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本編
ダグとルディ 2 〚ダグ〛
しおりを挟む『なぁイブ。お前、髪染めねーのか。』
『何で。』
それを聞いたのはずいぶん経ってからだった。
確かイブが中学生になった年の、秋くらい。街であいつを見かけたのがきっかけだった。
『この間見たぜ、その髪のせいでいろいろ絡まれてたろ。』
『そーそー。やっちまえ!って思ったのに言い返しもしないしさぁ。あの感じからしてよくあるんだろ?いちいち面倒じゃねぇ?』
『別に、言いたいやつには言わせておけばいい。人を蔑むやつは誰かに蔑まれるだろ。そんなクズに言われた言葉で、俺が変わってやる筋合いはない。』
わずか13歳。ずいぶんと身長は伸びたがまだまだガキ。そんなガキの放った言葉で、唐突に吹っ切れてしまうこともある。
イブが帰ったあと、耐えきれなくてルディとふたりで大笑いした。
『ああ可笑しい!俺たち何やってんだろ!クズに言われることなんか聞いてやる筋合いないよなぁ!』
『違いねぇな。言いたいやつには言わせておけばいい、その通りじゃねぇか。』
だいたい、ずっとそうだったはずだ。
俺もルディも、ゲイだから家族に絶縁されたし、ゲイだからとまともな扱いを受けなかった。
そんなの全部関係ないと、ルディがいればいいと、作りたいものを作ると意地を張って張り続けて、売れたことでプツンと切れた。
掌を返した周囲に、ころりと態度が変わったやつらに、何も信じられなくなって。
固いと思っていた地面がぐにゃりと崩れた心地がした。
罵声を浴びせてきたクズがあげる賞賛の声を、笑って受け入れなければと思っていたけれど。
ーーー賞賛の声だからって、聞いてやる必要なんてない。
その日、実に3年ぶりに、本国に置き去ってきたエージェントに連絡を取った。
イブと出会ってからは気まぐれに作品を送ったりもしていたけど、仕事として何かを請け負うことはなかった。そのせいでますますRDの名前は高まったらしい。
“認めた相手としか仕事はしない”そんな評価のおかげでずいぶんと気楽になっていたことにも、馬鹿らしくなって笑った。
俺たちが目を背けていただけで、こうして支えてくれていたやつらはずっといたんだと。
『ダグ。一緒に世界を旅しないか?まだ見ていないものを、見てみたい。』
『ルディ。俺からも誘おうと思っていた。』
まだ学生のころ、バックパックひとつで、ふたりきりで旅をした。
お金はなくとも、時間と熱意だけがあったあの頃。あれが、俺たちの原点。
色々と吹っ切れてみれば、ややこしい色々を取っ払ってしまえば、残ったのはシンプルな気持ちだけだった。
ルディとふたり、世界中を遊び尽くしたいという、それだけ。
来たときよりもかなり荷物が増えていて、思い切って家を買ってそこに少しずつ荷物を移した。
アメリカには戻るかもしれないが、戻らないかもしれない。日本に永住したいと思うくらいには、俺たちはこの国が気に入っているから。
たとえ永住しなかったとしても、拠点は置いておいて損はない。
旅立つ前に、イブの耳にたくさんのピアスを開けた。どうせ茶髪なんだからピアスだって開けちまえと言って開けさせて、俺たちが使っているピアスから、いくつかを選び抜いて渡す。
まだ14歳。声変わりは早く既に声は低いものの、身長はまだまだ伸びるだろう。これで、どんなにでかくなってもきっとわかる。
さよならなんて言わずに、またなと言って旅立った。
世界を巡って、5年後くらいにまた来ようか。その頃にはルディよりでかくなってるかもな、なんて話しながら空港に向かう足取りは、ここに来たときよりも遥かに軽かった。
✢
また会えると信じて疑っていなかったが、思えばイブの名前と顔以外何も知らない。………いや、イブはイブという名前ではなかったはずだから、名前も怪しい。
ルディとそれに気づいたのは、おんぼろアパートが更地になっていたことを見たときで、あまりの抜けっぷりに大笑いした。
