胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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一章

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 9日間のハーフタームを終えて、ウイスタンの学寮に戻って来た杜月飛鳥はやっと人心地がついていた。ロンドン郊外のラザフォード家では、本当にいたれりつくせりしてもらったが、自分の部屋の機械類に囲まれている時がやはり一番ほっとする。
 休暇中に思いついたことを早速試してみたくて、飛鳥はウキウキとパソコンの電源を入れる。モニターで画像を検索し、解像度を測り、念入りに計算する。イメージ通りのものができそうで嬉しくて堪らない。

 いつの間にか日はすっかりと暮れているのに、飛鳥は灯りも点けずにパソコン作業に没頭していた。




 門限ぎりぎりに寮に帰りついたヘンリーが自室のドアを開けると、小さく、軽やかで、金属質な高音が、いくつも重なりあって柔らかなハーモニーを作りだし、部屋を満たしていた。

「アスカ、この音は何だい?」
「おかえり、ヘンリー」
 飛鳥は喜色満面といったようすで振り返る。
「日本の秋の音だよ。きみはどう思う? 一般的には、虫の音を西洋人は右脳で聞いて、日本人は左脳で聞くらしいよ。西洋人には、虫の音。日本人には、虫の声。きみには、どっちに聞こえる?」

 ヘンリーは唖然としばらくその場に突ったっていたが、荷物を下ろし、制服のローブを脱ぎ、窓際にある自分の椅子に腰かけた。そして、薄闇の中、パソコンから流れるその音に耳を傾けた。

「そうだな、虫の声かな。ヴァイオリンの音に似ている」
「虫は翅を摺り合わせて音を出すから、近いかも知れないね。ヘンリーは、今までに聞いたことある? 鈴虫やコオロギって、イギリスにはいないんだろ?」
「初めてだな。こんなのは」
「デヴィッドの家でニュースで見たんだ。イギリス人で、コオロギを輸入して自宅の庭に放って、虫の音を楽しんでいる人がいるって。西洋人には、虫の音は雑音にしか聞こえないって聞いていたから驚いたよ」

 飛鳥はモニターを覗き、マウスを操りながら楽しそうに喋っている。普段とは打って変わった彼の饒舌な姿に驚きながら、ヘンリーは小首を傾げて訊いていた。

「それで日本が懐かしくなった?」
「そうじゃないよ。効果音がある方が、イメージが沸くかなって思ってさ」
 飛鳥は机の上のモニターを切って立ち上がると、外灯の明かりの差し込む薄暗い部屋の中、ベッドの隅に置かれた段ボール箱から30センチ四方の黒い箱を取り出した。そして、部屋の真ん中に自分の椅子を引き出し、その箱を置いた。

「ヘンリー、カーテンを閉めてくれる?」

 



 暗闇の中で飛鳥が黒い箱に触れると、その上方向にいくつものオレンジ色の光の粒が現れた。指の先ほどの小さなそれは、点滅しながらランダムに飛び交っている。ゆっくりと空間を漂うように乱舞し、ぼんやりと柔らかい光を放ち、まるで生きている星のように神秘的に輝いている。

 ヘンリーは息を飲み、魅入られたかのようにじっと見つめていた。だがそのうち静かに立ち上がると、光を驚かさないようにそっと、捕まえようとその手を伸ばした。光はその指先を擦り抜け飛び去っていく。

「これは、何なんだ?」

 驚きから覚め、ヘンリーは押し殺したような声で呟いた。壁や天井に映写するミラーボールの光などとはまるで違う。確かにこの狭い空間の中で、紛うことなき光がうごめいているのだ。

「これが、きみが欲しいって言ってくれた特許技術だよ」


 飛鳥は、壁のスイッチを押し電灯を点けた。とたんに広がる白々とした灯りに仄かな輝きはかき消され、そこにはもう黒い箱しか残されていない。
 ヘンリーは口のきけぬまま、箱と飛鳥を見比べた。

「さっきの光は、蛍っていう発光する虫を再現して見せたんだ。これなら、最大限に欠点をカバーできるかな、って」
 飛鳥はいたずらっぽく笑い、「これでも、何を見せたらきみを一番驚かせることができるか、ずっと考えていたんだよ。なんと言っても、まだまだこれは出来損ないだからね」と、黒い箱を指差す。

「僕の持つ特許は、このガラス。簡単にいうと、このガラスを通すことで、蜃気楼を作るんだ」

 飛鳥がモニターの電源を入れてページを開くと、その中には今見たままの光の乱舞する映像があった。

「今の技術で動かせる範囲は、画像サイズの2倍まで。等倍よりも、画質は落ちる。蛍の光なら倍にぼやけても綺麗に見えるかな、って思ったんだ」

 だが、何も言わないヘンリーに、飛鳥は少しずつ自信をなくしてきたようで、段々と語調に力がなくなっていく。

「僕の特許は、制服代に見合わなかったかな……」
 ついにはすっかり気落ちしてしまい、飛鳥はベッドにへたり込んだ。

「あまりに感動して、言葉が出なかったんだ」
 ヘンリーはゆっくりと首を振り、感嘆を含んだ静かなため息をついた。
「国際特許は伊達じゃないってことだね」

「でも、ここまでなんだ。行き詰っている。ここから先は、ガラスではなくて、画像処理技術と電気信号の課題だって、“シューニヤ”に言われた」
「かまわない。きみのプレゼンテーションは完璧だった。正式に共同開発を申し込むよ」

 自嘲的に唇の端を歪めている飛鳥を、ヘンリーは真剣な瞳で見つめ、しなやかに右手を差し出した。

「ありがとう、ヘンリー」

 今までヘンリーが見たことのないような大人の顔をした飛鳥が、憶することなく彼の手を、強く握り返していた。





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