考えていたんだよ。なんと言っても、まだまだこれは出来損ないだからね」と、黒い箱を指差す。
「僕の持つ特許は、このガラス。簡単にいうと、このガラスを通すことで、蜃気楼を作るんだ」
飛鳥がモニターの電源を入れてページを開くと、その中には今見たままの光の乱舞する映像があった。
「今の技術で動かせる範囲は、画像サイズの2倍まで。等倍よりも、画質は落ちる。蛍の光なら倍にぼやけても綺麗に見えるかな、って思ったんだ」
だが、何も言わないヘンリーに、飛鳥は少しずつ自信をなくしてきたようで、段々と語調に力がなくなっていく。
「僕の特許は、制服代に見合わなかったかな……」
ついにはすっかり気落ちしてしまい、飛鳥はベッドにへたり込んだ。
「あまりに感動して、言葉が出なかったんだ」
ヘンリーはゆっくりと首を振り、感嘆を含んだ静かなため息をついた。
「国際特許は伊達じゃないってことだね」
「でも、ここまでなんだ。行き詰っている。ここから先は、ガラスではなくて、画像処理技術と電気信号の課題だって、“シューニヤ”に言われた」
「かまわない。きみのプレゼンテーションは完璧だった。正式に共同開発を申し込むよ」
自嘲的に唇の端を歪めている飛鳥を、ヘンリーは真剣な瞳で見つめ、しなやかに右手を差し出した。
「ありがとう、ヘンリー」
今までヘンリーが見たことのないような大人の顔をした飛鳥が、憶することなく彼の手を、強く握り返していた。
休暇中に思いついたことを早速試してみたくて、飛鳥はウキウキとパソコンの電源を入れる。モニターで画像を検索し、解像度を測り、念入りに計算する。イメージ通りのものができそうで嬉しくて堪らない。
いつの間にか日はすっかりと暮れているのに、飛鳥は灯りも点けずにパソコン作業に没頭していた。
門限ぎりぎりに寮に帰りついたヘンリーが自室のドアを開けると、小さく、軽やかで、金属質な高音が、いくつも重なりあって柔らかなハーモニーを作りだし、部屋を満たしていた。
「アスカ、この音は何だい?」
「おかえり、ヘンリー」
飛鳥は喜色満面といったようすで振り返る。
「日本の秋の音だよ。きみはどう思う? 一般的には、虫の音を西洋人は右脳で聞いて、日本人は左脳で聞くらしいよ。西洋人には、虫の音。日本人には、虫の声。きみには、どっちに聞こえる?」
ヘンリーは唖然としばらくその場に突ったっていたが、荷物を下ろし、制服のローブを脱ぎ、窓際にある自分の椅子に腰かけた。そして、薄闇の中、パソコンから流れるその音に耳を傾けた。
「そうだな、虫の声かな。ヴァイオリンの音に似ている」
「虫は翅を摺り合わせて音を出すから、近いかも知れないね。ヘンリーは、今までに聞いたことある? 鈴虫やコオロギって、イギリスにはいないんだろ?」
「初めてだな。こんなのは」
「デヴィッドの家でニュースで見たんだ。イギリス人で、コオロギを輸入して自宅の庭に放って、虫の音を楽しんでいる人がいるって。西洋人には、虫の音は雑音にしか聞こえないって聞いていたから驚いたよ」
飛鳥はモニターを覗き、マウスを操りながら楽しそうに喋っている。普段とは打って変わった彼の饒舌な姿に驚きながら、ヘンリーは小首を傾げて訊いていた。
「それで日本が懐かしくなった?」
「そうじゃないよ。効果音がある方が、イメージが沸くかなって思ってさ」
飛鳥は机の上のモニターを切って立ち上がると、外灯の明かりの差し込む薄暗い部屋の中、ベッドの隅に置かれた段ボール箱から30センチ四方の黒い箱を取り出した。そして、部屋の真ん中に自分の椅子を引き出し、その箱を置いた。
「ヘンリー、カーテンを閉めてくれる?」
暗闇の中で飛鳥が黒い箱に触れると、その上方向にいくつものオレンジ色の光の粒が現れた。指の先ほどの小さなそれは、点滅しながらランダムに飛び交っている。ゆっくりと空間を漂うように乱舞し、ぼんやりと柔らかい光を放ち、まるで生きている星のように神秘的に輝いている。
ヘンリーは息を飲み、魅入られたかのようにじっと見つめていた。だがそのうち静かに立ち上がると、光を驚かさないようにそっと、捕まえようとその手を伸ばした。光はその指先を擦り抜け飛び去っていく。
「これは、何なんだ?」
驚きから覚め、ヘンリーは押し殺したような声で呟いた。壁や天井に映写するミラーボールの光などとはまるで違う。確かにこの狭い空間の中で、紛うことなき光がうごめいているのだ。
「これが、きみが欲しいって言ってくれた特許技術だよ」
飛鳥は、壁のスイッチを押し電灯を点けた。とたんに広がる白々とした灯りに仄かな輝きはかき消され、そこにはもう黒い箱しか残されていない。