その脚で行きつけのショップに行き、顔見知りの店員に挨拶をしておすすめを聞いて、いたずらっぽく笑いながら勧められたのが“plena”。
「絶対気に入りますよ。ちょうど今度ライブもあるんで、フライヤー入れときます。」
そう言い切った店員に「俺たちのジャッジは厳しいぜ?」なんて笑って返して、ホテルに戻って聞いた途端驚いた。
『っおいおい!マジかよあいつ!!』
一曲まるっと聴き入って止めて、弾けるように笑ったルディにつられて俺も笑った。
甘く掠れたマスタードボイス。間違いなくイブの声なのに、聞いたことないほど甘く甘くカナリアと歌う。
あの頃から、料理をしながら口ずさむ歌は才能に満ちていたけど、完全に花開いたようだ。
即座にライブを申し込み、当日そこで見たのは立派に成長したひとりの男。
桜色の髪のギターがカナリアなのだろう。見ているこちらがこそばゆいほど甘く見つめ、優しく歌う。
ライブ後、控室にルディが行き、再会したイブはルディの身長ははるかに抜いて、俺とも肩を並べるほどだった。
立派な体躯で軽々と歌い、辛口の声で心を揺さぶる。
まだ加入して半年足らずだと言うが、このバンドが売れるのはすぐだろう。
『ダーリン、今考えることを当ててあげようか?』
『ハイハニー。俺だって当てれるぜ。“今度のこいつらのジャケットデザインは絶対に俺たちがやろう”だろ?』
『正解!そっちは、“PV撮りてー”だろ?』
『正解。』
ルディとじゃれあって、デザインや構成について話し合う。
こんなに心躍る仕事もなかなかないなと話しながら、ああギャラの話があったかと思い出す。
『ギャラ、すでにもらってるようなもんだよねぇ。6年前のイブの言葉がなかったら俺たちたぶん復帰してなかったし。』
『だが、タダでなんて言ったら烈火のごとく怒るだろうな。むしろ、仕事を断られるだろう。』
『馬鹿にすんな。そこまで落ちぶれちゃいないって?あり得る。じゃあさ、こういうのはどう?』
✢
ルディの出した条件は、俺たちの作品のモデルになること。
その提案には思わず唸った。
イブに打診しても確実に断られるだろうから言ったことはなかったが、創作意欲を刺激することこの上ない男だ。
絵にしろ写真にしろ動画にしろ、ものすごく映える。作品にしたい気持ちはおそらくルディも同じだったのだろう。
バンドにとってはこの上ないほどの好条件にひとつ「こちらの要求を呑むこと」という不審な条件をつけて提案すれば、イブは必ず他のメンバーと相談する。
そんでその時はイブ個人に提案したモデルの条件はきっと話さないから、絶対他のメンバーはノッてくる。
カナリアがやりたいと言えば、イブはきっと頷くよ。
そんなルディの言葉通りに、顰めっ面でイブはやってきた。
契約書を差し出し、さらに眉間に皺を寄せる。
無期限のモデル契約というところと、こちらから支払うギャラの額に引っかかるところがあったのだろう。
ルディが半ば強引にサインさせて、そのままアコギを手渡した。
『ダグ、メイクはなしでいいよね?上は脱がす?ズボンも少し捲くろうか』
『そうだな。髪だけ少しラフに乱すか。』
りょーかい、と軽く応じたルディが指示通り動き、壁に控える。
手に持ったのはスケッチブックだ。既に真剣な瞳でイブを見つめ、さらさらと手を動かしている。
『カナリアを英語で歌えるか?』
『ああ。』
ギターを鳴らし、音を確かめて呼吸をひとつ。
目を閉じたイブが体勢を整えて、粗末な木の椅子がぎしりと鳴った。
弾き語りとは言えないほど、ギターの音は少ない。
だが楽器なんてこの声だけでいいと言わんばかりに、高く、低く、旋律が踊る。
歌い終えたイブが、ギターを下ろし髪を掻き上げる。目を眇めてレンズ越しに俺を睨みつけ、片膝を抱えて目を逸らした。
この最高の素材をどう調理するか。
何枚も鉛筆を走らせるルディからも、熱い興奮が伝わってくる。
きっと、代表作と言われるようなものになるだろう。
追い払うようにイブを返し、二人ともそのまま制作に取り掛かった。
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