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番外編

1 硬派な男はわからない

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「恋ってそんなにままならないものか?」

そう尋ねたのは恋を知らない頃だった。
明らかにタチが悪い相手に惚れる同級生にそう尋ねて、肯定されて。
そんなものか、と妙に納得して、不遇な恋をかわいそうに思った。
そしてその溺れるような恋にほんの少し憧れた。
理性も歯止めも利かなくなる、そんな恋に落ちてみたいと。





恋に落ちるというのはいったい誰が言い出した言葉なのだろうか。
その言葉を考えた人も、やはり恋に落ちたのだろうか。
逃れようもないほど、急激に。
はまり込むように。

相原を初めて見たのは、入学してしばらく経った頃だった。
新芽萌ゆる過ごしやすい季節、というにはやや暑すぎる頃。
男の比率が高い理系ならではの下品な馬鹿騒ぎの中で、度々その名前は上がっていた。

いわく、二股三股は当たり前。男も女もイケるクチ。抱いた女の彼氏と揉めたのに、いつの間にかその彼氏もセフレに加えていた。ベンツに乗ったおっさんと援交している。お願いすればヤラせてくれる、などなど。

あまり噂を好かない俺でもこれだけ聞こえてくるのだから、いったいどれだけ耳目を集めているのだろうか。
そう、少し呆れていた頃だ。

「あ、相原だ。今日も色っぺー」

俺たちがいた教室のベランダから見下ろした先の木の下で、相原はこちら向きに立っていた。
その向かいには、体格のいい男。声は聞こえないが、恐らく何か交渉しているのだろう。

――こんな昼間っから、爛れている。

眉間に皺を寄せて見ていたら、体格のいい男が去って、相原がひとり残された。
交渉が決裂したんだろうか?
ため息を吐いて髪をかきあげて、その細い首を陽のもとに晒す。太陽の下にあるせいかそれは白く輝いていて、シャツの隙間から覗く鎖骨に目を奪われる。
そのとき、ふいに相原が視線を上げた。
こちらを見て、ほんの少し目を眇めて、小首を傾げて髪を揺らす。
……そして、なぜだかひどく無防備に、ふにゃりと笑った。

いったい何を見て笑ったのだろう。
きっと俺を見たわけではない。事実目は合っていない、の、だけど――不思議と跳ねた心臓に首を捻るしかなかった。

この時はまるでわかっていなかったけれど、振り返ればおそらくこの時からだったと思う。
外を眺めるとき、廊下を歩くとき、視界のどこかに、あの柔らかそうな茶色の髪を探すようになったのは。

「篠田って、相原嫌いだよなあ」
「両極端だからじゃねぇ? ビッチと硬派、水と油みたいなもんだろ」
「別に嫌いではない」
「ウッソだぁ、いつもすげー顰めっ面で見てるくせに」

ほら、と眉間を指されてそこに触れる。
くっきりと刻まれた皺になるほどと少し納得するけど、本当に嫌いなわけではないのだ。
見掛けると何故か目が離せなくて、男と話しているところを見ると胸のあたりがじくじくと痛む。
数多振りまかれる華やかな笑顔が、こちらを向かないことに苛立ちもする。
ただそれだけで。

こんなにも一人のことが気にかかるのは初めてで、これが何なのかはよくわからなかった。





『男が選ぶ! 抱きたい・抱かれたい男ランキング』という頭を疑うような企画は、毎年恒例の人気企画であるらしい。
文化祭前の事前投票の結果を、文化祭当日に校内新聞と掲示で発表。
お前1位じゃん、と言われて渡されたそれに、相原の写真が載っていた。

――抱きたい男3位。得票数547票。

『いわずと知れたビッチくん!その色香に惹き込まれずにいられない!?』と付け加えられた煽り文句に、ぎりぎりと歯を食いしばる。
『一度でいいからお願いしたい』『存在がエロい』と続く選者コメントに、目の前が赤く染まっていく。
547票。
この大学内だけで、547人が相原を抱きたいと思っている。そういう目で、見ている。
……そのうちのどれだけの男が、実際にあの肌に触れたのだろうか。
白く、柔らかそうなあの肌に。

無意識に新聞を握りしめていて、それを伸ばして手元に置いた。
こんなことはくだらないと心底思うのに、興味なんて全くないのに、相原の写真が載っているこの新聞をきっと持ち帰ってしまうのだろうと思うと、なぜか少し気持ちが沈んだ。

教室を出て、文化祭を回るために歩き出す。
展示に使われないこちらの棟は閑散としていて人気がない。
日頃ではあり得ないほど静かな校舎に、思考が勝手にめぐりだす。

――この気持ちは、いったい、なんなのだろう。

興味本位? 好奇心? 身近にはいないふしだらな存在が珍しいのか?
……それにしてはあまりにも、感情が動かされているように思う。
記事を見ただけで落ち込むなんて、はっきり言って普通ではない。
だが、話したこともない相手に対して、他に何を抱くというのか。

「っ、わりぃ! 匿って!」

突然声が降ってきたと思ったら、まさに今考えていた相原が階段を駆け下りてきた。
そのまま近くの教室に飛び込んでいく、その姿に目を奪われる。
シャツの裾から脇腹がのぞき、襟元は大きく開けられていて――輝くような白い肌が、慎ましげな小さな胸の飾りが、どうしようもなく目に焼きつく。
なめらかで薄い腹も縦長のへそも、ズボンから覗く派手な色のパンツのゴムも、ほんの一瞬だったのに驚くほど詳細に覚えている。

あまりもの衝撃に呆然と立ち竦んでいたら、階段を三人の男が駆け降りてきた。
探すような素振りからして、相原はこいつらから逃げてきたのだろうか。
匿ってとは、そういうことだろうか。
とりあえず相原は下に行ったと嘘をつき、去っていく男たちをじっと見送る。
戻ってくる気配はないし、どうやら校舎も出たようだ。
……そう相原に伝えるべきかと少し逡巡していたら、教室の扉がわずかに開いた。

「行った?」
「ああ」
「サンキュー、助かった。……っとに、無茶苦茶しやがるよなあ」

至近距離でにぱっと笑う、その顔に淫靡さなど欠片もない。直前までふしだらなことをしていたくせに、それが当然のことのようにけろっとしている。
……なのに、大きく開けられたシャツの胸元からはまだ、抜けるように白い肌が覗いていて。
なぜか、そこから目が離せなくて。

引き寄せられるように手が動いて、それをすんでのところで押し留めた。
じゃあ俺行くわ、と去っていく相原を見送って、熱い指先をぎゅっと握る。

なぜ、無意識に相原を探してしまうのか。
どうしていつも目で追ってしまうのか。

ようやく気づいたその答えに、きつく眉間に皺を寄せた。





清楚清純を求めるわけではないが、軽薄なのは好まない。
肉欲に溺れる爛れた関係など、正直嫌悪していた、……はずだった。
それなのにどうして、相原を好いてしまったのか。
深く話したこともないのに、たった二回、心から笑う顔を目にしただけで。

恋だと気づいても、すぐに認めることはできなかった。
恋はままならないだなんて、そんな生易しいものではない。相原を好む自分を認めることは、今まで積み上げてきた常識や良識を、まるごと覆すようなものだ。
そう簡単には受け入れられない。
……なのに。

「付き合ってくれないか」

ぽろりと口からこぼれ出たのはそんな言葉だった。
……相原を前にすると、自分がよくわからなくなってしまう。

偶然、相原が男に絡まれているところに通り掛かった。
『一回でいいから』『いくらならヤラせてくれるか』『舐めるだけでいいから』――そんな聞くに堪えない言葉を耳にした途端、無理やりに割り込んだのは覚えている。
サンキューと笑った、華やぐような笑顔も、しっかりと目に焼き付いている。

無意識にこぼれ落ちたそんな言葉に、相原が簡単にいいよと頷く。
途端に舞い上がった気持ちは、「どこに?」なんていう言葉で地に落ちたけれど、そのせいで、本当の望みはわかってしまった。

ずっと受け入れられないと思っていたくせに、俺はずっと、相原と付き合いたかったのだ。
もっと近づいて、触れ合って、出来うるなら、俺だけのものにしたかった。
ふにゃりと綻ぶ無防備な笑顔を、俺だけに向けて欲しかった。

「……あー、ええっと、うーん、と? と、友達からなら?」

うろうろと視線を彷徨わせ、相原が困ったように首を傾げる。
これでいいのか? と言いたげに上目遣いに俺を窺い、居心地が悪そうに唇をとがらす。
そんな表情を見るのはもちろん初めてで、喜びがじわじわと胸を占める。

――友達でも、いい。

相原の上を通り過ぎていく男の一人になるよりは、友達として傍にいたい。
華やかな外見にそぐわない、ひどく無邪気な笑顔だとか。うろうろと視線を彷徨わすところだとか。
くるくると変わる表情を、一番近くで見ていたい。

――そして、いつか、……たった一人の、特別になれたら。

華奢な肩から手を離し、ほっと緩む表情を見つめる。
薄いシャツ越しの相原の体温が、じんわりと手に残っていた。


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