ヘンリーは口のきけぬまま、箱と飛鳥を見比べた。
「さっきの光は、蛍っていう発光する虫を再現して見せたんだ。これなら、最大限に欠点をカバーできるかな、って」
飛鳥はいたずらっぽく笑い、「これでも、何を見せたらきみを一番驚かせることができるか、ずっと考えていたんだよ。なんと言っても、まだまだこれは出来損ないだからね」と、黒い箱を指差す。
「僕の持つ特許は、このガラス。簡単にいうと、このガラスを通すことで、蜃気楼を作るんだ」
飛鳥がモニターの電源を入れてページを開くと、その中には今見たままの光の乱舞する映像があった。
「今の技術で動かせる範囲は、画像サイズの2倍まで。等倍よりも、画質は落ちる。蛍の光なら倍にぼやけても綺麗に見えるかな、って思ったんだ」
だが、何も言わないヘンリーに、飛鳥は少しずつ自信をなくしてきたようで、段々と語調に力がなくなっていく。
「僕の特許は、制服代に見合わなかったかな……」
ついにはすっかり気落ちしてしまい、飛鳥はベッドにへたり込んだ。
「あまりに感動して、言葉が出なかったんだ」
ヘンリーはゆっくりと首を振り、感嘆を含んだ静かなため息をついた。
「国際特許は伊達じゃないってことだね」
「でも、ここまでなんだ。行き詰っている。ここから先は、ガラスではなくて、画像処理技術と電気信号の課題だって、“シューニヤ”に言われた」
「かまわない。きみのプレゼンテーションは完璧だった。正式に共同開発を申し込むよ」
自嘲的に唇の端を歪めている飛鳥を、ヘンリーは真剣な瞳で見つめ、しなやかに右手を差し出した。
「ありがとう、ヘンリー」
今までヘンリーが見たことのないような大人の顔をした飛鳥が、憶することなく彼の手を、強く握り返していた。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
ポンコツ女子は異世界で甘やかされる(R18ルート)
三ツ矢美咲
ファンタジー
投稿済み同タイトル小説の、ifルート・アナザーエンド・R18エピソード集。
各話タイトルの章を本編で読むと、より楽しめるかも。
第?章は前知識不要。
基本的にエロエロ。
本編がちょいちょい小難しい分、こっちはアホな話も書く予定。
一旦中断!詳細は近況を!
(完結)元お義姉様に麗しの王太子殿下を取られたけれど・・・・・・エメリーン編
青空一夏
恋愛
「元お義姉様に麗しの王太子殿下を取られたけれど・・・・・・」の続編。エメリーンの物語です。
以前の☆小説で活躍したガマちゃんズ(☆「お姉様を選んだ婚約者に乾杯」に出演)が出てきます。おとぎ話風かもしれません。
※ガマちゃんズのご説明
ガマガエル王様は、その昔ロセ伯爵家当主から命を助けてもらったことがあります。それを大変感謝したガマガエル王様は、一族にロセ伯爵家を守ることを命じます。それ以来、ガマガエルは何代にもわたりロセ伯爵家を守ってきました。
このお話しの時点では、前の☆小説のヒロイン、アドリアーナの次男エアルヴァンがロセ伯爵になり、失恋による傷心を癒やす為に、バディド王国の別荘にやって来たという設定になります。長男クロディウスは母方のロセ侯爵を継ぎ、長女クラウディアはムーンフェア国の王太子妃になっていますが、この物語では出てきません(多分)
前の作品を知っていらっしゃる方は是非、読んでいない方もこの機会に是非、お読み頂けると嬉しいです。
国の名前は新たに設定し直します。ロセ伯爵家の国をムーンフェア王国。リトラー侯爵家の国をバディド王国とします。
ムーンフェア国のエアルヴァン・ロセ伯爵がエメリーンの恋のお相手になります。
※現代的言葉遣いです。時代考証ありません。異世界ヨーロッパ風です。
あなたに愛や恋は求めません
灰銀猫
恋愛
婚約者と姉が自分に隠れて逢瀬を繰り返していると気付いたイルーゼ。
婚約者を諫めるも聞く耳を持たず、父に訴えても聞き流されるばかり。
このままでは不実な婚約者と結婚させられ、最悪姉に操を捧げると言い出しかねない。
婚約者を見限った彼女は、二人の逢瀬を両親に突きつける。
貴族なら愛や恋よりも義務を優先すべきと考える主人公が、自分の場所を求めて奮闘する話です。
R15は保険、タグは追加する可能性があります。
ふんわり設定のご都合主義の話なので、広いお心でお読みください。
24.3.1 女性向けHOTランキングで1位になりました。ありがとうございます。
【完結】「婚約破棄ですか? それなら昨日成立しましたよ、ご存知ありませんでしたか?」
まほりろ
恋愛
【完結】
「アリシア・フィルタ貴様との婚約を破棄する!」
イエーガー公爵家の令息レイモンド様が言い放った。レイモンド様の腕には男爵家の令嬢ミランダ様がいた。ミランダ様はピンクのふわふわした髪に赤い大きな瞳、小柄な体躯で庇護欲をそそる美少女。
対する私は銀色の髪に紫の瞳、表情が表に出にくく能面姫と呼ばれています。
レイモンド様がミランダ様に惹かれても仕方ありませんね……ですが。
「貴様は俺が心優しく美しいミランダに好意を抱いたことに嫉妬し、ミランダの教科書を破いたり、階段から突き落とすなどの狼藉を……」
「あの、ちょっとよろしいですか?」
「なんだ!」
レイモンド様が眉間にしわを寄せ私を睨む。
「婚約破棄ですか? 婚約破棄なら昨日成立しましたが、ご存知ありませんでしたか?」
私の言葉にレイモンド様とミランダ様は顔を見合わせ絶句した。
全31話、約43,000文字、完結済み。
他サイトにもアップしています。
小説家になろう、日間ランキング異世界恋愛2位!総合2位!
pixivウィークリーランキング2位に入った作品です。
アルファポリス、恋愛2位、総合2位、HOTランキング2位に入った作品です。
2021/10/23アルファポリス完結ランキング4位に入ってました。ありがとうございます。
「Copyright(C)2021-九十九沢まほろ」
第15回恋愛小説大賞にエントリーしてます。
壁の花令嬢の最高の結婚
晴 菜葉
恋愛
壁の花とは、舞踏会で誰にも声を掛けてもらえず壁に立っている適齢期の女性を示す。
社交デビューして五年、一向に声を掛けられないヴィンセント伯爵の実妹であるアメリアは、兄ハリー・レノワーズの悪友であるブランシェット子爵エデュアルト・パウエルの心ない言葉に傷ついていた。
ある日、アメリアに縁談話がくる。相手は三十歳上の財産家で、妻に暴力を働いてこれまでに三回離縁を繰り返していると噂の男だった。
アメリアは自棄になって家出を決行する。
行く当てもなく彷徨いていると、たまたま賭博場に行く途中のエデュアルトに出会した。
そんなとき、彼が暴漢に襲われてしまう。
助けたアメリアは、背中に消えない傷を負ってしまった。
乙女に一生の傷を背負わせてしまったエデュアルトは、心底反省しているようだ。
「俺が出来ることなら何だってする」
そこでアメリアは考える。
暴力を振るう亭主より、女にだらしない放蕩者の方がずっとマシ。
「では、私と契約結婚してください」
R18には※をしています。
【R18】清掃員加藤望、社長の弱みを握りに来ました!
Bu-cha
恋愛
ずっと好きだった初恋の相手、社長の弱みを握る為に頑張ります!!にゃんっ♥
財閥の分家の家に代々遣える“秘書”という立場の“家”に生まれた加藤望。
”秘書“としての適正がない”ダメ秘書“の望が12月25日の朝、愛している人から連れてこられた場所は初恋の男の人の家だった。
財閥の本家の長男からの指示、”星野青(じょう)の弱みを握ってくる“という仕事。
財閥が青さんの会社を吸収する為に私を任命した・・・!!
青さんの弱みを握る為、“ダメ秘書”は今日から頑張ります!!
関連物語
『お嬢様は“いけないコト”がしたい』
『“純”の純愛ではない“愛”の鍵』連載中
『雪の上に犬と猿。たまに男と女。』
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高11位
『好き好き大好きの嘘』
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高36位
『約束したでしょ?忘れちゃった?』
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高30位
※表紙イラスト Bu-cha作
茶番には付き合っていられません
わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。
婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。
これではまるで私の方が邪魔者だ。
苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。
どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。
彼が何をしたいのかさっぱり分からない。
もうこんな茶番に付き合っていられない。
そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる