揺り籠の計略

桃瀬わさび

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青井と葵 前 〚志摩〛

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その名前に気づいたのは、GWの前だった。
貸出記録を書こうとして、一つ前の“芹沢葵”という名前に見覚えがあったから。
几帳面で、細くて繊細な文字。
ここが男子校でなければ、まず女の子だと思うような、流麗ながらも華奢な文字。
どこで見かけたのかと考え、入学してから借りた本をひとつひとつ開いて確認すれば、かなり多くの本が俺の前や後に借りられていた。
―――どんなやつだろう?
字は繊細。読書傾向は似ている。
それだけしか知らない人に、思いを馳せた。

“芹沢葵”が借りたかどうかは、本を借りるときの目安になった。
あまり読んだことのない本でも、彼が借りていれば外れることは少ない。
一度話してみたい。
ここには置いていない本とかの話をしてみたい。
陸上バカの、読書バカ。
そんな失礼なあだ名を付けたのは早苗だけど、あながち間違ってもいない。
どうにかして話せないか考えて、貸出記録に付箋を貼った。

『この本面白いよ。オススメがあったら教えてくれ。』

そんな短い文なのに、悪筆が震えてさらに酷くなった。
何度か書き直して、一番マシなものをオススメの本に貼り付けて、それを戸棚に戻す。
少し悩んだけど、数センチ本棚から出るようにした。
ここはいつも利用者が少ないから、きっと初めに見るのは彼だろう。……そうであることを祈る。
そわそわと毎日図書室に行き確認すれば、翌日の夕方にはその本は無くなっていた。
―――借りられてる。彼にだと、いいんだけど。
そう祈った翌日図書室に行けば、数センチはみ出ている本があった。
走り出したくなるのを必死に堪え、何気ないふりでその本を手に取る。
裏表紙を開けば、繊細な文字。

『ありがとう。これ、面白いよ。』

良かった、届いた。
そんな気持ちで胸がいっぱいになって、こっそりとガッツポーズをした。





彼は、字だけでなく心も繊細だ。
簡単な感想をつけて返事を返したら、彼も一言添えてくれるようになった。
彼の感想は、いつだって俺に新しい視点を与えてくれる。
何度も読んだ小説でも、彼の感想を読んだあとにもう一度読み返せば、新しい発見がある。

―――不思議な人だ。この感受性の豊かな人の目に、世界はどんなふうに映るんだろう。

彼の付箋はすべて大切にとってあるけど、特別なものがひとつある。
一度だけ読んで胸を打たれた、切ない話。
控えめに言っても面白いのは間違いないんだけど、個人的に悲しい終わり方だったのもあって、奨めるのをためらっていた。
けれど、それまでの感想が俺に新しい視点を与えてくれたから、もしかしたら、と思ってそれを奨めた。
いつもよりもどきどきしながら返信を待ち、いつもよりも少し時間がかかった3日後。

『世間一般から見れば幸せじゃなくても、このひとにとっての幸せはこういうことだったんだね。』

その言葉に、胸がぎゅうっと締め付けられた。
―――そうか、この人は、幸せだったのか。
バッドエンドに近いと思っていたけど、ハッピーエンドだったのか。
そう思って読み返せば、切なさの中に確かに幸せが散りばめられていて。
救われた思いがして、自室でひとり、目頭を押さえた。


あぁ、好きだ。


すとんと胸に落ちた気持ちは、そこをじんわりと熱くした。
会いたい。会って、話をして。
どんな人かわからないけど、心根だけはよく知っている。
些細な文通だけでそんなのわかるか、と嘲笑う人もいるだろうけど、丁寧に書かれた文字や、繊細な本への感想からも、彼の綺麗な心は滲み出ていた。

“芹沢葵”探しは、それから始まった。
図書室に張り込んでみたりしたけど、ほんの少し席を外した隙に本が借りられて行ったりする。
あまりの捕まらなさに焦りもあって、なんの脈絡もなく好きな人がいるか聞いてしまったりした。
帰ってから後悔して翌朝慌てて図書室に向かえば、本が借りられてなくて安堵して。
付箋を回収しようとしたら、貸出記録ごとそれがなかった。

―――やばい!見られた!

その上で本を借りないうえ、貸出記録は持っていってしまうなんて、―――いったいどれだけ動揺したのか。
慌てて『ごめん!昨日の追伸、やっぱなし!』なんていう付箋だけ貼って、本を戻して踵を返す。
万一今彼と遭遇したら、どんな顔をすればいいかわからない。
きっと動揺して、ひどいことになる。
そんな確信から慌てて図書室の扉を開ければ、小さな男とぶつかりそうになった。
慌てて避けて謝れば、驚くことに写真部の青井だった。
青井なんて名前、貸出記録に見たことないけど、きっとジャンル違いを読んでいるんだろう。
今度本の話を振ってみようか。

「青井も、図書室来るんだ。俺も結構来るよ。数少ない利用者仲間だな。」

そう話しかければ、青井がほんの少し俯いた。





“芹沢葵”を図書室で探すのは諦めて、まずは友人たちに聞いてみることにした。
名前以外何もわからないけど、シオとナベは事情通だし、早苗は目立つから知り合いが多い。
出会いから何から洗いざらい吐かされたけど、有力な情報はすぐに得られた。
C組の、芹沢。
その日の部活上がりに、偶然通りがかったその人こそ芹沢だと教えてもらい、心と同じく美しいその人に、ひと目で心奪われた。
しばらくして、グラウンド脇を通りかかった彼に意を決して話しかけた。

「あの、芹沢葵さんですか。……俺、志摩です。あの、図書室の………」

そこまでは何とか話したものの、その後の言葉が出てこない。
芹沢さんは少し驚いた顔をして、小さく笑みをこぼして、あぁ、あの、と言った。

「芹沢です。…………よろしく。」

花が咲くように笑った彼に、また、恋に落ちた。





芹沢は、手紙と話すのとでは随分印象が違う。
天真爛漫で明るくて、クラスでもかなり人気みたいだ。
本の話はほとんどしなくて少し疑問に思ったけど、図書室の文通は続いていたし、きっと本はひとりで楽しみたいのだろうと思った。
グラウンドに来てくれたり、少し立ち話をしたり。
そんなことが増えれば、想いはどんどん深まって。
だから、告白することにした。
もしフラレても、今ならまだ傷は浅いという、情けない気持ちもあって。

『部活後、グラウンドに来てください』

そう付箋に書いて挟めば、芹沢はちゃんと来てくれて。
早苗のアドバイスを受けて何度も練習した言葉を、まっすぐに伝える。

「芹沢葵さん、図書室のやりとりのころから、好きです。付き合ってください。」

じっと見つめれば、芹沢が少し笑った。
そのまま首に手がかけられて、すこしずつ近づいてくる。
それに見とれてじっとしていたら、唇が触れ合う直前で芹沢がびくりと体を固くした。
さっきまでの、睫毛を伏せた色っぽい顔から一転して、驚愕に目を大きく見開いて後ろを見ている。
振り返れば、早苗が青井に、キスしていた。

はぁ!?

あいつら、いつのまに、そんな。
早苗はモテるくせに今まで誰とも付き合わなかったのに、まさかの青井!?
驚きすぎてムードも吹っ飛んで、お互いぎくしゃくしたままその場を後にした。


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