3 / 753
一章
2
しおりを挟む
ヘンリー・ソールスベリーは、窓際の自分の机に頬杖をつき、窓の外に広がる中庭を見下ろしながらため息をついている。
「終わったかい?」
どうして東洋人というのは、こうも奥ゆかしいというのか、シャイというのか……。
時間が過ぎても現れなかった杜月飛鳥をようやく拾いあげて寮に連れ帰り、夕食に行くために制服に着替えるように、と急かしただけなのだ。入寮初日の晩餐から遅刻では、彼もきまずいことになるのではないか、という気遣いのつもりだった。
だが、たかがそれだけのことに、飛鳥は顔を赤くして固まってしまった。しかたなく、二人分のベッドと机に占められた、たいした空きのない部屋で、ヘンリーは紳士らしく彼に背を向け窓の外を眺めている。
日本人は、同性にでも女性並みの気遣いが必要なのか?
彼は、確かに外見は女性と区別がつかないくらい小柄で、きゃしゃに見える。髪も長すぎる。女性だと言われればそう見えなくもない。だが見た目はともかく、中身までそうである必要はないだろうが!
どうしてこの男をサラが気に入ったのか、彼には皆目見当がつかなかった。これからの一年間を同室で過ごすことを想い、自分の浅はかさを呪うしかないこの事態に、ヘンリーは落胆していたのだ。
「お待たせしてすみません。着替えました」
ヘンリーは内心の想いを押し殺して立ち上がり、窓から室内へと体を返した。そして今度は彼の方が、唖然として固まってしまった。
「――トヅキ、僕がこんなことを言うことで、気を悪くしないで欲しい。だが、その制服はきみの体形にあっていないんじゃないかな?」
明らかに高すぎるカラーの位置に始まって、指の先まですっぽりと収まって見えないほどの袖丈。肩も落ちている。トラウザーズはだぶついて、あれでは引きずってしまうだろう。ヘンリーには、とてもこれが自分の着ているのと同じ制服には見えなかったのだ。
「学校に用意していただいたんですけれど、僕は小柄で」
「真っ直ぐに立って」
机の引き出しからソーイング・セットを出し、ヘンリーは飛鳥の足元に膝をついた。
「え?」
「時間がないから仮留めだけしておく。大丈夫。これでも寮生活は長いからね。こういうことには慣れているんだ」
言いながら、彼はあっという間にスラックスの裾を折上げザクザクと縫っていく。両足とも縫い上げると、「腕を下して」と、今度は袖丈に取りかかる。飛鳥は驚きすぎて言葉がでてこないようで、されるがままに従っている。
「終わり。今日は仕方がないとして、すぐ近くに学校指定のテイラーがあるから早めに注文しておくといい」
ヘンリーは糸を切り終わると、膝をついたまま飛鳥を見上げた。
「制服――、高すぎて買えないから、お古を用意していただいたんです」
飛鳥はまた顔を真っ赤に染めあげ、消え入りそうな声で言い訳した。
「そう、じゃあ、後でもっとしっかり縫い直そう」
ヘンリーは立ち上がると、今度はだらしなく結ばれた飛鳥のネクタイを解き、結び直した。
「この結び方、なんて言うのか知らないけれど、日本式? きみにはプレーンノットの方が似合うと思うよ」
飛鳥はもう恥ずかしさと、いたたまれなさで、逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
「あとは、髪。僕のでかまわないなら」
返事も聞かずに、ヘンリーは自分の櫛と整髪料を取ってくると、手早く飛鳥の長い髪を七三に分けて撫でつけている。
「初めてきみの顔が見れたな」
東洋の神秘だな、とヘンリーは心の中だけで呟いた。至近距離から見る髪を上げた飛鳥は、顔まで性別の区別がつかなかったのだ。
長く濃いまつ毛に縁どられた切れ長の大きな鳶色の瞳に、こぢんまりとした鼻、唇、滑るような肌――。
だが、その瞳は怯えるような影を宿し、唇は所在なげに小刻みに震えて魅力を半減させている。
「ローブを忘れないで」
自分も漆黒のローブをはらりと羽織り、ヘンリーはドアを開けた。そしてふと思いだしたように振り返る。
「トヅキ、顔を上げて背筋を伸ばせ。堂々と歩くんだ。ここは英国だ。第一印象で階級が決まる」
そう言い捨てて、彼は返事を待つこともなく部屋を出ていった。
******
トラウザーズ:スーツの上着と共生地仕立てのパンツ
「終わったかい?」
どうして東洋人というのは、こうも奥ゆかしいというのか、シャイというのか……。
時間が過ぎても現れなかった杜月飛鳥をようやく拾いあげて寮に連れ帰り、夕食に行くために制服に着替えるように、と急かしただけなのだ。入寮初日の晩餐から遅刻では、彼もきまずいことになるのではないか、という気遣いのつもりだった。
だが、たかがそれだけのことに、飛鳥は顔を赤くして固まってしまった。しかたなく、二人分のベッドと机に占められた、たいした空きのない部屋で、ヘンリーは紳士らしく彼に背を向け窓の外を眺めている。
日本人は、同性にでも女性並みの気遣いが必要なのか?
彼は、確かに外見は女性と区別がつかないくらい小柄で、きゃしゃに見える。髪も長すぎる。女性だと言われればそう見えなくもない。だが見た目はともかく、中身までそうである必要はないだろうが!
どうしてこの男をサラが気に入ったのか、彼には皆目見当がつかなかった。これからの一年間を同室で過ごすことを想い、自分の浅はかさを呪うしかないこの事態に、ヘンリーは落胆していたのだ。
「お待たせしてすみません。着替えました」
ヘンリーは内心の想いを押し殺して立ち上がり、窓から室内へと体を返した。そして今度は彼の方が、唖然として固まってしまった。
「――トヅキ、僕がこんなことを言うことで、気を悪くしないで欲しい。だが、その制服はきみの体形にあっていないんじゃないかな?」
明らかに高すぎるカラーの位置に始まって、指の先まですっぽりと収まって見えないほどの袖丈。肩も落ちている。トラウザーズはだぶついて、あれでは引きずってしまうだろう。ヘンリーには、とてもこれが自分の着ているのと同じ制服には見えなかったのだ。
「学校に用意していただいたんですけれど、僕は小柄で」
「真っ直ぐに立って」
机の引き出しからソーイング・セットを出し、ヘンリーは飛鳥の足元に膝をついた。
「え?」
「時間がないから仮留めだけしておく。大丈夫。これでも寮生活は長いからね。こういうことには慣れているんだ」
言いながら、彼はあっという間にスラックスの裾を折上げザクザクと縫っていく。両足とも縫い上げると、「腕を下して」と、今度は袖丈に取りかかる。飛鳥は驚きすぎて言葉がでてこないようで、されるがままに従っている。
「終わり。今日は仕方がないとして、すぐ近くに学校指定のテイラーがあるから早めに注文しておくといい」
ヘンリーは糸を切り終わると、膝をついたまま飛鳥を見上げた。
「制服――、高すぎて買えないから、お古を用意していただいたんです」
飛鳥はまた顔を真っ赤に染めあげ、消え入りそうな声で言い訳した。
「そう、じゃあ、後でもっとしっかり縫い直そう」
ヘンリーは立ち上がると、今度はだらしなく結ばれた飛鳥のネクタイを解き、結び直した。
「この結び方、なんて言うのか知らないけれど、日本式? きみにはプレーンノットの方が似合うと思うよ」
飛鳥はもう恥ずかしさと、いたたまれなさで、逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
「あとは、髪。僕のでかまわないなら」
返事も聞かずに、ヘンリーは自分の櫛と整髪料を取ってくると、手早く飛鳥の長い髪を七三に分けて撫でつけている。
「初めてきみの顔が見れたな」
東洋の神秘だな、とヘンリーは心の中だけで呟いた。至近距離から見る髪を上げた飛鳥は、顔まで性別の区別がつかなかったのだ。
長く濃いまつ毛に縁どられた切れ長の大きな鳶色の瞳に、こぢんまりとした鼻、唇、滑るような肌――。
だが、その瞳は怯えるような影を宿し、唇は所在なげに小刻みに震えて魅力を半減させている。
「ローブを忘れないで」
自分も漆黒のローブをはらりと羽織り、ヘンリーはドアを開けた。そしてふと思いだしたように振り返る。
「トヅキ、顔を上げて背筋を伸ばせ。堂々と歩くんだ。ここは英国だ。第一印象で階級が決まる」
そう言い捨てて、彼は返事を待つこともなく部屋を出ていった。
******
トラウザーズ:スーツの上着と共生地仕立てのパンツ
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
霧のはし 虹のたもとで
萩尾雅縁
BL
大学受験に失敗した比良坂晃(ひらさかあきら)は、心機一転イギリスの大学へと留学する。
古ぼけた学生寮に嫌気のさした晃は、掲示板のメモからシェアハウスのルームメイトに応募するが……。
ひょんなことから始まった、晃・アルビー・マリーの共同生活。
美貌のアルビーに憧れる晃は、生活に無頓着な彼らに振り回されながらも奮闘する。
一つ屋根の下、徐々に明らかになる彼らの事情。
そして晃の真の目的は?
英国の四季を通じて織り成される、日常系心の旅路。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる